26.王に至る物語
かくして、その男は魔神を殺し、伝説となった。
ケィルスゼパイルというか弱い魔人は、常にその物語の中心に近い場所に立ち続けた。
男の物語の、端役に過ぎないと自覚していながら。
そして、男の物語はそこで終わらなかった。
現在の魔界の長とも言える立場の冥獄の魔神は、計略を弄する神だった。
仇敵であるはずの神界と密約を結び、天使を地の魔神の領域に送り込み、危険分子の魔人王を滅ぼしにかかったのだ。
――ならば、神も魔も敵とし、戦いましょう。
ケィルスゼパイルは彼にそう進言した。
――あなたなら出来る。あなたは、最強であり、不敗の、魔人王ヴェルムドォル。あなたの手は何だって掴める……
昂揚と共に、男を称える言葉を述べながら、こうも思ってはいなかったか?
また、物語を続ける事ができる、と。
神界への侵攻は難航した。
そこへ至る為の聖地を封鎖され、人類神は魔人王を人類の敵と吹き込み尖兵とした。
無数の、勇者と仕立て上げられた人間と諸国家の軍隊を相手取りながら、戦力を次第に減損させつつ魔人王の軍は聖地を目指す。
軍勢による戦争は、ケィルスゼパイルにとって密かに心躍る展開だった。
自身の智慧と労力を厭わない忠誠心を発揮して、兵力を維持し、有利な状況での戦いを演出する。
自分は、彼の役に立っているという手応えを強く感じた。
しかし、夏の如き至福の時代は長くは続かない。
――あの男が、魔人王と出会ってしまったから。
魔導王ゼノン・グレンネイドは、神にも魔にも属さない無頼漢だった。
ふらりと現れて、お前との喧嘩が面白そう、などと全く意味の分からない理由で、魔人王に戦いを挑んできた。
そしてその男は――信じがたい事に――魔神すら超越する力を持つ人間であった。
天災の巻き添えを喰ったような戦いに、いつしか魔人王はのめり込んでいった。
彼の心境の変化が、理解できなかった。
何度も彼を諌め、神々との闘争へ引き戻そうと試みた。
しかし彼は、いつだって魔導王に挑まれればそれに応じた。
あたかも、唯一の理解者を得たかのように。
あの男は、ある日、魔人王へ言った。
――お前、いつまであの手下どもとつるんでんの?
軽々しく、小馬鹿にするように。
――老婆心ながら忠告するけどのぉ、ワシらみてぇな、唯一無二の強さを持っちまったモンは、一人でいた方がええ。
――ワシに何が分かるじゃと? そりゃあ、数百年生きた分、色々とな。
――だってお前、地の魔神を殺った時点で、もう大きな事をやる気無かったじゃろ?
――お前が憎かったのは、自分の頭を押さえつける親一人じゃったのに、あれよあれよと人界まで引きずり出されてきおった。
――お前の、周囲がそれを許さなかったんじゃろ?
――お前のような大きな存在は、大きな物語の中心にいなければ駄目だ、と。親への恨みなんぞという小さな動機なぞ許さん。もっと万人の自由だの、世界征服だの、そばにいる者が夢の見れる言葉を吐き、戦え、ってな。
――迷惑な話じゃ。連中の話をまともに鵜呑みにしてたら、安酒も飲めんし夜鷹も抱けん。
――お前は、連中と一緒にいる限り、小人たる事を決して許されん。
――例えば、女に本気で惚れるとか、そういうのな。
――王にふさわしい物語の枠組みの中でしか他者を愛せないなど、そいつぁ偽モンじゃ。
――つまらん、奴隷の生き方よ。
――そんなモンを続けるくらいなら、手を切っちまえ。あの、激弱で、人の背により掛かる事しか出来ん、自分の力では決して立たん連中なんぞとはな。
そして、唐突に物語は終わった。
魔導王との最後の戦いに赴いた魔人王は、彼の者に敗北し、月に封印された。
断じて、許される結末ではなかった。
あの男は、勝手に、一人で、戦う事に何の益もない敵との決着をつけに出向いて、そして負けて、いなくなった。
ふざけるな。
ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!
だったら私は、何の為にあんたについていったんだ!
――そして、気づく。
魔導王の言った事は、正しかったのだと。
己は、目映いほどに強かったあの男に、己の夢を投影していたに過ぎなかったのだ。
おぞましくも許されざる、弱者の寄生。
そうと気づいたからには、あの男に見ていた夢からは、覚めなくてはならなかった。
そして、夢から覚めたのならば。
挑まなくては。
己が魂の全てを賭けて、至らなくては。
王の見ていた、高みの座に――
―――――――――――――
二百年かけて、この日の為に準備をした。
憑依、霊媒に特化した下級魔人とは言え、魔神を降霊して、逆に乗っ取るなど無謀を通り越して馬鹿げた考えだ。
そこに針の穴ほどの活路を見出す為に、魂を削るかのような修練を重ねた。
技の訓練ばかりもしていられない。
その機会を作るには、魔神に取り入らねばならなかった。
魔界の反逆者が、魔神の降臨などという大儀式をまかされる程の信頼を勝ち得る――尋常でない努力が必要だった。
その為に、復活したあの男まで売り渡した。
結果として、彼は冥獄の魔神に、弟神を人界に喚び込む計画を任せられた。
待ち続けた機会を、手に入れた。
そして、そこまでだった。
おおおぉ るぉおおおおおおぉぉおおお おおぉおおおん おお
ひとかけらの破片にまで精神を消し飛ばされた彼は、氷獄の魔神の膨大な力の奔流に飲まれながら、かすかな思考を漏らすだけの存在になっていた。
愚かだった。
魔神の大海の如き精神体に、雫一滴のような自分が飛び込んでいけばどうなるかなど明らかだったのに。
あるいは。
あの日から己は、遠回しな死を欲して歩いていたのに過ぎないのか。
踏みしめてきた道、歩いてきた足跡は、その決意は、はかない幻に過ぎなかったのか――
がんがん、と。
ケィルスゼパイルを取り囲む自我の殻を、叩く音がする。
猛烈な衝撃。
ある男の、閃光のような拳を思い出す。
あれは、だれだったか……
――ふん、身の程知らずにも魔神を取り込もうなどと、貴様如きが大それた事を考えたものだ。
やがては腹立たしい言葉まで、響いてきた。
おお、なんとも、憎らしい声。
――業腹なのが、そこまでの存念を抱いておきながら貴様が魔神なんぞに負けそうになっている事だ。ふざけるなよ。さっさと立て。
ふざけるな、だと?
それは、こっちの台詞だ。
本当は貴様が封印を破ったあの時、山程文句を言いたかったのだ。
貴様こそ負けた癖に、偉そうな事を抜かすな!
――立てと言っている! 貴様、それでも俺の腹心か……!
今更、王のような面をするな!
貴様など、私の王ではない!
私の王は、私の、王は――
うぉおおおおおおぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!
―――――――――――
そして、白き巨人は再び目を見開き、立ち上がった。
――いや。
その、瞳が、翠色の揺らめく薄靄をまとっている。
【……久しい、な、ヴェルムドォル】
巨人は、夢から覚めたような倦怠感混じりの声音で、ヴェルへと呼びかけてくる。
【ああ、一年ぶりだ。ケィルスゼパイル】
ヴェルはそう応じた。
氷獄の魔神の魔性の神気はそのままだったが、分かる。
ケィルスゼパイルの精神が、その肉体の手綱を握っていると。
彼は、ゆるり、と開いた両手を重ね合わせ、神威を解き放った。
彼らのいる海底を中心として、凍てつく波動が幾重にも放射され、海面の凍結を広げていく。
【……力を、手に入れた。ようやく。望んでいた、力を】
神そのものの力を意のままにした、その余韻を味わうように、彼は呟いた。
ヴェルは、問いかけた。
【力を得て、何を望む。ケィルスゼパイル】
果たして、彼は答えた。
【王位を】
白く、高貴ですらある魔性を放ち、
【私こそが、魔人王となる。神々も魔神も殺し、魔人を解き放つ解放者となる】
その回答に、ヴェルは平坦な声で応じた。
【そうか】
みしり、と海底の大地にひびが入る。
魔人王の極限に練り込まれた魔力の重みが、そうさせていた。
【その名を名乗るならば、すべき事は決まっているな】
ヴェルは腰を緩く落とし、右拳を腰だめにして左手刀を掲げた。
【――ああ、決まっている。当然の事だ】
ケィルスゼパイルも構えをとった。
両の掌を開き、顔の前で掲げる異様な型。
【目覚めたこの時に、貴様がいる事に、感謝する】
【ああ……俺も今ここにいる、妙な縁をありがたく思う】
両者は、目を合わせた瞬間から互いに戦う事を了承していた。
ヴェルは、この男に嵌められ、地に堕とされた。
受けた屈辱をそのままにしておくなど、魔人としての作法にもとる。
一端の喧嘩屋から駆け上がってきた魔人王の、賤くとも巨大なプライドが断じて許さない。
ケィルスゼパイルもまた――魔人王を名乗るなら、この男を避けて通るなどありえない。
魔人王とは、何者にも決して負けない男の名なのだから。
【【貴様を殺す】】
互いに、同じ殺意を告げあって、両者は宣戦布告の言葉を継いだ。
【その座から引きずり堕とす! 魔人王!】
【俺の座まで駆け昇ってこい! 魔人王!】
魔人の王を名乗る男二人の最終決戦が、始まる。




