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第11話

  「パパ……?」


  「アマネ……」


  ロビーに立つ男性はグレーのよれたスーツに緩めた赤いネクタイを身につけ、ヒゲはとっくに口周りを覆い尽くし、頭には白髪が混じっている。もう何日も家に帰ってなく、まともな生活をしていないことは丸分かりだった。

  間違いなく、自分の父親だ。頭で考える前に、もう身体が動き出していた。父親にタックルするように強くその胸に飛び込み、そしてしかと抱きしめた。

  殺されるかも、なんて恐れはもう無くなっていた。


  「パパ、なの……」


  「……そうだよ」


  父親────礼司も、涙声になりながらアマネの背に手を回す。


  「パパ……!」


  「アマネ……! 無事でよかった……!」


  しばらく無言で抱き合う。凛と大火、そして周りで作業していた人々はその光景を見守っている。


  「……なんで、ずっと帰ってきてくれなかったの?」


  「ごめん。アマネを守るために指揮を取らなきゃいけなかったんだ。今日がその一区切りの日で、ちょうど帰れる日でもあったんだ」


  「……そっか。でも、寂しかった」


  「ごめん、本当に」


  礼司はアマネを少しだけ引き離し、頭を撫でた。


  「もう、身なりが汚いんだから」


  「……アマネに言われると余計に傷つくな」


  「どうせお風呂も入ってないし服も変えてないし、ちゃんとしたご飯食べてないんでしょ?」


  「アマネはなんでもお見通しだな」


  「当たり前でしょ。娘が誰だと思ってんの?」


  「そうだな……目、赤いけど、大丈夫か?」


  「いい女の涙の理由は聞くなって、ママが言ってたでしょ」


  「……ほんとに、そっくりになってきやがって」


  礼司が冗談交じりに言うと、アマネは少し力が抜けたように笑った。


  「ねぇ、パパはここの人なの?」


  礼司は頷く。


  「……ああ。副司令として働いている」


  「だから、家に帰って来れない日が多いの?」


  「そうだよ。辛い思いさせてごめん」


  「……うん、分かった。……ね、パパ」


  「うん?」


  アマネの目に確かな意思が宿る。礼司はそれに気づき、続く言葉を失った。


  「私、パパを手伝うよ」


  この『手伝う』という言葉が、単に親子の間で交わされるような意味ではないことを礼司は悟った。


  「……本気で言ってるのか?」


  「私、嘘はつかないよ。誰にも」


  礼司は「そうか」と声を出さず息だけで呟いた。


  「アマネ。それがどういうことか分かってるのか?」


  「……うん」


  「その話、私も詳しく聞きたい」


  礼司の背後から声が届く。黒色のスーツの前を開けており、ネクタイを締めていない。ワックスで整えられたオールバックに、鋭い眼光をそなえた痩せぎすの男だ。


  「……鳴海」


  「司令」


  アマネの後ろで見守っていた凛は姿勢を正した。大火はそのままポケットに手を突っ込んでいる。


  「立松アマネくんだね? 私はここの司令長官の久世(くぜ)鳴海だ。無事でよかった」


  「あ、ありがとうございます」


  握手を求められそれに応じる。


  「礼司。彼女に諸々の説明は?」


  「……してない」


  「じゃあ今からしよう。すまないが、私の部屋まで来てくれると助かる」


  「あ、あの!」


  凛が声を上げる。


  「アマネさ────立松アマネは度重なる状況により疲労が見られます。ここは一旦休息を与えるべきです」


  「雫山隊員の言う通りだ。今日はいろんなことがいっぺんに起こりすぎた。少し落ち着く時間が必要だと思う」


  礼司が凛の言葉に賛同する。


  「だ、大丈夫だよ。まだ元気だよ」


  「アマネ。いいから」


  礼司は言い聞かせるようにアマネの肩に手を乗せた。


  「アマネが本気なのは分かってる。でも、ここで勢いだけで動くのは危険なのは分かってほしい。それにアマネの身に何が起こったのか、アマネがお父さんたちを手伝うってことがどういうことなのか知るべきだ」


  「…………」


  「だから一度一人になって、よくよく考えて結論を下すべきだ。その結論次第で、アマネの将来が大きく動くことになるから。……お父さんの言ってること、分かるな?」


  「……分かった」


  アマネは不承不承といったように頷いた。礼司は鳴海を振り返る。


  「そういうわけだ、鳴海。部屋を用意できるか?」


  「おい、私の方が上官なんだぞ? 一応は」


  「いいから」


  「元々今日は泊まってもらう予定だったから部屋はあるよ。念のため警護として、雫山くん。行ってくれるね?」


  「はい、もちろんです」


  「よし、じゃあ第五区画まで案内を頼むよ。立松さん」


  「は、はい」


  凛に「行きましょう」と手を引かれたアマネを鳴海は呼び止める。


  「すまないが、今日明日は君を帰すことができない。あらかじめ了承しておいてくれ。そして……ゆっくり、考えてほしい。これは、我々の命運をも決定するかもしれないことなんだ。自分自身に、しっかり問いかけて」


  「……はい」


  真剣な表情でアマネは頷く。それを見て鳴海は頷くと、凛に先に行くよう促した。それを見届けた礼司たちもロビーから専用のエレベーターに乗り、自分たちの部屋に向かう。


  「……はぁ」


  エレベーターが動いている最中、礼司は大きく息を吐き出す。同時によたよたと壁にもたれかった。


  「……大丈夫か? 副司令」


  大火が礼司を気遣う。礼司は力なく笑った。


  「ああ、大丈夫だ。少し力が抜けただけで」


  「……俺が言うのもなんだが、少し頑張りすぎだぜ」


 エレベーターが止まり、扉が開く。このフロアは司令、副司令、そして各部隊長の個人室があり、三人は各々の部屋に向かう。礼司は自分の部屋のドアノブに手をかけ、ふと思い立ち鳴海を呼び止めた。


  「……なぁ、鳴海」


  「なんだ」


  「もし……もし、アマネの言葉が本気だったら、どうする」


  「……願ったり叶ったりだ」


  「────ッ!!」


  鳴海の返答を聞き取った瞬間、礼司は鳴海に掴みかかる。


  「おい、副司令!」


  大火が礼司を抑える。しかし礼司は拘束されてもなお鳴海を詰ろうとする。


  「お前は……なんの責任も無い子を、戦争に加担させる気か!?」


  「彼女が望んでいることだ」


  「俺はそんなことをさせるためにあの子を育ててきたわけじゃない!」


  「私はその気で彼女を見てきたよ」


  「お前、じゃあ、柚子にはどう言い訳する気だ! 柚子はあの子にふつうに育っていって欲しいとずっと願っていた! 死ぬ直前まで、考えていたのはアマネのことだ!」


  「なら、お前は逆にできると思っていたのか? あの子が無関係でのこのこ生きていくことが本当に可能だと思ってたのか!?」


  ついに鳴海も声を荒げ、礼司に詰め寄る。礼司は面食らって動きを止めた。


「いいか? これは避けられないことだ。あの子は自分で、自分の運命を受け止めると決めたんだよ。そしてそれが結果的に、我々の戦いを終わらせるかもしれない。我々はこの戦いを終わらせなければならないんだ。分かってるな?」


「……ああ、分かってる。すまん」


 礼司は怒りを抑え脱力する。大火はそれを見て抑えていた力を緩めた。


「……お前が辛いのは分かる。しかしこれからもっと辛い目に遭うのは彼女だ。我々のすべきことは、その辛さを軽くしてやることだろ。そしてそれが一番できるのは、父親であるお前だ」


「……そうだな。迷惑かける」


「みんなで背負うんだろ。私はとうに腹をくくったよ。地獄に落ちる準備はできてるし、憎まれる準備もできてる」


「ああ」


「……じゃあ、仕事に戻る。ついでに仮眠を取るといい。畠山くんもね」


「はぁ。じゃあ遠慮なく」


 眼前の大きな扉を開け、司令室に入っていく鳴海を見送る。その後、礼司はすまなそうに大火に視線を向けた。


「悪いな。畠山にも迷惑かけた」


「別に。さっき話してたことの内容も、興味ありませんから?」


「……聞かなかったことにしてくれると、助かるよ」


「俺レベルの幹部にも言えない情報ってことか」


「ああ、そうだ」


  「そんなことをこんな廊下で言い争うなんて、全くもって不注意極まりない」


  「返す言葉もないよ」


  「もしなんか問題起こったら言ってくださいよ。身体張るから」


  「……ありがとう」


  「じゃ」


  大火は雑に一礼して、自分の部屋に入っていった。

  礼司も自らの部屋の扉を開ける。すると真っ暗な部屋に人工的な灯りがついた。防衛の観点から窓は無い。そして目に飛び込んできたのは、脱ぎっぱなしになってしわくちゃになった衣類と、カップ麺の残骸の山、そしてそれ以上に床を覆い尽くす書類の山だった。礼司は苦笑する。今自分の状況を客観的に見れば、誰もがしんどそうだと思うだろう。本格的に疲れているのかもしれない。

  ベッドに座りうなだれる。軋むスプリングの音が虚しく響いた。


  「アマネ……せめて、お前だけは……」




















  十時間後。客室に着いた瞬間ぶっ倒れたアマネは爆睡し、翌日凛に起こされた時にはすっかり頭はすっきりしていた。


  「おはようございます、ねぼすけさん。もう朝ですよ」


  「おはよう……ふわぁあ」


  大きく伸びをして辺りを見渡す。窓のない綺麗に整えられた部屋。明らかに自分の部屋じゃない。


  「学校! やばい!」


  「アマネさん!?」


  慌ててベッドから跳ね起き、そして今いるのが異界から人間界を守る謎の組織に匿われていることを思い出した。


  「そっか、学校行ってる場合じゃないや……でも私一応受験生なんだよなぁ。勉強しないといけないのに……」


  「あの……アマネさん? 大丈夫ですか?」


  「うん。大丈夫だよ。自分の状況も分かってるから」


  「そうですか……」


  凛は一瞬だけ目線を彷徨わせ、耳にある通信機にアマネ起床の報告をする。


  「りん先輩?」


  「……その。考えをまとめる時間が必要ですよね。私、出ます」


  「あ、待ってよ」


  アマネの言葉を無視し、凛は部屋の外に出る。扉のすぐそばの壁にもたれかかり、そのままずるずると座り込んだ。


  正直、凛はアマネにこれ以上関わって欲しくない。最悪、また記憶操作をすることもやむを得ないと思っている。アマネがまた危険な目に遭うくらいなら、その方がいい。怪物から救い出され、気絶するまで凛にすがりついていたあの姿と、空飛ぶ巨大エイから飛び降りたあの微笑がフラッシュバックする。

 後者は……明らかに今までのアマネではなかった。もしこの戦いにアマネが関わって、凛の知らないアマネが出てきてしまうのは嫌だ。これが全くのエゴであることはわかっていたが、それでも嫌だった。アマネのことは自分が一番の理解者だと思っていたのに。隠し事をしている身でこんなことを思うのは筋違いかもしれないが、やっぱり嫌だった。


「アマネさん……私は……」


 大丈夫。昨日アマネに言った言葉が凛を締め付ける。私は、アマネさんを守らなきゃいけない。大丈夫でいなきゃ。


「せんぱーい。居るー? って、わ」


 扉から顔だけを出してアマネがこちらを観ている。しまった、みっともないところを見せてしまった。


「あ、いや。これはちょっと……アマネさんの起きた顔見たら、安心して腰が抜けて……」


「……どうしてそんなみえみえの嘘つくの?」


「へ?」


 アマネは悲しそうに眉をひそめる。


「先輩の顔、安心したって顔じゃないよ」


「…………」


「先輩」


「……ごめんなさい」


 その視線に耐えきれなくなって、つい謝ってしまう。


「私、アマネさんにはこれ以上深く関わって欲しくないんです」


「……うん」


「昨日みたいな思いはしたくないんです。アマネさんが傷つくようなことに巻き込みたくないんです」


「…………」


 堰を切ったように自らの思いを吐露する。アマネはそれを黙って聞いていた。


「ごめんなさい。もうどうしようもないことは分かってるんです。アマネさんは完全に向こうの標的になってしまった。アマネさんはもう関わらずにはいられない。でも、それでも────」


「先輩、ごめんね」


 アマネはしゃがんで凛に目線を合わせた。


「私、行くよ。もう決めたんだ」


「……そうですよね」


 凛は諦めたように口元を歪める。


「うん。やっと見つけたんだ。私ができること」


「……アマネさん、自分に何ができるかなんて悩んでたことあったんですか」


「人並みにね。でも、そういうのじゃないの」


「……?」


 凛はアマネを見つめる。アマネと目が合った。強い決意を称えている。


「私がやらなきゃいけないって思ったんだ。他でもない、私が」


「…………」


「ずっと、ずっと何か大切なことを忘れてる気がしてた。それがやっと昨日、全部分かったんだ。これは私にとって、とってもとっても大事な記憶だったんだって。向こうで会った『ソラ』の苦しみを思うと、とても胸が痛いんだ」


「……そう、なんですね」


「でもそれ以上にね」


 アマネは指の甲側で凛の頬を撫でた。


「昨日の先輩の怪我がショックで堪らなかった。あんな姿、もう見たくないの。今の状況を少しでも打開する力が私にあるんだとしたら、私は全力でそれに取り組みたいの」


 昨日はごめんね。アマネは謝った。凛は首を振って涙声で、私こそ助けるのが遅れてしまいました、と言った。


「アマネさんの決意を、私は尊重します。アマネさんがこれ以上危険な目に遭わせないために、私が全力で守ります」


「うん、お願いします」


 そう言ってアマネは笑った。それは、凛の目にはどんなものより光り輝いて見えた。






 


 


 


 









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