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第7話

「ここ……」


 目を覚まし起き上がる。風の音が耳をついた。見渡せば、雲が眼前に広がる。一瞬呆然とした。


「……え、なに、空の上ってこと?」


「気づいたか」


 びくん、と肩が踊った。声のした方へ振り返る。そこには灰色の髪を短く刈り込み、顔に斜めに負った大きな傷を持った男が座っていた。その風貌は見たものに硬い印象を抱かせる。


「だ、誰……えっと、私────っ!?」


 話そうとすると、突然頭が割れるように痛み出した。息をするのも苦しくなる。様々な光景が断片的に蘇った。

 ────深い夜空、彼女の泣き顔と笑顔。そして、ホワイトアウトする視界────


「うう……っ!」


 頭から裂けて二つに割れそうだ。そんな様子を見かけてか、男がアマネに近寄り、アマネを気遣うように声をかける。


「じっとしていろ。すぐ終わる」


 そう言ってアマネの頭を手を置いた。しばらくすると、あれだけひどかった痛みが嘘のように引いていった。


「おそらく、無理に記憶を操作したために齟齬が生じたんだろう。それを頭が無理やり修正しようとして、結果として頭痛が起きたんだ。これで少しは楽になったろう」


「え……あ、ありがとう、ございます……」


 自分を治してくれたのか。自分を攫ったのではなかったのか? そもそもどうしてこんなことに? アマネは混乱した。


「あ、貴方は……?」


「マスケという。よろしく頼む。お前を我々の世界に連れ戻しに来た」


「つ、連れ戻しに……?」


「俺たちはニンゲンではなく、『ノウナ』という存在だ。お前は数日前に我々の世界に迷い込んだんだ。覚えているな?」


 その言葉に答えるようにして、今までの違和感が少し解消された。欠けた記憶のパズルが一つ埋まる。

 ビルの合間に入ったと思ったら、謎の森林に突然飛ばされた記憶が蘇る。


「お前はそこで我が國、『クオン』の姫君であらせられるソラ様の怪我を治した。そして宮殿に招かれたが、そこでニンゲンに奪還された」


 あの妙に既視感があった青年、東弥。自分を連れ戻しに来た人物だ。だから再開したあの時何かを思い出した。

 あの怪物が言っていた『ヒメギミ』はソラのことだ。だから記憶のどこかに引っかかった。


「思い出したか?」


 マスケが確認する。アマネはしばらく目を閉じ黙っていたが、やがて頷いた。


「…………うん。全部思い出した。私の記憶、なくなってたんだね」


「奴らの常套手段だ。自分たちに都合の悪い情報を持った同胞を捕まえ、記憶を改竄する。そうして自分たちの秩序とやらを守っているらしい」


「奴らって……」


「我々と戦っているニンゲン共の組織だ。お前の記憶を消した張本人だ。しかし、それだけで済んだのは僥倖だったな」


「……どういうこと?」


「過去にも我々の世界に迷い込んだニンゲンは何人かいたが、それらは全員殺されていた」


「────え?」


 一瞬で心臓が冷える。


「お前と、もう一人だけが、殺されずに済んでいる。もう一人の方はその後何処にいるか掴めなくなってしまったが。もしや捕まって拷問にでもかけられているのかもしれない」


「じゃ、じゃあなんで私、生きてるの……?」


「さぁ、我々にはニンゲンの考えていることも、話している言葉も分からん。‥‥‥しかし、なぜかお前の言葉はわかる」


 ソラの言葉を思い出す。アマネからは人間の“嫌な臭い”がしないと。


「……なんで、私を連れ戻しに?」


 質問すると、マスケは困ったように眉を上げた。


「お前が居なくなって我が國は大いに荒れた。ニンゲンの侵入を許し、姫君をたぶらかしたとな。ニンゲンの世界への侵攻も進言されたが、姫君が釈明をした。そこでで我々近衛がお前を連れ戻し、ニンゲンたちの意思を確かめる、ということに落ち着いた」


「…………」


 アマネはしでかしてしまったことの大きさに唖然とした。自分が、人間とノウナの微妙なバランスを再び崩してしまった原因となってしまったかもしれないと思うと、背すじが寒くなる。


「────のは表向きの理由で、本心は、お前を姫に会わせたい」


「……ソラに?」


 マスケは首肯する。


「お前が居なくなって数日、姫の塞ぎようといったら目も当てられん。久々に出会った気の会う友人だったのだろう、相当心に来ているようなのでな。我々は心配でたまらなかったのだ。そこでお前がどういう人間なのか確かめるため秘密裏にニンゲン界への出征許可が降りた、というわけだ」


「じゃあ、私どうなるの……?」


「上層部の、例えばウチの師大将などはお前を処分しようと血眼になっているだろうが、お前はどうにもさせない。姫にとって大事な客人は、我々にとっても同様だ」


 そっか……と、どこか安心したような気持ちになる。


「じゃあ、私を襲った、あのトカゲみたいなのは?」


「ああ、傀儡兵のことか。あれは俺の分身に過ぎないから特に問題もない。できる限りお前に危害を加えないよう調節してあった」


「……少なくとも貴方達には殺されないの?」


 マスケは当然、というように首を縦に降る。


「ああ。お前に傷一つあったとしたら、それこそ姫に合わす顔がない」

 アマネはに胸に手を当て息を吐く。どうやら納得したらしい。


「分かったか? なら大人しく我々に付いてきて────」


「私をここから下ろして」


「……なんだと?」


 マスケは驚いたように口を開け、呆れたように手で目を覆った。そして、先程とは違う鋭い目つきでアマネを睨め付ける。


「話を聞いていなかったのか? 俺はお前を連れて行かなければいけないんだ。苦労して捕らえたのに、どうしてみすみす逃がさなければならん」


  「でも私は殺されないんでしょ? ならパパとりん先輩とか、とりあえずみんなに説明してなんでもないよって伝えなきゃ」


  「何のためにこんな上空にいると思ってる。お前を奪還しようとするニンゲンが追って来れないようにするためだ」


  「でも、私のことどうにもしないんでしょ? なら話して一旦行ってくるって形にすれば……」


  「ダメだ。お前は一生向こう側────我々の世界に住んでもらう」


  「……え?」


  呆然とするアマネに対し「当然だろう」とマスケは言う。


  「我々とニンゲンは敵対している。そして、我々はお前のことは断じて信用していない。あくまでお前を信じている姫様を信じているだけだ。ニンゲン界に返してこちらの情報を流されるわけにもいかない」


  「で、でも私……」


  「お前はこれからノウナとして生きていくんだ。それがお前にとって幸せになる」


  「ど、どういうこと……?」


  混乱し、今にも泣き出しそうなアマネに、マスケは諭すように続ける。


  「お前はどうして自分がわざわざ記憶を消されて保護されていたのか、分かっているのか?」


  「……さっき言ってたみたいに、組織に都合の悪い情報を持ってるから?」


  「そうだが、それだけじゃない。お前が奴らにとって何かしら重要なものだからだ。このままニンゲン界に残れば必ず、何かに利用されることになる。最悪の場合、殺されるぞ」


  「そ、そんなこと……だって、今日は私のこと、守ってくれて────」


  「それをまやかしとは言わないが、信用しない方がいい。ニンゲンは、嘘をつく生き物だ」


  「やめてよ! りん先輩は、私のこと……!」


  「そいつが、我々と戦う組織に所属していたことは知っていたのか?」


  「し、知らない、けど」


  「なら、信用するな。寝首をかかれるぞ。奴らは命に対して何も思っていない。自分たちに不都合なことは全て切り捨てられる邪悪な存在だ」


  「そんな……じゃあ、あんたたちは信用できるのっ!?」


  「姫は信用できる」


  マスケは断言した。脳裏にソラの笑顔が浮かんだ。


  「姫は間違わない。これから我々の世界を率いるお方だからだ」


  「でも、私ソラとは一回しか……りん先輩は、私……!」


  「こちらに来た方が安全だ。ニンゲンなんて捨てろ。姫が待っている。自分の幸せを考えるんだ」


  アマネは自分の身体が、まるで鋼鉄でできた縄で縛り付けられているように動けないのを感じた。

  今まで凛と積み重ねた時間。ソラとのたった一晩の思い出。ぐちゃぐちゃに混ざり合い、進むべき道が分からない。


  「わ、私……私……」


  頭を抱え苦しむアマネを、マスケはどこか哀れむように見る。


  「もう、分かったろう。もうじき『門』に着く頃だ。そこを通れば我々の世界に行ける。お前はそこで姫の側近として暮らしてもらうつもりだ。姫にはお前が必要だ。我々の世界にも認められるよう便宜を図ってやる。ここでこの世界に別れを告げるんだ」


  チラリと下を見る。雲を猛スピードで過ぎて行く。ここから落ちたら間違いなく死ぬだろう。しかし、いっそ自由になるには、行動を起こして見なければならないかもしれない。


  「いや、ダメだ……何があっても生きなきゃ」


  突然、視界の端にまばゆい光が溢れ出す。光は辺り一帯に輝いた。その眩しさにアマネは思わず目を覆う。


  「『門』だ」


  マスケが指差す方向には、山々を今にも飲み込むことが出来るほど巨大な穴が、月に重なるように有った。穴の向こうには、かつて見た広大な荒野が広がっていた。そしてその先には、ソラと出会ったあの森が。


「ここを通ったら、私はもう戻れないの……?」


  「ああ。さぁ、もういいだろ。俺は一刻も早く祖国に帰りたい」


  本人も気づかないうちに、アマネの頬を一筋の涙が流れた。それを見たマスケは、居心地悪そうに懐から引っ張り出したハンカチのような布を差し出した。


  「ありがと。マスケさんは優しいね」


  「……もういいか」


  「おねがい、もうちょっとだけ……」


  門の向こうをじっと眺めながら、アマネは思う。

  まだ、人間は捨てれない。

  まだ、この私は死なせられない。

  自分の、無意味かもしれない運命、あるかもわからない役目、私が、私であるために、出来ること。


「……ねぇ、私、考えてることがあるんだ」


  「なんだ」


  「私、なんであの時貴方達の世界に行けたのか、なんで貴方達の言葉がわかるのか、分かんないけど────これってきっと運命だと思うんだよね」


  「……そういう運命なんちゃらという考えは苦手だ。しかし、お前が姫と出会ったのは、なんらかの意味があるのかもしれん」


  アマネは、決意を決める。

  手を伸ばせば届くほど近くにいる、あの子に誓う。

  門の向こうの、美しく荒涼とした大地、そしてその向こうにいるだろう彼女に誓う。

  ソラの顔が苦しげに歪むのは、二度と見たくない。


  ────私が、私であるために。


  「私、出来る限りやってみようと思うんだ。マスケさん、ソラに伝えて欲しいことがあるの」


  「……なんのつもりだ?」


  アマネはマスケを見つめた。二つの月の明かりに照らされたその姿は、幻想的を通り越し、威圧感を感じる。マスケはたじろいだ。


  「“ちょっとだけ待ってて。必ずこっちから行くから。絶対に、絶対に会おう”。……お願いします」


  「……それは自分で伝えればいい。何を考えている」


「まだ、知らなきゃいけないこと、いっぱいあるから。みんなのために、私ができることをやるつもり」


  アマネは妖艶に微笑むと、乗っていたものから身体を投げ出した。


  「────くそったれ!」


  マスケはアマネをなんとか掴もうとする。しかしその手がアマネの腕にもう少しで届くところで、


  「《さわらないで》」


  その言葉が聞こえたと同時に、マスケの身体は硬直した。自分の意思ではない。

  まるで、いや、確実に。何かに強制されたものだった。

  その手はアマネを掴むことなく、空を切る。

 アマネは空を落ちて行く。身体は雲を突き抜け、大地に引っ張られるように、滑らかに吸い寄せられて行く。

 星が、綺麗だ。


  「りん先輩、《受け止めて》………」


  心臓が熱く鳴った。


  ────届け。





 馬は足の動きに合わせ、そのまま空中へ上がって行く。丘を登るように軽やかだ。衝撃はほとんどない。


  「はぁッ!」


  大火が手綱をにぎりながら吼える。馬ははそれに答えるようにどんどん急上昇して行く。いつしか猛スピードになり、過ぎ去っていく景色がまともな形を成さない。


  「そのまま北方向です!」


  「了解!」


  凛が双眼鏡を覗きながら指示を出す。雲の上を進むエイがどんどん大きくなっていく。馬はさらにスピードをあげる。このまま追いつくか。そう思った矢先、強烈な嫌な予感が凛を襲った。


  ────え?


  ゾワ。全身に鳥肌が立つ。冷や汗が身体中から溢れた。

  まるで、何か大切なものがいなくなるかもしれないように。


  「隊長! 下、下に進路を変更してください! もう少し高度を落として!」


  「何言ってる、目標は視認できてるんだぞ!」


  大火の言う通り、前方にはまばゆい光を放つ空の下に、漂っているエイが確認できた。あの上にアマネがいるはずだった。


  「まずい! 門がもう開いている!」

 

  大火はさらに手綱を引きスピードを上げる。


  「お願いします! アマネさんが……!」


  そのとき、凛は視界に捕らえた。空から急降下している、アマネの姿だ。

  アマネは抵抗せず、されるがまま落下している。


  「アマネさんっ!!」


  「なんだと……!?」


  大火は驚愕し、馬の進行方向を急変更した。


「間に合え……っ!」


  アマネの姿が鮮明になっていく。


  「アマネさん!!」


  「立松! 気づけ!」


  凛と東弥が叫ぶと、アマネはこちらを向いて、微笑んだ────気がした。

  アマネが手を伸ばす。凛も応えて手を出来る限り伸ばした。


  「もうすぐだ! 受け止めろ!」


「アマネさんっ!!!」


  落下中のアマネと凛がちょうど交わった瞬間、アマネを抱きとめる。そのままいわゆるお姫様抱っこの形になった。

 大火はスピードを徐々に落とし、アマネに負担をかけないようにコントロールする。


  「アマネさん……! よかった……!」


  凛は涙が溢れでてくるのを止めることができなかった。

 アマネはキツく閉じていた瞼を開け、目にいっぱいの涙をためて凛に抱きついた。


「こ、怖かったよぉー! ありがとう、先輩!」


「どうして……いや、なんでもないです、無事でよかった」


「うわぁぁぁあん!!」


 アマネの泣き声が空に響いた。エイは光が収束するとともに何処かへ消え失せ、そして静寂が訪れた。



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