015
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王妃は馬車に乗り、城下町までやって来ていた。
お忍び用なのは言うまでもないが、馬車の中の王妃はどこか不安げな様子。
あの報告を聞いた王妃は、宮廷の大廊で筆頭執事とひと悶着をやらかしていたのだ。
居ても立ってもいられない王妃は、少年の噂の真相を確かめるため町に出る、と久しぶりにわがままっぷりを展開したのだが、筆頭執事のブラウンに反対され、それを説得すべき大見得を切っていた。
「王妃、今、別の者が調査に出掛けております。それに昨夜の捜索……」
「えええぃー、うるさい、うるさい、うるさーい! そんなの待ってられないー! 直接言って聞いてくるー」
ジタバタする王妃に、ブラウンは冷静に問いかける。
「王妃。仮に出掛けられたとして、当てはあるのですか?」
「あ、あるわ。あるわよ! 当たり前じゃない……当然じゃない」
「ほー、そこまでご自信がお有りとは、ご存知あげませんで、申し訳ございません。筆頭執事として失格でございます……」
頭を下げるブラウン。
ちょっと言い過ぎたと自覚したのか、
「い、いいのよ。し、失格だなんて、大げさね。あははっ、大丈夫よブラウン。気にしないで……」
「ありがたきお言葉。では王妃の意志が変わらぬうちに、早速用意させますので、少々お待ちを」
ブラウンはそう言い残し、慣れない松葉杖をつき歩いて行った。
あっさりと承諾され、呆気に取られた王妃は肝心なことを聞き忘れていたのだった。
しばらくして用意されたお忍び用の馬車に乗り込むと、ブラウンが王妃を見上げ。
「王妃、分かっておいでだと思いますが、慎重にお話しください。もしかしたら、誰もこの噂を知らないかも知れません。ましてや黒い雲の話は決して……。下手にお話しなされ、それが却って混乱を招くやもしれません。くれぐれも言動にはご注意願います」
「わかってる、わかってる。さあ、行きましょう!」
「お気をつけて、いってらっしゃいませ」
「……えっ!?」
どうして、という顔の王妃に、ブラウンは澄ました表情を見せる。
「はい、今日は宮廷内で色々と用事がありまして、それではお願いします」
馬車の扉は静かに閉められ、静かし走り出した。
引くに引くない今のこの状況。
冒頭のような表情になるのも仕方が無いといったところか。
かと言って彷徨う訳にもいかず、ある場所を指定する。
というか、唯一の場所。
ここで何も得られなけば、それこそ現地視察しかなくなる。
そんな覚悟の表れか、止まっていた馬車の中で頬を二度叩く。
「頑張れっ私!」
馬車の扉を開け、颯爽と降りる。
二度目となる店の扉を開け、中に入って行く。
「いらっしゃい……」
「おはよう、マスター。今日はいい天気ね」
「は、はいぃー……!?」
言葉が詰まるマスター。
買出しから帰って戻っていたムーンが、お父さんを睨む。
「なによ、ボーっとして。ねえ、私の話し聞いているの!!」
と、そこに王妃が声を掛ける。
「ムーンちゃん、どうしたの? 朝からそんなに怒って」
「……ちゃん!?」
あっ、とだけ言ってムーンも固まった。
「なによ、親子して口あけちゃって。私は化物じゃないわよ。プチ悪女よ!」
自分で自分を弄った。
却ってそれが混乱を招いたのか。
「プチ悪女ーー!? ああー、ええー、お、王妃。どうなされました………………まさか、見つかったのですか!!」
「ううん、ごめんなさい。まだ見つかってないわ。今日はちょっとね……色々あって。ご、ごめんなさい。もちろん依頼は継続中だから心配しないで……」
徐々に声が細くなる。
目と口を丸くしていたマスターが、カウンターから出てくる。
「ありがとうございます。さぁ、どうぞどうぞ。汚い店ですが、お掛けになってください」
黙って椅子に腰掛け、小さく咳払いをする王妃。
「ところで、噂話知ってる?」
何の噂かは言わない。
たまたま口にしなかったのか、忘れていたのか。
しかし、それが功を制した。
「もう王妃のお耳にまで届いてますか!?」
「はっ!? そ、そうよ。私は何でも知ってるのよ……」
「それはそれは」
「ちょっとお父さん、それやめてよったく!」
なぜかマスターは手を揉んでいる。これは癖なのだろう。
ウンザリとした表情を作るムーンは、そのまま王妃に語り掛ける。
「でも、どうして王妃がわざわざ噂話を聞きにきたの? なんかあったの?」
普通に聞き返すその態度に、ちょっと困ったのか、王妃はアゴの下に手を当てて、テーブルに肘をついた。
――怪しい雲を見に行った二人は戻ってこず、オマケに残りのメンバーはダンジョン内でボロボロ。捜索に出掛けて、戻らないその二人を、今捜索に行かせているの――
とは、流石に言える訳もなく……。
しかし、偶然とは重なるもの。
「ムーン、余計な事を言うんじゃない。王妃は王妃で色々お悩みがあるんだよ」
「そっか。だって、いくら有名だからって魔物使いに用事があるなんてさぁ、普通思わないじゃん。あっ、もしかしてアイツなんか悪い事でもした?」
「あはは。えっ、ああ。そうね……」
何とかそれなりの返事を返すが、額に汗が浮く。
馴れないことはする物ではない。
必死に取り繕う言葉に、食い違いが生じ始める。
「そ、そうよ。悪い事じゃないけど、どんなヤツかと思ってね」
「当たった!? うわー。私って天才かも!」
「あはは……。で、ムーンちゃん。聞かせて貰えるかしらその男の話を」
「えっ男……、まあいいか。うんいいよ」
ムーンは一通り、昨日の店内の噂話を王妃に聞かせた。
特に強調して話したのは、今朝も同じクエストを受けに来ていたことだった。
どうやら彼女はこの部分に怒りを溜め込んでいたらしく、お父さんがまた言ってくれなかったから――どのうのこうのと余計な話がくっついたが、概ね理解できたのか、王妃は頷く。
「そっか、なるほどね。それは話してくれないマスターが悪いわよね」
「でしょ! ホント嫌になっちゃうわよ。私だけ知らないなんてさあ。店に来た冒険者に聞かれたら、大恥かくとこだったのよったく」
傍で愚痴を巻くムーンに、呆れ顔のマスター。
「これこれムーン。王妃の前でバラさんでも……」
「ダメよ、お父さん。昨日に続いて今日もだからね!」
腕組をして、プンっと上を向く。
王妃はそれを見て、なぜか悲しい目をしていた。
窓から入る風に顔を向け、遠くで嘶く馬の鳴き声を懐かしそうに見ていた。
「………………妃…………王妃。……どうされました」
遠くの声が近づく。
「えっ、なに!? どうしたの?」
慌てる王妃、マスターもムーンも一瞬驚く。
気に触ることがあったのかと椅子を引いて頭を下げる。
「すみません。内の娘が余計なこと申しまして……」
「あっ、違うの、気にしないで。ちょっとね、ごめんなさ。私もう行かないと」
席を立った王妃は挨拶もそこそこに、足早に店から出て行った。
「私、なんか不味いことでも言ったのかしら……」
困惑する娘をよそに、マスターは俯いたまま何も言わなかった。




