10.ムンドの長
ヴェルが、兎面のヴィンスに連れられて市長室に入るなり、ダブルのスーツを着て黒髪をオールバックになでつけた渋い中年男 (猫科の魔獣と合成されたようで、瞳孔の形がそれらしく……あと頭部に耳が生えている)が、歓待してきた。
「おぉ! ヴェルムドォルさん、よく来てくだすった」
軽快な足取りで駆け寄り、ヴェルの手を両手でぐっと握ってこれまた渋く微笑む。
猫耳の生えたダンディなナイスミドルという絵面が面白かったので、ヴェルは笑いを堪えなくてはならなかった。
「市長のグライカントです。よろしく」
「俺の名前を知っているのか?」
「冒険者ギルドからの手配書が回っている事を最近調べたんだ。いや、三界大戦を引き起こした伝説の魔人王と対面できる日が来るなんて、人生は面白いもんだねぇ!」
ハハハハ、とダンディズム溢れる笑い声をあげた猫目の市長は、数秒間そうしてヴェルの手を温めると、今度はヴィンスの方に向き直った。
「おぉ、兄弟、彼を連れてきてくれたのだね。君にはいつも面倒をかける……」
「なに、兄弟、あんたの為ならお安い御用だ。ガキの頃に共に海を渡ってここにやってきた仲間たちも、もうあんたも入れて片手で数えるくらいしか無くなったからね……」
「兄弟……それは私も同じ事だよ」
なんか悲喜こもごもな裏話のありそうな会話を交わしつつ、熱いハグをして背中を叩き合い親愛を示す二人。
それを後ろでぼんやりと眺めつつ、ヴェルはコメントした。
「なんというか、マフィアと体制側の盛大な癒着の現場を見た気がするのだが」
「ハハ、私は賄賂は受け取った事はないよ」
おかしな事を言う人だ、とか言いつつ市長はソファを勧めてきた。
釈然としないものを感じつつもそこに腰掛け、向かいに座った市長と対面する(ヴィンスはドアの近くに立ったままだ)。
「しかし、大した美丈夫じゃないか。イタルー公国辺りのブランドスーツを着せて議事堂に座っているだけで映えそうだ。市議選に立候補してみない? なに、よく分からなくても私に任せてくれれば万事整えてみせるよ」
「ナチュラルに自分の手駒を増やそうとするな……魔人がそんなものに出るか。というより、先日の件で俺と妻は市民に大いに恨まれているだろうに」
「ああ……市民と君、そして奥方との間に不幸な事件があった事は確かだよ」
そう言って、市長は表面上は渋い笑みを浮かべてくる。
「しかし、この自由都市ムンド、ひいてはセリオン都市連合国では、流れ者の抱えたトラブルに巻き込まれるなど夕飯にミートパイが出るくらいの茶飯事だしね。今回のは、それがとびっきりデカかったというだけさ。市民たちも、すぐにそれだって消化してくれるだろう……奥方は、可能な限りの範囲で賠償もしてくれたわけだしね」
「賠償? キメラ化させて蘇らせた事か?」
「それもあるけどね、一時君たちの追放論が上がった時に工匠たちから反対が出てね。どうも奥方の建築術は手放すには惜しいそうで……なら、これまで通り都市開発に参加してもらって、賃金の三割ほどを納めてもらう方針でご当人と話がついた。いや、ホントは半分ほどいただくつもりだったのだがね! 君の奥さんは実に値切りが上手い!」
愉快そうに大笑する市長。
「ヴェルムドォルさん、君は本当に良い奥さんを貰ったね! あれだけ若いお嬢さん相手に気持ちいい程に負かされたのは初めてだよ!」
どうも前回の大工の件といい、ゼノンはおっさんと交渉するのが上手いらしい。中身が三百歳の老年男性だからだろうか。
ともあれ、ヴェルとしてもゼノンが褒められるのは気分がいい。
「うむ。奴は良い嫁なのだ……で、俺はなんでここに呼ばれた?」
「おお、そうだったね。なにせ魔人と会話する機会など無かったものだから、興が乗ってしまって……」
そこで、ヴィンスが間を取るように飲み物の入ったグラスを置いてきた。
仮に毒を盛られたとしてもこの身体には何の効果もないので、ヴェルは無造作にそれを飲み干した。
(……酒なんだが)
どう見ても対面の市長も同じものを飲んでいる。
「ありがとう、ヴィンス……で、だ。君にご足労願った理由は……またしても、君と奥方の連れてきたトラブルに、追われているからだよ」
言葉には棘を持たせ、しかし責問ではないと気楽そうな口調で示す。なかなかの話術であった。
「どういう事だ?」
「さる信頼のおける筋から、セリオン都市連合国に情報がもたらされた。中央大陸のガッツェ=バンゲン双連帝国という国をご存知かな?」
「二百年前に存在していた国なら、敵対したことがあるな」
「ふむ、名を覚えている程の因縁はないのだね? ……軽く五百年近く前から存在していた、歴史の古い大国だよ。そのガッツェ=バンゲンがセリオンに攻め入るという。目的は、先日かの国の皇太子コンラッド・ジークフリート・フォン・ガッツェ=バンゲンを殺害したキメラ・リューミラと、それを操っていたとされる外法魔導士ゼノン・グレンネイドの捕縛あるいは殺害、そして彼女らを匿ったとされるセリオン都市連合国への誅伐執行、との事さ」
「………………………………なんか、すまんな」
彼の説明である程度察しがついてしまったので、魔人王は素直にごめんなさいした。
どうもリューミラの仇はそれなりに大物だったらしい。
そして、こういう時国家というものが、国対個人ではなく多少強引な理屈をつけようとも国家間の問題にすり替え、実益を得ようと動くのは三界大戦で経験済みである。
ここまでの流れは既定路線と言える。
「で? どうするのだ? もうセリオンの首長会議のようなものではムンドをスケープゴートにする事で話はついているのだろう?」
「分かるのかい?」
既定路線だ。
「全市民がキメラ化しているからな……いかにも罪をなすりつけやすい。悪の魔導士ゼノンにキメラ軍団に作り変えられたムンドの尖兵であるあの田舎娘が、そのコンなんとかを殺した、というシナリオが分かりやすかろう」
「その通りだよ。さすがは魔人王、話が早いねぇ……私もゼノンちゃんから事実関係は聞いたんだが、国連魔導士協会の大派閥ノットマン一門の長が女神と組んで全ムンド市民を殺害し、彼女が我々をキメラとして復活させた……なんて荒唐無稽な話を周囲に信じてもらうのは無理だね」
「まぁ、それはそうだが。仮にムンド市民とゼノンをガッツェ=バンゲンなる国の軍が討伐したとして、連中はゼノンを取り逃したと発表するぞ?」
その国の国家としての本懐は、いちテロリストを殲滅する事ではなくセリオンを占領する事だ。
そして、そのやり口は簡単だ。
セリオン都市連合国は自治都市の集合体である。
あの都市にゼノンが隠れている、今度はあの都市に逃げたと言い続けて、ガッツェ=バンゲンは戦火を無限に拡大していくだろう。
一個の都市では、中央大陸の大国の軍隊を前に紙屑のように粉砕される。
あまりに楽な作業だ。
「私も含め、数人の市長たちはそう主張したんだが……聞き入れては貰えなくてね。中央からの征伐者の到来は、あそこから逃げてきた者が作り上げたセリオン都市連合国にとっては夢に見るほど恐れていた事だからねぇ」
彼らは皆、臆病なんだよと彼は言う。
ヴェルはふん、と鼻を鳴らした。
「まるで自分はそうではないと言っているかのようだが……既定路線では、こうした事件を解決するのに貴様らが考えるのは、第三者の立会のもとゼノンの首を持って潔白を示すというものだが――貴様らはどうする?」
「仮に私らがそうするとしたら?」
「最終的に何人殺すかは分からんが、少なくともこの場にいる二人は即殺だな」
「だよねぇ。――臆病が人類から切り離せない精神の働きとしても、我々は恐怖に目がくらんで怯えるべき相手を間違えないようにしたいものでね。だから、この自由都市ムンドを裏表で差配する二人が同席した。その方が信用される事に賭けてね」
「ふむ……貴様らは、智者のようだ」
魔人王はそう彼らを評価して、問いかけた。
「……で? その知恵と引き換えに貴様らは俺に何を求める」
問われた市長は、静かに口を開いた。
「無論、君たちは君たちのやり方でトラブルを解決するのだろうが――それに、ムンド市民の生命を考慮して欲しい。具体的には、先制してガッツェ=バンゲンの軍を撃退して貰いたい」
彼の要請に、ヴェルは迷わず、一言で答えた。
「断る」
市長は、その微笑が崩れる程度には面食らったようだった。
食い下がるように言ってくる。
「……君たちの今の生活は、この都市でなくては成り立たないと思わないかね?」
「その点について、貴様の言う事は正しい……だが、そういう事ではないのだ」
ヴェルは立ち上がり、市長室を立ち去ろうとする。
「俺は、俺の命の使いみちをもう決めている。俺に拳を握らせるのは、貴様でもなく、ムンドという町でもなく、そして俺自身でもない。俺を動かす事ができるのは、この世界でただ一人だ」
そう告げて、道を空けたヴィンスの脇を通り彼は出ていく。
ヴィンスが魔人王の座っていた席に座して、同じグラスに酒のボトルを傾けようとした。
市長がそれを止めて、ボトルを取り上げ酌をする。
礼を言ってからグラスの中身を一口含み、ヴィンスはため息をつく。
「フラれたな」
「……実力行使ではどうにもならんかね?」
「ならんよ。あいつは終始、我々を気軽に殺せる生き物として認識した上で会話していた……そして、これは個人的な見解だが、あいつは自分が人並みの力しか持っていなかったとしても、同じ事を述べ、同じ行動を取っていただろう。そういうタイプの人間だと思ったよ」
「なるほど……強い男なのだね」
「なに、そういう意味ではあんたも負けてはいないさ、市長」
「いいや……私の気分は今朝から雨模様だよ。投げ出したい気分でいっぱいさ」
「ならば思い出す事だ、兄弟。ガキの俺たちは、雨模様の故郷から逃げてきた……しかし、行く先が晴れ空だと期待していたかね?」
「……いいや。確かにそうだね。雨空に差す傘を探しに、僕らは海を越えてきたのだった」
そう言って、市長はグラスに残った酒を飲み干した。
おかわりを注ごうとした親友に、手で拒否を示す。
さすがに、もう一杯飲んでは公務に差し支える。
「市民の逃亡先の確保は一割も終わっていない。どれだけ時間を稼いでも、連中がムンドに到達するまでに五割を上回る事はなかろう。その後の生活の考慮は……している余裕がないな」
「仕方ないさ。我々にできる事には限界がある……それに、悲観したものでもないさ」
ヴィンスは、自分の二杯目は気軽に注いで言った。
「ウチのもそうだが、良い奥さんというのは旦那を気持ちよく動かしてくれるものだ。魔人王が何もかもぶち壊してくれた後の心配の方を、我々はしておくべきかも知れないぞ?」




