023
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宮廷に戻った一団。
ブラウンからの提案を快く引き受けたアリスヘブンは、古びた建物の部屋で寛いでいた。
いつもの椅子に揺られ、窓の無い部屋のどこを見るでもなく、ただ揺られ辺りを眺めていた。
『よいのですか、あのような申し出を』
『いいのよ。それくらいはしてあげないと、彼も辛いでしょうから』
『死体を調べればわかって……』
彼女の目に直眼の閻が浮かぶ。
カルファンはそれ以上なにも言わず、押し黙った。
『そういえば、貴方。敵討ち、出来なくなったわね』
『…………』
『貴方の母は確か、四代目『薔薇の血』の魔法使いだったわよね』
『……はい』
『どうするの。少なくとも私の計画には最後まで、手を貸してくれるのかしら』
『……もちろん』
『そう、ありがとう。それはとっても助かるわ。では早速あの少年を見つけてきて頂戴。王妃のこともあるし、ちょっと急ぐわ』
テーブルに置いてあるカップに手を添えるだけで、冷めた液体から湯気が立ち上がる。
火傷しないようにそっと口をつける。
そして目を瞑り、液体の味や香りを楽しむ。
『やっぱり、これが一番美味しいわ。いずれあれが完成すれば、これも無用ね』
『はい、アリスヘブン様』
『じゃ、お願いするわね。今度は普通じゃないから気をつけなさい。見つけるだけでいいから。下手に手を出したら、今度は戻れなくなるわよ』
薄ら笑う彼女、再びその液体に口をつけ、カップをテーブルに置いた。
カップの淵に残る、赤黒い染み。
これが人の血を混ぜた飲み物だと分かるのは、随分後になってからだった。
◆
――その日の夕暮れ。
今日もギルド酒場は、冒険者たちで一杯だった。
しかし、少しいつもと様子が違うようだ。
自分たちが話す内容を、誰かに聞かれてはいけないという用心さが窺えた。
そんな店内の雰囲気を黙って見過ごせるほど、ムーンは大人ではなかった。
「お父さん、何かあったのかしら。今日、変だよ」
「変? そうか……」
「そうだよ、人の悪口言ってるみたいでさ。なんか気持ち悪い」
「なるほどな……」
先程から冒険者たちの話を盗み聞きしようと企むムーンとは違い、どこか上の空で聞いているようなマスター。
「ねえ、お父さん! ちゃんと聞いているの?」
「……ああ、聞いてるよ。今日は皆、疲れてるんじゃないのかな」
「そんなわけないでしょ。一日中ここに居座ってる冒険者もいるのよ。ったく!」
洗ったばかりのジュンビールの器を拭きながら、ムーンは苛立ちを隠せないでいた。
どの大人たちも、ムーンが近づくとそれまでの話を止めて、ワザとらしく違う話をし始めるからだ。
中には、ムーンをからかう輩までいたほどだ。
それほどまでに、聞かれてはイケない話とは何なのか。
ムーンの苛立ちが、器を拭くその仕草に向けられた。
と、その時。
冒険者と思われる一人の男性が慌てた様子で店に入って来た。
と思えば、大声で叫んだ。
「た、たいへんだ! 町にモンスターが……」
すべての視線を集めた冒険者は、そう叫び終わるとしばらくその場に立っていた。
沈黙が店内を圧する。が、何かの拍子に足元が崩れた。
大きな音を立て、うつ伏せに倒れた冒険者の背中はすっぽりと刳り貫かれ、血が大量に噴き出した。
沈黙が悲鳴と恐怖に変わり、逃げ惑う人たちで店内は混乱を極めた。
だが、それはまだ始まりに過ぎなかった。
忌まわしい妖気を発する者たちが、町中を徘徊し、押し寄せて来ていることを、今はまだ誰も気づいてはいなかった。
◆
――町を見守る守衛兵によって、すでに一報がもたされていた。
「一体どうなってる! 誰か説明できる者はおらんのか!」
そう叫ぶ筆頭執事のブラウンが、通りかかった衛兵を捕まえて怒鳴りつけた。
「アリスヘブンを捜せ! ヤツを一番で捜すのじゃ! 後はそれからじゃ!」
指揮官や上官たちが、現状を把握しよと急いでいた。
まるでどこかの敵国が攻め入って来たかのような様相を呈している。
慌てふためく衛兵までもが、時々見受けられた。
流石のブラウンも慌てたいところだが、如何せん松葉杖の身。
ただ大廊の片隅で見守る他なかった。
「何がどうなっているのじゃ……」
呟くブラウンのすぐ傍の窓を、外側から何かが突き破って入って来た。
窓ガラスが散乱する大廊に、丸い物体が目に飛び込んできた。
しかもよく見るとその物体は頭を抱え、背を丸めている。
人……!?
いいや、そんなモノが入ってくるはずはない。
しかし現に、それは丸めていた体を伸ばすようにゆっくりと立ち上がった。
背を向け立ち上がったその背中には、黒い布が折り畳まれ、それが蝙蝠の翼だと分かった時、いきなり宙に浮いた。
羽ばたきながらゆっくりと振り向く。
その姿は骨で出来ており、顔に瞳はなく、ただ闇を湛えてるだけの大きな窪みが二つあるだけ。
そして、片手に剣を、もう片方に丸い盾を持っていた。
口が笑うように開く。
しかし、あるはずの舌はなく、二つの窪みと同じ闇があるだけだった。
カタカタと音を立て、骨は持っていた剣を彼の頭上目がけ、大きく振りかぶった。
◆
「大丈夫ですか……ミーサ」
憎しみと怯えが同居するミーサは、目の前のシンフォニーに疑いの眼差しを向けていた。
「どうしたの、ミーサ。大丈夫なの?」
今さっき、彼女が詠唱し放った三連の矢を打ち落とし、メイを二度も貫いたばかりの相手。
いくらお人好しのミーサと言えど、そんなにすぐに人を信じれる程、馬鹿ではない。
後ずさりするミーサ。
疲れた表情を見せ、シンフォニーが手を伸ばす。
「痛っ……」
ミーサのハンターボーがその手を叩きつけた。
「だ、騙されないわよ! 貴方、シルビアでしょ! テイムした人種に乗り移れることくらい知ってるのよ!!」
尚も後ずさりをして距離を取ったミーサは、弦に指を掛け、怒りに任せて引く。
「ミーサ……」
ミーサの名を呟く彼女に向けて、弦は限界まで引かれた。
「ここで終わらすわ……もう誰もテイムさせない……」
「何を言ってるのミーサ! 私はシンフォニーよ!! シルビアは死んで、私に掛けられた服従の霊は解かれたの。だからもう大丈夫よ、信じて!!」
瞳を潤ませ訴える。
両手を伸ばし、ミーサと抱き合おうと近づく。
悲しみを湛えるその表情に――ほんの少し、ほんの僅か――気が緩んだのか、弦の張りが撓む。
それを見逃すはずのないシンフォニー。
伸ばした手を合わせ、そこに現れたロングボーの弦を一気に引き、離す。
風を斬る音。
肌を裂く音がして、倒れた。
夕暮れ迫る山奥で、死闘は終わりを迎えた。
最後まで大地に立っていた居たのは結局、彼女一人だけ。
周囲に独特な臭いが広がっていた。




