13.魔人王の契約
ゼノンは屋敷を撤収する用意に勤しんでいた。
庭にゴーレムを数体召喚し、待機させたまま、リビングで引き上げる品物の目録を作る。
「服は全部持っていきたいが……手持ちじゃゴーレム一体使い潰すし……空間系魔法で圧縮すると布地が痛むんじゃよなぁ。背に腹は代えられんけど」
この一月あまりで随分とモノを買い込んだから、持ち出すのも一苦労だ。
かつ、不用品については確実に処分しないと染み付いた残留思念から逃走経路を辿られるおそれがある。
すべき事は他にも山のようにある。ガッツェ=バンゲンが軍勢を率いて攻め込んできている以上、この屋敷に到達するのはもっと先の話であるが、さして猶予はないのだ。
屋敷も同様に証拠隠滅の為爆破すべきで、その計画を練らねばならない。
逃亡先の確保も問題になってくる。
現状注目度こそ低いものの手配書が回っており、容姿も特徴的なヴェルの潜伏先となればよほど選別する必要がある。
偽装系の魔技を彼は持っていないし、彼ほどの魔力を纏っていれば外部から干渉するのも困難になってくる。
魔人がいても不思議でない、それらしい悪所に身を置くしかあるまい。
(魔人の侵略が進んでいる西方大陸に逃げ込むか……? あるいは、どこぞの小国の王様たぶらかして悪の黒幕みたいのに収まるか……)
いくつかの選択肢はあるが、どれもいずれやって来る討伐の対処に追われる日常になるだろう。
思えば、流れ者を誰でも受け入れるこのムンドという都市は、理想的な環境だった。
実家に比べれば本当に小さいが、ちゃんとした家に住み、彼の世話を焼き、どうでもいいような会話をして、横顔を眺めて。
たまらないくらい幸せだった。
いつまでも続けばいいと思っていた。
(でも……そんなの無理ってわかってた)
リューミラの一件がなくとも、いずれはこうなると彼女は理解していた。
ヴェルは神々を相手に喧嘩を売り、三つの世界を巻き込んで戦争を仕掛けた大悪人なのだ。
人並みの平穏が許されるわけがない。
(だから、しっかりしなくちゃ)
ゼノンは自分の頬を軽く張って落ちた気を立て直す。
そんな彼を好きになって、どこまでもついていきたいと願ったのだ。甘えてなどいられない。
こんな、最初も最初の脱出計画の立案でつまづくわけにはいかないのだ。
(大丈夫……こんなの、ゼノンならできて当然だもの)
膨大な魔力のみならず、それに比肩する叡智を持つ魔導王なら瞬く間に答えを出して、もう動き出していただろう。
その記憶に基いて暗示で思考法を調整した自分なら、同じことが出来なければおかしい。
必要なものだけ選別して、不要なものを切り捨てて雲を霞と逃げ去っていくのだ。
(不要なものを、捨てて……)
目録を書く手が、止まった。
(リューミラ……)
あのキメラエルフは、真っ先に切り捨てるべきものだろう。
彼女には、迷惑しかかけられた覚えがない。
ヴェルとはむやみに険悪だし、彼女の嫁プレイを奪ったお邪魔虫だ。
やたらひっついてくるし、声はでかいし、喋り方も妙に芝居がかっている。
護衛にはてんで適さない変人だ。
抱きつかれた時、目を離せばいなくなってしまうものを匿うような、切羽詰まった表情をして。
とても悲しそうな目でこちらを見ていて。
――さっき、拒絶をした時は、逆に。
捨てられた子供のような顔をしていて……
(だからって……無理だよ……わたしじゃ助けられない)
さっき彼女に話した実力評価は、何ら偽りがない。
リューミラが言葉通りガッツェ=バンゲンの親衛軍、そして十三勇者を迎撃に向かったのであれば、囲まれて叩き潰されてそれで終いだ。あの実力差は気持ち一つで埋められるものではない。
ゼノン自身が行っても同様の事。
だから逃げろと言ったのに、彼女は聞かなかった。
この生活を守る為には、リューミラは捨てていかないといけない。
できるはずだ。
魔導王ゼノン・グレンネイドなら、冷静に、正しい判断を下し、行動できるはずだ――
「ゼノン」
と、リビングの入り口から声がかかった。
「俺の荷造りは終わったのだが」
ヴェルは手の中のものを転がしながら言ってきた。
フィギュアやら精霊式情報端末やらがむき出しのまま絡み合い、球体を形作る――なんというか、呪いで細胞が爆発的に増殖した人間の成れの果てのようなグロさを感じさせるものだ。
「えっ、なんじゃそれ」
「うむ。物体の重心を把握しそれぞれの凹凸に絶妙な加減で引っ掛ける事で自重を分散して、包まず崩れず一個にまとめきれるという俺独自の運搬法だな」
どこか自慢げにヴェルはのたまい、手の平の上にのった自分の身長ほどの塊を空中でくるくると回す。
「なんなら貴様の荷物も同じようにしてやろう」
「いや、遠慮しておく」
その生理的恐怖を催す絵面で買い溜めた魔道具や衣類をまとめられたくなかったので、ゼノンはノータイムで拒否した。
「そうか……」
どこかヴェルは切なそうに相槌を打つと、ふと顔を上げて彼女に問いかけてきた。
「しかし、まだ準備を終えていなかったのだな。前世はあれほど夜逃げ慣れしていた貴様が珍しい。覚えているか? あのティンダロス城塞に立てこもっていると見せかけて後方から奇襲を食らった時、正直面食らったぞ」
「え? あ、あぁ、ちょっと久々なので戸惑ってしまっての……」
ゼノンは取り繕う。
その顔を、しばし眺めてヴェルは重ねて問いかけてきた。
「……もしかして、ここを引き払いたくなかったのか?」
「へっ?」
「いや、貴様の事だから逃亡生活もまた一興くらいに思っていたとばかり……ここでの生活を続けたかったのか?」
「えっ、ああ、いや、その」
彼女は慌てて椅子から立ち上がり、身振り手振りして否定しようとする。
そうだ、魔導王はそういう男だったのだから、そう答えなくてはいけない。
「じゃから、本当に久々の夜逃げで手こずっとるだけじゃって! 世界を股にかけて狂騒の日々を送る、それこそ魔導王たるわしと魔人王のおまえに相応しい生活じゃろうて、」
「嘘をつくな。よく見れば、気乗りしていないのは分かるぞ」
ずい、と身を乗り出してこちらを覗き込むようにして、ヴェルは言った。
「そうならそうと早く言えゼノン。早合点して荷造りまでしてしまったではないか……元に戻すのが大変なのだぞ、これは」
ごろり、と不気味な球体を床に放り出すヴェル。
「それと……もう一つ、気にかかっていたのだが」
彼は、ゼノンに視線を向けて問いかけてきた。
「貴様、あのエルフの娘の事もどうにかしてやりたいのか?」
「えっ……」
「奴が出ていってから、やけに元気が無いではないか」
「そ、それは……その」
言いよどむ彼女の前に、ヴェルは立った。
小柄なゼノンを前に、彼が前かがみになる形だ。
「どうなのだ? ゼノン」
「そっ、それは……」
言わなくてはいけない。
あの女の事などなんとも思っていない。見捨てて逃げていくのだと。
自分は魔導王ゼノン・グレンネイド。邪魔な者、道理の分からぬ愚か者は踏みつけて己が道を行く男だ。
決して、自分に好意を寄せてくれたというだけで、人ひとりすら見捨てられなくなってしまうような気弱な少女ではない。
だから――
「ゼノンよ」
彼女が口を開くより先に、ヴェルが言った。
「貴様は賢い。智者だ。自分の力量を把握して、己の力の及ぶ範囲を理解している……確かに、今の貴様では、時に世界の靭さに屈する事もあるだろう」
「あ、ああ、じゃから――」
「だから、俺に願え」
そう告げて、ヴェルは笑みを浮かべた。
およそ妻と呼ぶ女にする表情ではない。冷酷で、邪悪な妖気に満ちた、魔人王の凶笑である。
「宣告しておこう。貴様はこれから、賢しらに、何かを諦める必要はない。平穏が欲しければ欲しがるがいい。愚かな娘の命が惜しくば惜しむがいい。正義も、道理も問う必要はない。貴様が、ただかくあれかしと願う世界を、俺は立ち塞がる全ての障害を破壊して、作り上げてみせよう。この魂の尽き果てるまで――それが、魔人王が妻に誓う契約だ」
うち立てられた誓いを前に、少女は問いただす。
「わっ、わしとおまえは……本物の夫婦ではないというのに?」
「それでもいい、ゼノン。俺が貴様を愛している事に変わりはない」
そう答えて、彼は昏々とした魔力を放って呼びかける。
「だから、ゼノン、貴様は貴様の思う本心を俺に言え」
「……ぅ」
その、まっすぐな金色の眼と、心臓を掴んで愛撫するような言葉に、少女は顔を赤らめた。
そして、その通りにした。
「じゃ、じゃあ、ヴェル……?」
小さく、か細く、おずおずと言葉を紡ぐ。
大いなる邪悪を動かす、世界でただひとつの鍵を。
「あの……わたし、もっと、ずっと、ここで暮らしたい……あと、リューミラも、助けてくれる……?」
「ああ、任せておけ」
そう告げて、ヴェルは空間を転移し屋敷から去っていった。
彼の前で素が出た事にも気づかず、彼女はしばし固まって、
一分ほど立ち尽くしたあと、その場にあった椅子にへなへなとへたりこんだ。
真っ赤になった顔を両手で覆い、ぶんぶんと頭を振るう。
脳裏には、魔人王の禍々しくも凶悪な面相が焼き付いている――
「……………………………………………………せ、せかいいちかっこよかった~~~……っ♡」




