013
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――朝のギルド酒場。
「どうしたムーン、元気ないな」
「別に、お父さんには関係ないわ、ほっといて!」
「ほっとくの構わんが、朝の買出しは行ってくれよ」
「わかってる! 行けばいいんでしょ、行けば!!」
何があったのか、かなりのご立腹ぶりな様子で、荒々しく扉を閉め出ていくムーン。
マスターの鼻から落胆の息が出る。
仕込み中の手を止め、カウンターの横に折り畳まれた一枚の依頼書を手に取る。
――魔物使いアーネスト・シルビア
署名欄に書かれた名を呟く。
昨晩と同じ呟きをするマスター。
今朝早く、店に来ていたパーティーを思い出していた。
早朝だったこともあり、ムーンは居なかったが、開けたばかり店内に迷惑など顧みない足音が響いた。
一瞬目を見開いたマスターだが、嫌悪が表に出たのか、挨拶はしなかった。
一行の先頭を歩くその女性がシルビア。
マスターのことなど気にする風もなく、前日と同じ依頼書を手に取り、黙って署名を始める。
その間、垂れ下がってくる長い黒髪を耳の後ろにかき上げ、女性らしさを垣間見せたが、マスターの表情は相変わらず暗い。
シルビアの背後に立つ他の三人に目をやると、これがいかにも素人っぽく、言い方は悪いが三人ひと纏めにしても、たった一人のシルビアに敵わないくらい、実力差がはっきりと見て取れた。
しかし、きっと完遂する、とマスターは思っていた。
昨日のパーティーメンバーより遥かにマシにみえていたからだ。
毎回違うメンバーか、とマスターは諦め口調で呟いていたことを思い出す。
朝の優しい陽射しがマスターの目に差し込み、俯き、頭を振る。
いつになく苦痛に満ちた険しい表情でマスターは囁いた。
「シルビア、お前は何故戻って来た……危険な女だ」
◆
「どうする……」
「どうするもこうするもねえよ! ぶった斬ってやる!」
肩で激しく息をしているグレンは、「……そう……だな」と。
しかし、もう三十分以上は戦い続けている。
それなのに、一向に沈む気配がない。
弱る気配もなければ、傷一つ与えられないこの状況。
絶望と思える中、アストレイは三度剣を振るう。
「うぉーっ……」
弾き返され、グレンの後ろまで飛んできた。
慌てて駆け寄り、肩を支える。
「無理するな! 左腕だけじゃ……」
「うるさい、黙れ、何も言うな、引っ込んでろ!」
白魔物の鱗で出来た甲冑、外見は問題なさそうに見えるが、その中身は実は違っていた。
切断されていた左腕の先からは止血が意味をなくし、甲冑の隙間からも血が滴っている。
体は悲鳴を上げているに違いない。
それよりも明らかなのは彼女の表情。
粋がってはいるが、悲壮感が漂っている。
「もういい、ちょっと休め。後は俺がなんとかする」
「へんっ、笑わすな。二人で寄ってたかって自慢のワザを出しきって、傷一つ与えられない化物だ。お前一人で……」
「すまない、ちょっと黙ってくれ」
そう言ってアストレイの首に手を回し、詠唱し失神させる。
力の抜けた彼女をゆっくりと壁に持たれ掛けさせた。
立ち上がったグレンの目は狂気の巨人を直視し、ゆるぎない意志を伝える。
「繰り返させはしない……」
出来るかどうか不安があった。
それでも素早く移動し、アストレイから離れた反対の位置まで狂気の巨人を誘導する。
奥へ、奥へと。
大抵のモンスターに知性はない。
中にはサキュバスのような瞬間移動魔法を使い、攻めて来るヤツもいるが、どうやら今回はそっちではなく馬鹿の方らしい。
「助かったぜ……」
アストレイほどではなかったが、体力も気力も限界に近い。
気を失っている間に魔力は多少回復していたが、それも今までの戦闘で、ほぼ底をつきかけている。
「さて、いくか……。これで最後にしたいんだがな」
グレンが初めて詠唱を口にした。
リオンに教えた通りの仕草をして、腕を組む。
――闇に遣わし獣たちよ、断りなき契約の下、汝我が僕となり、我が名に下れ――契約したりし獣たちよ!
突き出した腕の下に魔法陣が現れる。
リオンの比ではない。
自分を囲むほどの魔法陣はグレンを中心に輝き、地面に刻まれた文字が浮き上がり、彼を光りの輪で包みこんだ。
眩いばかりのその輝きは、地面から生えた柱に見えた。
それがスッと消えると、そこにグレンの姿はなく。
一匹の獣が現れた。
――穹牙獣
全身灰色の剛毛で覆われ、その一本一本は針金の如く鋭く尖っている。
人の胴ほどある四本の脚には黒い爪が光り、尻尾の長さに至っては大人の身長を有に越えるほど長い。
目は三日月を模した細い形をしており、その奥には真っ赤な闘志が燃えている。
――憑依召喚。
召喚したサモンモンスターに、召喚士自身が触媒となり――憑依させる。
残りの魔力を考えると、自身を犠牲にするしかなかったのだろう。
低く唸る穹牙獣。
それだけで、狂気の巨人が一歩下がる。
馬鹿ではあるが、本能は動いているらしい。
穹牙獣が一歩、又一歩と前に出る。
圧倒的に力の差がある時に感じる、恐怖からだろうか。後退する狂気の巨人。
しかし結局、馬鹿は馬鹿だった。
意に反して動く己の体に苛立ちを感じたのか、両拳を頭に叩き付け本当に狂った様を見せつけ、クーガーに突進してきた。
ひと鳴き――遠吠えをする穹牙獣。
真っ赤な瞳を狂気の巨人に定め、四本の足が地面を鋭く蹴り飛ばした。
狂気の巨人とクーガーが正面から激突する。
◆
大地が割れんばかりに揺れ動く。
突然の出来事に、リオンもミーサもその場にへたり込む。
「地震??」
ミーサがリオンの上に覆いかぶさる。
大地の揺れに、頼りない葉や枝が遠慮なく落ちてくる。
「きゃぁー!」
「!?」
地響きの規模は大きかったが、一時で静かになった。
それが証拠に、軽い枝葉はまだ空中に舞ったまま。
「だ、大丈夫だよ、ミーサ」
「ううん。まだ何かあるかもしれないから……」
「いや、揺れは収まってるから……」
「分からないわ……」
そうじゃない、ミーサ。
覆うじゃなく、おぶさってる感じだったのだろうか、言ってはイケない事を言ってしまう。
「ミーサ、お、重い……」
軽く抜ける音がした。
「痛っ、なにすんだよ! これ以上賢くになったらどうするんだ!?」
「エルフに向って重いって! 失礼だわ!」
「はあぁ? 変なところで怒るなよ。つっか又、ボケ殺しかよ……」
いつもならここで笑っていられるのだが、どうやらその余裕はなさそうだ。
見下ろす近くの渓谷で、白い粉塵の煙がキノコを連想させる形を作って登っていた。
「なに……あれ?」
キノコの形をした粉塵に目を奪われていたリオンだが、返事をしないミーサをもう一度呼ぼうとした。
振り向いたその目前にリオンが想像するのとは違う光景だったのか、唖然として黙り込んだ。
ミーサは両手を胸の前で組み、しかも小刻みに震えている。
「どうしたミーサ? 何で震えてる、どうしたんだ!?」
呼びかけにも応じず、揺すってみても何の変化も示さない。
ただただ俯いて震えるミーサ。
「グレン……」
傍にいるリオンにも届かない程の小さな声で、ミーサは呟いた。
「お願い、グレン……」
祈るようなその声は、ミーサの中だけに響いていた。




