第21話
ここに来て、何日間も同じ夢を見る。
石畳を走り回る夢だ。子供だった頃の秘密基地に行き、そこで日がな辺りを探検して遊んでいた。
秘密基地というのは使われなくなった古い井戸のことで、それはハルリオを囲っている高い城壁の外へ続いている古い朽ちてしまった神殿に続いていた。
「カイトウ。今日も剣教えてくれよ」
「おう、いいぞ」
ハルリオ随一の剣士だったカイトウ。カイトウはよく巡回終わりに俺の剣術稽古付き合ってくれた。彼はとてつもなく強く、一度も攻撃を当てることが出来ず、俺はよく悔しがっていた。それを見てカイトウは穏やかに笑っていた。
「ごめんな。大事な任務があって、しばらくここを出ることになった」
そう言いながら少し寂しそうに俺の頭を撫でてくれた、その温かみを思い出した。
そして、その日から会っていない。
「……またか」
死にそうに寒い真夜中、東弥は目を覚ます。こめかみが濡れている。また泣いてしまったようだ。上半身を起こす。アマネに気づかれないように涙を拭いた。
「あれ、起きちゃったの?」
火の番をしていたアマネが話しかけてくる。
「まだ寝てていいよ。交代まで時間あるし」
「いや、いい。もう目覚めたから。寝れそうにない」
「そっか。じゃあ、あとお願いできる?」
「ああ」
東弥が言うと、アマネはすぐさま眠りに落ちた。眠いのを極限まで我慢していたらしい。
────本来なら、こんなところに来るなんてことなかったはずなのに。
アマネの緩んだ顔を見るたびに、そう思わずにはいられない。
凛だって、米李だってそうだ。凛が友だちができたと嬉しそうに言ってきた日のことは一生忘れない。米李が身内以外に心を開いたのはアマネが初めてだった。
「お嬢や米李さんのためにも、俺が守らなきゃな」
いくら決意したって足りないくらいだ。だからせめて口に出した。心が変わらぬように。
ハルリオの城壁には、東西南北にある大きな門がある。砂漠を超えてやってきた貿易商たちはその門から検問所を通って都市内に入っていく。その際には当然のことだが通行証が必要で、もしそれがなかったら他に身分を証明できるものがなければすぐに弾かれてしまう。
貿易商たちは貿易ルートとも言うべき整備された道を通っている。そこには一定の間隔で身体を休めるための宿泊施設があり、また商人たちを守るため警備が厳重で身の危険はほぼない。この決まったルートがあるおかげで、今までアマネたちはノウナに見つからなかったとも言えるだろう。
現在アマネたちはハルリオ最寄りのオアシスで少しの水分補給をしながら茂みに身を隠し、作戦を練っていた。
「どうしよう、城壁の上に櫓があるよ? ここから出たらイッパツでバレちゃうかも。この先には砂丘もないし……」
「俺に考えがある。ちょっと着いてきてくれないか」
「考え?」
アマネたち二人はオアシスから離れ、しばらくの間歩く。そして夕日が完全に沈み始めた頃、眼前に遥か昔に朽ち果てたような建物が見えてきた。
「ここは……?」
「行こう」
東弥は神殿に入っていく。アマネはそれに着いて行った。
東弥しばらく何かを探すようにキョロキョロ見渡していたが、目的の物を発見するとすぐさまそれに駆け寄った。
「この井戸だ」
井戸の中は完全に干上がっている。底が微かに見えることから、深さはそこまで無いようだ。
東弥はリュックから鉤縄を取り出す。
「えっ、そんなのあったっけ?」
「常に携帯が義務付けられてるんだよ」
「何を想定してそんなの持ち歩いてんのよ」
「前は敵対組織の建物に侵入する時に使った」
「……マジで言ってる?」
「マジで言ってる。そこでうちの組織に不利になる書類を盗み出したりした」
「うわぁ……なにその裏切りのサーカス」
思わぬ形で協会の裏の顔を知ってしまった。
東弥は鉤縄を井戸の縁に引っ掛け、中に入っていく。アマネに手袋を渡す。
「安全を確認してくる。いいって言ったらその手袋つけて降りてきてくれ。摩擦が上がる」
「うん」
東弥は慣れた動きで井戸の底に降りていく。無事底に着くと、ライトを取り出し暗闇を照らした。
夢の通りだ。道がある。
「いいぞ、大丈夫だ」
アマネも縄を伝って降りてきた。その動きはどこか危なっかしい。結局腕が限界になり、飛び降りて東弥に受け止めてもらった。引っ掛けていた鉤縄を回収する。
「ごめん、ありがと……わ、道があるんだ」
「ここを通れば多分街の中に着くはずだ……不気味だな」
「どうして?」
東弥が自嘲するように言う。
「なんで自分がこんなこと覚えてるのか分からないんだ。正直戸惑ってる。変な夢ばかり見るしな」
「泣いてたもんね」
どうやら気づかれていたらしい。ばつが悪そうに目線を逸らした。
「やっぱり、来るときに様子がおかしかったことに関係してるのかな」
「多分、そうだと思う。……訳わからないよ。自分が知らない自分がいる」
「ハナちゃん……」
アマネが心配するように東弥を見る。アマネは雑念を振り払うように頭を振った。
「大丈夫だ、行こう。こんなときに立ち止まるべきじゃない。悪いな」
「……ううん、無理しないでね」
二人は道を進んでいく。そう遠くないうちに行き止まりになり、上を見上げると夜空が見えた。どうやら繋がっている先に出たらしい。
耳を澄ませば声が聞こえる。人の声、いや、ノウナの声だ。後退し暗闇に隠れる。
「聞こえるか?」
「えっと……『巡回は終わったか?』、『今日も平和だな』、『早く帰りたい』……だってさ」
「警備か。近くにいるのは厄介だな」
東弥は腰からナイフを拭いた。
「ちょっと片付けてくる。済んだら呼ぶから待機してくれ」
「あの、あんまり傷つけないようにしてくれると嬉しいです……」
「分かってる。こっちだって無益な殺生はしたくない」
「────、────。────」
「────。────」
「────」
井戸の側で何かを話しているようだ。声数からして三人。すでに深夜。最も油断する時間だ。助走をつけ、井戸の壁を駆け上がる。そのまま井戸の外へ飛び出し、警備兵の元へ一直線に向かった。警備兵たちは慄き慌てて応戦しようとしたが、東弥の方が上手だ。
警備兵は槍を持っている。東弥は槍の効果が失われる懐に入り、一人の顎に掌底を喰らわせた。そして気絶したその警備兵から槍を分捕ると、槍を石突もう一人を殴り倒す。最後の一人は東弥に槍を構えて攻撃しようとしたがいなされ、ナイフの柄で顎を打たれた。あっけなく意識を手放す。
「……ふぅー」
ひと段落しアマネを呼ぼうと井戸に戻ろうとした時、東弥はズボンを引っ張られたのを感じた。まだ意識を保っていた警備兵だ。
「なに、を‥‥‥」
「────っ!?」
飛ぶように後ずさり、ナイフを構える。しかしその警備兵はすでに失神し泡を吹いていた。
「今、声が……?」
思わず呟く。しかし、立ち止まっている暇はない。ナイフをしまい、アマネを呼びに行く。
縄を下ろし、登りきったアマネを座らせる。心得のないアマネはロープを手繰り寄せるのにも一苦労だったようで、再び息を切らしていた。
東弥は鉤縄を片付けながら言う。
「一応見張りは気絶させたけど、いつ起きるか分からない。もしかしたら交代がくるかもしれないし、早くしよう」
「う、うん……」
ここは兵士の屯所らしく、各々が先端に明かりのつく結晶が埋め込まれてある松明を持ちながら多くの兵士が巡回していた。東弥が険しい顔でアマネを振り返った。
「俺から少しも離れるな」
アマネは手で口を押さえながら全力で頷く。口から漏れる息すらも聞かれているような恐怖心に支配されていた。
「こわばって転んだりしたら終わるぞ。力を抜いて、気持ちだけ緊張だ」
「う、うん……」
ゆっくり深呼吸。目を閉じ、感覚を研ぎ澄ます。
「……大丈夫。行こう」
東弥は再び進み出す。建物の影を行き、巡回している兵士を絞め落とす。常に視線を意識しながら行動。
「今だ、行けっ」
建物の間、影がないところ。兵士の目が離れた瞬間に背中を押され、影へ飛び込む。そしてまた進む。
日が登り始める頃には、アマネたちは屯所を抜けて街へ紛れ込んでいた。
「朝だ……」
肌はボロボロ、髪はボサボサ、服は汚く、シャワーにはろくに入ってない。女として終わってんなぁ、と思いながら裏路地で朝日を拝む。安心感と虚脱感。
「おっと」
倒れかけた身体を東弥が支える。
「ご、ごめん」
「大丈夫か?」
「大丈夫……って、言いたいなぁ……」
目を閉じると眠ってしまいそうだった。
「でも、こんなところで休んでらんないよ。やっと目的地に着いたんだし」
「……そうだな」
休んでいいぞ。そう言うことが許されない今の状況に、東弥は歯噛みした。こんなに辛そうなアマネは見たくない。しかし、アマネの言うことが最も正しいのは明白だった。
だから、心を鬼にするしかない。
「よし、このまま裏路地を進んで行こう。この先に王宮みたいなところがあったから、次の目的地はそこだ」
ハルリオは街全体がホールケーキのように作られた都市であり、五階層の一番上にはまるごと王宮が乗っかっている。建物は軒並み天井が平らで背が低く、屋根を登って移動することはまず不可能だった。だが建物は密集しているおかげで、狭くて人が寄り付かない裏路地が豊富にある。
「結構汚いね……」
「そんなもんだろ。気にしない方がいい」
街内は涼しい。空を見上げると、薄く光る膜のようなものが街を覆っていた。恐らくは異界の技術で暑さを防いでいるのだろう。昨日も街に入ると寒さが和らいだ。
「はぁ……はぁ……」
アマネは視界が朦朧としてくるのを感じた。息を搾り出すように吐いている。足もおぼつかなくなってくる。
「うわっ……」
足がもつれ、転びかける。どん! 踏ん張った足の音が鳴った。
「ご、ごめんなさ……っ」
「大丈夫か?」
とっさに謝るアマネに、東弥は支えるようにアマネの肩を持つ。
「少し休もう。このまま進むのはやっぱり危険だ」
「でも、せっかくここまで来たのに────」
「そうだよ。休んだほうがいいよ。だってひどい顔してるもん」
知らない声。意識が一気に覚醒し、声のした方を見る。
アマネと同年代くらいの女の子だ。口元に微笑を浮かべている。髪が真っ白で、人間界で例えるとするとアラビアン風のドレスに身を包んでいた。
「なぁに? その驚いたみたいな顔。ここはあたしの國だよ? 分かんないわけないじゃん」
「立松、退がれ!」
アマネを背中に庇いながら、東弥はナイフを取り出し手のひらに刺す。刀を呼び出し構えた。それを見て彼女は宥めるように手を前に出す。
「ちょっと待ってよ。他の子たちには気づかてないってば」
「信用できるか!」
「しょーがないなぁ……」
鋭い視線を向ける東弥に辟易したのか、若干呆れ顔をする。大きく息を吸った。
「みーーーーんなーーーーーー!!」
「────ッ!? くそッ!」
東弥が彼女に襲いかかろうとする。しかし、その後に訪れた状況に絶句した。
「な……っ!?」
誰も、こちらを見ない。見向きもしない。気にもかけない。
「ほら、でしょ?」
彼女は美しい笑みを浮かべながら東弥に近づく。東弥は動けない。金縛りにでもあっているようだ。歯をくいしばる。動けない。彼女の目に魅入られている。
「だからそんな物騒なもの……《しまって》」
「な、なにすんの!?」
アマネの叫びも届かず、彼女は東弥の刀に触れる。瞬間刀は崩れ、血に戻り流れ落ち、地面に染み込んでいく。彼女は東弥の肩をぽん、と軽く押した。東弥は強く押されたようによろけ、無抵抗に地面に尻餅をつく。
「へぇ、やっぱり通じるんだ。やっぱニンゲンの『組織』のニンゲンなんだね?」
彼女は独りごちる。だが些細な問題だ、という風にすぐさまアマネの方を向いた。
「くそ、なにが……」
「待ちくたびれちゃったよ。ようこそ、アルルエ國へ」
東弥を通り過ぎ、アマネの前に立つ。アマネの手を取り甲にキスする。
「ぱっと見でも思ったけど、やっぱり似てるね」
「……私のこと知ってるの?」
「知ってるよぉ。あたしフウラ。よろしくね」
アマネの頬を撫でる。顎をくすぐってきた。猫のような扱いだ。
「離れろ!」
「はいはい。今アマネと話してるから」
東弥が立ち上がるが、フウラが東弥を見ると再び動けなくなってしまった。東弥は地団駄を踏みそうな勢いで憤慨する。
「なんなんだ、これは!」
「アマネ。あなたを招待したいな」
「招待……?」
今度はアマネの手を取ったままくるくると踊り始める。
「ど、どういうつもり?」
「あたしがアマネとお話ししたいんだ。それに待ってるヒトが、いるよ?」
「待ってる人?」
アマネが訝しむようにおうむ返しすると、フウラは大げさに泣きそうな顔をする。
「そんなに疑うような顔しないでよぉ。騙すつもりなんてほんとにないんだってば!」
「……少なくとも、今の状況で信用できるわけないよね」
「じゃあ何をしたら信用してくれるの?」
「……ハナちゃんを解放してあげて」
「そんなことくらい」
フウラがそう言うと同時に東弥の拘束が解けた。東弥は力づくで動こうとしていたのか、拘束が途切れた瞬間つんのめった。
「で、次は?」
「……なんで、私たちになんにもしないの? 私たち人間界から来たのに」
「だから言ってんじゃん。待ってるヒトいるんだってば。メイっていうの」
「メイ……!?」
メイ。アマネの知っているメイは屋永米李以外にいない。
「米李ちゃんがいるの!?」
「会いたいでしょ?」
「会いたいに決まってるよ!」
「立松!」
東弥が叫ぶ。アマネはそこで初めて頭に血が登り始めていたのを感じた。
「落ち着け、罠かもしれない」
「罠なんて。しようと思えば、今ここでアナタたちをすぐさま捕まえることだって殺すことだってできるのにしないんだよ? なのにしてないんだから。考えれば分かることじゃない?」
アマネは黙った。頭の中で状況を整理する。今ここで取るべき行動を考えろ。
結論はもう出ていた。
「……ハナちゃん。私たちの目的は一つだけだよ」
「立松……」
「メイちゃんに会わなきゃ。罠かもしれないのは分かってる。それでも行かなきゃ。罠だった時は、その時は全力で逃げよう」
「……逃げるって。簡単に言うなよ」
東弥が呆れたようにこぼす。
「ハナちゃん、私を守ってくれるんだよね?」
アマネは信頼しきった目で東弥を見る。その目で見られたら何も言えなくなってしまう。東弥は諦めたように大きく息を吐くと、渋々承諾した。
「分かったよ、行こう。なんかあった時どうするかはもうその時考えよう」
「ありがとう、ハナちゃん」
「話ついたー?」
フウラが退屈そうに座り込んで二人を見つめていた。
「うん。米李ちゃんに会いに行くよ」
「もっと早く言ってくんないかな。待ちくたびれちゃうよ。じゃ、こっち来て」
フウラは立ち上がり、手招きをする。アマネと東弥はそれに応じた。
「手、握って」
透き通ったように白い綺麗な手を出した。言われた通り握る。
「酔わないように注意してね」
フウラはいたづらっぽい笑みを浮かべアマネを見た。
「酔うって、どういう────」
瞬間、三人の姿は跡形もなく消えた。