032
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「今日は彼にお別れを言いに来たの……」
焼け焦げた木々、かろうじて残っている床や柱も一年という歳月が、火事で崩れた家屋跡を自然が覆い隠そうとしていた。
綺麗に刈り取れられていた小さな庭は草花の絨毯となり、人の暮らしはどこにもなかった。
放置され続けてきた狭いその土地に、ミーサは一人佇んでいた。
感慨深くそれらを眺め、当たり前のようにあった幸せな日々の暮らしを昨日のことにように思い出せた。
町に買出しに行ったグレン。
その日の帰り、一人の少年を連れて帰ってきた……。
変わった少年だとグレンは言っていたが、ミーサにとって彼はどこにでもいる普通の少年のように見えた。
記憶を無くしたその少年の唯一の過去は、短剣に刻まれた「ジュノー・リオン」の文字だけ。
果たしてこれが本人の名前なのか、それとも短剣の名か。
それを問おうにも、そもそも記憶がない少年にそれを聞くのは酷というもの、リオン……、あえてグレンはその少年をそう呼ぶことにした。
ジュノーと口にするには色々弊害が起りそうだったし、仮にそうだとしても、夕暮れのシュナの森に一人歩いているはずはない、という思いやりと自己都合からの結論だった。
最初の頃こそ、俯き加減で節目がちなリオンだったが、グレンが時々行っている魔術の練習に一緒に行きだしてからは、普通の少年以上に活発に明るくなっていった。
「ねえ、リオン覚えている? 最初に覚えた魔法。…………そう、いいわ。篝火の魔法よ。貴方帰ってくるなりいきなりそれを家の中で詠唱しちゃって、ふふふ。あの時は驚いたわ。まさか、指先から火の塊を出しちゃうんだもん。でさあ、慌てたグレンが猛烈な嵐をつかちゃって……家の中は水浸しでめちゃくちゃ」
微笑む彼女の横顔が、晴れた日の青空を仰ぎ見る。
遠い日を懐かしむ独白。
「しばらく野宿だったの覚えてる? 私は嫌じゃなかったわ。グレンと貴方は色々と文句言ってたけどさ。見上げる星がとても綺麗だった……。三人並んで見る星空、大好きだったの。どこまでも遠くに行けそうな気がして、いつまでも眺めてられたわ。瞬く星に手がとどきそうで……」
伸ばしたその手を空に向け、穏やかに流れる浮雲に小さな手の華が咲く。
リオンはどう思っていたのだろう。
騎乗したままで見下ろす彼にとって彼女の仕草はどう映っていたのか、そもそも話している内容すら意味があったのだろうか。
リオンは軽く手綱を引き、感慨に浸るミーサとの距離を詰めた。
草花の絨毯を無造作に歩む姿は、彼女との距離が縮む以上に虚空を感じさす。
「やっぱりダメか……。そうよね。これ、私の記憶じゃないものね……。あー、なんでこうなっちゃったのかなー。まあ、いいわ。しょうがない」
さあ殺して! という声音が森閑な大地に響く。
ルーンが鼻息をし、首をもたげてミーサの目前で止まる。
恐る恐る手を伸ばす彼女に、ルーンは嫌がりもせず触れさせた。
「見かけによらず、可愛いのね」
ミーサの呟きに合わせ、静かに嘶くルーン。
自分の顔を鼻先に寄せ、優しく撫でる。
一時が何時間にも感じられたミーサは、名残惜しそうに一歩後退し、その目に薄っすらと朝の陽射しが差し込む。
「ありがとう、リオン。時間を与えてくれて、とっても楽しかったわ……」
彼女の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。
頬を伝うその涙に、儚げな表情を浮かべるリオン。
「ありがとう、シルビア。ムーンやマスターが世話になった。それに町も……」
「何言ってるの。その頃の私には記憶が無かったわ。アレだけの短時間に二回も服従の霊をやって、自我が崩壊しないだけでもめっけものよ」
彼女は柔和な笑みを浮かべ、なんでこうなっちゃたんだろうと吐息が漏れるように呟きかける。
「…………ずっとすっとミーサで居られればってね。時々、そう思うこともあったわ……。シルビアなんて消えちゃえってさあ……。あっ、ごめんなさい。余計なこと言って。さあ、お願い……私はもう貴方の知っているミーサじゃないわ」
最後の言葉には贖罪にも似た声音が混じり、顔を正面に向け、目を見開いた。
その顔つきにミーサの面影は無く、超然とした冷たさを身に秘めた。
騎乗のリオンが見下ろす彼女と視線を絡ませ、毅然とした態度で口を開ける。
「問おう、貴様の正義はなんだ」
彼女は真っ直ぐ前を見、強い意志を孕んだ瞳でこう告げた。
「命を賭ける冒険者は、ゴミね……。闘う相手を間違えているわ」
リオンの口癖を真似たのだろう。
実直な目に後悔は見られなかった。
禍々しい三叉の先端に陽炎が映し出され、色彩豊かな炎が揺らめく。
騎乗の人物が槍を構え、己の運命に従った。
― 完 ―
第一章完結です。
一旦、終らせて頂きますが次ぎの別の物語り(現在執筆中)が完結後、思考したいと思います。
ありがとうございました。




