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第19話

 一歩踏み出すと、そこはもう異世界だった。


  「ほんとに来れちゃった……」


  アマネはゆっくり辺りを見渡してみる。一面の砂漠と、所々にオアシスだろうか。澄んだ湖と豊かな緑がある。そして見上げれば雲ひとつない晴天と、照りつける強烈な日差し。肌が容赦なく焼けているのが分かる。


  「あっつ……」


  アマネの頬に一筋の汗が流れた。とてつもない暑さだ。急いで着ていた上着を脱ぎ、シャツとズボンのすそも捲る。


  「それにしても……」


  ここはどこだ? それがアマネの頭の中を占めていた。また、アマネの頬に一筋の汗が流れた。心臓がいやな拍動の仕方をする。鉛が腹の底にあるような気持ち悪さがアマネを襲う。


  「とりあえず、あそこのオアシスに行こう。こんなとこに長居してたら死んじゃうよ……あれ、ハナちゃん?」


  「────ッ」


  傍らに立つ東弥をみると、目の前の景色を食い入るように見つめている。アマネの声にも気づいていないようだ。汗がダラダラと噴き出て、拳を痛いくらいに握っている。右腕の包帯にも血が滲み、痛みに震えている。


  「ちょ、ちょっと! 血が……ねぇ!」


  アマネが激しく東弥の肩を揺らすと、彼はやっと現実を認識したかのようにこちらをみた。


  「あ……ああ。なんだ?」


  「いや、だから。血が……」


  アマネが指摘すると、東弥は今気づいたのか、開いた傷口から流れ落ちる血をを一瞥したが、どうでも良さそうに「ああ」と呟いただけだった。


  「このくらいなんともない。先を急ごう」


  「このくらいって……だめだよ。心配だから」


  「こんなところで立ち往生するわけにもいかないだろ。早くしないと、お嬢たちが……」


  「だからって……ほら、どんどん血が!」


  東弥の腕から止まることなく血が流れ落ちている。溢れた血は砂漠に次々に染み込み、黒ずんだ染みを作っていく。


  「いいから。じきに止まる」


  「だめだってば!」


  拒否する東弥の腕をアマネは無理矢理掴み、近くのオアシスまで引っ張っていく。


  「ねぇ、ちょっとおかしいよ。さっきだって私のことぜんぜん気づかなかったし、すごく顔色悪いし。なにかあったの?」


  「…………」


  東弥は応えない。ただ無抵抗のまま、アマネにされるがままにされている。


  「……ねぇ、あれみてよ」


  アマネが指差す方向には、かなり遠くに街らしき影が見える。全く見覚えのないものだ。


  「ここさ、私が前に来たとことは全然違うところなんだよね。だから正直すごい焦ってる」


  「…………」


  「焦ってるのは嘘じゃないし、早く行かなきゃいけないよ、もちろん。でも、だからってそんなケガ放っておけるわけないでしょ。私そこまで薄情じゃないよ。先輩たちも大事だけど、ハナも大事なの」


  立ち止まり、振り返り、東弥の手を握りながら語りかける。


  「……そうか」


  「うん。あたりまえでしょ。私の命の恩人だもん。二人が揃って怪我なく元気に先輩と米李ちゃんに会うの。それが最善だよ」


  「……そうか」


  東弥は少し微笑んで、ようやく前を向いた。


  「悪い。少し焦ってたみたいだ」


  「ふふ。だろー?」


  「冷静になった代償に腕がめっちゃ痛くなってきた。早くオアシスに行って一息入れたい気分だ」


  「りょーかい」


  なんでもないような軽口が東弥から出てきて、アマネは内心ほっとした。

  先ほどの東弥は、何かを思いつめていると言うよりも、何かをひどく恐れているような、そんな表情をしていた。だが、今手を引かれている東弥はそんな様子は引っ込んだようで、心底安心する。


  「よし。到着」


  無事何事もなく、オアシスに到着した。コートを着たままだった東弥も涼しい格好になり、脱いだ上着は座るためのシートにする。日陰に入ると、先ほどまでの暑さが嘘のように涼しさが身体全身を包み込む。湖がかすかに揺れる音と、太陽の光が湖に反射して写る揺らめきに目を奪われた。


  「はい、手ェ出して」


  「ああ」


  包帯を解いていくと、東弥が血司武器を出すためにナイフを刺す場所から血が流れていた。しかし、いつのまにか血は止まり、出ていた血は固まりかけていた。


  「買ってきてもらってて良かった」


  愛に買ってもらった大きめのリュックには、毛布や簡易浄水器、チャッカマンやツールナイフ、カロリーメイトなど、サバイバルに必要な物資が詰まっていた。

  まるで、これからのことを予測したかのような装備。素直に感謝の念を送った。


  「ほとんど血は止まってるみたいだけど……一応、念のためね」


  消毒液で傷口を拭き、ガーゼで傷口を保護する。

  治療が終わると、アマネは東弥の側から立ち上がり、湖で水を汲んだ。簡易浄水器で水を洗浄する。出来たきれいな水を水筒に入れる。東弥とアマネ、二人分だ。


  「手当て、慣れてたよな」


  「ん?」


  話しかけられ振り返る。


  「報告によれば、立松が接触したっていうノウナにも手当てしたんだって?」


  「ママが看護師でね。覚えておいて損はないだろって、教えてくれたんだ」


  「看護師か。そういえば聞いたことがあるな。立松副理事の奥方は戦場の天使だったって」


  「……天使?」


  「ああ。その奥方も協会の関係者で、戦場に自ら赴いて戦士の治療をしたらしい。人伝に聞いた話だけど」


  「ナイチンゲールみたいだね」


  「もしかして、知らなかったのか?」


  アマネは目線を下げる。沈黙は肯定だった。


  「……すまん」


  「あやまんないで。パパ、本当に仕事のことなんも教えてくれなかったんだなって、思っただけだから」


  「……立松のお母さんは」


  「私が中学に上がる頃、死んじゃった。それもなにかに関係があるのかな?」


  「ごめん。そこまでは分からない」


  「そっか。そうだよね」


  東弥が俯く。アマネはまた東弥の側に戻った。


  「ねぇ、こっちも質問していい?」


  「ああ」


  座りながら水筒を東弥に渡す。ほとんど気にしてなさそうにあっけらかんとしているアマネに少し面食らいながら、東弥は承諾する。


  「この場所のこと、知ってるの?」


  しばらくの沈黙の後、東弥は深刻な顔で頷く。


  「知ってるというか、前に作戦で来たことがある。その時もさっきみたいになって、一人だけ人間界に戻されてな。今となっては、苦い思い出だよ。原因だって未だにわからないんだ。作戦を前にして緊張するほど素人だった訳でもない」


  東弥は「それより……」と、遠くにある街の影を見る。


  「ここは『アルルエ國』。立松が前に行ったクオン國のずっと西にある國で、大きさで言えば異界トップクラスだ。そして、あそこに見えているのが首都の『ハルリオ』。大きなホールケーキのようになっていて、ここから見えるのはほんの先端でしかない」


  「アルルエ國……」


  「大きすぎて近いように感じるが、距離はだいぶある。数日は砂漠を歩かないといけないかもな」


  アマネは覚悟を決めて立ち上がり、「よし!」と気合いを入れる。


  「休憩終わり! じゃあ動こっか」


  二人は早速準備に取り掛かることにした。最優先事項は、生き残ることだ。


  「ここって、やっぱり一面砂漠なの?」


  「ああ。ここにデータがある」


  東弥は持っていたリュックからファイルに入っている資料を取り出した。


  「異界に行くなら必要と思って、家にある資料を持ってきたんだ。俺が今まで行ったことのあるところなら、ある程度の情報がある」


  資料を開き、文章を指差す。


  「ここはアルエル國の首都近郊にある砂漠地帯。日中平均気温はおよそ五十五度。夜はマイナス二十度まで下がる。地球の砂漠と大体同じだ。違うのは、地下水が豊富でオアシスが無数にあることだな。なんでも大昔にノウナの神々が争った結果砂漠と化した、という伝承が残っている」


  「たしかにぱっと見でもオアシスが四つあるね」


  「このオアシスを辿っていけば最低限、水やフルーツは手に入る。脱水症状や飢えで死ぬことはないと思う」


  アマネたちが利用している木の陰。その気にもオレンジ色のフルーツが生っている。


  「問題は暑さだ。出来る限り肌を露出させないようにして、定期的に水を飲む。頭にターバンを巻く必要もあるな」


  「それ知ってる。ディスカバリーチャンネルで見た。ベアニキがシャツにおしっこかけてターバンにしてた。頭が熱くなっちゃうのが一番ダメなんだよね?」


  「ああ。でも尿で濡らすのは最終手段だ。ここは普通にオアシスの水で濡らすから大丈夫なはずだ。問題は栄養素だな。水やフルーツだけじゃどうしても栄養が足りなくなるから、タンパク質を摂るのが大事なんだけど……お前、蛇は平気か?」


  「……異界に蛇、いるんだ」


  「似たようなのがな。大体は毒を持ってるから注意が必要だけど、食えなくはない」


  「まぁ、大丈夫かな。餌を丸呑みする動画とか見るから」


  「……そうか。あとは虫も、もしかしたら食べなきゃいけないかもしれない」


  「む、虫かぁ……」


  アマネは蛇の時と違い、本当に嫌そうな顔をする。


  「私、虫はちょっと……。調理されたものならまだしも、こんなところの虫まずいに決まってるよ。ベアニキもすっごい不味そうな顔して食べてるもん」


  「……あまりうまいもんじゃないのは確かだな。でも、いざとなったら四の五の言ってられないから、覚悟だけはしておいてくれ」


  「わ、分かった」


  出来ることならそんな未来にならないでほしいと、心から願った。




  こうして始まった、二人きりの奪還作戦。

  目の前には広大な砂漠。退路は無く、希望も薄い。ここに凛と米李がいるという確信もない。

  それでも、立ち上がらなければ。前を向いて、進まなければ。

  “ここに導かれたこと“。ただ、その運命だけを信じて。



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