020
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「やっと目が醒めたのかい」
その声は必要以上に何度も繰り返し、反響する。
周囲を確かめようと、虚ろな目で頭を動かす王妃。
ここが何処か分からない様子。
「私……どうなってるの……」
消えてしまいそうな声。
とても弱々しいがそれすらも反響して聞こえる。
「ちょっと早い収穫だったけど、まあ問題ない。しばらく大人しくしてろよ」
四方から聞こえてくるからだろう、首を必死に動かし声の主を探ろうとする王妃。その様子からは、目が見えないように思えた。
「ここはどこなの……、私は一体どうなってるの……」
泣き声交じりの声すら響き渡り、そして反響し合う。
すでに誰も聞いていないことを、彼女は知るすべもなかった。
◆
見たこともない荒地でリオンは目を開け、立ち上がった。
服装は元に戻り、グレンの家から出る際に付いたと思われる少し焼けた跡があるだけ。
ここがどこだか知る前に、見覚えのあるモノが突然目の中に飛び込んできた。
「まさか、あれは……魔物じゃないのか……!?」
遠くに見えたその姿はあっという距離を詰め、必死に逃げるリオンに追いつき、追い越すと降り立つ翼の風圧で、彼は二、三度逆向きに転げ回った。
何とか体勢を取り戻し、背を向けようとした瞬間。
魔物の霊眼を直視してしまう。
「……うぅ、あっ……うぁ……」
首だけをこちらに向けていた魔物が、体を回転させ、ゆっくりとその少年と対峙する。
動かない体。
声も出ない。
魔物の顔が、すっと近づいてくる。
目前で見ることになった少年は死を覚悟する。
ダメだ……。
鼻息が疾風のような速さで少年の体に吹きすさぶ。
『どこへ行く、リオンよ』
足元から揺らぐように響く、とても低い声。
目を閉じることさえ許されない霊眼の威力。
『リオンよ。我が名を受け継ぐその瞳に、時を刻め』
牙の生えた口を大きく開け、嵐のような暴風が巻き起こり、リオンの体を貫いた。
リオンは感じていた……。
心が穏やかに落ち着いて行くことを……。
ぽっかり空いた心の穴を満たされる感覚を……。
二人の境界線はやがてなくなり、太陽にも似た光源で覆い尽くされていった。
◆
「どこに現れた!!」
男の胸ぐらを掴み、怒りを露にするティナー。
誰よりも冷静だった分、周りは愕然とする。
「どこだ! 早く言え!!」
「……お、落ち着いて……下さい……」
そこにメイが加勢する。
「おい、どこで見たんだ。早く言え!」
「……はい、ルツェルン湖……の近く……です」
ルツェルン湖。
シュナの森にある湖の一つで、少し前アントニー王妃が離宮を建てようとしてた場所。
少し話をまとめる。
ミストダンジョンの前に王妃が乗っていたと思われる馬車だけが発見され、護衛の二名は惨殺。
その後の足取りから、ルフェルン湖周辺へ連行された可能性があるとのことだった。
「そこまで知って、なぜ助けに入らないの! ジュノー共和国は又同じように……」
リビングの奥から出て来たミーサが、誰に言うわけでもなく、そう投げかけた。
「……それは」
男が答えようとしたのを、メイが遮る。
「テメエ何言ってやがる! 敵国の王妃なんぞ、初めから助けるつもりはねえよ!!」
「……そ、そんな」
「ふん! 調子乗ってんじゃねえぞ! オークス国が、どれだけの人を……」
「やめろ!」
俯き両手をきつく握るティナーが言う。
ここで言い争っても……。
「どこの国などと関係ない。ヤツが出て来た以上、今度こそ捕まえる……」
「捕まえる? 殺してやるだけだ!!」
メイの憎悪は消えるどころか、激しさを増した。
しかし、今回の暴言は誰も止めようとしない。
『薔薇の血』はもちろん、そこに居た男すら顔を下に向け、何も言わずにいた。
「さあ、テメエら。ぼーっとしてないでいくぞ!」
「そうね、ここで言い争ってもしたないわ。行きましょ。私は王妃を助けたい」
シンフォニーには何か思うところがあるのだろう。
好きにしろ! とメイが吐き捨てる。
ティナーは、握った拳をもう一度見つめ、「行こう。これ以上ヤツの好きにはさせない」と、力強く言い切った。
◆
ミストダンジョンに着いたブラウン一団。
「どうですか、アリスヘブン様。何かお分かりになりましたか?」
心配そうに見つめるブラウンの目線の先に、ダンジョン内に落ちていた鞘に手をかざすアリスヘブン。
「これは冒険者の物。これを切った相手は……」
鞘の形はそのままに、ベルトだけが綺麗に切断されている。
そこには血の跡もなにもない。
正確にベルトの厚みだけを切っていた。
「痕跡から見て相当な戦士ということですか?」
「そうね。確かに腕は良さそうだけど、さっきダンジョンに入って現場を見る限り、そうとは言えないわね。アントニー王妃は篝火の魔法を使ってた。でも、切った相手は使っていない。それにこの鞘の持ち主……篝火を使っている」
眉をひそめブラウンが言う。
「ん? というと、ここに王妃と別のパーティーが二組居た。そういうことですか?」
「そうなりますね。そして、そのパーティーのどちらかが逃げ、残った方がアントニー王妃を連れ去った」
「では、目撃者というのはその逃げたほうじゃな。よし! 早速その逃げた方も捜索の手を伸ばそう!」
ブラウンが一人の衛兵を捕まえ、その内容を話している時。
「た、大変です……こちらにも死体が……」
慌てて飛び込んで来た衛兵がそう伝えた。
ブラウンの目が不安に曇り、急いでそちらに向う彼の背に、アリスヘブンはどこか他人事のような眼差しを向けていた。
無残な殺人現場。
まとめて一度に殺された、という表現が正しいのだろう。
道を外れた草花が生い茂るその場所で、折り重なるように詰まれた死体が三つ。
どの死体も煤が掛かって黒く汚れ、焼けただれた跡も数箇所あり、焦げくさい臭いと死臭が漂っている。
「ここで焼かれたのでしょうか?」
「そうだとしたら、ほら、あの部分が可笑しいわ」
アリスヘブンが指差す先は、肘から下が溶けて無くなっていた。
それを見たブラウンが首を傾げる。
一体誰が……。
「人を溶かすほどの炎を使えば、一面火の海になるわ。詳しく調べて見ないと分からないけど、ダンジョン内かもしれないわね。それも人種による炎じゃない」
「となると、モンスターにやられて、ここまで運び込まれた??」
「それはどうかは分からないわ。それに落ちていた鞘の持ち主でもなさそうね。あの鞘には煤が付いていなかった。……色々複雑ね」
アリスヘブンの言う通りだった。
周りの木々に燃えた痕跡はなく、ここに来るまでに焼かれたのだろう。
しかし、なぜ……。
ブラウンは首を捻り、深く考えている様子だったが、衛兵たちの慌しい動きに邪魔されてか、その者達に指示を出し始めた。
近くまで荷車を運び入れ、死体を乗せる。
「身元が分かり次第、報告するように」
「はいっ」
短い返事と共に、その作業は淡々と進み。……終わる。
「アリスヘブン様。この後、どうなされますか?」
「そうね。あの死体は後で検証するとしても、ここから先。アントニー王妃を連れ去った者達を捜すのは困難ね。一度戻りましょう」
「いえ、しかし……」
苦い表情を浮かべるブラウンに対し、
「手がかりが無い以上、どうしようもないわ。それにいつまでも私が城から離れるわけにもいかない。魔法防壁のこともありますしね」
「……そうでありました……申し訳ござません」
気鬱に頭を下げるブラウン。
王妃も大事だが、民も……。
ブラウンはきっと分かっている、だがそれでも彼の目は悔しさと苛立ちが交じっていた。
踵を返し、馬車へ戻る魔法使い。
ダークローブの裾が、草花に当たり跳ねる。
きっと、彼女の心も跳ねているのだろう。
背を向け歩くその顔は、満足そうな笑みを湛えていた。




