026
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鋭利な音が肉体を突き抜け、口から吐血が霧状に散る。
「……お前」
返り血を浴びる赤目は、それよりも赤く輝いている。
「…………」
「……そうか……あの時から……俺は……」
己が魔法で呼び出した偉大なる槍の審判で胸を貫かれたカルファン。
余りにも素早い動きで、気づく暇もなかったのだろう。
地面に突き刺さった槍を手に、リオンは言う。
「もう終わりにしよう……」
「……俺の憎しみは……」
それを今も、昨日のことのように思い出せる。
『薔薇の血』のメンバーでもあり、母でもあった魔法使いルナの死。
錬金術士ダンジョンで不遇の死を遂げたと知った時から、彼の心は憎悪と復讐に支配され、今日まで生きてきた。
その目的を達成する為、悪魔のような魔女に自分の魂を売ったこと。
後悔こそしなかったが、幸せな日々ではなかった。
だからなのだろうか、慈愛に満ちた母の笑顔が浮かぶ。
「ああ、そうか……だから君が……」
「………………」
「お母さん……許してくれ……」
赤目は消え、元の姿に戻っていたリオン。
その目からは悲しみと寂しさが溢れいる。
今、ゆっくりと目を閉じるカルファン。
全ての呪縛から開放され、安らかに眠っているようだった。
彼のそんな気持ちが分かるというか、リオンは胸に手を当てて、
「すべてを断ち切って見せる」
力強く吐き出されたその言葉に、一切の迷いは感じられなかった。
◆
アントニー王妃の元に戻ったリオンは優しく手を取り、「さあ、行こう」と声を掛けた。
黙って頷くだけの王妃。
彼女には分かっていた。
アリスヘブンの部屋と同じ異臭がしたことを……。
例えそれが彼の体からしようとも、彼女はそれを口にすることはなかった。
散らばった多くの欠片を、彼女自身の手で埋めよとしていたのかもしれない。
それは、王妃としての自覚がそうさせているのか、それとも一人の女性としてなのか。
見えなくなった目で、尚も前を見ようとするアントニー。
彼女の表情からは、それを窺い知ることは出来なかった……。
しばらく歩き続け、魔法陣の端まで来た時、大きな揺れを感じた。
しがみつく王妃の肩をかばい、リオンは周囲を見渡した。
「……なんだあれは」
魔法陣が光りを放ち、天井にその文様を写し出した。
「どうしたのリオン? 何がったの!?」
「大丈夫……」
何を睨むリオン。
すると、どこからともなく軽薄な声が聞こえ、反響して耳に届いた。
――カルファンは死んだのね……最後に敵は取れた見たいだけど、それはそれで良かったのかしらね。
人の死を軽く言ってのけるその喋り方。
見えないはずの王妃は名指しする。
「アリスヘブン!!」
――お久しぶりね、元気、ではないご様子ね。
笑いに軽蔑がこもる。
リオンは声の主を必死に探す。
――シルビアったら、こんな物を作っていただなんて。それで私の……。いいわ、ちょっと利用させて頂こうかしら。
「アリスヘブンどこ! 貴方は何がしたいの!」
――何がしたい、ね……。今は言えなわ。でも、ここから出してあげる。王妃様だけね。
そう言い終わると、突然王妃の体が薄らぎ始めた。
気がつかない王妃は辺りを見渡すが、ふいにリオンを掴む手に感触を失う。
「リオン!? どこ?」
「……クソっ!」
「ねえー、リオン!」
必死に掴もうとする王妃。
彼女の背後が見えるリオンは、何度も手を握っては又、その手を伸し握る。
お互いがお互いを掴めずにいると、透明にまで薄らいだ王妃は忽然と消えた。
見えなくなった王妃を見据えたまま、大声で叫ぶ。
「何をしやがった! アントニーさんを返せ!!」
――王妃には一時避難をしてもらったわ。これで貴方は一人。思う存分力を発揮して頂戴。
と、その時。
魔法陣から浮き出た光りが中心に向って集合し、やがて丸い球状となり、そして輝きを放ちながら砕け散った。
砕けた光りの後から黒い靄が立ち登る。
そこから漏れだしてきた邪悪な気配に、リオンの目は釘付けとなった。
◆
――その頃、町の中には闘う親子がいた。
「もう大丈夫だ……はやく城まで」
炎が襲う家から一人の子供を救い出し、今その母親に手渡した。
「あ、ありがとうございます。ホントに……」
「ここはまだ危険です。さあ、城へ急いで!」
何度も会釈する親子を見届け、大きなため息をつく。
肩から掛けたエプロンは焼け焦げ、皮膚の所々は火傷を負っている。
それでもマスターは、顔を上げ、次の救出に向おうとした時、焼け崩れた家から異様な気配を感じ、振り向いた。
「ま、まさか……」
――亜種魔族
炎渦巻く中から出てきた、悪魔の化身。
赤黒いその体に、無数の傷跡が残っているが、どれも致命傷にはなっていない。
憎悪に満ちた目をマスターに向け、ゆっくりとした足取りで迫ってくる。
「よくもうちの客をー!!」
片膝を地面につけたマスターは、身を丸め、そして顔を上げる。
怒りに満ちたその表情を亜種魔族へぶつけ、狙いを定める。
気合の雄叫びを上げ、力強く地面を蹴ったその力を利用し、肩から亜種魔族へと体当たりをかます。
肩の骨が砕ける音がして少し後退した亜種魔族。
だがしかし、次の瞬間、マスターの体を両手で受け止めた。
「うぅーあ、あーっ!!」
痛さに声が噴き出すマスター。
彼の耳元で軽い空気音。
「……!?」
奇奇怪怪な奇声音を狂ったようにあげた亜種魔族。
その目に一本矢が突き刺さっていた。
「お父さん! 離れて!」
すぐに娘の声だと知って、一瞬驚いた表情を浮かべたマスター。
その後、同じ音が続けざま二回ほど繰り返される。
それでやっと理解できたのか、目前に立ちはだかる亜種魔族の胸に二本の矢を確かめて、声のする方へ駆け出した。
「なんで逃げない! ここは危険だと……」
「なら、お父さんも危険でしょ! もう逃げるのは嫌なの!」
「だからって……」
「もうだれも失いたくない……お父さんも……リオンも……誰も……」
「ムーン……」
優しく抱き寄せ、父親の胸に顔を埋める娘。
「お父さん、ごめんね。私、もう嫌だから……」
「ああ、わかった。お前のわがままは馴れてる。でも、お父さんの言う事をちゃんと聞いて行動してくれよ」
「ふん。私、お父さんよりランク高いのよ、馬鹿にしないで」
笑い声に変わる娘を、父親は少し悲しい表情で抱き占めていた。
「お前も、大人になったな……」
「当たり前でしょ! 毎日傍にいるくせに気づかなかったの?」
「ははは、鈍感でわるかった」
「馬鹿っ……」
親子の愛情劇をモンスターは待ちはしなかった。
射ぬかれた矢を取り終えた亜種魔族は、腕を突き上げ手の平に業火作り、振りかぶった。
「あっ、お父さん危ない!」
父親を押しのけ、素早くボーガンを構える娘。
「間に合って!!」
矢を放つその先に、業火の塊は彼女の瞳に大きく映し出されていた。
◆
「どうじゃ、なんとかなりそうか?」
「いま総動員して対応してます」
「そうか。城に避難して来た民を優先して対応してほしい」
「もちろんです、ブラウン殿」
「……すまない、ニック連隊長。貴殿を巻き込むような真似をさせて……」
「では、ここから先は我ら近衛兵団におまかせください」
国の大事とはいえ、筆頭執事のブラウンは各大臣や参謀などを飛び越して、王室騎兵団にまで声をかけ、この未曾有を危機を乗り越えようとした。
どんなお咎めでも受ける覚悟は出来ている。
というのも、あれから各執務室や大臣室に行って掛け合ったが、己の保身ばかりで一向に話は進まなかった。
傷つき負傷した衛兵に代わり少しでも多くの兵を出すため、城の守り手、いうなれば王を守る近衛兵団を出動させるということを。
しかし、各大臣は渋ったのである。
国王が不在の中、勝手な判断はできないと……。
それに嫌気が差したブラウンは実力行使に出た。
目の前に迫る危機が理解できない堅物を説得するより、直接直談判した方が早い。と、そう思ったブラウンが向った先は、先程のニック連隊長がいる部屋だった。
彼も又、大臣の命を待っていたのだが、一向に指示が出る気配はなく、焦っていたらしい。
そこでお互いの胸の内を明かしてるうちに意見が合致し、今の運びとなった。
それとは別に一つ。
気に掛かることを告げられていたことを思い出した。
「ブラウン殿はご存知かどうかしらぬが、あの魔法使いの部屋。どうやらどこかに通じる隠された通路があるらしく、以前秘密裏に調査隊を出したのだが、全員戻ってこなかった。もちろん公に出来ることではない……悔しいが遺族たちには私から誠意を尽くさせて貰った」
「誠意、じゃと?」
「はい。実は後日見つかったのですが、その場所が……」
ルツェルン湖に浮いてた……か。
そう呟いたブラウンは、眼下に見える古びた建物に目を移した。
連隊長指揮の下、なぜ一国一人を調べる必要があったのか、それも気になるところだが、今はそれりも大事なことがある。
彼は器用に松葉杖を動かし、体を反転させると、大廊の端にある階段を降って行く。
何かを見つけた時のような眼差しで、ブラウンは先を急いだ。




