2.メイドさん嫁
――アホな事やっとらんで食事にするぞこの朴念仁。
「むぅ、何が悪かったのだ……」
ミルクと卵にたっぷり浸かったとろとろのフレンチトーストをナイフで切り分け口に運びつつ、ヴェルは理不尽とばかりに嘆く。
「いーからさっさと食べんか」
同じく、小さい口にあわせてやや細かく切り分けたフレンチトーストを食べつつゼノンは言った。
彼のすぐ真横にほとんど密着しているような距離感で座っており、髪の毛からはちみつのかかったフレンチトーストよりも甘い香りが漂い、たいそう落ち着かない。
時折「もうちょっとはちみつかけた方がおいしいぞ? ほれ」と甲斐甲斐しく世話まで焼いてくれる。
それが逆にヴェルを悶々とさせる。
(嫌われているわけではないように思えるのだが……恋愛対象ではないという事なのだろうか……)
前世のゼノンは女好きでオープンスケベの化身のような男だった。
幾度女に騙され窮地に陥っても懲りずにまた女の尻を追いかける。むちっとした尻を。
その性癖が女子として転生した後も継続されているとすれば(巨乳のフィギュアに食いついていたし)、体脂肪率の低すぎる細マッチョ魔人王なぞ眼中にあるまい。
ヴェルは日々の莫大な消費カロリーを心臓の供給する魔力で賄っている魔人である。毎日三トンの牛でも食らおうが太りはしないし、性別なんて更にどうしようもない。
(いや……不可能ではない、のか?)
ごくり、と魔人王は唾を飲み込み、一瞬でぶわりと青肌に冷や汗を浮かべつつも自分の手と股間を見比べた。
完調であれば星をも穿つ拳である。自分の肉体とは言え、それよりは容易く破壊できる、はずだ。
(いやいやいや超怖いひゅんひゅんする……し、しかしこうせねばゼノンの奴が俺に見向きもしないというのであれば……)
「う、牛股師範……」
「……またなんぞアホな事を考えておるようじゃが」
人生における重大かつ取り返しのつかない選択に思いを馳せるヴェルより早く食事を終え、口元をナプキンでぬぐっていたゼノンがじと目になっている。
「ヴェル、ちょっとそこになおれ」
と、床を指差して指示してくるので、ヴェルは当然の如くそこに座った。
三日前より彼は目の前の少女の命令には絶対服従すると決めている。そこが針山だろうが溶岩の上だろうが同じ速度で跪いただろう。
ましてや彼女が自分の手で掃き清めた床に座るなどある意味ごほうびである。
「ふぇっ? ……え、えと」
ゼノンは彼の妙な物分りの良さに戸惑いつつも、同じく床に向かい合って正座した。
膝突き合わせた位置で、彼女は言う。
「どうやらおまえは先日までのように、生きる希望を失った状態ではなくなったらしい」
「ああ。貴様のおかげだ」
「う、うむ。そうか……まぁ、それはめでたいことじゃ。しかしじゃな」
こほん、と咳払いをして、腕を組み神妙そうにゼノンはヴェルに告げた。
「おまえはどうも、女に弱すぎるようじゃ」
「む。そ、そうだろうか」
「そうなんじゃ。じゃからピンクエルフの地雷女なんぞに隙を突かれるし、ちょっと優しくされた程度でコロっと絆されてわしのような元腹筋シックスパックのマッチョジジイにプロポーズなんぞしてしまうのじゃ。その弱点が治らん以上、またいずれ悪い女に引っかかり身を持ち崩すことじゃろう」
そのやけに信用のない結論に軽く傷ついたが、信用に足る女性経験を全く積んでこなかった童貞魔人としては口をつぐむしかない。
なので、と彼女は言い、
「まだまだわしの嫁プレイは続行じゃ! あの手この手で女に慣らし、やがて海千山千の女にも動じない頑強な精神を持つ弱点無きネオ魔人王にしてやろう!」
「お、おう……おう?」
ヴェルの頭では、魔導王の叡智が弾き出す結論が妙に突拍子もない方向に突撃していったように見えてしまう。
首をかしげる彼に、彼女は畳み掛ける。まるでモノを考えるゆとりを与えるつもりがないかのようだ。
「リニューアル記念として、今日は一風変わった趣向をやるぞ、ヴェルよ。昼食時になったら中庭に来るがよい」
ヴェルが言われた通りに中庭に訪れると、ゼノンのゴーレムたちがいそいそと支度に取り掛かっているところだった。
芝生にはマットを敷き、その上にテーブルと椅子を設え食器を並べている。
「野掛けか」
木々の影と木漏れ日が良いアクセントになって目にも楽しい。ここでの食事は随分と楽しめそうだ。
しかし、並べられた椅子が一つなのが気にかかるが――
「おお、ヴェルよ、待っておったぞ」
「む、すまんなゼノン。夏アニメの消化予定チェックリストを作っていたらつい時間のぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!?」
ヴェルは、驚愕の絶叫をあげた。
なんか夢々しいものがそこにいた。
「ふふん、よいリアクションじゃ。夜なべしてこの衣装を作った甲斐があったものよ」
と、ゼノンはリネン地のエプロン越しのふくらみかけの胸に手を触れ、ドヤっとした顔をする。
今の彼女はメイドの衣装に身を包んでいる。
しかも、ロングスカートのいかにも仕事着らしいヴィクトリア朝メイドのではなく、扇情的でコスプレ感のするフレンチメイド服である。
電子精霊端末の動画でしかお目にかかった事のないものがこれ以上ない再現度で三次元化された光景に、ヴェルは三つ目をくわっと見開かざるを得ない。
「むっふっふ~。どうじゃヴェルよ、かわゆいじゃろ~? これぞ本日の目玉、春のメイドさん嫁ごほーしプレイじゃっ!」
くるりとその場でターンして、スカートのフレアを悩ましい高さまではためかせ、ゼノンはにかっと笑う。
たいへん目が幸せな光景ではあるが、しかし。
「メイドさん嫁……?」
言葉の奇妙な食い合せに、ヴェルは思考の迷路にさまよわざるを得ない。
「そこはうまく気にせずにおけい。ともかく今日のランチはわしが自ら給仕してやろうぞ! ゴーレムカモン!」
と、彼女は指をぺすっと打ち鳴らす(そこは言及しない方が良いだろう)。
『ま゛っ』と彼女お得意の石巨人(二メートル程度)がワゴンに乗った料理を運び、ゼノンはそれを受け取ってテーブルまで運ぶ。
実際彼女が手を下したのは数メートル程度である。
「ほれっ、座れ座れだんなさまっ♡」
何か納得いかない気分になりつつも、ヴェルは言われるがまま一つきりの座席に着座する。
(旦那様……)
感動と共に、その言葉を反芻する。
以前はその呼び方を拒否したものだが、なんともったいない事をしたものだ。
(今回はメイドとしての標準的な呼び方を採用したに過ぎんのだろうが……あの時「あなた」「だーりん」「だんなさま」のどれかを選べばそれで固定されたという事か? クソッ、選択肢を間違えた……!!)
人生にリセットボタンがないのをこれ程悔やんだ事はない。
――彼は、少女がこの強引なメイドプレイを敢行した理由の一つが、ごく自然に彼を「だんなさま」呼びできるからという真実を知るよしもない。
ともあれ、ゼノンは鼻歌まじりに蓋のかぶさった皿をテーブルの上に置き、グラスにオレンジジュースを注ぐ。
そして彼女がクロッシュを取ると、甘い卵の香りが漂ってきた。
「今日は、定番のオムライスじゃ」
バターと卵の照り返しで黄金色に輝く、なんとも美味そうなオムライスである。
「で、ケチャップをかけて」
と、ソースポットに注がれた赤いソースで、彼女は表面にハートマークを描く。
「おぉ~……」
この背筋のむず痒さ、まさに完璧なメイドさんのオムライスだ。
しかも料理達者なゼノンが作ったものなのだから、これが不味いはずもない。
だが。
「貴様は食わんのか?」
「何を言う。メイドさんがだんなさまと同じ食卓につくわけがあるまい」
「むぅ、そうか……だが、次は作法なんてどうでもよいから相席して欲しい。俺は、貴様と共に食うのが一番好きだ」
「……ずっ、ずるい発言をするのぅ」
トレイを抱えて顔を半分隠し、ゼノンはそうつぶやいた。
「ともかく今は、いただこう」
「――む。待て、ヴェルよ」
スプーンを持ち上げた彼を、ゼノンは留めた。
「食べるのはまだ早い。仕上げが終わっとらん」
「仕上げ?」
これ以上何か工夫の余地があるのだろうか? と眼下のケチャップのかかったオムライスを見下ろしつつヴェルは疑問に思う。
ゼノンは言った。
「うむ。ここで魔法をかけねば、そのオムライスは完成とは言えん」
「魔法……?」
食物の味を引き立てる魔法なんてものが作られたとはついぞ聞いた覚えがないが、相手はかの魔導王である。
そんな研究をしていてもおかしくはないが……
「では行くぞ」
「お、おう……」
やけにもったいつけて言うゼノンに、ヴェルはスプーンを手にしたまま待ち構える。
彼女は、両手でハートマークを作って、「きゅるんっ☆」と効果音のしそうな媚びっ媚びのポーズをとって甘ったるい声で言い放った。
「おいしくなーれっ☆ もえもえきゅんっ」
刻が、静止した。
顎先から冷や汗をたらしつつ、ヴェルは自信満々にウインクする彼女に告げる。
「ゼノン、その、なんというか……」
言いにくそうにしてから、
「過ぎたるは及ばざるが如しというが……前世の貴様のガチムチ野獣系老人っぷりを知る身としては、ええと、なんだ、そこまで演出過剰なのは、どうも」
――正直、引く。
そう彼が言うと、ゼノンはポーズを固定させたまま見る見る顔を赤くする。
「な、なななななんじゃなんじゃその言いぐさは! 人ががんばって練習したのに!」
「す、すまん。だがな」
「ええい黙れ黙れっ! 今更吐いた言葉を取り下げられるかっ!」
がばっと彼女はヴェルに迫り、椅子を蹴りたて彼を転ばせる。
「ちょっ……」
芝生に仰向けに倒れた彼に馬乗りになり、取り上げた皿とスプーンを両手に持って、ゼノンはオムライスを一口分すくい彼へとつきつける。
「いーから文句言わんと食え! ほれっ、口開けんか!」
――メイドさんに馬乗りに押し倒されて、「あーん」を要求された上で手ずから食べさせてくれる構図である。
(なんでこいつは狙ってない時の方があざといのだろう……)
宝刀の刺さった心臓が脈打つ仕草に、魔人王の青肌は赤くなる。
「あ、あーん」
素直に口を開けて、受け入れ体制を作る。
細切れになった鶏肉ひとかけが入った赤いライスに、黄金色の卵がくるまった、食欲をそそるひとさじのオムライスが彼の口へと運ばれていく――




