025
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きっと亜種魔族一匹だと高を括っていたのだろう、店に居た冒険者の何人かが攻撃をし始めた。
それに続く者もいれば、窓を破って逃げ出す者もいる。
そんな中マスターは、ムーンに何度か呼びかけた。
「ムーン急げ何してる! こっちだ!」
が、反応を見せないまま呆然としていた娘の手を引き、店を後にした。
「頑張って走れムーン! 諦めるな!」
父親に手を引かれ力なく走る娘は、凄惨な現状を目の辺りにする。
至る所で火の手が上がり、逃げ惑う民。
名前も知らないモンスターたちが襲いかかり、斬りつけ、魔法らしき
ものをつかった。
中には牙で噛み、そのまま咀嚼するモノまで。
町が一変するほどの大惨事に、ムーンは言葉を失い、いつしか涙が流れていた。
「ど、どうなってるの……」
泣き声は叫びに変わり、悲鳴と破壊音に吸い込まれた。
悲観する娘をマスターは必死になって引っ張り、走り続ける。
「だれかー! 家の中にうちの子がーーーっ!!」
助けを求める叫び声が、あちらこちらに湧き上がる。
娘だけは……自分にそう言い聞かせ、助けに背を向けた。
それは欺瞞に過ぎなかった……。
彼には思うところがあったはず、それがどのような形であれ、己に嘘をつき通すことはできなかった。
ふと、その場に立ち止まった父親は、泣いて打ちひしがれる娘の肩を強く抱き、瞳を見つめる。
「ムーン、しっかりしろ! 泣くのは後からだって出来る。いいか、今から城へむかえ。いいな、ここを真っ直ぐ走ればいい。わかったな、ムーン!」
「……なに言ってるの……お父さん……」
「お父さんは、人助けをしなきゃならん! 多くの人がそれを待っている。もう逃げるのは……。いいなムーン」
「なんでお父さんがーー!!」
険しかった表情が急に優しく、穏やかになる。
「ムーンがうちに来る前、お父さんの家族は……あのシルビアが作った冒険者たちに……。何もしてあげることが出来なかった……。ごめんね、ムーン。お前は自慢の強い娘だ。こんなお父さんを許しくれ……」
「……お父さん」
「うん、いい子だ。城の中で待っててくれ」
悲しい顔に、涙が流れる。
しかし、娘を見るその目は信頼と暖かさに包まれていた。
叫び声を上げる娘を前に、父親は別の方向へと走りだした。
木が燃える臭いに交じり、別の臭いもする。
認めたくないが、きっとそれは人。
多くの人が傷つき、助けを求めいるに違いない。
ここで逃げ出していいのか。
あの時、リオンと一緒に行っていれば……。
彼を失って彼女が思い続けたこと。
それが今になってやっと自覚できた。
もう、だれも失いたくない!!
ムーンは涙を拭い、ボーガンを手にした。
何かを決めた時の強い眼差しを正面に見据え、弦を引いて構えた。
「ゆるさない、絶対に!」
もう直ぐ夜だというのに、辺りは昼間のように明るく、周囲は炎の海となった。
そこに一人の少女がモンスターに立ちはだかった。
「さあ、掛かってきなさい!」
◆
『アリスヘブン様、見つけました』
『そう、どこにいたの?』
『錬金術師ダンジョン最下層です……』
『……わかったわ』
『すでにアントニー王妃と一緒です』
『意外と早く辿り着いたのね。それはちょっと誤算だわ』
『はい、ヤツは無茶苦茶です……通常の概念がないというか……』
笑いを噛み殺すアリスヘブン。
概念がないだと……だから必要なのよ。
彼女の直眼の閻が光り輝く。
『カルファン。貴方に最後の頼みがあるの』
『はいっ!』
『私が用事を済ませる間、時間稼ぎをして頂戴。出来るだけ足止めをして』
『わかりました』
『そう、ありがとう』
相互を終えた彼女は最後にこう付け加えた。
「死んでもいいから」
そして、こともあろうかアリスヘブンは、大廊の真ん中で天真爛漫な笑い声を上げ、その場から姿を消した。
彼女の奇怪な行動を見ていたメイドや上官たちは果たしてどのような気分だったのだろうか。
魔女……。
大廊にその呼び名が聞こえてきた時、町の明かりは城の直ぐ側まで迫っていた。
◆
「さあ、こっちです」
「ありがとう……」
「ここに……モンスターはいないの?」
「居ますよ。ただ襲ってこないだけで……」
「……なるほど」
「ええ……」
アントニー王妃はどこか納得したふしがあった。
ここから出る時、少年は壁を破壊して通路を築いた。
当初、どこかに隠し扉でもあるのかと思っていた王妃だったが、少年に言われるがまま、移動し、その場で伏せていると。
背後で凄まじい音と風を感じた。
その風に乗って埃くさい臭いがした。
それが一体なんだったのか、結局その少年に聞かずじまいだったが、そこに行く過程で、足元に硬い物が当たったり、踏んだり。大きく避けて通るように歩いたりと、彼女が壁伝いに歩いた時になかったモノが散乱しているような感じだった。
きっと強引に壁を破壊して、通路を作ったんだ……。
だからなのか、居るけど襲ってこない、と不思議なことを言われても、ある意味なんらかの方法で、寄せ付けないようにしている、と自己完結していた――仮にそうだとして……!?。
ちょっと待って……まさか私を誘拐した仲間!?。
「ねえ、どうやって入って来たの? なぜ私がいる事を……」
「俺にも分からない……ただここに居るとしか……」
「そっか……。わかった」
少年のあやふやな答えに王妃は反論せず、それで終わった。
一言一言が重く、切ない感情を感じ取っていたからなのか。
「あっそうそう! お互い自己紹介がまだだったわよね。私は……」
少し躊躇いを見せたあと、アントニーよ、と言った。
驚かれると思っていたが、少年は鸚鵡返しをするだけだった。
「ねえ、貴方は……教えてはもらえないの?」
「…………」
「いいのよ、気にしないで。お礼を言う時、困るかなーって思っただけだから……」
「……いえ」
「いいのよ、ホントに……」
「彼の名前は、リオン。魔物に魅せられた子。我々はそう呼んでいる」
リオンを掴む手に力がこもる。
王妃は、どちらにも驚いていた。
この少年の名前が、人捜しの子だということと。どこからともなく聞こえてきたその声が、カルファンだったこと。
しかし、魅せられたとはどういう意味なのか、王妃は首を傾けざるを得なかった。
この少年は、半年前に行方不明になったのではなかったのか……。
「カルファンね! どこにいるの! 今の私は目が見えないの、近くにいるなら来なさい」
「アントニー王妃。貴方は感じないのですか? リオンから発する魔の妖気を。そんなモノに中てられでもしたら、出て行く前に殺されますよ」
軽い笑いが響く。
先程までの反響の仕方とは微妙に異なることを王妃は感じていた。
でもまだ、同じ空間内にいる……?
「アントニーさん。ごめんなさい、ちょっと離れていてくれますか」
「どうしたの? 何をするの!?」
彼女の手が宙を掴む。
素早く手を伸ばすがそこに捕まえられる物はなかった。
「リオンー!!」
強大な魔法陣は迷路のように入り組んでおり、リオンはそれを中心から外側に向け、その空間の端まで破壊していた。
円の中から一本の線が描かれるように。
王妃は今、その中間辺りに一人取り残されている。
強大な迷路を俯瞰するように、リオンは舞った。
声の主を捜す為に、赤目が三つ、光り出した。
何かを見つけたのか、その位置へと迷いなく、飛翔するリオン。
その姿形は異形そのものだった。
「それが貴様の本性か!!」
エメラルドに光った長剣がカルファンを狙う。
振り下ろされた禍々しい長剣を杖が迎え撃つ。
触れ合った箇所に閃光がきらめく。
その瞬間お互いは、距離を取った。
「なるほど……魔物が使う妖剣か……。今のは堪えたぜ……」
凌いだはずのカルファンの額から赤い血が流れる。
リオンの持つ長剣から放たれるエメラルドの光りが掠っただけだった。
受け止めていたのは物理的な剣だけで、そこから迸る妖気までは防ぎきれていなかった。
足元がぐらつくカルファンを赤目が捉える。
地鳴りにも似た咆哮が聞こえ、カルファンの目前にリオンが瞬間移動する。
そして、無造作に剣を振るう。
火花が舞い上がる。
黒い影が横切ると共に、二人の攻撃は弾かれた。
「…………」
「誰だ!?」
『怒りに任して闘うんじゃない。闇に飲み込まれるぞ、……リオン』
声のする方に二人の目が向く。
――穹牙獣
灰色の毛並みは所々溶けてなくなり、そこから覗く皮膚は抉れ、深く斬られた跡が残っていた。
赤目が必要以上に目を光らせ、穹牙獣を睨む。
ヤツか……ちょうどいい……纏めて殺してやる……。
カルファンはそう呟いて、杖を掲げ詠唱をする。
――偉大なる槍の審判
杖の先から眩しいばかりの稲妻が登り、天井に当たるとそれは見る見るうちに渦を作り出し、忌々しい雷雲が現れた。
荒れ狂う雷雲の中に黒点が現れ、次第に渦が早くなる。
平面の天井からせり出した渦の先端が、リオンに向けて焦点を合わせ、世界が崩れ落ちそうな轟音を伴い、一本の捻じ曲がった槍が一閃する。
槍が、正確にリオンを串刺しにする。
「!?」
飛来した槍は自身の半分ほどを地面に沈め、周辺に爆風を起こした。
埃が収まると、槍に貫かれていた穹牙獣がいた。
「グレンーー!!!」
「はははははは、馬鹿が。自己犠牲か、下らん!」
切って捨てるように言い放つカルフォン。
グレンの体当たりで救われていた。
我を忘れたリオンは、穹牙獣に駆け寄る。
「なんで! なんで!!」
「……気にするな……どうせ元には戻れない……。なあ、リオン……自分を見失うな……闇に飲み込まれると、俺みたいになるぞ……は、はは……」
「何を言ってるんだ!! ミーサはどうする! お前が守るんじゃなかったのか! 一人にして置いて行くのかよー!!!!」
「……ああ、そうだったな……。すまん、リオン……か、かわりに……」
その言葉を最後に、穹牙獣の瞳の色は消えた。
召喚された獣が消えるように伸ばした指の間から、グレンは光りとなって消滅した。
膝をつき泣き崩れるリオン。
あの日、グレンが言った言葉を思い出していた……。
いつもの訓練が終わり、篝火を燈すグレンの横を歩くリオン。
『なあ、おっさん。なんでいつも夜に出歩くんだ?』
『ほー、知ってるのか?』
それを見て、意味深な様子で声を上げるリオン。
『あったり前だろ。いつもこっそり抜け出してさあ。あっ! 違う女の所に行ってるのか!?』
『馬鹿っ! ガキがませたこと言ってんじゃねえ! そんなわけないだろ!』
『じゃ、なんでさあ。ミーサが悲しむようなことしてんじゃねえだろうなー』
『リオンが気に病むことじゃない。まあ、あえて言うならお前らを守るためだ……』
伏目がちに呟いたグレン。
リオンは気にせず揶揄する。
『ふーん。何か怪しいな……。まさか!? あれか! 旨い物を独り占めしてるんだなあー』
『馬鹿っ。どれだけ卑しんだよ!』
『へー、じゃあミーサに聞いてみよー。グレンが守ってくれるから安心しろってさぁ』
『そうだな……って!? 余計なこというんじゃない!!』
『わー、怒った怒った』
『コラ待て、リオン!』
逃げるな……………………。
握った拳を刺さった槍に叩きつけ、涙がこぼれた。
「……ミーサに言いつけてやる……」
俯くリオンは気づいていないのか。
自我を消失したその目が少年の背に向けられ、杖が振り下ろされた。




