5.正面攻勢(賭場荒らし) ②
天使の腕と悪魔の腕の門構え。
その向こうにあるカジノの佇まいは、中央大陸でも有数の芸術都市であるアルテナ皇国西都オーロレアの大歌劇場に倣ったのだろう、巨大なドーム状の建造物だ。
周囲を滞留する光精霊が色とりどりのライトアップを施し、絶えず打ち上げられる花火が更に彩りを重ねる。
辺境とは思えない、現代魔導建築の粋を凝らした幻想郷。
「いやぁ、豪華だねぇ。是非遊びで来たかった」
「はっ、綺羅びやかなガワの中のドロドロに腐ったハラワタが見えるようじゃ。裏で、何がカジノの景品扱いで取引されとるか知ったら近づきたくもなくなるぞ、グライカントくん」
先頭を歩くゼノンが、呑気なグライカントに告げる。
「――では、出陣じゃ」
夫と市長たちを引き連れ、悠然とゼノンは正門に足を向けた――
「お客様、ノータイの御方の入場はお断りさせて頂いております」
いきなりジーパンアニメT男がドレスコードに引っかかった。
(うぁああああっ! やっぱりぃいい!)
ゼノンは内心で大いにテンパった。
勢いでごまかせるかもと期待して大仰な台詞まで吐いたのに。
(ど、どうしよう。催眠魔法かけて強引に入っちゃうか)
などと懊悩していた所で、
「――退いとき。アタシの客や」
焚きしめた香の薫香を先触れに、一人の男が現れる。
蝶をあしらった羽織を美々しく着こなす黒髪の男。
「は……アラエモン様!?」
歓楽都市フシミの黒の長、〝毒蝶〟アラエモン・ベスター。
「はぁ……つくづく雅やないねぇ、アンタら。しゃあからいつまで経っても下足番三下なんやぁ……天然モンの極上の宝石や、型にハメない方が雅やないの。この方がいて、ウチの庭の品格を損なう事ぁないわ」
と、妙に色気のある流し目をヴェルに送る。
(ん゛ん゛っ……!?)
ゼノンはなぜか警戒心を呼び起こされ、夫とアラエモンの間を塞ぐように立った。
「あらぁ、こちらは可愛らしい小ぶりな紅玉やわぁ」
(んん~!?)
今度はこちらを舐めるように見始めたアラエモンに、十四歳の無垢な思春期少女は理解が追いつかない。
「――ようこそ、ゴールドラッシュ・カジノへ。当店の支配人、アラエモン・ベスターにございます。魔人王ヴェルムドォル様、魔導王ゼノン・グレンネイド様。当店のスタッフがご無礼を致しましたこと、平にご容赦下さいませ」
口調を一変させた口上とともに、羽織をぶわりと雅やかにはためかせ、匂い立つ男ぶりを示し一礼するアラエモン。
(……何者じゃ?)
(この世界の人間ではないな)
ゼノンの思念通話に対応するヴェル。
(異世界からの勇者っちゅー事か?)
(元か現役かは知らん。だが、魔人の見立てに最も慣れているのは連中だからな)
わざわざ長の一人が魔人王を出迎えに来た理由が、それだろう。
彼らは、自分たちを逃がすつもりはないと示している。
「今日は楽しみに来た。アラエモンくん」
「ええ。ご歓迎致します、ゼノン様」
店内の内装も、外見に劣らず――それ以上に、贅を尽くしていた。
ルーレットやブラックジャックのテーブルなど、各所に金をふんだんに使い、道化師やバニースーツを着た女性スタッフが所々にいて大道芸や飲み物を提供している。
何よりゼノンが目を見張ったのは、入場時に手渡された一抱え程の袋である。
《大きな小袋》という魔道具だ。
――この世界での金銭取引で、最も問題になるのは何か?
それは、「貨幣の重量」である。
この世界では、実体貨幣である金貨・銀貨・銅貨が未だ流通している。
紙幣は発展しなかった。
魔導技術で簡単に偽造が出来るからだ。
偽造対策も出来なくはないが、莫大なコストがかかる。
逆に鋳貨は、金の精製が錬金術の一大テーマという程に困難であった為に、文明が発達しても生き残った。
だが、鋳貨は重量がかさむ。
買い物によっては、数十キロの財布を抱えて歩く羽目になりかねない。
そこで生み出されたのが《大きな小袋》である。
内部に異空間を構築しており、重量と体積をごまかしている。
吟人などはこれを見た時「四○元ポケットじゃん」などと言ったが、よく分からない。
大口の商取引で用いられる《大きな小袋》を、当たり前のように客に貸し出している。識者からすれば驚きの光景だろう。
――スロットマシーンも、技術の粋を凝らしている。
吐き出すコインは本物の金貨。
内部にカジノの大金庫と空間接続されており、補充の必要を省いているのだ。
もっとも、接続されている大金庫はカジノの常備金であり、グレイマンの蓄えるマネーロンダリングの原資は別にあるのだが……
「大したモンじゃ。中央大陸の賭博場でも、これだけ完備されている例は少数じゃろう」
カジノは基本二十四時間営業。
施設の維持費と人件費だけで莫大な費用がかかるだろうが……そんなものは屁でもない程に、ここでは金が飛び交っている。
チップでなく、本物の金を賭金として博打に興ず。
たまらない快感に、客の眼の色は金色にくらみ、明日の人生を灯す金を惜しげもなく闇に投じていく。
熱狂の渦であった。
「おーおー、アホウどもが踊っておるわ」
その様子を入り口すぐの踊り場から見下ろし、ゼノンは人の悪い笑みを浮かべる。
「……まぁ、助かりました。耳を隠すの、疲れるんですよね」
バニーガールを見たアンリが、ほっと息を吐いて豹の耳を露出させる。
店内では貸衣装もやっているようで、仮装した客も多くいた。
確かにこれならば、キメラの肉体も不自然には取られないだろう。
「尻尾は出すなよ、アンリ。中和剤は飲んだな」
「ええ」
――店内での飲食物には、確実に毒が混入されているだろう。
死毒の類では無かろうが、判断力を鈍らせる麻薬を摂取させ、行動を制限させるくらいの事はして当然。
原則カジノでの飲食は断るよう指示しているが、避けられない時の備えに毒物の中和剤を市長たちには飲ませている。
魔人王と魔導王には、元より必要のない処置だ。
「俺は何をすればいい?」
ヴェルが問いかけてきた。
「好きなので遊べばえーよ」
「……楽しめそうにはないのだがな」
と、彼は周囲をつまらなそうに見渡す。
「ま、そこは仕方あるまい。わしらはここに、遊びに来たわけじゃないからの」
ゼノンはそう告げて――階段を降りる。
ゲーム場の、ブラックジャックのテーブルの空席につき、ディーラーに気楽に声をかける。
「ここ、いーかのー」
「ええ、レディ」
完璧に隠したつもりだろうが、声色に若干のこわばりがある。
あらかじめ言い含められているのだろう。
「ルールはご存知で?」
「ん。昨日ルールブック読んだ。〝こどもでもわかるぶらっくじゃっく〟じゃ」
「……私の息子も読んでますよ」
ムンドの市長一味とグレイマンの確執を知っていれば、挑発と取っただろう。
微妙に、周囲の客には分からない程度にディーラーは唇の端を歪ませた。
――狡い。
そう思ったようだ。
セリオンを支配する巨人に噛みつき、歯が立たぬからとカジノのディーラーに矛先を向けているのだと。
所詮はお子様だ、と。
いつも通りの仕事をして、賭金と配当の帳尻を程々に合わせてやればいい。
そう、目の色が言っている。
(うん)
やりやすい。
完璧なるカモだ。
「――じゃあ、お願いしますね。お兄さん」
少女は、ひどく妖艶に微笑んだ。
数時間後。
カードを見るのも嫌だという顔のディーラーに、冷酷にゼノンは繰り返した。
「ヒット――ヒット――ヒット」
テーブルに重ねられたゲスト側のカードの示す数字は、21。
「ブラックジャック」
テーブルの両脇に金貨を山と積み上げたゼノンが言う。
とうとう、我慢しきれずにディーラーはうめいた。
「どう、して」
かすれた声は、後に続かない。
ゼノンはそれを引き継いだ。
「どうしてかのー。いやはや、バカヅキじゃのー。日頃の行いが良いからかのー」
まさに棒読みである。
ディーラーの脳裏を埋め尽くす疑問は、彼女が今しがたルール上最高の役を引いた事ではない。
ブラックジャックは、勝ったり負けたりを繰り返すゲームだ。
引き当てる役の良し悪しはさして重要ではない。
最高役も、ポーカーのストレートフラッシュなどと比べれば実に出現しやすい。
ディーラーにとっての大問題は――眼の前の少女が、勝つ時にだけ高額を賭け、負ける時には二束三文の金しか積まない事だ。
恐ろしい程確実に、儲けを積み重ねている。
「魔法使いにタネを聞くなど愚かの極みじゃぞ、ディーラー――カジノの眼でずっと見ておるのじゃ。自分らで答えを見つけ出せ」
ディーラーの顔がこわばり、天井の一点を思わず振り仰いだ。
――このカジノは、不正対策も大国並。
怪しい者には人工精霊による監視がつき、一挙手一投足まで観察して不自然な動作を見逃さない。
途中からディーラー(と、彼に繋がっている裏方のスタッフ)は、ゼノンのいかさまを見破り追い出す事に活路を求めているが、今をもって手がかり一つ見いだせない。
アレをやっているのは、間違いないというのに!
――カウンティング、という技術がある。
配られたカードを記憶し、山札の配分を予測するというもの。
しかし、目まぐるしくカードの行き交う勝負の中でのカウンティングは容易ではなく、何よりそれはただ戦略の材料になるだけ。確実に勝てるなどという都合の良い裏技ではない。
相手は魔導師だ。
記憶と確率計算を代用する人工精霊を使うというのは十分あり得る話で、ゴールドラッシュ・カジノ歴戦のスタッフならば、その兆候が出た時点で即座に看破する。
なのに、数時間を投じてもこの少女の使役する人工精霊を見破る事が全く出来なかった。
彼女の隠蔽技術は、自分たちの遥か上を行っているのか――
(使っとらんよ、人工精霊なんぞ)
ゼノンはひとりごちる。
出来なくもないが、やる必要を感じない。
彼女はカードの配分の記憶、それに基づく確率計算、ひいては戦略の構築。
その全てを、自分の脳だけで行っていた。
(楽なゲームじゃ。ここのスタッフ全員とやっても負ける気がせん)
追加の《大きな小袋》を注文しつつ、ゼノンはテーブルの外に目を向けた。
ルーレットのテーブルの周囲に人だかりが出来ており、同じように脂汗にまみれたディーラーが拷問を受けているような顔でボールを投じている。
同じように、金貨を山と積み重ねたヴェルがつまらなそうに頬杖をついている所だった。
――ディーラーの指からボールが離れた瞬間に、彼は賭金をインサイドベットエリアに置いていた。
ボールがどこに落ちるか読み切っている。
彼の三重魔眼は時間軸を読むが、そんなものを使うまでもない。
周囲の空気の密度、ルーレットの材質、そしてディーラーの心理状態と肉体から導き出される動作。
それらを一瞥すれば、投げられたボールがどう挙動し、どのポケットに入るかなど手に取るように分かる。
――それどころか。
「おい、小僧。まだるっこしいから先に置かせろ」
「……は?」
「次に貴様は赤の32に投げる」
と、ヴェルは金貨を予告したエリアに無造作に置いた。
「ほら、さっさと投げろ」
「は……は」
ディーラーの声は乾いていた。
彼は確かに狙ったポケットにボールを投じる事が出来る。
しかし、何度も何度もこの男に当てられて、完全に指運に頼るようになっていた。
何より、もう、狙った所に投げるなどこの震える指では出来そうにない。
だと言うのに――投げたボールが、そこに入ってしまう気がする。
この男は、この空間の全てを支配している。
そう痛感するのに十分な数時間だった。
「は……」
諦観とともに、ディーラーはボールを投じた。
――予告通り、赤の32のポケットにそれは吸い込まれていった。
(あっちも問題無さそうじゃな)
ヴェルの様子を見やってうなずくと、ゼノンはもう一度自分のディーラーへと視線をやった。
既に怯えの色濃い男を更に絞り上げようと、最適戦略を組み上げる。
――わしがヴェルと遊んでる間、おまえらは強盗稼業に勤しむがよい。
そうは言ったが、意味もなく遊興に耽るつもりはない。
ここで荒稼ぎすれば、カジノの魔導的リソースはゼノンとヴェルの監視に少なからず割かれるようになる。
既に裏口から潜入しているリューミラたち強盗班の手助けになるだろう。
「正面攻勢じゃ」
(陽動を兼ねた、な)
ゼノンは、ディーラーに――その向こうのカジノを管理する者たちに告げた。
「丸裸になるまで剥ぎ取ってやるから、覚悟するんじゃな」




