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第1話

 立松(たてまつ)アマネが目を開けると、彼女は鬱蒼とした森の中にいた。


「……なに、ここ」


 何拍か遅れて、呆然と呟く。見上げれば暗い夜空に満月が煌々と輝き、耳を澄ませば何かの動物の鳴き声がかすかに聞こえてくる。


「えっ……ほんと、なに?」


 ここに至るまでの経緯を思い出す。

 塾の帰り、夜の街を歩いていた。ふと何かに呼ばれた気がして、路地裏に目を遣る。引き込まれた。そのまま誘い込まれるように足を踏み入れれば、いつのまにやら森の中。


「思い出したってイミわかんない。全然ウケないんだけど……」


 朝がんばってセットしたウェーブのかかった黒髪をかき上げた。冷や汗でブレザーの中がじんわりとして気持ち悪い。少しだけ泣きそうになる。


「ちょっとやめてよ。やだなぁ、なに?」


 独り言をなんとか絞り出す。勇気を出し一歩踏み出そうとすると、近くの木々から何かが飛立つような大きな音が聞こえた。反射で身体がびくりと跳ねる。


「きゃあっ!?」


 思わず甲高い声を上げてしまった。腰が抜け、へなへなと地面に座り込んだ。


「そ、そうだ! スマホ! スマホは……」


 学校の指定鞄の中からスマホを取り出した。鞄の中には受験生らしく、教科書類と参考書がぎっしり入っている。取り出したスマホを起動させると、無情にも画面の左上のアンテナは『圏外』の文字を映していた。


「嘘でしょ……?」


 サーッと何かが背中を駆け巡った。試しにインターネットに接続してみても繋がらない。どうやら本当に圏外のようだ。いよいよ焦りが本格的に芽生え出してくる。


「慣れないことはするもんじゃないなぁ……おうち帰りたい」


 心細い思いが溢れ出し、涙が溢れそうになる。まだ一歩も歩いていない。


「これからどうしよ……サバイバルなんてゲームでしかやったことないよ。体力ゲージがあるわけじゃないし……」


 もう一度、今度は遠くから音が聞こえる。さらに不気味な鳴き声まで聞こえてきた。今にも背後から襲われそうな予感がして、身体が震え、背筋が凍り出す。


「ちょっとやめてよ……私ホラーだけはダメなんだって……!」


 このままここに留まるか。それとも真っ直ぐ進み続け、状況の打開を図るか。

 数瞬悩んで、アマネは進むのを選んだ。


「大丈夫! コンビニのご飯だって、お菓子だってあるし、なんだったらめぐリズムだってあるんだから! 都会の女子高生舐めんなっての!」


 妙なスイッチが入ったのか、頭のネジが飛んだのか。ともかく吹っ切れたアマネは勇ましく進んでいく。

 進むにつれ、サク、サク、と地面をローファーが踏みしめる音が心地よく感じられた。ところどころ聞こえてくる不気味だった音も耳を澄ませば、自分がいつも聞いているヒーリング効果のCDに似ているかもしれない。

 木々の間の一本道をずんずん進んでいく。夜空を妖しく照らす満月が、なんとも綺麗に感じられた。古典で習う“趣深い”とは、まさにこのことかしら。しばらく上を見ながら、口を開けて「あー‥‥‥」と下品な声を上げながら歩いて行く。周りの目を気にしなくてもいいというのは、なんとも甘美な時間だった。

 しかし、その揺蕩いは長くは続かなかった。


「きゃああああああああああっ!!」


 森に甲高い悲鳴が残響する。アマネは意識をすぐさま切り替え、音の出た方向を見る。


「────ッ!」


 迷いも憂いもなく、アマネは声に向かって一心不乱にて走り出した。


「居た!」


 やっと見つけた視線の先、少し深い窪みの中、生い茂った草の上。長い髪の女の子が一人。月明かりに照らされるように倒れていた。

 着ているローブが所々破れ、血が滲んでいる。目を閉ざし動かない。慌てて駆け寄った。


「ねぇ、大丈夫っ!?」


 声をかけながら、窪みを駆け降りる。スカートがめくれるがそんなこと気にしている場合ではない。


「ねぇ、ちょっと! 大丈夫!?」


 女の子に駆け寄り、顔を覗き込む。頬をペシペシと叩いても反応はないが、耳を近づけると息はあった。どうやら気を失っているだけらしい。とりあえず安心すると、次は怪我している箇所を調べる。


「ごめんね」


 謝りながら、ローブの袖を捲る。酷い擦り傷が見えた。おそらく落ちた時に負ったのだろう。


「ちょっとまってね」


 彼女は鞄を漁り出す。ポーチから包帯と消毒液、それに絆創膏とティッシュを取り出した。親の言いつけで常に携帯していたのが幸いしたようだ。


「染みるよ」


 消毒液を垂らすが、相変わらず反応は無かった。傷に満遍なくかけ、清潔なティッシュでぽんぽんと優しく拭き取る。傷に絆創膏を貼り、しっかりと包帯を巻きつける。


「よし、固定完了。あとは……」


 大して酷くない傷にも一連の治療を施した。可愛いくまさんの絆創膏だ。多めに持っておいて正解だった。


「ふぅ。ママの言いつけ守っといてよかったぁ。こんなところで役に立つとは」


 あらかた治療を終え、一息ついた。険しかった彼女の顔もいつしか穏やかになっている。それを見て笑みがこぼれた。


「あ、そうだ。地面、硬いだろうから……」


 アマネは寝ている女の子の頭まで近寄り、膝枕をしてやった。太ももの上にある彼女の頭を撫でる。サラサラと手からこぼれるように流れていく髪の毛をゆっくり梳いた。


「彼氏にもしたことないんだからなー? ま、いたことナイケド」


 悲しく独り言ちる。

 アマネは女の子の顔をじっと見つめた。体格や雰囲気的に彼女と同年代のようだが、大人っぽい顔をしている。さぞ同性人気が出そうな雰囲気だ。


「それにしても、美人さんだなぁ……」


 彼女は思わずため息をついた。

 月の暖かな光に照らされた女の子の顔は、綺麗、可愛いというような言葉では言い表せられない。神秘的かつ侵し難い聖なる美しさを有していた。

 その顔を見ていると、なんだかとても安心してしまうような温かみを感じて。

 アマネの瞼が完全に閉じられるまで、時間はかからなかった。






「……なに?」


 気を失っていた彼女────ソラは目を覚ます。ソラの目の前に、顔立ちの整った女の子の顔が至近距離にある。少し驚いたように声を上げた。


「どうなってるの……?」


 頭がぼんやりする。頭の裏の、暖かく柔らかな感触が心地良い。どうやら膝枕されているようだ。顔を少しずらして、周りを見渡す。そして、自分の身体にある微かな痛みに気づいた。


「……そっか。落ちて怪我したのか」


 痛む身体に白い布。膝枕している彼女が治療してくれたらしい。ソラは彼女の顔をもう一度見つめた。胸が締め付けられるような、奇妙な感覚を味う。手を伸ばして、彼女の顔に手を添える。


「うう、ん……わ、ガチ恋距離だ」


 目の前の女の子が目を覚ました。急いで手を引っ込める。目が若干青がかっているのが印象的だった。彼女の黒色の波打った長い髪が少し顔にかかったが、不快にはならなかった。

 しばらくぼうっとしていた彼女だが、すぐに自分がしていることに気づいたらしい。慌ててソラに謝る。


「ご、ごめんなさい。すぐ下ろすから」


「……いい」


「へ?」


 思わず口走った。完全に無意識だ。女の子が不思議そうな顔をする。


「あ、いや。だから……このままで、いい」


 自分でも何を言っているのか分からないが、触れているとひどく安心するのは確かだった。

 しかし、彼女の目を見ていると吸い込まれそうになる感覚がして、心なしか緊張してしまう。


「うん。じゃあ……このままね」


 女の子は嬉しそうに笑った。

 心底綺麗だと思った。







 しばらくソラを膝枕した後、アマネの足が痺れたことを機に、二人は向かい合って座ることにした。先ほどまでの穏やかな空気か一転、気まずい空気が流れ始める。


「わ、私、アマネ。立松アマネ。今年の八月で十八歳になったんだ。あなたは?」


 その空気に耐えきれなくなったのか、アマネが自己紹介をした。ソラもそれに応える。


「私はソラ。助けてくれてありがとう」


「どういたしまして。でもよかった、大丈夫そうで」


「ちゃんとお礼するから」


「ぜぇんぜん! そんなのいいのに」


 アマネが笑いながら断ると、ソラは首を横に振った。


「でも、こういう時はきっちりしないとって言われてるから。恩はちゃんと返しなさいって」


 そのソラの硬い意志を称えた表情に、アマネは断るのは逆に失礼に当たると思った。はにかみながら承諾する。


「うん。じゃあ、ありがたくお礼されようかな」


「そうしてくれると嬉しい」


 ソラは嬉しそうに、そして安心したように微笑む。


「でも不思議な感じがする。私、アマネとは初めて会った気がしないんだ」


「そう? でも私も、ソラさん見てると安心するっていうか、初対面とは思えないくらい親しみを感じるっていうか……」


「『さん』なんて、つけなくていいよ」


「え?」


 ソラは照れ臭そうにそっぽを向きながら続ける。


「呼び捨てがいい。アマネにはそう呼ばれたい」


「う、うん。じゃあ、ソラ……。なんか照れるね」


 アマネも少し頬を赤らめる。


「ケガ、どう? 見た感じ骨折とかはしてなかったけど、出来れば早めにお医者さんに見てもらった方がいいかも」


「うん、ありがとう。そうするつもり」


「………」


「………」


 話すことが無くなったのか、再び沈黙が舞い降りる。アマネは目を忙しなく動かしながら前髪を弄る。何か話題、話題……。


「あの……ソラは、なんであんなところに倒れてたの? もう、夜なのに。ここ、森の結構深いところだと思うんだけど」


「それが、分からないんだ」


「分からない?」


 うん、とソラは頷く。


「部屋の窓から月を見てて、そうしたら何かに呼ばれた気がして。なんだか無性に外へ行かなきゃいけないって思ったんだ」


「何かに呼ばれた……」


 ひどく共通点のあるキーワード。アマネも、何かに呼ばれたようにここに迷い込んだ。


「アマネ、そういえばどうしてこんなところにいるの? ここ、みんなはあまり入りたがらない場所なんだよね」


「どうしてっていうか、迷い込んだっていうか、気づいたらここに居たっていうか」


「気づいたら……?」


 ぴくり、と反応したソラの一瞬の表情の変化を、アマネは感じ取ることが出来なかった。


「うん。なんか、街歩いてて、裏路地を進んだらここに来てたんだよね。どういうことなのかさっぱり」


「……街って、どこのこと?」


「え、東京だけど……。ていうか、ここって明らかに日本じゃないよね。ソラってば髪の毛真っ白だし、来てる服もちょっと違うし。もしかして私、異世界に迷い込んだりしてたりして」


「アマネって……ニンゲン?」


 ぞくり。底冷えするような声がアマネの耳に届いた。温かった空気は一瞬にして冷える。途端に呼吸し辛くなった。


「ど、どういうこと? 人間かって聞かれても……ホモ・サピエンスっていうことを言ってるなら、そうだけど」


「ニンゲン界から来たの?」


「ニンゲン界……? 待って、何? 言ってる意味分かんないよ。そりゃ、私がいるのは、人間の世界ってことなんだろうけど────」


 最初は冗談だと思った。


「────え?」


 ソラの顔の向こうに、輝く満月が見える。星が空いっぱいに輝く、美しいヨゾラ。その下の、アマネを見つめる美しいソラ。整っていた彼女の顔は、今や醜く憎悪に歪んでいた。

 左手にはナイフのような刃物を持ち、アマネの細く白い首にその刃を突きつけている。

 押し倒された。そのことを頭が認識するまで少しかかった。


「ニンゲンが────私たちの世界に何の用っ!?」


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