005
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「ほら、何をしてるんだ! しっかりしろ!!」
「やってますよー」
怒らなくても。
ぼそぼそと言う少年は、胸の前で腕を交差し、差し当たってその男に言われるがまま、召喚魔法を詠唱する。
――闇に遣わし獣たちよ、断りなき契約の下、汝我が僕となり、我が名に下れ――契約したりし獣たちよ!
交差していたその腕を前に突き出すと、その真下に魔法陣が忽然と現れ、周りの空気が渦巻き、まだ日が高いというのに魔法陣だけが闇、その中に荒れた雲が現れ、雷が轟く。
轟音と共に出現した召喚魔法の獣は……。
「ふぅ。やっと出来た……」
「まあ、いいだろう。今日はそれくらいしとくか。さあ帰るぞ」
特徴ある髭を手で撫でながら、指一本、で召喚したばかりのオーク二匹を昇天させた。
「あーあっ、せっかく出したのに!」
「あんな低レベルのモンスを出してどうする? 飯の種にもならんわ」
と、豪快に笑い飛ばし、真っ赤なローブを翻して山道を降りて行く。
少年は召喚魔法で出来た魔法陣跡を眺めていたが、小さく頷いて男の後を追い駆けた。
その帰り道。
「なあグレン。なんで闇系の召喚なんだ?」
「なんでって言われてもな。強いて言うなら闇が一番手っ取り早い、触媒もほとんど要らない、からかなあ」
「ふーん。でもさあ。水系や火なんかだと、ほら。神を呼び出す事も出来るっていうじゃないか」
「そんなモノ、役にたたん。ダンジョンでそんなもん詠唱してみろ。それこそダンジョン内で生き埋めになっちまう」
「そっか。でもさぁ、神だぜ、神! カッコいいじゃん」
「馬鹿っ。カッコいいとかじぇねえよ。ガキが!」
「うるさい! ガキじゃない。もう十五歳と半年すぎてら!」
「だから、ガキなんだよ」
そう言って又、豪快に笑い飛ばしたグレンは、少年の頭を思いきり撫で回した。
馬鹿にされた悔しさはあったのだろうが、どこか心地良さそうな笑みを浮かべる。
山道の先に一軒の小さな家がある。
無理に木を削り、山を均したせいか、斜面にあるその家は相当近くにまで行かないと見分けがつかないほど、木や草で覆われいた。
屋根に煙突があり、煙が立ち上がってる。
「おぉ、今日はあれか! 匂いで分かる」
「グレンってさあ、飯だけは貪欲だよな」
「飯だけっていうな! 他だってあるだろう?」
「じゃあ、ミーサととっとと結婚しろよ。彼女絶対おっさんのこと好きだぜ」
「お、おっさんだと!?」
「そっちかよ! 結婚しろっ、ところに反応しろよ、馬鹿!」
駆け出す少年に出し抜けにそう言われ、着ていたローブに負けなくらい赤くなったグレンの顔。
戸惑ったが、「大人をからかうな」と大声を発し、腕を上げなら追い駆けた。
家に飛び込む少年の背に、雄叫びが届く。
後ろ手で素早く扉を閉め、息を整える。
「ただいまあ、ミーサ」
「お帰りリオン。あら、どうしたのそんなに急いで? ん、グレンは?」
「結婚したいなら、早く告白しろっ! って言ってやったら赤くなってさぁ、気持ち悪いから置いてきたよ」
リオンが笑う先にいたミーサの表情が、見る見るうちに彼と同じ赤に染まる。
長耳の先まで赤い。
その光景を目にし、突如何かを思い出したのか。
彼女を透かすように感慨深く眺めるリオン。
その長耳……。
っと、思った瞬間、グレンが乱暴に扉を開け飛び込んで来た。
我に返ったリオンは、「わぁ」と、おどけた振りをして、ミーサに助けを求め、近づいた。
しかし、ミーサの表情が一瞬にして曇る。
なにが起ったのか理解できず、振りかえるリオン。
「やばいぞ、ヤツらが近くまで来ている!!」
グレンのその声に、ミーサはリオンを後ろから抱き寄せる。
「大丈夫よ。私達が守ってあげるから」
どうしてそんなことを言われたのか、二人で何を言っているのか。
想像もつかない丸い目で、グレンと頭の上のミーサを交互に見つめる。
「ああ。俺が守ってやる。二人ともな」
その時のグレンの目は、蒼白に近い瞳に変化していた。
リオンがサラマンダーに襲われそうになった時に見せた、あの真剣な目つきと、瞳の色。
彼はそれを知っていたのか。
ゴクリっと唾を飲む音がした。
「お、思い出した……俺は……あの時……ゴブリンに……」
窓から差し込む日差ざしが一変し、暗黒と化した。
雷鳴轟く中、グレンは再び出て行った。
◆
――その頃、王妃のパーティー、いや、一団は。
「ねえ、ホントにここに入るの?」
「……私の光りの羽が差している以上、そうかと思われますが」
「えー、嫌だなあ。だって、ダンジョンて暗くて臭いモンスターが出るんでしょ?」
「臭いかどうかは個人の主観ですが……モンスターは出ます」
「えー、じゃ、さあ……」
「王妃!!」
「きゃぁ」
カルファンとの会話で、てっきり怒られたのかと思った王妃は、肩をすくめながら恐る恐る覗き見る。
「あはは、ブラウンさん。まあ落ち着いて……」
ブラウンは怒ってはいなかった。
ただ、指を、東の空に差していた。
ぽかんとする王妃は、操られるように指差す方を見る。
その先に見えて来たモノとは、王妃は目を大きく見開いた。
「あ、あれは……なに……」
「間違いない。どこぞの馬鹿が、禁忌魔法ぶっぱなしてやがるぞ。クック」
笑ったアストレイを、ブラウンが睨み付ける。
「笑い事では無いですぞ。もし、それが本当に禁忌魔法――支配の魔物なら一大事じゃ!!」
「えっ。ホントなのブラウン!」
と、王妃の顔色が変わる。
「あの忌まわしき『血の七日間』が起る数日前、シュナの森がああやって、泣いていたと聞いたことがあります……」
長耳のシンフォニーがそれに応答し、頷く。
「そうですね。あれは間違いなく支配の魔物を詠唱する時に……、ううん、違うわ。詠唱し終わって、テイムした魔物が暴れている時の雲だわ」
一団が改めて東の空を眺める。
分厚く黒い雲が立ちこめるその下には、ここからでもはっきり見えるほどの稲妻が轟いている。
晴れ渡る上空に、そこだけ闇が広がっている。
恐怖を感じてか、王妃がにわかに喋り出す。
「捜索は一時中止よ。あの雲の下、何かあるはずよ。それにあそこは私の領土よ。勝手な真似はさせないわ!」
「えっ!? 王妃……。しかし、あの雲は……」
「仕方が無いわ。少年も大切だけど、我が領土内であのような戯れ、許すわけにはいかないわ! 同じ歴史は踏ませない、止めなきゃ!」
断言した王妃は、カルファンを見た。
そして、一団が東の空以上の驚きを持って王妃を見つめることになる。
「カルファン、私を雲の下まで送って。貴方の魔法なら、あそこまで飛べるでしょ」
目を丸くしていたブラウンが、
「だ、ダメですぞ、王妃。幾ら何でも無茶が過ぎる。生身の人間が敵う相手じゃありません!」
「ならどうしろと言うのよ!! ブラウン!! 見過ごせって言うの!!」
黙ってみていたカルファンに、女性剣士アストレイが疑問と悪意を投げかける。
「なあ、魔法使い。お前なら知ってんじゃないか? あの正体をよ。どうなんだ、さっきから黙ってけどよ、ああん?」
「…………」
「ふんっ。使えない魔法使いだなぁ。師匠が良いからって、弟子も良いとは限らないってかぁ、 ああん?」
「お姐様!! 何て無礼を! すみません、ごめんないカルファンさん。姐の非礼をお許し下さい」
「謝ってるんじゃねえよ、シンフォニー! 図星だからなにも言えねえだけだよ!」
カルファンが一歩下がり、師匠譲りの直眼の閻が妖しく光りだした。
「これぃぃ!!! いいかげんやめんか! 仲間同士で争ってどうするんじゃ、馬鹿者!!!!」
年季と気合の入ったブラウンの声。
夢から醒めたようにカルファンが俯き、アストレイも腕を組んでそっぽを向く。
やれやれといった感じで、筆頭執事が再び口を開く。
「王妃のお気持ちは十分わかりますが、あそこに乗り込むのは無謀過ぎる。かと言って王妃の仰る通り、見過ごすことも出来ん。そこでじゃ、私からの提案なんじゃが、皆、聞いてくれるか?」
ブラウンがそう言い終わると、一団の鋭い視線を一心に浴び、それでも迷うことなく話し始めた。
◆
表に出たグレンが見たモノは。
それは魔物。
しかし、
「まだ子供じゃねえか。お前も可愛そうだな。わざわざテイムされて、こんな山奥に連れてこられてよ」
グレンは荒れ狂う暗雲を見上げ、冗談を飛ばした。
すでに詠唱は終わっているのか。
無詠唱で出した召喚獣が後ろに控えていた。
――攻撃
彼が呟くその言葉に、甲高い鳴き声を上げて、大きな翼を広げた。
――ワイバーン
召喚獣の中でも最強の部類に入るワイバーン。
トリプルSですら召喚するのが難しいとされている。
正確に言えば、召喚するのは優しいかも知れないが、それを制御する精神力と魔力が桁外れに必要とされ、もしも、それが途中で失われた場合、召喚した召喚士自身がワイバーンの的となり、食い殺される可能性が出てくる。
下手に召喚することは自殺行為に等しいと言える。
というのも、テイムした獣とは違い、召喚士によって呼びだされた召喚獣は基本、召喚士の死亡、又は術さえ解けば昇天するが、ワイバーンに限りでない。
適切に処理しなければ、ワイバーンは永遠に生き続ける。
因って、支配の魔物の魔法同様、ワイバーンの召喚も禁忌とされ、封印さているはずなのだが…………。
「行け、ワイバーン!! 子供だからって容赦するな! 餌にしてやれ!!」
その雄叫びに応答するワイバーン。
更に甲高い鳴き声を上げ、雷鳴纏う暗雲の中、蠢く魔物を見定めて、翼をはためかせ、飛んで行った。
「少しは時間が稼げる……ヤツらこんなことをしてまで……」
魔物対ワイバーンの対決を見ることなく、家に戻ったグレン。
「さあ、今のうちに急いで……」
彼の目に飛び込んで来たのは、中の二人ではなく、ダークローブを優雅に着こなした見知らぬ女性だった。
両手を広げただけのダークローブの端に、釣り下げられるように浮いてた二人を見て、ようやく自体を理解できたか、声を絞り出すグレン。
「ミーサ、リオン………………貴様っ!!」
「うふふ。どうしましょうかね。うーん、そうね。まずはワイバーンの昇天からお願いしようかしら」
地獄の底より黒い目を湛える女性は、柔らかな微笑みを浮かべていた。