7.闇のメイドさん
ムンド東方の荒野の地平線に、うっすらと陽の朱色が灯る頃合い。
郊外の森深くにある廃館こと魔王邸の屋根の上に、腕を組み不敵に仁王立ちする一人の少女の姿があった。
「フッ……今日もあの忌々しい太陽が姿を現そうとしているわね」
レンスルス大森林に隠れ住むエルフであった頃の淡雪じみた肌ではない、チョコレート色の肌を覆うのは濃紺のメイド服である。
翼持つ彼女には邪魔なので、背中は大きく穴を開けたデザインに仕立て直されている。
できれば主の着ていたものを拝借して身を包み、快楽もとい忠誠心に浸りたかったが、サイズが合わなかった。特に胸の。
ともあれ背中から生えた翼をばさりとはためかせつつ、少女は昇りきたる太陽と真っ向から対峙し、口上を続ける。
「私の如き闇の者には、無遠慮に大地を照らす日光など無粋の極みでしかないわね……まぁ、偽りの安寧を生きる愚かなる生命にとっては、そうではないのでしょうけれど」
と、足元でちゅんちゅん言っている小鳥を見やる。
「脆弱な小動物が、私の隣に立つなど不快でしかないわね……」
そう言って、竜の翼の、切先じみた先端を小鳥の前に突き出し毛並みに触れる。
「フフ……怖い? 本来なら抹殺していた所だけれど、運が良かったわね……今日の私は機嫌が良いわ。見逃してあげる」
と、翼を引っ込めた。
彼女は右の手のひらを顔に当て、悩ましい仕草をしつつ、含み笑いと共に言う。
「……今日もまた、欺瞞に満ちた日々を無為に過ごす有象無象の影で蠢き、暗躍する一日が始まる……フフ、胸が踊るわ。やがて暗黒の帳が世界を覆い尽くすまで、狂気のダンスを舞い続けましょう……」
――ちなみにこの少女、リューミラ・エレネスレンスルスは、生前も朝は屋根に登って「お天道さま!! おはようございますっ!!」と大声で挨拶し、「小鳥さんもおはようっ!」と指で撫で、「今日も一日がんばりますっ!!」と宣言するのが習慣であった。
朝っぱらからのテンションの高さもあまり変化はない。
「フフ、フフフフ、フッハハハハハハハハハハハハぁッ――!!」
この高笑いは無かったが、逆に言えば闇属性になって変わった事といえばそれくらいなのであった。
で、実際の一日の過ごし方であるが、どちらかと言えば彼女は暗躍を阻止する側だった。
今日も今日とてリューミラの隙を狙って早朝から台所に立とうとする主の気配を察し、彼女は現場に急行する。
「ゼノン様ぁっ!!」
「ひゃうっ!?」
不意を打たれて素の出た悲鳴をあげるゼノン。
「り、リューミラ!? こ、これはじゃな、」
「言い訳ご無用! またしても調理場に侵入し、新鮮な卵を溶いてフライパンで焼き繊細な調味料の加減で味付けするなどと凶行に走ろうといたしましたねゼノン様!」
「ぬっ、濡れ衣じゃあっ」
「弁明は聞きません! 食事の支度などといった雑事は主のすべき事ではございません! 全ては貴女様の忠実なるメイド、このリューミラにおまかせ下さい!」
「ち、ちなみに……今日の朝ごはんは?」
「今日もまたお豆のスープと野鹿のステーキです!」
「いっ、いやじゃあっ! もうそのレパートリーの少なすぎる田舎ごはんアラカルトで腹を強制的に満たすのはいやなんじゃぁっ!」
「わがままをおっしゃってはいけません! 森の恵みは割りとワンパターンなのです! さ、台所は私に任せてゼノン様は食事時までお休みになって下さい! 玉のお肌が寝不足で荒れてしまいます!」
そう言って、リューミラはゼノンをキッチンから締め出した。
「後生じゃあっ! わしに、ヴェルの朝ごはんを作らせてくれぇ……」
「だめですっ!」
数時間後、とぼとぼとダイニングに現れたゼノンを待ち受けていたのは、深皿にギッチリ盛られた豆(スープ要素は、スプーンで底をさらうと水気があったくらいだ)と、1ポンドはありそうな獲りたての鹿のステーキであった。
狩猟採集民族のカルマが溢れる食事を前に、彼女は頭を抱えてうなる。
「うおおぉ~……どうしてこうなってしまったんじゃあ……わしはメイドを雇ったわけではないというのに……」
「無論、主の邸宅は不眠不休の体制で守護させて頂きます! その傍らで日々のご奉仕もさせて頂きます!」
何の迷いもなく言い放ったリューミラに、ゼノンは聞いた。
「ふ、不眠不休……?」
「はい! 私、半球睡眠の能力を獲得してますので!」
そう言えば彼女に混ぜた一部の海棲魔獣にそういう特性があったのだった。
(失敗したぁ……)
おかげで、リューミラの寝ている隙を狙って家事を奪う事ができない。ゼノンは今更この闇鍋キメラの施術を後悔した。
(うぅ……わたしの幸せな新婚さん生活 (疑似)が闇鍋エルフに壊されていくよぉ……)
この屋敷での生活にリューミラが介入した事による実害は、家事を奪われた事だけではない。
むしろこちらの方が深刻だ。
彼女はなぜか、ヴェルに強烈な敵愾心を抱いているのだ。
「ダンナサマハコチラヲドウゾォ」
露骨に引きつり気味の、端的に言えば「お前を可能な限り残虐に殺す」と主張を込めた微笑みと共に、リューミラが向かいの席に座るヴェルの前に置いたのは。
豆の、煮汁であった(しかも食器は皿ではなく鍋だ)。
(わたしのと足して割ったらちょうどよかったんじゃないかなあ……)
ほぼ煮豆状態の自分の皿と見比べて、ゼノンはそう感想した。
豆の皮と少量の脂が浮く汁を見下ろして、ヴェルは言った。
「要らん」
「あらぁ? これで三日食事を拒否しているけれど、飢えて死ぬ気かしらぁダンナザマァ」
どうやら飢えて死んで欲しいらしい。
「勘違いしているようだが、魔人は本来食事が不要な存在だ。これまではゼノンが作ってくれるから食っていたに過ぎん」
テーブルに手をつきメンチを切っているリューミラに、平然とした顔でヴェルは告げる。
「俺は、ゼノンの作る料理しか食わん」
(ヴェ、ヴェルさまぁ~……っ!)
ゼノンの内心の乙女が愛する男の発言に喝采を上げていた。
「ぐぅっ……!」
ラブのオーラ的ななにかに気圧されて、リューミラが後退し膝をつく。
(す、隙ありっ!)
「し、しかしじゃなヴェルよ、わし、今はこの小さな身体じゃし、こんなにたくさんのお肉を朝から食べたらお腹が痛くなってしまうのじゃ」
と、彼女は湯気を立てる巨大なステーキをナイフで刻み、フォークで刺して宙に差し出した。
「じゃから、あの……わしの、これ、食べて?」
本来なら自分が作った食事を彼に供するのがベストであるが、背に腹は変えられない。この三日間、全くお嫁さん成分を補給できなかったのだ。
そして、彼女の言葉に、
「がはぁっ!」
魔人王は深刻なダメージを受けて、テーブルに突っ伏す。
強烈な重圧を受けたかのように背筋を震わせ、高鳴る心臓を押さえつける。
「ぜ、ゼノン……貴様、その仕草は、その、あれだ、致命傷に近いぞ……」
彼からすれば、ちょっと潤み加減の上目遣いで再び「あーん」を要求された図である。
その術は彼に効く。
止めないでくれ。
「で、では、あーん……」
ヴェルはそわそわしつつもテーブルから身を乗り出して、口を開けて受け入れ体制を作る。
その舌に、野鹿の脂がしたたる――
「しゃあっ!」
すんでの所で、リューミラがその肉をフォークごとかぶりついて奪い、がりごりと咀嚼する。
彼女の肉体を構成する主要因子の一つである貴種黒竜は、金属を常食して鱗を固くする種なので、鉄のフォークなどもおいしく食べられるのである。
「げぷぅっ」
と、これみよがしにげっぷを吐くところをヴェルに見せ、勝ち誇った顔をするリューミラ。
「むぅ……」
ジビエではなくお預けを食らい、さみしそうな顔をして、魔人王はうなった。
ゼノンは、柄の半ばからかじり取られたフォークを眺めてわなわなと震える。
(こ、このお姉さん、とんでもなくやっかいさんだよぉ~……!)




