19.腹黒恋愛脳魔導王&KY委員長聖女の死闘 ④
クラスでも目立たない方だった。
単に家名を名乗るだけで色んな意味で悪目立ちするのが彼女の実家だから、それは意図的にやった処世術というやつで。
従姉妹で友達の子の影が定位置で。
授業はとても簡単でつまらなかったけど、あんまりわかっていないふうにして。
あんまりしゃべらない子だとみんな思ってて。
伊達眼鏡をして、本を抱えた猫背で歩く。
教室の隅で本を読むふりをしてぼんやり空想にふけるのが毎日の過ごし方。
別の友達は、大人になったらお母さんの後を継ぐのだからもっとちゃんとしないと、とたまに言う。
そんな先の事なんてわからない。
夢に見るあのひとの事を考えて。
いっぱい、いっぱいおしゃべりして。
最後に、大好き、って告白して。
あのひとは、笑ってうなずいて。
そして、だきしめてくれる。
空想の甘い味を口にして、それだけでこぼれるくらいに幸せで。
そんな、クラスでも目立たない、普通の女の子だった。
それが――遠い西方の雪山で、魔王に殺されかけている。
(まいったな……自己暗示、解けちゃってる)
魔力を運用する為の感覚がネイラの呪いに冒されていた。
自己暗示の魔法も霧散し、あらゆる強化が無効化された。
身体も心も、少女に戻ってしまっている。
もっとも、魔導王の精神を再現できた所で今の状況では何の役にも立たないだろう。
魔法を撃つどころか、指一本すら動かせそうにない。
妖書館主王ネイラは、急がずに並の歩調で接近してきている。
その姿はもう、体高数メートルの黒い人形の影としか見えない。
身にまとった高圧の呪詛が、本体の知覚を阻んでいるのだ。
人類の保有する魔力とは天地の差がある。
蟻と象の喧嘩だ。勝負にならない。
それでも、戦った価値はあったと少女は思う。
敵のとった形態は、かなり本気のものと見た。
消耗したエネルギーも相応と見て間違いあるまい。
あれではヴェルと戦いようもない。
交戦を避ける可能性もある。
圧倒的な戦力差があるにしては、十分な仕事をした。
(聖女さまには、悪いことしちゃったけど)
利己的な闘争に巻き込んでしまったエクスシアに、すまないという気持ちはあった。
が、彼女なしにここまでの結果は出せなかっただろうし、魔人との戦いは聖職者のお仕事という事で諦めてもらうほかない。
(ともかく……上々の出来だよ……わたし、ほんとは魔導王でもなんでもないんだから……相手は魔王なんだよ? 十分、頑張ったんじゃないかな……)
ひたひたと迫る死を受け入れようと、彼女は心を薄く畳もうとしている。
(痛いんだろうなぁ……やだなぁ、怖いなぁ……)
魔導王の人格に、戦いの狂気も殺しの罪悪感も肩代わりさせていた彼女にとって、死の恐怖は嫌になる程新鮮だった。
(生まれ変わったら……また、ヴェルさまに会えるかな……)
この三層世界で人間の魂の行方は確立している。
転生を重ねて、いつか人か、そうでないものとして、長い時を生きる魔人と再会する事も不可能ではない。
――でも、それは、少女自身ではない。
少女が魔導王ゼノン・グレンネイドの生まれ変わりであっても、同一人物ではないように。
死ねば、この人格の連続性は失われる。
(……ゃだよ)
迫真の恐怖が、少女の心を凍らせる。
恐怖――とも違う。
(いやだよ)
拒絶だ。
(いやだよ、いやだよ、いや、いや、いや、やっぱりいや、ぜったいいや……これで終わりなんてだめ、受け入れられない)
少女の心魂が、目の前に迫る死を全力で否定しようとしている。
(だって、だって、わたし、)
楽しかった。
彼との数ヶ月の生活は、夢のようで――夢に見たものそのままで、幸せが満ちていて。
けれど、一つだけ、たった一つの事が違っていた。
(わたし、まだ好きって言ってない!)
自分の気持ちを。
メルティスという少女自身の想いを。
生まれた時から好きだった人に、伝えていない。
(死にたくない、死ねない、生きたい――生きる!)
ぐぅ、と動かなかったはずの指が、握りこぶしを作って、雪原にねじ込まれる。
(乙女の恋心! 遂げずに死ねるかぁあああああああ――ッッ!!)
少女の中の何かが切れる。
彼女は、全てに解答を求め始めた。
なんで死ぬ――魔王に殺害されるからだ。
どうして魔王に殺されなくてはならないのか――戦力が圧倒的に劣るからだ。
じゃあ、何があればこの状況を打開できる――
(力!)
力、力だ。
象と蟻の戦いという前提を覆し、同じ盤上の勝負にするには力を持つ事が絶対不可欠事項。
圧倒的な力。
魔王に負けない――否。
(魔王を殺す力!)
その力はどこにある?
ぎょろぎょろと血走った目で、少女は辺りを睥睨した。
あると思えないはずの解答。
あると分かっていた解答。
数メートル先の雪原に、それはあった。
銀色に光輝く、巨大な十字架。
エクスシアは何と言っていたか――彼女にしか使えない、最高峰の聖女の証とかなんとか。
じゃあ、わたしには使えない? などと、彼女は考えなかった。
即座に思考を実行に移し、しびれる身体で雪の中を這い進んだ。
妖書館主王は、それで慌ててトドメを刺しに来るという事はない。
よしんば彼女が神造兵器《六片武神》を扱えたとして、それは真の姿に至った彼を害するレベルではないからだ。
(違う。勝てる。殺せる!)
疑いもせず、少女はそう信じた。
信じる――そう。
その存在は、その思い一つで全てを成し遂げるものだからだ。
身体の中に熱が灯る。
肉体のしびれが、薄れていくのを感じた。
これなら――
(届い、た!)
指先が、十字架の端に触れる。
その瞬間。
こあぁっ――
息吹のような、鼓動のような調べを放ち、十字架が光り輝く。
【……ぬ?】
初めて、変身後のネイラが怪訝そうな戸惑いの声をあげた。
少女が巨大十字架の持ち手を握りしめ、すっくと立ち上がったからだ。
【魔導師……キサマの呪詛抵抗は、そこの聖女より劣るはずだが。その十字架の効用か?】
「違います」
少女は凛然と告げた。
呪詛を浄化して肉体の動きを取り戻した事――の返答ではない。
「今のわたしは、魔導師じゃありません」
少女は、先程から《全て》に解答を求め続けている。
――受肉した神の骨肉の一部を封じたのが、この十字架。
エクスシアは、神の肉片の宿す力を引き出して攻撃に使っていたようだ。
――道理で、あの程度の力しか出せないわけだ。
使い方が間違っている。
神の肉片、聖体は門だ。
霊感でそれを知覚し、霊体の腕力でこじ開け、神界で寝そべっている神どもから強引に力を奪い取る。
契約の柩といった聖遺物と同等の神器。
それがこの《六片武神》の本質である。
「《かみさま》」
少女の口から、霊威を帯びた言霊が漏れる。
「《あなたの敵をぶちのめしてあげるから、たくさん、たくさん、たくさん――力をちょうだい》」
白くけぶる、神気の霧が吹き出した。
それは少女の衣服を濡らし、氷結させ、薄く脆い結晶と化してぱりぱりとこぼれ落ち――
「あーもう! やっぱりっ!!」
彼女は、巨大な十字架を目の前に突き立ててネイラから身体を隠した。
「わたしのはだか、見ていいのは世界でたったひとりだけなんだから!」
勝手に脱げておきながら勝手な物言いをしつつ、裸身の少女は告げた。
「それはともかく、いきます――《六片武神》槍の型!」
十字架が弾け、分離し、内に湛えた神水が溢れ出す。
白い氷雪の鎧が、彼女の身を包む――神気の流れに一体化した彼女は、それでも寒さを感じない。
水の神ポセイドンの力を借りた武装。
選べるのなら、雪山ではこの型が最適に決まっている。
蒼い水神の神気を刃にした巨大槍を携え、少女は構えを――
【――フン】
呪詛で身体を鎧ったネイラは、先手をとって黒い巨腕を少女へと叩き込んだ。
人にしては高位の魔法技術で戦っていた魔導師が、どういうわけか聖女と同じスタイルで戦おうとしているようだが、それをさして問題視しない。
終わらせる力で殴る。
先程の聖女と同じレベルの護りなら、五体が弾け飛ぶ力。
しかし。
【なんとッ!!】
少女は、槍の柄を盾にネイラの拳を受け止めていた。
「――今、いろんな武神に槍の使い方を教えてもらいました」
その翠の瞳は今、白い輝きを帯びている。
巫女のトランス状態。
「反撃します」
少女は身を沈ませて、ネイラの拳をはずし、緩んだ一瞬・一寸の間を利用して身体を捻った。
その勢いで石突を敵の側頭部に叩き込む。
【ぬおぁっ!?】
尋常でない神気の質量を伴った打撃に、魔王がよろめいた。
無論、崩し技の次手は必殺の一刺しを見舞うのが常道。
少女は飛び上がり、ネイラの胸板を狙って体ごとぶつかるような突きを放った。
変幻自在の神気の槍を伸ばし、突撃で突き放す。
【おぉぉおおおおおおおおおッッ!!】
「あなたの技、パクります!」
【おあっ!?】
彼女は左手を柄から離して前に突き出し、力を練った。
雪山の水精の助勢も得て、巨大な氷の錐を無数に生み出しネイラに突き刺す。
【ごあっ!!】
霊体を貫通する刺突を立て続けに食らい、彼は苦悶の声をあげた。
が、この程度でくたばるなら魔王なぞ名乗れない。
腹にいくつも穴を開けられながら、腹筋を締める動作だけで氷錐を砕き散らす。
【馬鹿な……なんだその唐突で、意味不明の、デタラメさ加減は……聖女……聖女なのか?】
突撃槍を構え、追撃を狙う敵を憎々しげに睨みつけ、ネイラは咆哮する。
【くそぁあアAAAあああああああああああああッッ!!】
うねる触手を無数に溜め込んだ呪詛の大海を現出させ、敵を飲み込もうと展開する。
人類には決して抗えない力の奔流。
しかし、信じる。
「勝ちます!」
信仰が、更なる力を喚び込んでいく。
その力に、底は無いと少女は確信していた。




