021
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「どうやら今から、帰るようだな」
山頂から千里眼を使い、目を瞑ったままのティナーが答えた。
「はやいな。もう帰っちまうのか。ヤツら王妃を救う気あるのか?」
小馬鹿にした薄笑いを見せるメイ。
それとは対照的な態度を見せるシンフォニーは、ティナーに問いかける。
「ねえ、何かわかった? その……痕跡みたいな……」
彼女は彼女で複雑なのだろう。
アーネスト・シルビアを許せないのはもちろんのこと、王妃とは少しの間だったが、共に時間を過ごした仲間なのだから。
それを察してか、
「いまのところ、王妃もシルビアも痕跡のような物は見えないわ。まあ、この距離じゃ無理があり過ぎるが、一団が引いてからもう少し近づこう。あちらさんもおっかない魔法使いを連れて来ていることだし、今は下手に動かない方が良さそうだ」
ティナーがそう言うや否や、木に持たれかかっていたメイがいきなり立ち上がる。
「近くにいるぞ! 魔物使いの臭いだ! クソっ、俺様が気づかないないんて……」
その言葉の途中で、天から塊が、いいや違う、人間が降って来たのを目撃する。
彼女たちの周りに、地響きを立てて降り立つ三名の凶器。
刹那であったが、それでも距離を取り木の影に隠れた『薔薇の血』たちは流石といえよう。
ミーサもいつの間にか、身を屈めている。
「ヤツらは操られている、気にするな殺せ!」
メイが叫ぶ。
しかし、相手は人間。
一瞬の動揺と、千里眼の直後だったせいもある。
ティナーは次ぎの行動に移る判断を鈍らせていた。
「あっ、うぉぅぅー……」
断末魔が響く。
木の影に隠れる動作が一歩遅れていたティナー、天から降って来たその三名は彼女の動きを見逃してはいなかった。
三方から一斉に飛びかかり、三方向から剣を振るった。
人の力を遥かに凌駕した剣捌き、やはりテイムされているからだろうか、人体の三倍ほどもある木ごと、易々と切り裂いた。
「ティナーぁぁーーー!!!」
思わす叫ぶシンフォニー。
三名の目が一様にそちらに振り向く。
「馬鹿がっ!」
飛び出した魔物使いのメイが詠唱をする。
――地の棘
地面が隆起したその先端から、棘の生えた蔦がテイムされた人間どもの足元に絡み付き、動きを止める。
内一名がそれを躱し、シンフォニーに飛びかかる。
風が抜ける音。
飛びかかって来た人間の頭部は失われ、シンフォニーの目前で力無く落ちる。
悲しい声の詠唱が、森の間から遅れて二重に届いた。
――三連の矢
――分岐の矢
ミーサの弓から射られた一本の矢が三本に別れ、そこから更に三本の矢となって、放たれた。
人体一つにつき、刺さる音は三つ。
残りの六本の矢はメイが足止めした二人に、それぞれ突き刺さり絶滅させていた。
しかし、別の声が聴こえる……。
「ほー、二重詠唱とはめずらしい。……そうか、お前。あの時の『薔薇の血』の生き残り……。確か、その時に己の非力さを思い知り、会得したんだっけ?」
森の中に高笑いが汚らわしく通過する。
何の前触れもなく、木の間から姿を現したアーネスト・シルビア。
シンフォニーとメイの目線が彼女に注がれ、憎しみを露骨に見せる。
ミーサだけは、どこか違ったように感じるのは気のせいだろうか。
唇を噛み締め、手にしたハンターボーを握り絞める。
「生き残りはお前だけになったな。ははは、伝説だったグレンは死んだ。お前が可愛がっているリオンとやらにな!!」
「!?」
何か言おうとするが、声にならないミーサ。
「ミーサ、しっかりして!!」
シンフォニーが、素早く矢を居抜く。
金属の弾ける音がして、シルビアの近くの木に刺さる。
「……貴方……まさか……」
「知らなかったのか? いつまでも魔物使いだと思っていたのか? 何百年生きてると思ってる。私もそれなりに学習するのだよ」
唖然とするシンフォニーに向って手を突き出す。
傍にいるミーサは、それに気づかない。
彼女の瞳に、強い感情が宿りだす。
「ゆるさない……貴方だけは絶対に……」
俯き呟くミーサに、メイが走る。
「やめろ!」
メイがミーサに飛びつく。
走って来た勢いそのままに、二人は倒れ込む。
「どうしたの……メイ」
「う、うるさい……黙れ……」
彼女の口から血が噴き出した。
驚くミーサの目に、一本の矢が映る。
その矢がシンフォニーの放った物だと知って、更に愕然とする。
「どうして……」
「…………」
さっきまで傍にいたシンフォニーが距離を置いて立っている。
こちらを向く彼女の瞳に光りはなく、虚ろ。
「貴方が私の下僕を殺したから、代わりを作っただけよ」
持っていたロングボーをおもむろに構えだす。
「シンフォニーやめて!!」
ミーサの叫びが木霊する。
彼女はそれに応えることなく、弦は引かれ、ロングボーが撓みだす。
いずれ限界を向かえるその撓み。
軽く、空気が裂ける音がした。
放たれた矢は一本の線となり、木々の間を正確に通りぬけ、倒れる二人に真っ直ぐ引かれて行く。
黒い影が、その線を横切った!!
メイの体をきつく抱きかかえていたミーサの手が、ふと緩む。
矢が飛んで来てない……?
ミーサが疑問を口にする前に、先にシルビアが声を上げた。
「なんだ!?」
森の奥から獣の鳴き声。
すべての目線がそこに集中する。
テイムされたシンフォニーすら、二本目の矢を弦に掛けようとはしない。
低い鳴き声が続く。
すると突如、生い茂る木々が左右に別れ、音を立てて倒れ始めた。
倒れた木々の間から異様な気配が漂い、それがこちらに向かって動き出す。
移動するたび、細い木の枝のように次々となぎ倒されていく。
「…………っ!!」
驚嘆の表情を見せるシルビア。
異様な気配と対峙する彼女の目に映るもの、それは――三日月の細い目に真っ赤な闘志を滾らせている――死んだはずの穹牙獣だった。




