9.ゴールドラッシュ・ダンジョン ③
ずりずりとキメラ兵が脇に下がっていき、廊下に兵衛と吟人を結ぶ道が出来ていく。
容赦の無い命のやり取りへの一本道。
土壇場へ至る暗夜行路。
常人なら尻をまくって逃げるのが当然の状況。
(こういうのが好きなんだ。こういうのが。畜生め)
この異世界に来て、吟人は気づいてしまった。
自分には、そういう内面があるのだと。
仇討ちなんぞきっかけに過ぎない。
地上の博打狂いなど自分たちに比べれば遥かにましだ。
命を的にした試合を楽しむよりは、ずっと。
(俺もアンタとご同類さ)
吟人は静かに、獣の貌をした兵衛へそう告げた。
――彼我の精神性はさておき、置かれた状況には格差がある。
獅堂兵衛は自分のフィールドに吟人らを誘い込んだのだ。既に心理的優位に立っている。
着物にもたすき掛けを施し、木張りの床を程よく噛みそうな足袋を履き、袴で歩法を読ませにくくしている。
環境に即した備えを万端整えている。
得物にしても、長物の取り回しに難のある屋内で槍使いの優位を確保出来ない。
既に一歩、二歩、出遅れている状況だ。
しかし、戦場で「待った」をかける道理などこの宇宙のどこを探してもありはしない。
それだけの用意をした兵衛が周到で、上手なのだ。
不利をただ嘆いて討ち取られてやるつもりがないなら、手を尽くすしかない。
――吟人にとって、有利な点が一つある。
相手と違い、こちらには味方がいる事だ。
――ごと、と音が鳴った。
吟人の首から降りたアルヴが、キメラ兵の一人の腰に駆け上り、装具を固定するカラビナを落としたのだ。
示し合わせたタイミングで、吟人は踏み足の親指で床を噛んだ。
さりげない動作だが、あまりに大げさだと兵衛はこちらの意図を看破すると読んだ。
「――ッ!」
横合いからの音と、吟人の踏み込みの予兆。合わせればさすがの達人もフェイクに引っかかった。
自ら踏み出し、斬り合いの間合いに入る。
――その速度は、敵を加護を受けた勇者と見積もった吟人の予想よりも更に二枚は上。
余人の眼に追えない捷さで、槍の間合いの内側に潜り込まれた。
槍本来の間合いで戦っていれば、この一合で決まっていた。
吟人は引手で柄を滑らせ槍を後退させ、穂先を懐に呼び込んでいた。
斬り下ろしと突きが交錯し、互いに空を切る。
相打ちになると悟った両者が、狙いを外して回避に専念したのだ。
「カッ」
一歩退いた兵衛が、魔物の哄笑を放つ。
「この期に及んで仕掛けを打つか。ガキの癖に心得ておる」
「そっちこそ。大した脚してんじゃねぇか」
「こちらは韋駄天の加護を受けた勇者ぞ」
韋駄天神話はいくら西まで行ってもインド止まりでギリシャ神話のヘルメスとは何の関係もないのだが、そこは昔の日本人らしい解釈をしたという事か。
「遊びで済まなそうな死合は、久々だ」
獣の貌で、兵衛は言った。
襖を蹴り倒して、二人は飛び込むように部屋に入る。
十畳の茶室。
吟人は突きを三手放ちつつ後ろに飛び退る。
放った刺突は横飛びであっさり回避された。
(織り込み済み!)
既に吟人は茶室の中央、釜鎖に引っ掛けられた茶釜を見つけている。
石突で取っ手を引っ掛け、頭越しに兵衛へと放り投げた。
避ければ先回りした槍に突き殺される。受けても顔面を狙った茶釜に視界を塞がれ一手遅れる。
兵衛はそのどれも選ばない。
「ぬおぁッ!!」
畳を蹴り抜き、ひっくり返して盾とした。
「忍者漫画かよ!」
「某の時代では現役だ!」
兵衛は畳を相手に押し付けるように蹴り飛ばした。
続く袈裟斬りで畳ごと吟人の身体を両断しようとして――
畳表を貫き通す鋭い突きを、半身になって躱す。
身の締まった藺草(この世界の、似たような植物に過ぎないが)をあっさり貫通した膂力一つとっても驚きだが――吟人はその場で連撃を放って見せた。
「なんッ! とォッ!」
畳に塞がれ視界のきかない中、勘で突きをいなしつつ兵衛は叫ぶ。
応戦の斬撃を放つ。
瞬く間に畳は解体され、ばらばらと茶室に落ちた。
相手が視界に収まると同時、兵衛は脛切りを放った。相手の注意が上半身に行く、その瞬間を周到についた奇襲。
しかし、吟人は石突を地面に突き立て柄で防いでみせた。
(ちぃっ!)
追撃の打ち下ろしを右に転がって避け、兵衛は左――屋敷の庭へと飛び出した。
吟人もまた、朝もやの漂う庭先へ降り立ってくる。
――既に四半刻戦い続けている。
兵衛がダンジョンの意志に働きかけ構築した〝武家屋敷風フィールド〟は見る影もなく傷つき、穴だらけだ。
兵衛にとり、ここまでやって仕留められなかった記憶は絶えて久しい。
そもそも並の戦士なら、最初の斬り下ろしで終わっていただろう。
――勇者であってさえ。
〝異世界勇者狩り〟は時たま兵衛が楽しむ娯楽の一つだ。相手が日本人であればなお面白い。
どうも日の本の戦乱は数百年後に終わったらしく、その時代の連中は兵法のいろはも知らない加護頼みの素人だ。
借り物の力で増長した英雄気取りのガキを軽くあしらい、顔を縦に割ってやるのはなんとも胸がすく。
骨を食んで泥水を啜って生きた文字通りの餓鬼だった兵衛にとって、平和を貪りこんな世界に喚ばれてもゲーマー気取りで危機感の欠落した現代日本人など、嫉妬と憎悪の対象でしかない。
だが、この男はなんだ――
あらゆる攻め手に対応し、背筋の凍る突きを放ってくる。
先程の口ぶりでは奴は勇者を辞めている。神気の類も感じない。
神の加護を失った現代日本人が、屍山血河を友とした人斬りに難なくついてくる。
殺人術への才能と情熱を持ち合わせた、狂人のご同類という事か。
「楽しいな、黒沢よ。お主がここに来たのは某に会う為だと、運命を感じずにはおれん」
思わず、兵衛の口からそんな言葉が生まれ出る。
が、吟人はけっ、とつまらなそうに返してきた。
「気持ち悪いコト言いなさんな。俺ぁここには仕事で来た」
「?」
「イマイチ割に合う気はしねぇが、魔導王の嬢ちゃんの仕事は受けねぇとな。日本に帰る手立てを失っちまう」
その答えは。
兵衛を苛立たせるのに十分だった。
「帰る、だと?」
「ああ、そうだ。俺ぁ元の世界に帰る。なんとしてもな」
――くだらない。
これだけの武才を持ち合わせた男が、平和な世界に帰ってなんとする。
戦場というこれ以上ない居場所から離れて、つまらぬ人生を送るだけではないか。
かつての自分のように。
「……興醒めする事を抜かしてくれる」
腹にたまる埋み火のような怒りが、兵衛を高ぶらせた。
「長く遊びすぎた。終いだ。お主を斬って、他の連中も斬り捨てて、後は酒でも喰らって眠るとする」
構えを取った。
基本の、青眼の構えであるが――それを見た吟人が背筋を緊張させた。
勝負手を打ってくると、悟ったからだろう。
全く勘が良い男だ。
しかし、何をしてくるかまでは読めまい。
(《天靴》)
兵衛は、己が使える唯一の呪文、自身の霊体に仕込んだ神器の起動コマンドを唱えた。
足袋と袴の内側の脚に光の線が走り、強力な神気が宿る。
韋駄天――俊足の神ヘルメスの真骨頂たる、究極の走力補助。
最初に吟人に見せたのと比較して数十倍の速度の踏み込みが可能になるだろう。
最早人類の眼で捕らえられる速度ではない。
その、まさしく神速によって敵を斬り抜けるのが勇者としての獅堂兵衛の奥の手である。
対手もまた、深い呼吸と共に己の心身を練り上げているのがわかる。
必殺の瞬間。
その後に、立っているものは必ず唯一人。
(某だ)
達人らしい強烈なエゴイズムで以て内心で告げて、兵衛は飛び出した。
一瞬で八間の距離をゼロにする、その疾走が、
(な に?)
その半分で、止まった。止めざるを得なかった。
皮膚の脈動まで見てわかる至近距離に、敵は立っていた。
(某と同じ歩法を? いや、)
脇道にそれかけた思考を全霊で修正する。
ともかく吟人は、兵衛の踏み込みに合わせて自らも前に出て距離を潰したのだ。刀剣の役に立つ間合いではない。
だが、吟人の得物も槍。
この超至近距離で何が出来る――
(――ッ!)
濃密な殺気に、兵衛はとっさに首を傾ける。
が、躱し切れなかった。
強烈な衝撃を覚えると同時、首筋に熱さを覚えてよろめく。
頸動脈を、深く切り裂かれていた。
失血のショックに、兵衛はくずおれる。
見上げた吟人の、突き出した右腕の先が高熱を持ったように紅く輝き、兵衛の血がこびりついている。
「手刀……いや、手槍、か」
「まだ、得物には魔力を載せるっつう感覚をモノに出来てねぇんでな……今回は、それがむしろ上手くハマったけどよ」
吟人は一歩下がり、捨てた槍を拾い上げる。
「アンタは迂闊だったな。その神器、まだモノに出来てねぇんだろ。だから俺の踏み込みに対応し切れなかった」
「チ……某も、借り物に頼って無様を晒すくちか……」
つい先程自らが天に吐いた唾が降り掛かった。そういう事だ。
自嘲気味に兵衛は青ざめた顔で笑う。
「しかし……初見で、某の奥義を制するとはな。大した捷さ、だ」
「別に、そっちの神器並に動けるワケじゃねぇよ。アンタの奥の手を読んで、先に踏み出しただけだ。入り身の捷さが自慢にしちゃあ、初手以降大人しかったからな。更に上があると踏んだ」
「……なんとも」
軽々しく言うが、それは兵衛の次手を読み切る想像力、それに命を預ける勝負度胸、踏み出しの機を見誤らない機眼、神器で水増しした速力に対応する体術……必要なものを数え上げればキリがない。
「その若さで、そこまで至る男は、初めて見た」
「馬ぁ鹿。天辺に比べりゃあ、一合目にも届いちゃいねぇさ」
「は……死に行く人間に、なんたる言い草よ」
恨みがましげに兵衛は言った。
この首の傷は深手だ。勇者の加護があっても一刻生き延びられるかどうか。
癒やしの力を持つ者も近くにはいない。
「これ以上邪魔しねぇなら、死に場所くらい選ばせてやる。――トドメが欲しいならそうしてやる」
「無用……人斬りとしては、上等な方の末路だろうよ」
ふらつく首を振って、兵衛は告げる。
「〝だんじょん〟の意志の〝あくせす権〟もくれてやる……だから、二つ某の問いに答えてはくれんか」
「……なんだ」
「――これまで、何人殺した」
吟人は即答した。
「アンタを含めて四人だ」
「少ない……少ないな……」
この、あらゆる勢力が鎬を削る敵ばかりの世界で、これだけの力を手にした男の殺人歴にしてはあまりに少なすぎる。
それ故に、悲しく、哀れすら催す。
「これ程強くなるのだ。ただ才能だけではない、武への情熱もあるだろう……そんな男が、無数の命のやり取りの中で四人しか殺さない――殺せないような倫理観に基づく世界に、お主は帰れるのか?」
「……」
「なぜ、元の世界に帰るなどと願う? 思う存分、その力を振るいたくはないのか? 武を極め、並ぶ者のない武王の座に至る事もお主なら決して不可能では」
「うるっせ。二つ以上言ってんぞオッサン」
兵衛の言を遮って、吟人は告げた。
「俺ぁハラ決めたんだ。何が何でも帰るって。あの雪山でな」
彼の脳裏には、コキェト大連山脈での魔神騒動の光景が蘇る。
あの時、山向こうの海岸から帰ってくる「武の天辺」が、戦い抜いた彼を迎えた少女に「ただいま」と言った時に、吟人の心は完全に定まった。
「透子はもう俺の事なんざ忘れてるかも知れねぇ……だがよ、待ってるかも知れねぇなら、俺は絶対に、あいつの所に帰らなきゃなんねぇんだ」




