016
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少年の持っていた短剣の刃が、エメラルドに輝く。
強く長く、そして禍々しく。
狂気の巨人が恐れをなしたのか、雄叫びを上げ、狂乱した動きで突進してくる。
揺れを感じ正気に戻ったアストレイが叫ぶ。
「に、逃げろ!」
その叫びも虚しく、少年と狂気の巨人が一直線に結ばれ、すれ違う。
地響きをたて、足を止めるモンスター。
「ま、まさか……」
壁に背を押し付け、立ち上がったアストレイが震える。
彼女の目を持ってしても見えなかった。
狂気の巨人の上と下が、ちょうど半分辺りからずれる原因を。
岩の塊と化したモンスターが崩れ、拡散しながら周りに埃を舞い上がらせる。
しばらくし、埃が落ち着くとそこに立って居たのは、一人の少年。
ではなく、異形の存在だった。
「お、お前は……魔、魔物……」
いつ変化したのだろうか、姿形が一変してる。
少年の頭から全身を覆う黒のフードと長いローブ。
目深にかぶったフードから表情を知ることは出来ないが、フードの奥に真っ赤にたぎる赤目が輝いている。
手にしたその短剣はいつしか身の丈ほどの長剣に変わり、今もエメラルドに発光している。
それが今、アストレイに近づいてくる。
歩くたび、長いローブは艶やかに振れ、そこから覗く脚には剛毛が生えていた。
光りすら逃げ切れないその暗黒の姿に、アストレイは気でも狂ったのか。
「あはは、あははー。あははー……」
目前に差し出された長剣が、左から右へ軽くなぎ払われる。
音も立てず、いや、随分遅れて彼女の耳に届く。
笑い声はそれでも続いたが、地面に落ちてやっと止んだ。
下半身だけになった断面からは血すら流れない。
一体どれだけの速さと切れ味だったのか、地面につけた頭で考え、瞳を閉じた。
異形はそれを見届け振り返る。
もう一つ離れた場所に倒れている人体を見て、息を吐く。
黒いその息は直ぐに靄になり、漂い始めた。
長剣をもう一度なぎ払う。
その剣の軌跡は離れた場所にあった人体に命中し、まるで沸騰した水蒸気のように周りの空気と馴染み、その場にあった全ての物を消失させた。
なにも無くなった暗闇に三つの赤目だけが瞬いてた。
遠くの暗闇の更に奥にある三日月の細い目が、何かを感じ取り、気配なく痕跡を消した。
◆
――ギルド酒場から出来た王妃。
馬車に戻る足取りは重く、腰を下ろしても尚、沈黙を守ったまま。
低い天井のどこを見るでもなく、目に写しているだけ、といった感じで瞳を泳がせていた。
ムーンから告げられた冒険者の名前。
――魔物使いアーネスト・シルビア
今一度それを口にし、下品に呟く。
「ヤツは破綻してる……」
次ぎの心当たりでも見つかったのか、天井から目を離した王妃は護衛に指示を与え、馬車は走り出した。
◆
――リオンを待つミーサ。
「きゃ……ん、あっ……っ」
突然後ろから口を押さえつけられ目を丸くする。
「静かにしろ! アイツが居なければ殺してやるところだったが……。黙って我々の指示に従え!」
見知らぬ女性のその低い声に、脅迫と感じる以前に緊迫感が乗っている。
だからなのか、抗うことをやめ、何も言わずゆっくり立ち上がる。
手を離され、そっと振り向くその先に、二人の人物が立っていた。
一人はすぐ傍に立ちその後ろに、一人……、違うもう一人。
三人?
影に隠れ、分からなかった一人がミーサに近寄る。
驚いて後ずさりをしたミーサだったが、
「あなた……ティナーなの!? ど、どうしてここに……」
「ミーサ。今はこの場から離れよう。事情は後からでも……」
「ダメよ! あそこにグレンと……」
「グレンとリオンか。あの二人もう、人ならざるモノになった」
ミーサの声を遮った、ティナーの言葉に失念するミーサ。
「!?」
「我々の仲間、アストレイを捜しに来たが一歩間に合わなかった……。こうなれば全然話は違ってくる。さあ、急いでここから離れよう!」
激しく抵抗を示すミーサ。
「いやよ!! 二人を置いては……」
説得は無駄だと瞬時に判断した三人は、合図もなしにミーサを取り囲む。
「な、なに!?」
唖然とする彼女に何も告げず、詠唱が行われる。
息が当たる距離に立ち並び、彼女を中心に輪になる。
――選定移動
足元から現れた魔法陣は四人を包み、次の瞬間――消えて無くなった。
◆
――ここは、ミストダンジョン。先程見つけたモンスターを前に……。
「ほらどうしたの、行きなさい!」
そう息巻くのは一人の女性だけ。
他の三人の男たちは震えていた。
炎の魔人を前に、勇気を持って出て行くやつは、無知か自信過剰者だけだ。
そんな冒険者たちに構うことなく、魔人は地獄の業火を惜しげもなく燃やす。
炎の塊で出来た上半身は筋骨隆々に膨れ上がり、腰から下は徐々に先細りして見えない。
宙に浮く炎の魔人には足と呼べるモノがないせいなのか、異常に移動速度が速い。
間合いを一瞬に詰めて来るその姿に、たじろぐばかりの冒険者たち。
もう一度、今度は腕を振って指示をだす女性。
その手にある蒼い光りが効力を発揮したのか、冒険者たちは次々と戦闘体勢をとり、鋭い眼光に変え炎の魔人へ突進する。
今までのことを全て忘失したかのようなその表情、剣を持ち、弓を持ち、魔法を使い、闘い始めた。
炎の魔人の巨体から業火が飛び散り、辺りを燃やす。
それでも冒険者たちは気に止めること無く、ただひたすら攻撃を繰り出す。
己の体に業火が付こうとも、燃え上がる顔や足になっても攻撃の手を弛めなかった。
遠目で見れば炎の魔人四体がジャレあっている異様な光景。
それを、それこそ本当に遠目で眺めているのは、魔物使いのアーネスト・シルビアだった。
彼女が催眠魔法を掛けて指示を出していないのは明白だった。
仮にそうであれば、逆によかったとさえ言える。
催眠魔法は有る一定の痛みや恐怖によって解除される。
しかし、テイムされた相手にそれはない。
自我が破滅するまで闘い続ける。
そんなシルビアがテイムするのはモンスターだけではない。
人種にも使っていた。
それが証拠に、テイムが成功した時に現れる模様が手の甲に三つ、蒼く刻み込まれている。
絶対服従のテイム魔法。
――服従の霊
それを今、冒険者たちに使用している。
理性や知性がある人種にそれは効かないとされていたが、先の大戦中実際それが使用され、多くの民の命が失われたと囁かれていたが、本格的な調査は行われていなかった。
なぜならその昔、魔物使いたちが服従の霊を人に使用する人体実験が行われたが、理性や知性ある人種はそれらが邪魔して、大人どころか赤子さえ掛かることはなかった。
仮にそれが可能だとすれば、それこそ人智を超えた魔力が必要になり、それほどの魔力がある魔物使いなら、魔物をテイムした方が遥かに効率がいいとされていたからだ。
実際、人種に服従の霊を掛けるより、魔物に掛ける方が安易だった為、禁忌魔法として封印されることになるのだが。
しかし、『血の七日間』を生き抜いた人々の間ではこう噂されていた。
人形使い師、または死神は存在する、と。
人種をテイムするヤツはいるのだと……。
狩るのが楽しいかの、テイムするのが楽しいのか。
業火に燃える人の体を指差し、高笑いをするシルビアがそこには居た。
◆
王妃を乗せた馬車は、とあるダンジョンの前に来ていた。
昼間でもうっそうと生い茂る木々のせいで日の光りは遮られ、辺りはとても薄暗い。
一般人が用事もなしで絶対来ない場所。
「お、王妃着きました」
ありがとう、と馬車の内側から聞こえ、扉が開く。
王妃は辺りを見回すが、特段変わった様子は見せず、いつもの感じで降りた立ちダンジョンの出入口へ歩く。
「王妃! まさか中に入るのでは!?」
「馬鹿っ、そんなわけないでしょ。いくら私が……」
言いかけた言葉を止め、馬車の上から見守る護衛を睨む。
「なにやってるの。早く降りて来なさいよ」
「で、でもここは……」
「でもって、口ごたえする気なの? さあ、早く!」
仕方なく、といった感じで馬車から降りる二人の護衛たち。
彼らはここがどんな森か、このダンジョンがどんなダンジョンか、それを知っているからこそ渋るのであろう。
しかし、やはりそこは王妃の護衛。
わがままと分かっていても無理です、とは言わず。
王妃の前に立つ二人は震えている。
彼女はその二人に対してこう言った。
「ちょっと中を覗いてくるわ」
「えっ、だ、ダメです、王妃!! 先程お入りにならないと……」
「あーん、そうね。気が変わったわ……」
呑気にアゴに指を当て、そう答える。
「そんな……気が変わったからと言って、お一人でダンジョンに入るなんて!?」
「あら、いつ私が一人で入るって言ったのよ! まあ、いいわ別に。付いてこいと言うつもりはないから。じゃあ、ここで見張ってて。それだけでいいから」
自分はいかない、と案に言ってしまった護衛たちに反論する余地を与えず、王妃は踵を返し先へと進んだ。
残った護衛たちは、ただ見送るだけだった。
このダンジョンが世界三大ダンジョンの一つ。
ミストダンジョンだと分かっているからこそ護衛たちは、あのような態度をとったに違いない。
「人はだれでも自分が一番可愛いのよ。そうじゃなきゃ可笑しくなるわ」
見えなくなった王妃から、そんな言葉が流れてきた。




