1.甘味魔導王の乙女しぐさ
さて当のゼノン・グレンネイドはと言えば、寝室のベッドに寝そべり太平楽に寝息を立てていた。
「すぅ……すぅ……くぅ」
星の川が流れるような明るい金髪を枕からシーツへとこぼし、ピンク色のパジャマを着て、ブランケットを抱くようにして小さく丸まった姿勢で、時折にへへと笑いを漏らす。
「んぅ……ヴェルさまぁ……すごいれす……はだいろがくーるですてきですぅ……真夏日もけーざいてきぃ……」
なんかいい夢を見ているらしい。
いつまでも眠りの世界から出てこないと思われた彼女だったが――時精霊が六時を刻んだ瞬間、就寝前にセットしていた催眠魔法が起動し、脳波をコントロールして自然とストレスなく覚醒した。
目を開き、むくりと身体を起こして「んーっ」と伸びをする。
「よく寝たぁ……まほうって、ほんと便利だよねぇ」
前世の記憶を思い出すと共に身についた魔導王の強壮にして精緻な魔法の技術を、この少女は思う存分生活の為に使い倒していた。
ついこの間まで二度寝と寝坊が日常茶飯事だった彼女もこうして時間ピッタリに起きられるようになったし、逆に寝付きの悪い夜の入眠も簡単だ。
料理で扱う火や水など分かりやすいものから、パン種や酒類などを発酵させる時に伴う化学反応。
それ以外にも掃除洗濯庭のお手入れなんでもござれである。
なんでこんな便利なものを今まで習わなかったのだろう? と不思議に思う彼女だが、現世での教育がその答えを知っていた。
魔法とは本来、魔人の扱う魔技を模倣して創り出されたという由来がある。
要は、体面の悪い技術なのだ。
無論、その技術的価値はその体面の悪さを補って余りある為、民間で魔法の才を持つものは非常に重用されるし、貴族でも軍人なら教養として知っていて当然である。
それ以上の階級となると、体面に傷一つつけば立身出世に影響が出る世界なので、その子女に魔法を習わせるなどもってのほかという事だ。
「それをこんなに使いこなしちゃって……お父様、怒りそうだなぁ……」
しばしゼノンは、家出した実家に思いを馳せる。
「まぁ、習ったんじゃなくて、前世の知識だから。セーフだよね。セーフ」
母親の機嫌については心配していない。
あの人なら、「あら、便利そうですねメルティちゃん。ではそこの邪魔な雑草をすぱぱーんとやっちゃって下さい」と早速こき使ってきそうだ。
「……ちょっとホームシック気味かな」
十四年間、人並みに家族に愛されて育ってきた少女にとって、家族と別れて過ごすのは寂しいという気持ちもある。
ましてや、両親を切り捨てるに等しい強引さで家出をしてきたのだから、罪悪感も覚えている。
けれど、二度と帰らないという決意をしてまでセリオン都市連合国にやってきた事に後悔はない。
あの日、冒険者ギルドの手配書という形で、夢で焦がれていた人が現実のものであって、生きて会える存在なのだと知った瞬間に固まった意志は、決してその場の勢いではなく今も同じ熱量で想い続けている。
(だから、ごめんなさいお父様、お母様。メルティスは悪い子です……二度と二人に会えなくても、この幸せな生活を続けたいの)
好きな人と、寄り添って生きる日々を。
たとえそれが、偽りを塗り重ねたものであっても。
「だから、今日もがんばらなくちゃ」
少女は現状の維持というものが、受け身で保証されるものなどではなく能動的に動いて始めて獲得できるものだと理解していた。
行動あるのみ、である。
パジャマを脱ぎ、洗面台で顔を洗って歯を磨き、洗いたてのブラウスと赤いフレアスカートを着込んで、仕上げに魔法で自己暗示をかける。
姿見の前でポーズをとって一芝居。
「くっははははははは!! わしこそは古の大魔導士! 星砕く術を操る、人の形をした災害と呼ばれし最強最悪の魔導王ゼノン・グレンネイド様じゃあッ!!」
防音魔法の効果で声が外に漏れないので、存分に高笑いして演技の具合を確かめる。
「うむ、本日も上出来じゃな。流し目が実にキマっておる」
――少女の本名はメルティス・アレクサンディア・ファヴィエール=ポーラリア。
二百年前に死んだ、齢五百を超える超人魔導士ゼノン・グレンネイドの生まれ変わりであるが――その人格自体は、ごく普通の十四歳の少女である。
身支度を整えた彼女は、今日も愛する魔人王の元へ向かう為に、寝室のドアを開いて外へ出ていった。
「さぁ、上げていくぞっ! 待っておれよヴェル、今日も今日とて我が最強の嫁っぷりをとことんまで味あわせてやろうではないか! くはーっはっはっはぁっ!!」
二百年前、二人の魔王と呼ばれる者たちが相争った。
神話の時代を砕くために三層世界全てを相手取って戦争を仕掛けた男、魔人王ヴェルムドォル=グ・ム・ラゲィエル。
それを阻んだ、魔道を極めし無頼漢、魔導王ゼノン・グレンネイド。
二人の争いは人界を舞台に、様々なものを巻き込んで十六年間続き、そして魔導王の勝利という形で決着した。
魔導王は魔人王を人界を取り巻く七つの月の一つを媒介に極大封印術を施し、それは二百年の長きに渡って彼を封じ込め続けた。
魔導王自身も、神界の神々の計略により弟子に裏切られ、数年後この世を去った。
そして二百年後、封印を脱出したヴェルムドォルは部下に切り捨てられ、魔力を吸収して際限なく鋭さを増す地の魔神の宝刀アスタロトで心臓を刺され能力を封じられたまま、神に導かれた勇者の襲撃から逃れつつ、北方大陸の最辺境であるセリオン都市連合国の自由都市ムンドへと流れ着いた。
魔導王ゼノンの生まれ変わりであるメルティスは、前世の記憶を夢として見続け、その影響でヴェルムドォルに強烈な恋愛感情を持ち、つい先日完全に魔導王の記憶と魔法の技術を思い出してしまう。
ヴェルムドォルが復活して現世にいる事を知った彼女は、強引に彼の住む廃墟に押しかけ無茶苦茶な理屈で〝嫁プレイ〟と称して彼との生活を始めた。
その後、ゼノンを裏切った弟子であるコール・ノットマンの襲撃を受け、宝刀の影響を精神力で押さえ込んで覚醒したヴェルムドォルによりコールを撃退し、そして。
――我が魂と引き換えてでも幸せにする! 疑似なんぞではない、本物の妻になってくれ!
落ちぶれた魔人王が、生まれ変わった魔導王にプロポーズをして今に至る。
ヴェルムドォルの愛の対象が、人格を引き継いだまま生まれ変わったゼノンである以上受ける事はできないと彼女は突っぱねているが……
(でも……正直、その、ちょっと、もったいないとも思うわけで)
朝食の支度にキッチンへと赴く最中、ゼノンは本音を漏らす。
(だ、だめだめだめだめ。騙したままおつきあいをするって不誠実だもの。わたしが、ちゃんと自分の名前を名乗って受け入れてもらって、そうでなくちゃ本当の結婚だなんていえないもの!)
悪魔の囁きを首を振って拒む。
(……でも、素の人格のままヴェルさまとおしゃべりするって、十年経ってもできそうにないよぅ)
悪魔は一柱撃退しても全部で七十二柱はいると言う。
(も……もし、もし? もう一度プロポーズされたら、どうしよう)
あれから三日経っているが、彼はその話を蒸し返す事なく、不気味なほどに以前の通りの生活を続けていた。
もう諦めているのかも知れないが(それはそれで寂しいが)、そうでなかったとしたら?
再びの機会を伺っているのだとしたら?
(い、一度目でも暗示が解けちゃいそうなくらい動揺したのに、もう一度来られたら、だ、だめかも。あんなに力強く、まっすぐ見つめられて、おまえが欲しいって言われたら……)
立ち止まり、赤くなった頬を押さえて狼狽するゼノン。
(きゃ~~~~~~~~~~~~~~!! ぜ、ぜったいむりむりむり! こ、今度はぜったい断れないよぉ~!)
ばたばたと足踏みして、興奮を抑える。
(どうしようどうしようどうしよう~……あのドアを開けたらヴェルさまが立っててわたしを抱きしめて愛してるって囁いてそれでそれで)
妄想を際限なくたくましくしながら、ゼノンはキッチンに続くダイニングの扉を開いた。
――そこにいたのは、妄想の相手である魔人王ヴェルムドォルご当人。
濡れたような黒髪と、金色の三つ目と赤黒い角、そして蒼く凍れる肌を持つ美形の青年である。
しかし彼は、妄想とは違って床に座り込んでいた。
それも、膝を折りたたみ、体幹に優れた綺麗な形の正座をしている。
精神の姿勢まで整えられていると分かる、至極静謐な〝わびさび〟を覚えるような佇まい。
和服でも来ていればさぞ似合っていただろうが、衣装だけは日々着ているアニメTとジーンズ姿である。
「ゼノン」
彼は、扉に立つゼノンを呼ばわった。
と同時に、水の流れるが如き動作で床に手をつき、続けて頭をその間に接地させ、完全につむじを彼女へと向けるような姿勢を取った。
あまりにも不可解な動作に、妄想で煮えに煮えていた少女の脳髄が冷却される。
「ええと……なんじゃ? それは」
「DOGEZAだ」
魔人王は迷いなく言い放つ。
「う、うむ。前世で東方のモンとも交流を持っとったからそれはわかる。わしは、なぜ今それをすると聞いておるのじゃ」
「うむ。貴様に我が渾身のプロポーズをすげなく断られてから三日三晩寝ずに考えたのだが」
と、彼は前置いて言った。
「やはり、この感情は俺の気の迷いなどではない。三日前から俺は完全に貴様に惚れている」
「……そ、そうか。ほうほうそうか」
もじもじしながら彼女はそれを聞く。
それでだ、とヴェルは言い、
「拒絶されるのならともかく、気の迷いと取り合ってすら貰えぬではそれ以前の問題なのでな、どうすれば我が偽りなき誠意を貴様に示せるのかと考えた末の結論がこれだ」
「……土下座が、か?」
「DOGEZAが、だ」
やはり、彼の言葉には一切の迷いがない。
「というわけで――結婚してくださいお願いします」
静かに、しかし力強く彼は告げた。
――三層世界広しと言えど、土下座して付き合って下さいと言われて成立するカップルなど一組として存在しない。
さすがの甘味脳ゼノンでも、こればかりは苦い顔を禁じ得なかったのだった。




