010
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ダンジョンから脱出し帰路についていた王妃たち。
皆、疲弊し絶望感が漂っていた。
水の精霊に担がれ、気を失ってる筆頭執事のブラウン。
傷つき打ちひしがれた弓使いのシンフォニー。
震える王妃。
彼女はずっと俯き歩いている。
ダンジョンの出入口の前でしばらく待ってみたが、カルファンとアストレイは戻らず、光りの羽は本来の役目を失っていた。
「王妃、大丈夫ですか?」
気遣いをみせるシンフォニー。
「ああ、大丈夫よ……。それより、ごめんなさい……」
「何をお謝りになられているのですか。もし、ダンジョンの件であれば、それは無用です。私もあのダンジョンのこと、うっかり忘れておりましたし……」
「いや、そうじゃなくて。私が変なことを言い出さなければ、もし、あの雲を見過ごして、捜索だけに集中していれば……」
「王妃。もうやめましょ。過去を反省することは大切です。でも、それでも、前を向きましょう」
額から流れる血は固まり、それでも微笑みかけるシンフォニーを王妃は直視することが敵わず、下を向いたまま歩き、鼻をすすり涙を溢していた。
◆
「ミーサ、泣いてるのか?」
「えっ、ああ、なんでもないのよ。ちょっと嫌な夢を見ていただけ……」
「そっか。グレンに苛められてる夢だなぁ。あんちきしょめ! 今度会ったら……」
リオンは悲しい目をし、唇を噛んだ。
「なあ、突然入って来たあいつは何者なんだ。いや違う……。沸いて来たあいつ……魔法使いなのか?」
「……わからないわ、私にも。ただ、魔法使いにしては……」
その時、部屋の扉が乱暴に開けられた。
「お前ら早く逃げろ!! 村の自警団が何やらかぎまわってるぞ。きっとあの雲が原因だろうが、それよりワイバーンだ! どうやらこの近くまで飛んで来たのを村人が見て通報したらしい。さあ、早く支度して!」
言われるがまま、支度。と言っても、ほとんど何もなかった二人は何も持たず、ティナーの案内で家の裏口から出て、村に流れる一本の大きな川に辿り着いた。
「この川に沿って歩いて行けば、明け方には国境に出られる。すまない、私が着いて行けるのはここまでだ……」
「いいえ、十分ですティナーさん。ありがとう御座います。本当に感謝いたします」
「そんなことは良いってことよ。困った時はお互い様だ。昔っからそう教えられってからさあ」
「ありがとう御座います。このご恩は決して……」
「さあ、堅苦しい挨拶は抜きだ。一生の別れじゃあるまいし。又、会おうぜ」
ティナーはさり気なく手を伸ばす。
ミーサは一瞬、戸惑った表情をみせたが直ぐに笑顔になり、手を差し伸べ、暖かく握り返した。
「はい、ありがとう御座います」
ティナーと別れる時、リオンは横で会釈するだけで終わっていた。
ミーサには気づかれないように、どこか訝しげな眼差しでティナーと別れた。
川沿いにしばらく行くと大きな橋が見え、欄干の下で一旦休憩を取ることにした。
「痛てぇー、石がゴロゴロして歩きにくいなぁ」
「河川敷だもん、我慢よ」
疲労が滲むミーサだったが、声は明るく努める。
「ねえ、今どの辺?」
「うーん。多分、上流に向っているから共和国の東の外れじゃないかしら」
「でさ、なんで逃げなきゃならないの?」
「……うん。ごめんなさい」
「なんでミーサが謝るのさあ、俺はただ……」
「リオンの気持ちは分かるわ。でも今は、取り合えず逃げましょう。彼が貴方にそうしたように……私は貴方を守り……」
「どうだ、居たか!! チッ、まだ先にか。クソッ、ちゃんと捜せ!」
突然、橋の上から声が聞こえた。
二人は息を飲み、硬くなる。
頭上をドタドタと複数の足音。
幾つものたいまつの火が水面を照らす。
「ここには居ないようです、隊長」
「よし、もっと上流を捜すぞ! 魔物使いかもしれん。気を付けて捜せ!!」
屈強な声は、やがて川の音色に掻き消されていった。
「ふーう、びっくりした。もう追い着きやがった!」
「どうしましょ。このまま歩いても……」
「ミーサ、いい事を思いついたぜ」
暗闇の中、遠くの山を見つめるリオンの目が光った。
◆
湿った感じ。
何となく覚えているこの匂い。
仰向けに寝かされたグレンは、そんなことを感じ取っていたのか、時折きつく目を閉じ、鼻をひくつかせていた。
それを見ていたアストレイが笑う。
「どんな夢を見ているのやら。飯食ってる夢なら叩き起こしてやるんだがな。クック」
喉に何かつっかえたのか、何度か咳を繰り返し、寝返りを打ったグレンの目が薄っすらと開いた。
だるそうに起き上がり、ここは……。
「お察しの通り、ただのダンジョンだ。夢の中に出てたんじゃねえのか?」
「……そっか」
「ここに入ったとたん、嫌な顔してたぜ。気を失いながらなぁ。流石は伝説のおっさん。一度入ったダンジョンは臭いで嗅ぎ分けるってか。クック」
グレンは何かを確かようと辺りを眺め、アストレイを見た。
「……そうか、やっぱり」
「そうだよ、閉鎖されたダンジョン。今は使われて無いから丁度いいと思ってなあ」
どこから集めたのだろうか。
アストレイの前には木が積み重なり、火が灯っている。
ダンジョン内で火を炊く、それはモンスターを呼び寄せることになると知らない訳ではない。
なのに、火は灯っている。
「知っているのか、このダンジョンを」
「ああ、駆け出しの頃よくお世話になったよ。そうさな、破壊されるまでは……」
彼女の目に映る炎の揺らめきをグレンは見た。
悲しげでもあり、それでいて真剣な眼差しをしている。
グレンはふと気付く。
このダンジョンにモンスターが居ないことを。
まったくと言っていいほど、モンスターの気配を感じないことを。
口を開くアストレイの言葉に確信を得た。
そうだ、ここが……。
「錬金術師ダンジョンに通じていたダンジョン。生きながら、多くの冒険者たちを閉じ込めた、呪われしダンジョンってか……」
いつもの笑いはなく、彼女はそう訴えた。
小さな蒔きが熱に耐え切れなくなり、崩れ、乾いた音を立て火の粉を舞い上がらせた。
無数に上がった火の粉は、ここで亡くなった冒険者たちの命であるかのようにあっけなく消え、闇に紛れた。
「ハップスか……」
「そう。皇帝陛下から地位と名誉。そそ、金もな。『薔薇の血』四代目にして最初で最後の功績を貰う事になった……見殺しの現場だからな」
グレンは穏やかに言う。
「お前の物言いがどうあれ、結局それが正解だ。小を殺し、大を助けた。俺はそんなヤツだ……」
グレンにそう言われたアストレイだったが、納得も不満もない様子で火が消えないよう、赤く光った炭を弄っていた。
熱で砕ける音がして、又火の粉が飛散する。
その音がダンジョンに浸透する。
静かなるその場所で、グレンはアストレイに言われた言葉を噛み締めた。
「見殺しか……」




