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「今更そんな者を呼び出してどうするつもりだ? ヘブン」
皺がれた老女の声が響く。
恍惚した光りが消え、声のした方へ直眼の閻を向ける。
「誰だ! その名で呼ぶヤツは!!」
「もう忘れたのかい。時間の流れというは恐ろしいものよの」
「!?」
オベリスクを囲む嵐の前に、一人の人物がアリスヘブンと同じ目線の高さに浮いていた。
「貴方様は……リンクリアム。どうしてここに……!?」
「どうしてって……。そりゃ、可愛い弟子が悪い事をしてるって聞いてな。こうやってわざわざ出向いて、その顔を拝みにきてやったのじゃ」
「な、なんだと!?」
「そう驚くな、ヘブン。私としても不本意なのじゃぞ。このようなことをされては、な」
「クソっ……!」
言葉に品がないぞ、と言いながら持っていた杖のひと振りで、渦巻く嵐を消し去った。
疾風に囲まれていたオベリスク。
それがこうして無くなってしまうと、丸裸にされたような弱い感じが漂う。
しかし、天井と三角錐を繋いでいる光りの束は尚も輝き、その中に映る人の影も。
「いくら貴方様でも私の邪魔立てをするなら、容赦はしない!」
目を吊り上げ、伸ばした指先をリンクリアムへ向け、詠唱しようとする。
「……ん? なんだ……」
急に動かなくなった己の腕を見て驚く。
指先から腕に、肩に至るまでの全ての皮膚に文様が現れていた。
「そこまでです。アリスヘブン様」
下から見上げる筆頭執事のブラウンが声を上げた。
松葉杖こそついていたが、力強く立つその傍には白のローブを纏った近衛団が並んでいた。
皆が両腕を突き出し、詠唱を行っている。
――近衛団。
近距離攻撃を得意とする護衛一団。
その中には魔法も使える者もいると噂され、一国一人から反すると揶揄されることもあったが、その実態は明かされていなかった。
しかし、そんなことにつき従っていては、国は守れないと判断していたのだろうか。
大きな大戦を経ても尚、人は変わらないものである。
秘密裏に組織された近衛団はそれぞれの武器を構え、アリスヘブンの蛮行を阻止するため、その姿を晒し、集結していた。
もちろん、魔法使いたちもその中に居た。
「貴様ら……」
「もうおやめになってください。こうして、ジュノー共和国の一国一人であるリンクリアム様もおいでになられております。たしか……貴方様の師匠にあたる方だと聞いております」
ブラウンは思い出していた。
ニック連隊長にアリスヘブンの部屋の様子を伝えた時、近衛団を出動させるのはもちろんのことだが、この状況を速やかに終らす為には、他国の力も必要だと。
相手は最高峰の魔法使い。
万が一の不測の事態も考慮し、国王及び王妃が不在の中、英断を下した。
先の大戦中、ジュノー共和国に力を貸し、『血の七日間』を最小限の被害で押さえきれたのはアリスヘブンの類い稀なる力があったからに他ならないが、彼女を育てたとされるある人物の影響も大きかったとされている。
オークス国が隣接する国の中で一番の魔法使いと目される人物、それがリンクリアム。
魔法国の先頭に立つ存在で、唯一無二の魔法知識のある彼女に頼るしかないと。
……ふとそんなことを思い出していたブラウン。
見上げる魔法使いにどのような感情を抱いていたのだろう。
自国を守り、そして敵国に来る心境とやらを……。
その目には、憎しみというよりも苦しみが多く見られた。
「……ここまで……来たのだ……」
束縛魔法により、手を固定され動かせなくなったアリスヘブンは光りが集束する中の影に目をやる。
その輪郭が整ってきたとはいえ、それすらまだ薄っすらと分かるくらいで、これがジュノー・コーネル、曰く、ジュノー四世だとは誰にも分からないだろう。
それが分かるのは、この中でもリンクリアムくらいではなかろうか。
「ヘブン、お遊びはここまでじゃ。積もる話しもあるじゃろうが、それは私があとでゆっくり聞いてやる。さあ、この魔法陣を開放せい!」
身動きの取れないアリスヘブンは、直眼の閻をリンクリアムへ向け、憎悪を飛ばす。
そして、俯くと不吉な事を口にした。
「……嫌よ! 誰にも邪魔はさせない。……さあ、受け取りなさいジュノー・コーネル、私を使って受肉するのよ!!!!!」
拘束されているにも関わらず、十名以上からなる魔法使いたちを引きづり、光りの束へと向うアリスヘブン。
大きなため息と共に、リンクリアムが杖を振るう。
「そこまでして復活させたいとはの……。王妃の魂でも飽き足らず、己の身を差し出してまで……それでは本末転倒ではないか。愛情とは慈しむものだとなぜ分からん。死人が甦っても、ヘブンよ。絶望するだけじゃぞ……」
リンクリアムの杖から放たれた波紋は、アリスヘブンの体を完全に停止させた。
それでも力もうとする。
無理をするその体に無数の血管が浮きだし、全体が膨張したように見えた。
「止めなさい。幾らお前が優れた魔法使いじゃからとて、無くした魂まで再生出来ないのはよく知ってるはずじゃ。今ならまだ戻れる。さあ、ヘブンよ、私の元へ帰るのじゃ」
杖を突き出し、優しい目になるリンクリアム。
その顔に刻まれた深い皺が、この状況の深刻さを物語るようだった。
「はははは、それは感謝する。だが」
彼女は最後まで言葉を紡ぐことなく、三角錐の頂点に目をやる。
そこには気を失い、十字架を模るアントニー王妃がいた。
「ヘブン……まさかお前!? 彼女に……」
「……そう……だ。服従の霊はシルビアだけの物ではない。……本来私が作り上げた魔法だ! 本末転倒なのではない。彼の受肉をより確実にさせる!!」
全ての動きを封じられてとはいえ、やはり最高峰級の魔法使い。
眼球だけをじわりと動かし、王妃を睨みつけた。
「やめろー!!」
どこからともなく聞こえた怒号。
一同がその声に振り向く。
邪気に囲まれたオベリスクの祭壇近くに、一人の少年が立っていた。
漆黒のその姿から発せられる気配は、オベリスクのそれよりも強い。
「おぬし……。魔に魅せられておるのか……」
一目見て驚いた老女の声が上ずる。
異形の形に変えながら歩む足からは、黒い靄が漂い、オベリスクの周囲の邪気に触れると反発し合い、薄らいで行く。
「……な、なにをする気だ!!」
浮き出した血管が切れ、あちらこちらから血が吹き出る。
無理に詠唱をしようして、開けた口から血の固まりが飛び出し、それでも尚、アリスヘブンは服従の霊を口ずさもうとする。
「ヘブン、無駄じゃ! 本当に死んでしまうぞ!」
「…………か、かまわ……ない……」
異形の少年は邪気が渦巻くその壁に、手を触れる。
まるで蜘蛛の子を散らすように開かれる邪気の壁。
「何をする気じゃ!? その中に入っては……」
異形の存在が真っ赤に燃える赤眼を輝かせ、三角錐を見上げる。
力無くうな垂れた王妃。
その上に、影が蠢く。
異形の少年が、手にした三叉の槍をそこへ。
すると突然、光の束から蠢く影が舞い降り、少年の前に降り立った。
黒く、深く、そしてどこまでも暗黒さを見せ付ける影。
手にした槍をその影に突き出す。
「!?」
そこに居合わせた全ての人種が息を飲む光景が現れた。
暗黒の影を三叉に別れた槍の先が吸い込み始めた。
影は勢いよく、洪水のように流れる。
「なんじゃと!?」
皺がれた老女が感嘆の声、アリスヘブンが更に口を、目を見開く。
影から現れたその姿。
高潔な金のマントを羽織り、襟元は首を守るように立ち、胸元にはジュノー共和国のシンボルが形作られていた。
マントの間から見える剣は、まさしく国王の剣。
「公平」と刻まれた柄までもが見える。
誰かが囁いた。
「国家元首……ジュ、ジュノー四世……」
畏怖と敬意を持って囁かれるその声に、抗うことを止めたアリスヘブン。
瞳を潤すその姿は、恥らう乙女の様相を思わせる。
空中で対峙する老女ですら、見下ろすことの軽率さに気が咎めるような表情。
これが、偽りだったとしても、それだけの威厳と高貴さが滲みでていた。
「永い眠りを邪魔するのはおぬしか……」
異形の少年は、片膝をつき頭を下げ言う。
「今一度、お眠りになってください」
「なぜだ。こうして呼び出しておいて、又眠りにつけと……」
「はい」
「……ふっ、すきにいいよって。それを断ればどうする……?」
少年は立ち上がり、目の前に立つ高貴な存在に臆することなく赤目を向ける。
「なるほど……。そう言うだけの理屈がある、ということか……」
「………………」
「名は何と申す」
「リオンです」
「……そうか、リオンか」
その名を聞いて眉を一瞬寄せる。
何かを思い出したのか、この空間全体を振るわせるほどの笑い声を発するジュノー。
恐怖はないが、心の底まで染みいる低いその声に、なぜか全員の体が固まる。
「よかろう。リオン、君に従おう。これでお互いの気も晴れるというもの。積年の恨み、今ここで成就するがよい」
「……嫌よ! ジュノー様、私を、私を……」
無理して口を開くアリスヘブンは更に吐血する。
「そこにいたのか、アリスヘブン。もうよい。すべては終った……いや、終わりにしよう。君には苦労を掛けた、すまない」
ジュノー国家元首は宙に浮くアリスヘブンへ手を伸ばし、見つめる。
束縛魔法により、動かないはずの体が吸い寄せられる。
オベリスクの祭壇に降り立つアリスヘブンの元に、ジュノー国家元首が歩み寄り、声を掛ける。
「すまない。この世をもう少し見届けてあげようではないか。いずれどこかで憎しみの連鎖を断ち切らねばならぬ。さあ、アリスヘブン。我が元へ」
血の涙を流すアリスヘブン、それをジュノーのマントが柔らかく包み込み、二人抱き合った。
顔だけをリオンに向け、ジュノーは進言する。
「リオンよ。魔に魅せられた理由を探すのは簡単ではないぞ。今の私よりきっと辛い決断が待っておろう。だが、挫けるな。そして、胸を張れ!」
慈愛に満ちたその目を見て、リオンは頷いた。
三つの赤目が光り、持っていた三叉の先端に陽炎が燈る。
柄を握る手に力が入り、苦しい表情を見せた。
突き立てられた槍の先の陽炎が、二人を襲う。
耳を劈く音の粒が周辺を圧迫する。
それに耐え切れず、耳を覆う者もいれば、その場で倒れる者もいた。
「偉大なる槍の審判……最後になって私にまだ教えを与えるというのか。ああ、……そうか……そうであったか……。ありがとう、…………リオン」
その言葉を最後に、眩しい光りに包まれ、そして一瞬で消える。
止まっていた空気が動き出すころ、三角錐の下で王妃は倒れいた。
水に浸かった王妃を抱き上げ、傍に横たえる。
「大丈夫ですか?」
突然咳き込み出し、体を丸くした王妃の背中をさする異形。
「ゴホッ、ゴホッ……。ここは……」
「ルツェルン湖の真下。アリスヘブンがジュノーを甦らそうとしていた場所」
「……そう。彼女はどうなったの……」
「俺が……殺しました……」
上半身を起こした王妃は、異形の体に触れ、その手を顔へと滑らす。
「ありがとう……リオン。貴方には辛い役目をさせたわね……」
「いえ、俺が決めたことですから……」
「でも、でも……それは、貴方の意志では」
何かを言いかけて王妃は口を閉じた。
手の平にあった暖かい感触が失われたからだろうか、それとも黙ってその場を立ち去るリオンを思いやってか。
彼女の瞳からは涙が溢れ、見えないその目でリオンの背に優しさを送っていた。




