第10話
アマネは凛たちに確保され、ようやくバスローブから私服に着替えた。その後よくドラマや映画に出てくるような、要人警護のための大きなバンに乗って護送されている。アマネの両隣りには凛と大火が陣取っている。大火のガタイが大きいせいで若干狭苦しかった。
「大丈夫ですか? アマネさん」
アマネは先ほどまでの雰囲気とは打って変わって、ひどくしんどそうな表情を浮かべている。凛が心配そうにアマネの顔を覗き込む。その視線にハッとして、あわてて取り繕った。
「うん。大丈夫」
アマネは気丈に答えるが、内心気が気ではなかった。あのマスケという男の言うことがどれだけ信用できるか分からないが、最悪殺されるかもしれない。それは確実なことでないにせよ、ただの女子高生であるアマネを怯えさせるには充分すぎた。それでもこの世界に留まったのは、ソラのために、自分になにが出来るか見極めるためだ。
「……嘘つかないでください。手、震えてますよ」
「えっ」
慌てて手を抑えた。凛は少しだけ寂しそうにアマネの掌を見つめる。
「嘘です。でも大丈夫じゃないみたいですね」
「……」
カマをかけられ、あっさり虚勢が見破られた。気まずくなって俯く。耐えきれなくなったのか、凛がアマネの手を取った。アマネの手はひどく冷たい。それに震えている。せめてでも、と思い両手で包み込んだ。しかしアマネは「ありがとう」とつぶやくだけで、上の空のように見えた。
「異界人に……何かされたんですか?」
「……ううん、そうじゃないの。ただ」
「ただ?」
私は最近『異世界』とやらに行っていて、その記憶はある組織に消されていた。仲良くしていたはずのりん先輩がその謎の組織の構成員だった。さらにその組織はソラたちと戦っているもので、私はその組織に殺されるかもしれない。
言葉が頭の中をぐるぐると巡っている。もし、もし殺される段階になってしまったら、凛はアマネを守ってくれるのだろうか。それとも組織の命令を優先するのだろうか。友達を信じ切れなくて、身体が千切れそうだ。
さらに辛そうな顔をするアマネを見て、大火はとても居づらそうだ。凛に目線で「頼むからなんとかしてくれ」と訴えている。凛は数瞬考えて、アマネにゆっくりと話しかけた。
「ねぇ、アマネさん。私と初めて会った時のこと、覚えてますか?」
「う、うん。たしか一年の時、私が移動授業の場所が分からなくなって、それで一緒に教室行ってくれて……六月だったよね?」
「そうですね。木曜日でした。木曜日は移動授業多いから、つい忘れちゃうよねって言って笑ってました」
「あれから一緒に話すようになって、仲良くなって、お家にお呼ばれしてもらえて……流石にあの大きさにはびっくりしたけど」
「ふふ、すみません」
「でもなんか納得できたっていうか、びっくりしたけど、なんかやっぱりなって思って……りん先輩、なんとなく普通じゃなかったから」
「こら、ちょっとどういう意味ですか」
「ご、ごめん」
「でもね、アマネさん。アマネさんと仲良しになってもう二年も経つけど、アマネさんは私の一番ですよ」
「いちばん?」
「はい。私、アマネさんのためならどこまでも強くなれるんですよ。知ってますか?」
「りん先輩……」
アマネは不意に凛の腕を見た。袖はボロボロ、中からは血が滲んだ包帯が見えている。首にも、脚にも。顔は擦り傷だらけ。
はじめて、凛を『ちゃんと』見た、気がした。
「け、怪我が……」
「気にしないで。大好きな友達のために戦った、勲章ですから」
「でも……でも……!!」
「大丈夫」
凛はアマネの顔を両手で包んで、お互いの額を合わせた。
「大丈夫よ」
アマネは悔しさが全身から吹き出していくのを感じた。それは嗚咽となって目と口に集中し、凛の腕の中で吐き出された。凛はアマネをそっと抱き寄せ、幼子をあやすように背中を叩く。
「う……うう……!」
自分のことをさらけ出せる友達。アマネは凛のためなら死ねる。だからこそ、凛にだけは裏切られたくない。心底そう願ってしまった。
「……ふぅ」
凛が音のした方をみると、大火が一安心といったように息をついていた。どうやら子供に泣かれるのが苦手らしい。そういえば教官をするという話を最後まで嫌がっていたな、と思い出した。
そのまましばらくしてアマネが泣き止み、ひっくひっくも止まり始めると、バンが目的地に到着した。運転手が席を降り、後部座席のドアを引く。アマネの目の前に映ったのは、都内一等地の大きなビルだった。
「ここは……」
「うちの本部です」
思わず出たつぶやきに凛が返す。
「私たちの組織の、本拠地です」
幾重にも厳重に警護され、指紋認証、虹彩認証、カード認証をくぐり抜けた先に、アマネたちはやっと本部と呼ばれる場所についた。見たところ、普通の人が想像する会社と、外見も中身もそう変わらないように思える。入った瞬間に受付が目に入り、そこの先にはいくつもの会議室やオフィスと思しき部屋やスペースがある。
大火は一行を代表して受付に向かった。
「畠山だ。保護対象を連れ戻した」
「はい、伺っております。理事長は自室でお待ちになっております」
「了解」
大火はアマネと凛を引き連れ、突き当たりのエレベーターに乗り込む。
「……なんか、メンインブラックみたい」
「ああ、まぁ一応は秘密組織なんだから、雰囲気は似てるっちゃ似てるかもな」
大火がアマネが漏らした言葉に反応する。
「秘密組織って……」
「俺たちのことだ。対異界防衛協会っていう国際機関の、日本支部の司令部だ」
「え、えっと?」
「国連の非公式組織に、そういう協会があるんですよ。そこに加盟してる国々がそれぞれに支部を持っているんです。ここは日本にある協会の支部を指揮している司令部なんです」
大火の説明に凛が補足を加える。しかしそれだけ言われてもまだ漠然としてよく分からない。
「その名の通り異界の対策はここでされている。日本はここを総本山として各地に部隊があるんだ。そしてパンピーに気付かれないように活動してる。ここ二週間、お前を二四時間体制で監視したりもしたな」
「そんなことが……」
「安心しろ。別に風呂やトイレまで覗いてたわけじゃな……っ!?」
「……」
レバーを打たれ口を噤んだ大火が、苦々しい目で凛を見た。凛は心底軽蔑しきった目で大火を見つめ返し、めり込んだ肘をさらに押し付けた。
「悪かった。悪かったから」
大火がため息混じりに謝罪する。凛は小さく頷くとふん、と鼻を鳴らしてアマネの隣に移った。
「アマネさん。あんなセクハラ隊長の言うことなんて一ミリも信じなくていいですからね」
「う、うん。ありがとう」
アマネは若干引き気味に返事をした。しばらく無言の時間が続き、エレベーターが下降するゴウンゴウンという音だけが鳴る。
「……なぁ、雫山よ。そろそろ喋る時なんじゃないか? 立松の親父さんのことをよ」
「お、親父さん……?」
凛の顔が曇る。
「パ、お父さんが、どうかしたんですか……?」
アマネは心臓の拍動がが急激に跳ね上がったのを感じた。まさか自分が何かしたせいで、父親に危害が及ぶことになったのか……?
「アマネさん。あなたのお父様、礼司さんのことなんですが────」
凛が何か言いかけると同時に、エレベーターが止まり、扉が開いた。その向こう側に居た人物を見て、アマネは驚愕で目を見開く。
「パ、パパ……?」