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魔人王ヴェルの転生嫁  作者: 八目又臣
第三章 降臨! 氷獄の魔神
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7.氷原大疾走

「痛いッ! 主に顔面が痛い!」


 真正面から吹き付けてくる零下数十度の寒風を受けて、吟人が悲鳴をあげる。


「ええい! さっきからやかましいぞ小僧!」


 後ろを振り返り、ゼノンが彼を叱り飛ばす。

 毛皮付きの防寒着に着替えた程度の吟人と違い、こちらは加えてベルト付きの帽子やスノーゴーグル、イヤーマフにマスクと顔面まで対策している。


 手袋をはめた右手には手のひらサイズのグリップ――魔力伝導体の管を握っており、それは彼らが搭乗しているパワーボートじみた威容の「ソリ」と結線されていた。


 実際これは、海水浴の大演おおだしものとして用意していた超高速魔力艇を、昨夜一晩かけて雪上走行用のソリに改造したものだ。


 海水浴に出向いた時の海岸でこのソリに乗り込んで数時間、彼女の魔力で時速100キロ以上のまさにパワーボートじみた速度を確保しつつ、氷原と化した大海原を疾走していた。


 風速と体感温度は反比例する。

 航路自体は南下するルートだが、今や極点に迫るほどの寒さとなっていた。


「だいたいなんでそんな安モンの毛皮のベストと懐の毛玉程度しか防寒具用意しとらんのじゃ! ナメとんのか!」

「俺ぁ貧乏なんだよッ!」


『……というか、いま私を防寒具扱いしなかったかね、魔導王殿』


 ベストの懐から、鼠よりやや大きい程度の白い毛並みをした小動物が顔を出す。

 吟人が人界に召喚された時からの付き合いの、逐電した天使・アルヴである。


 神の使いを止めてからは好き勝手に動く事の多い彼であるが、行き先がコキェト大連山脈であると聞いてから、吟人についていくと言い張ったのだ。


「……ちっ」


 空いた左手で頭をがりがりかいて舌打ちすると、ゼノンは吟人に懐から取り出したフラスクを放った。


「一口だけ飲め! 湧熱の霊酒じゃ!」

「ううっ……すまねぇなぁ嬢ちゃん……」


「勘違いすんなよ。お代は頂戴するからの」

「……ちなみにおいくら?」


「その一口で王様くらいしか呑めん最高級ワインが樽で買える」

「悪魔かアンタは!?」


 ゼノンの無情な発言に、フラスクをこぼさぬように吟人は両手で抱える。


「今更じゃろ。昨夜ゆうべおまえを改造する(・・・・)のに使った薬物の総額は――国一個買えるくらいじゃし」

「ふぉあっ!?」


「借金地獄で憤死したくなけりゃあ結果にコミットせい! 一日三十時間戦い抜け!」

「んなムチャな――――――――――――ッ!?」


 ――当初、ゼノンはコキェト大連山脈に殴り込みにいく面子に吟人を入れるつもりはなかった。

 ヴェルの予告した通り、魔神復活などという大仕掛けに上級魔人が関わっていないはずもない。


 吟人は、ガッツェ=バンゲン双連帝国の十三勇者の中でも、末席にいた者だ。

 人界の勇者を全員集めて並べればおおよそ下の上くらいの実力の者など、足手まといにしかなるまい。


 ましてや、当時の彼ですら神の加護で、膂力を始めとしたあらゆるパラメーターに補正がかかっていたのだから。

 そうした理由から吟人を捨て置くつもりでいたゼノンに、異論を差し挟んだのはヴェルだった。


 ――ゼノン、この小僧は使えるぞ。連れていくがいい。

 その発言を聞いても胡散臭そうなゼノンに、


 ――どーしても疑わしいなら、魔力の底上げをする薬物でもガンガン投与してしまえ。それでマシになるだろう?

 とまで言うので、ついその気になって、吟人をベッドに縛り付け研究中の薬剤を山程投入した。


 無理やり薬物を経口摂取させられる彼は、『やっ、やめろォショッ○ー!』とか言っていた。

 シ○ッカーってなんだろう。


「あんな罰ゲームレベルにクソ苦い草の汁やら不気味に光るピンク色の液体やら飲ませといて金まで取るとか……」

「しかし小僧、体内の魔力は相当ハネ上がっただろう」


 さっきまで「アカウント凍結中か仕方ない……レベル上げ素材でも集めるか」「あっ、アカウント凍結中だった」とかひとりコントをやっていたヴェルが、横からそう言ってきた。


「……魔導王の嬢ちゃんいわく、それでもそこそこの魔導師とどっこいくらいで魔人とケンカできるレベルじゃ全然ないらしいっスけど」

「阿呆め。貴様は魔導師が本職というわけでもあるまい」


 ヴェルは彼の前に立ち、上背の差ゆえに見下ろし加減で告げる。


「貴様のセンスは類稀なものだ。体術に魔力を上乗せする感覚を身につければ、すぐにでも勇者だった頃以上の強さを身につけるだろう」

「……旦那」


 という男二人のやり取りに。


「……むー」


 当然、ゼノンは全く面白くない。


「えらくそいつをひいきするんじゃな」

「贔屓というわけではないが……魔王軍などと大仰な呼称だが、ムンドの住民で魔人とまともにやり合えるのは貴様と俺、エルフの小娘くらいだ」


 ちらり、とヴェルの視線は舳先に仁王立ちするリューミラに向く。

 そして、ゼノンへと戻り、ほんの少し言いづらそうにつぶやいた。


「……戦力は多い方が良かろう?」

「そりゃあ……そうじゃけども」


 彼女は不承不承と言う。


(……本当なら)


 心のなかで生じた言葉は、飲み込んだ。

 本当なら――魔導王ゼノン・グレンネイドなら、言うべき言葉は違っていたはずなのに。


「――ゼノンさまぁっ!! 丸め込まれてはダメです! 旦那さまにもっとキツめに言ってやって下さぁい!」


 立ちポーズの研究をしていたリューミラが、耳ざとく会話に割り込んできた。


「実際ひいき! ひいきなんですよぉっ!! 大岩を拳で砕けとか山を拳で掘削しろとか私の練習メニューはとってもとっても大雑把でいい加減で放置気味なのにそこの元勇者には今みたいなちゃんとした師弟っぽい感じをすっっっっごい出してくるんですよぉっ! 恨めしいです悔しいです!」


「……仕方ないだろうが。貴様はとにかく負荷だけかけてれば素体との結合強度やら魔力やら上がっていくのだし。そもそもキメラとしての戦い方は作り主のゼノンの方が詳しい、」

「そんな理屈はいいんです! 私にもクリエイティブで意識の高い、一番弟子に相応しいお稽古をつけて下さぁい!」


 抗弁するヴェルに、間近で唾を飛ばしながら要求を重ねるリューミラ。


「小賢しい注文をつけおって……」


 ヴェルはうなりつつ、心底鬱陶しそうに身体を引かせる。

 不意に、その目線が後ろに向いた。


「? どうした小僧」


 リューミラが参加してから、会話の輪から吟人は意図的に外れていた。


「……や、なんでも、ねぇっスよ?」


 誤魔化すように身振りするが、他の三人からすれば誤魔化しようもなかった。

 ムンドに住むようになってから、吟人はどういうわけかリューミラを避けている。

 場の人数が少なくなった今、それが目に見えて明らかだった。


「……むー」


 ゼノンにくっついて彼女の肩越しに吟人を睨むリューミラ。あからさまに不満げである。

 元々短気で粗忽な少女だ。戦いに赴くわけだからあまり余計な騒ぎを起こすなとゼノンに厳命されていなければ、爆発していただろう。


 もとより、仲間パーティとも言い難い取り合わせだが。

 どうやら、人間関係に問題が山積しているようだった。


 ――それをいちいち解消しているゆとりはなかったが。


「……む」


 ヴェルがまず、ぎょろりと三つ目を前方へと向けた。

 ゼノンもまた、不可視化して肩や背中に纏わり憑かせていた探知精霊の警告を受け取っていた。


「ふん……海から来る手合なんぞ警戒しとらんと思うておったがの」

「敵がケィルスゼパイルなら、氷獄の魔神を呼び込めば根城への新たな道筋が出来る事くらいは予測するだろうさ」


 ヴェルの物言いは、妙に確信ありげである。


「裏切りモンを随分と評価しとるんじゃの」

「うむ。かつての俺の軍では、頭を使う物事は何もかも奴に丸投げしていたくらいだからな」


「おまえ、よく封印される前に寝首かかれんかったな」


 呆れた口調でゼノンは肩をすくめた。


「……敵かい?」


 アルヴを懐深くにしまい、槍を担いで吟人が言う。

 目に宿る感情は、水面にも似て静かだった。


 やや入れ込み加減のリューミラと比べると、場数を踏んでいる事が魔王夫妻からも見て取れた。


「ここで上手く働けば、ある程度は認めてやってもよいぞ小僧」

「あいよ、魔導王サマ」


 軽くうけあい、そして吟人はゼノンに尋ねる。


「で、どうすんの? 迂回する? 降りて戦う?」

「あん? んなまだるっこしいい真似をするかよ」


 ゼノンは邪悪に口の端を歪め、言い放つ。


「真正面からブチ抜いていくに決まっておろうが」













 ――数分後、敵影が氷原の向こうに目視できるまで彼我の距離は縮まっていた。

 巨体を持つ魔獣の類もいれば、それらより内在魔力の高い人型、あるいは人型からも外れた異形――魔人の類もいる。


 未だ彼らは、こちらを迎撃する体勢が整っていない。

 先んじて、ゼノンが彼らが偵察用に放った魔獣を魔法で消し飛ばしたからだ。


 そして今この時の隙からもまた、彼女は強引に腕をねじ入れ戦果をもぎ取っていく腹づもりである。


「《ゲパル・アクィアラ・マルサック、炯々と燭光放つアウラ・マズルタの昏き光、歓喜の慟哭、永続する死――高らかに謳え滅びの歌》」


 呪文を重ねていくにつれ、高まる魔力が大気を軋ませ、周囲の生命体に重圧をかけていく。

 構築される情報量の圧が、物理的に作用しているのだ。


 解き放たれるのは、かつての魔導王が独自に開発した広域殲滅黒魔法。


「《天魔光爆ゼロ・アスタウラ》!」


 敵の群れを中心に、氷原の白が黒く染まり碧天の青が黒く染まる。

 モノクロームに変質した世界は凝縮して中心へと収束していく。


 やがて――巨大な爆発を起こした。

 爆光が天を染め、爆風が未だ数キロ離れた彼らの元まで届く程の衝撃。


「ふはっ――大したモンだぁ!」

「はん、なんも大したモンではないわ」


 高揚する吟人にゼノンは苦い顔で言う。

 前世の魔導王であったら、視界の範疇まで爆発半径に含められたであろうし、何より精神体への破壊作用が段違いだっただろう。


「討ち漏らしがある――来るぞ」


 敵が魔人なら、数キロ程度離れていようが、視界に収まっているというだけで油断していい理由は一つもない。

 ――事実、それをゼノンが口にした瞬間に、彼女の前方に展開していた障壁魔法を貫き、瞬時に彼らのソリまでたどり着いた存在がある。


 太さはひと抱えの柱ほど、形は紡錘ぼうすい

 色彩は内蔵のように不気味に紅く、奇妙な溝がぐるりと身体をなぞっている。


 標的は、元勇者の槍使い、黒沢吟人。

 四人の内、魔力が目に見えて低い彼は、最も与し易い標的、と判断されたのだろう。


 紡錘の形をした肉体の鋭い切っ先は――彼の鼻面のすぐ先にまで届いていた。


「……ふゥッ!!」


 その瞬間に吟人は手の内で槍を操作し、紡錘の腹に穂先を添えていた。

 巻き技の要領で直進する物体の作用をそらし、後方に受け流す。


 一瞬でここまでやってきた突撃の速度の分、猛烈な勢いで敵はソリのやってきた方向へ跳ね飛んでいった。

 途中で、紡錘がバラけて赤黒い舌のような触手を無数にまとった人型にそれは変化する。


 突撃する時は、触手を身体に巻き付けて紡錘形を取っていたのだろう。


「ありゃあ……魔人かい?」


 誰にともなく彼は呟いた。


「旦那に続いて戦り合ったのは二人目だが、随分奇抜な体つきしてやがったな」

「そりゃあ、精神体に肉体の大部分を織り込んどるあの連中に、定型の姿形なんぞ無いからの」


 ゼノンが言う。


「それよりも、討ち漏らしたなら警戒せんか」

「いんや、大丈夫だよ――すれ違いざま石突で腹ぁブッ飛ばしてやった。仕留め損なったが、しばらく同じ動きは出来ねぇよ」


 くるりと槍を回転させ担ぎ直しつつ、飄々と述べる彼に、ゼノンは軽く口笛を吹いた。


「なるほど。ちったぁ使えるようじゃな」

「ハハ、あんがとさん」


 そんなやり取りをする彼らの頭上の空間に孔が開き、石のような無機質な肌を持つ魔人が、

 ――降り立とうとした瞬間に、頭を砕かれて氷原へ転げ落ちた。


「さすが」


 裏拳を軽く振った体勢のヴェルに、吟人は言った。


「俺はここから動かんぞ。船体に乗り込んでくる敵は貴様が始末しろ、小僧」


 そう告げて腕を組み、ゼノンのそばに立つヴェル。

 あいよ、と応じる吟人と入れ替わりに、ゼノンは前方で身体を硬くしていたリューミラへ言う。


「おまえの所有者であるわしの命令じゃ、リューミラ――ビビんな」


 プレッシャーを感じている彼女に、さらなる圧力をかけるかのような発言である。

 だが、ダークエルフの少女はその言葉に身体をぶるりと震わせ、四肢の先まで力を漲らせた。


「はい!」

「男衆にばっかいい顔はさせん。わしらは数を稼ぐぞ。ブチかましてこい」

「はい! ゼノン様!」


 目の色をギラつかせたままリューミラは応じて、ソリから飛び降りた。

 地面に設置する瞬間に身体を変異させ、異形の姿を取る。


 貴種黒竜ブラックドラゴンロード極めし鬼(オーガマスター)の合成された巨腕は前肢に、そして後肢は八脚軍馬スレイプニールのものへと変化する。


 氷原を駆ける黒い獣に化けたリューミラは、信じがたい速度を確保したままソリを追い抜いていった。

 次いで、獣の背を破るように少女の上半身が現れて、更に両脇から魔海域の歌精セイレーン・イヴィルオーシャンの顔面を先端につけた触腕が生え、リューミラの顔の両隣に並ぶ。


歌え(・・)!」


 ゼノンの指示に、


『るるぉおおおおあアアアアAAAA――ッッ!!』


 複数の魔獣の内臓で練り込まれた魔力波が、歌精の人外の音程でエンチャントされ、リューミラの口腔から解き放たれる。

 光線はゼノンの魔法で崩落した爆心地を撫でるように照射され、直後、巨大な水しぶきと爆光と生き残った魔獣や魔人たちの肉片が吹き上がった。


「スッゲ……」


 驚嘆のうめきをあげる吟人。


「なんだゼノン、ちゃんと、奴に戦い方を教えてやっていたのではないか」

「わしはもう弟子を取らんと言うたじゃろ。わしがあやつとやっとったのは、あの身体で出来そうなカッコいい技の提案会議じゃ」


 ゼノンは腕組みしたまま自信満々にそう言った。


「つまり、カッコいいだけで攻撃手段としてはまだまだ甘い」


 まだ、最初と比べて二割ほどの敵勢がソリの進行ルート上に待ち構えている。


「ま、お残しはわしが食ってやろう。これでも主じゃしな」


 そう言い放つと、彼女は呪文を唱え始めた。


「《カルトゥス・アルケィラ・パルスティクス、煌々たるしろがねの針、そのきっさきの鋭きを、痛苦をなれらは永久とわに知らず! まばゆきに(くら)むその間隙に、汝らの命脈は縫い止められていた!》」


 少女の眼前に巨大な光球が生じ、高速回転を始める。

 先行するリューミラを飲み込もうと、敵勢が踊りかかってくるその瞬間に、彼女は呪文を完成させた。


「《白貫万条ワイト・ペネト》!」


 光球は、糸の塊がほどけるように無数の光線へと変化した。

 そして光線は軌道を変えながら、捕捉した敵の一体一体を正確に貫いていく。


「ふっはははははは! これこそが機能美と様式美を兼ね備えた古式ゆかしい攻撃魔法というやつよ!!」


 マッドな笑い声をあげて、ゼノンは前方を塞ぐ敵勢を虐殺する。

 一直線上の敵を、リューミラが三本目、四本目の腕を生やして殴り飛ばしながら道を作る。


 ソリは一切の速度を落とさずにその道を通り抜け、敵の防衛戦を突破した。


「いぃ――やっほぉ―――――――――――――――ぅッ!」


 昂ぶりのままにゼノンは歓声をあげた。


「まだ追ってくる奴がいるぜ!」


 船体後部へ乗り込もうとした敵の額を刺突しつつ、吟人が叫ぶ。


「もう連中に用はない!」


 ゼノンは後方へ片手を向け、短く詠唱した。

 略式詠唱。


 今の彼女の能力ならば、それで放たれるのは精霊系の魔法であり、魔人への直接的な攻撃力はない。

 しかし、彼女は敵を狙ったわけではない。


「《噴炎充地ヴォルカニック・グラウンド》!」


 氷原が広範囲に渡り紅蓮の色彩に染まっていき、やがて炎を吹き出して溶け崩れていった。

 氷塊に巻き込まれて、敵勢は氷点下の海に叩き込まれていく。


 あれでも生き残りはいるだろうが、脱出する時間で十分に引き離せる。


「乗り込めリューミラ! 後ろの奴らを振り切って――後はもう西方大陸まで一直線じゃ!」

 

 

 

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