第20話
砂漠を二人きりで行く道のりは決して楽なものではなかった。
オアシスで定期的に水を補給できるとはいえ、脱水症や熱中症を防ぐためにあっという間に水筒内の水を飲み切ってしまい、水探しのために寄り道をする。
「見ろ。草が茂ってる。地下水があるかもしれない。岩場の影を探してくれ」
「う、うん」
特殊な訓練を受けている東弥と違い、アマネはただの少女。東弥がいかにアマネを気遣いペースを落としても、それに追いつくことができない。
さらに水をやっと見つけたとしても、それは希望よりずっと少ない。影になった部分を掘り、ドロを掻き出す。ドロをシャツに包み絞る。しかし肝心のその量は、苦労にまるで釣り合わないのだ。
「ほら、飲め」
「あ、ありがと……」
東弥はアマネをいつも優先して水を飲ませる。アマネもそれについては申し訳なく思いながらも、喉の渇きには勝てない。
「ごめん、飲みすぎちゃった……」
「気にするな。俺はまだ大丈夫だから」
そう言って穏やかな顔をする。アマネにまた負い目が生まれる。
一日では次のオアシスまで辿り着かないこともある。その場合は砂漠の中で一夜を明かすのだが、砂漠の夜の寒さは筆舌に尽くしがたい。
「岩を集めるんだ。岩は日中太陽の光を集めてるから、まだ熱を帯びてる。それを集めてシェルターにしよう」
テキパキとその場の最適解を出していく。
シェルターを組み上げた後は、火を起こす。緊急着火器とナイフを擦り合わせ火花を飛ばし、乾燥した草に落とす。それに注意深く息を吹き込み、火口を作る。そうすれば焚き木を組み上げればその晩の分の火は確保できる。
「はー……」
悴む手に息を吹きかける。ゆらゆらと揺らめく火を見ていると、木の爆ぜる音を聞いていると、何とも言えない穏やかな心地になる。
火は偉大だ。人類が火を手に入れて発達した理由が身体で感じ取れた気がする。
「晩飯にしよう」
そう言って東弥が取り出したのは、シェルターを組み上げている時に捕まえたヘビ二匹とあらかじめ燻しておいたトカゲ四匹だ。
「ヘビは串焼きにしよう。焚き木の予備があるから、それで突き刺しておいてくれ」
「うん」
頭を落としているヘビをS字型に突き刺し、火で炙る。煙が宙を高く舞い、満点の星空に消えていく。上にも周りにも遮るものは何もない。アマネと東弥以外、何もない。
一陣の風が吹き、静かに砂を巻き上げた。アマネは東弥に向き直る。
「ごめんね。いっぱい……いっぱい、迷惑かけて」
アマネの謝罪に東弥は少し黙った後、言葉を選ぶように話し出した。
「……あのさ」
「ん?」
「数人でサバイバルする秘訣って知ってるか?」
「各自が自己責任で行動すること、みたいな?」
「違う。全員が全員のために動くってことだ。サバイバルにおいて1人より数人の方が生き残る確率は格段に高い。でもそのためには、各々の円滑な関係が不可欠だ。俺の言ってることわかるか?」
「うん。分かるよ」
「サバイバルでは毎分毎秒常に身の危険にさらされている。お互いがお互いを生き残らせるための楔になるんだ。……立松は、自分が足手まといだって思ったから、今謝ったんだろ?」
「う、うん。そうだね……」
「でもな、悪いがはっきり言わせてもらうけど、お前は全く足手まといなんかじゃない。お前は俺の指示通りに動いてくれるし、俺を気遣ってくれる。もしお前が本当の意味で足手まといなんだとしたら、俺たちは今の今まで生きていないよ。俺がどんなにサバイバルに慣れていたとしても、一人が足を引っ張ればその時点で共倒れ確定だ」
「えっと、つまり?」
「……文脈を読めよ。気にしないでいいって言ってんだ」
東弥は先ほどまでの饒舌ぶりはどこに行ったのか、ぶっきらぼうに言い放つと寝転んでしまった。その姿に思わずくすりと笑みが溢れる。
「ふふ、はははは……」
「おい、笑ってんじゃねぇよ」
「いや、ははは……案外、不器用なんだなって……ふふふふ」
「あー、もう。うるさいうるさい。ほら、焼けたぞ。さっさと食ってさっさと寝よう。明日も早いんだから」
「はーい」
こんがりと焼けたヘビの丸焼きを食べる。パリパリの皮と魚のような肉が、口に入れた瞬間にその香ばしさを一気に解放する。が、さすがに幾日も同じような食事だと流石に飽きてくるものだ。初めはこのような自然そのままの味に感動すら覚えたが、その味に慣れてしまった今はその感動も薄れてしまう。
「美味しいけどさ……たまには調味料を入れたくなってくるよね」
「贅沢言うな。虫食べないでいられるだけマシだと思えよ」
「ハナちゃん食べてたけどさ。あれほんっっっとに不味そうだよね。不味そうな顔してるもん」
「完全に栄養補給のために食ってるからな。味とかあまり考えてられないけど、やっぱり調味料は偉大に思える」
東弥はしみじみと呟きながらトカゲの燻製に手を伸ばす。
「それに、流石に十代の娘に虫食えとか言えないしな」
「ほんと、つくづくごめん……」
「だからいいってば。虫だって旨さを探せば旨くなるんだよ」
まるで諦めの境地に至ったような穏やかな顔の東弥に対し、なんで旨さを探さなきゃいけないの……? とは口が裂けても聞けなかった。
そして夕飯を残さず平らげ、アマネは簡易毛布を渡される。
「ほら。今日の火の番は俺だろ。早く寝てくれ」
「うん。じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかしら」
アマネはわざわざ東弥の側まで近寄る。東弥にその身を預けるようにもたれかかり、二人で毛布にくるまった。
「おい……離れろ」
「いいから。あったかいでしょ? こんな美少女にくっついてもらえるなんて、ハナちゃんは世界一の幸せもんだぁー」
「……ここ、世界違うけどな」
東弥はアマネを出来る限り視界から外そうとそっぽを向く。
「あ、照れてる照れてる」
「うるさいな、早く寝ろよ」
「寝てますぅー」
アマネは目を閉じ、東弥に体重をかける。
「……軽いな。もっとちゃんと食え」
「女の子は体重命なんだから。軽い方がいいのよ」
「お嬢も気にしてたよ。お前と出会ってから特にな」
「そうなんだ」
「米李さんも、お前と会って笑うようになった」
「……うん」
「ああ。本当に大事みたいだぞ、お前のことが」
「……絶対助けなきゃね」
「当たり前だ」
「おやすみ。そっちだって早く寝てね?」
「ああ。おやすみ」
砂漠を超え、蛇を食し、植物の棘に刺され、虫を食し、そうして一歩一歩進んでいく。
途方も無い道のりだった。進んでも進んでも全貌が見えない巨大都市『ハルリオ』。自分が進んでいるのかどうかわからなくなった。挫けそうな時もあった。その度に、凛と米李との思い出を思い返す。そして決意を新たにして、水を一口。また歩き出す。
異界に着いて十日。肌寒くなってきた夕暮れ。ついにハルリオのすぐ側にあるオアシスまで辿り着いた。そのオアシスは身の丈ほどの草が生い茂っており、身を隠すには充分だ。
「……見て」
アマネは東弥の袖を引っ張りしゃがませ、茂みに身を隠す。
「このまま進んだら危ないよね」
「間違いないな」
ハルリオ手前のオアシスからハルリオにかけては大きな道が整備されている。そこでは多くのノウナたちが行き来しているのが見えた。
「続々と来てるな。商人かなんかか?」
「……なにあれ。動物? なかなかチャーミングだとは思うけど……」
「あれを? ……よく分からんな」
ノウナたちは大抵大きな馬車に人や物を乗せ、それを、言うなればラクダを爬虫類にしたような生物に引かせている。
「とりあえずこのままじゃ確実に見つかる。なんとか侵入する方法を見つけよう」
「待って」
「どうした?」
「ここから先は、私一人にさせてほしい」
「……は?」
東弥は心底意味が分からないといった顔をする。
「どういうことだ? お前、今は全く戦闘手段を持ってないじゃないか。何かあったらどうするつもりだ」
「大丈夫だよ。あのよく分かんない膜みたいなやつが守ってくれるし、それに最後の手段もあるから」
「あの時だってギリギリだっただろ。そのケースだって本当に危なくなる時まで取っとけって隊長に言われたろ」
「大丈夫だってば。それに、ノウナたちには私たち人間の匂いが分かるらしいの」
「匂い……?」
「うん。でも、私にはその匂いがしないんだって。だから────」
「一人で行くって? ふざけるなよ」
東弥は自分の考えを言い聞かせるようにアマネの肩に手を置く。
「いいか? 俺には、お前をここに連れてきた責任がある。お前を必ず守らなきゃいけない責任があるんだ。お前一人を何があるか分からない場所にほっぽって待つことなんてできない」
「で、でも……」
「俺のことなら大丈夫だ。気配を消す方法も訓練された。そう簡単に俺のことは見つけられない。だから大丈夫だ」
「……本当に?」
アマネは東弥の目を見つめながら問う。これが妙な強がりや意地なら絶対に拒否しようと思いながら。しかし東弥は「本当だ」と、臆面もなく言い放った。
「お前を守る。これは絶対だ」
「…………」
強がりでも意地でもなく、これは東弥が自身に課した使命なんだろう。そしてそれを他でもない私が否定してはいけない。アマネは肩におかれた手をそっと外した。
「分かった。じゃあ、しっかり守ってもらおうかな」
「当たり前だ」
ハルリオを見上げる。高く壮大な城壁に囲まれた巨大都市。しかし巨大であるがゆえに、必ず穴があるはず。
────待ってて。先輩、米李ちゃん。
────今、行くから。