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魔人王ヴェルの転生嫁  作者: 八目又臣
第一章 偽りの魔導王
31/117

29.Pから始まるプロローグ

「ん……」


 小さく身震いし、ゼノンは覚醒した。

 雨が止むほどに時間が経っており、野外にいるのに身体は濡れていない。


 意識を失った時点で記憶していた教会ではなく、一面の荒野であった事に戸惑いを覚えつつも、間近にかがみ込んでこちらを覗くヴェルを見つけた。

 同時に、お互い、ほっ、と息を漏らす。


「生きとったか」

「それはこちらの台詞だ愚か者」


 眉根を寄せて言ってくるヴェルに、彼女は思い出し、腹の傷を確かめた。

 明らかに致命傷だった傷口が、跡形もない。


「ん? こりゃどういう事じゃ」

「貴様の、尻に敷いてるものの効用だ」


 ヴェルの指摘に見下ろすと、彼女の身体の下に、白い布が敷かれていた。

 荒野の土が透けて見える程に薄いが、破れそうな脆さは感じない。神気に満ちて薄く輝き、触れた箇所がほのかに温かい。

 ゼノンが解析魔法にかけてみれば、その正体が見えてくる。


「神器……っちゅうか、こりゃ神の、」

「コールとやらに憑いていた女神を材料にしたアーティファクトだ」

「はぁー……贅沢なもんじゃのう」


 敷布代わりにしていたそれを持ち上げ、ほこりをはたき落として掲げつつ、まじまじと眺める。

 布地の神気は未だ満ち満ちている。神の全霊体を一枚の布に込めているのだから、ゼノン一人の傷を治したところでまだまだお釣りが来るほどだろう。


「そういや、霊体を練って道具化するのはおまえの特技じゃったの」

「というより、多くの魔人の基礎技能だ」


 ――ゼノンはパン屋での面接の件を知らないので、「そっちを披露すれば引く手あまただったのでは?」というつっこみは入れられない。


「その服もか?」


 ヴェルの身体を包むジーパンとアニメTに目線をやってゼノンは問いかけた。

 今朝着ていたものと似ているように思えるが、違和感がある。

 プリントされたイラストが前衛芸術のようになっていた。


「うむ。基底状態から第一形態に変化した時までは保っていたのだが……一足飛びに第三形態までいったせいで、破れてしまってな……これは大気中の塵から作り直したのだが、俺は一介の消費豚に過ぎんので、絵心とかは無いのだ」


「あとで描いてやろっか? わし絵も嗜んどったし」

「えっ、マジで? リクエスト内容考えるから一日、いや三日待って」

「食いつきっぷりがキモいのう……しかし、変身したって事は、」


 荒野の果て。地平線まで伸びる魔人王の技痕を見て、ゼノンは言った。


「コールは、死んだか」

「ああ。殺した」


 ヴェルは疑問を挟む余地なく、冷徹に告げた。

 意識のなかった彼女は、ヴェルとコールの戦いの経緯を知る由もないが、その冷厳な一言は理解を促すのに十分だった。

 ゼノン・グレンネイドの最後の弟子は、死んだのだ。


「……弟子入りを拒まんのがゼノン塾の方針と言ったが」


 彼女は、そう前置いて、ぽつりと、小さくつぶやいた。


「今世ではもう、弟子は取らんじゃろうなぁ……」


 謝らない、省みない、己が意を曲げない。

 それが、かつてのゼノン・グレンネイドという男だった。


 しかし彼は死に、そして生まれ変わり、変わり果てた弟子を見て、その始末をつけてやる事も出来なかった。

 彼女は初めて、自分の過ちを認める心境になっていた。


 その背中は細く小さくて、寂しそうで、

 疲れ、老いているようにも見えて。


「お、おい」


 ヴェルは、その背を軽くはたく。


「そう決めつけるものではない。貴様の弟子は百人を越えているのだろう? 中には、貴様に感謝している者もいるはずだ」


 ゼノンはそれを耳にして振り返り、奥歯にものの挟まったような顔つきで考え込んで、はっとする。


「……慰めてくれとるの?」

「そ、それは、だな」


 ヴェルは顔をそらして、青肌でも分かる程に顔を赤くして言った。


「妻が落ち込んでたら、そうするだろう……夫なのだし」

「へっ?」


 ゼノンは、ぎょっとするあまり間抜けな声を漏らした。

 その不可解かつ唐突な変化に、こいつは本物のヴェルムドォルかとまず疑い、次に心変わりの理由を何度も何度も思い返して検討し、


 あの教会での告白にたどり着いた。

 彼女もまた、一瞬で耳まで赤くなる。


「ばっ、ばかもの! ありゃこれで最期じゃと思っとったから吐いた思いの丈って奴じゃ! 変な気を使うでない! さっさと忘れろ!」

「む、無茶を抜かすな。こうなったのも、貴様が迂闊に死にかけるのが悪いのだろうが」


「嫁の恥に触れないのも旦那の甲斐性じゃろうが!」

「そ、そうなのか……ならそうするが」

「じゃから急に素直になるなよぅ~……っ」


 頭を抱えて恥の記憶を振り落とすようにぶんぶん振るゼノン。

 ちょっと酔ってきた所でそれを切り上げて、うぅ、と唸り。

 そして言った。


「……あ、ありがとうな、ヴェル」

「う、うむ」


 それを受けて、ヴェルも腕組みして照れをこらえるようにしつつ、そう答えた。

 ごほん、と咳払いして彼は言う。


「ところでゼノンよ、その《リーベラの聖骸布》だが」

「ふーん、らしい名じゃな」


「ああ。それは、素材が下級女神とは言え神そのものだ。貴様一人を癒やしたくらいでは機能が停止する事はなかろう」

「おう、見たとこまだまだ余力はあるっちゅう感じじゃ」


「実は、先程の戦いでムンドの人間が全滅していてな……」


 というより、原因はほぼヴェルがコールを煽った事である。

 その辺は棚上げして、彼はゼノンに提案した。


「それ、使えるのではないか?」










 全ムンド市民への処置は、ゴーレムを数千体作成して補助をさせつつのフル稼働でも、一夜を要した。さすがに数が数である。

 ただ、その甲斐はあった。


 死にたてで魂魄が遊離しきっていなかった上に、最初の広場のものを除けば無傷の死体である。リーベラの聖骸布は十分に機能した。

 広場で死んだ損傷の激しい者たちにしても、数百人程度だったのでゼノンが特別な施術を行い対応している。


 ムンドの人口はおよそ十万。

 その全員を、欠ける事なく再生させる事ができた。

 ――できたのだが。


「……えー、そのぉ~……わしが今回の事件の当事者の、ゼノン・グレンネイドじゃ」


 コール襲撃事件の発端となった広場に、集められるだけの復活者たちを集め、急遽こしらえた壇上に登り、ゼノンは言った。

 小さく縮こまり、指をつんつんと突き合わせ、要はとても気まずそうにしている。

 というのも、


『……………………………………………………………………………………………………………』


 彼女を見上げる、無数の視線に耐えかねてである。

 ――牛鬼と合成させられた男が、「ぶしゅるるる」と憤懣に満ちた息を吐いている。


「えぇと……おまえらの再生には成功した。赤子から老人に至るまで全員イケた。わしがんばった……けど、死後数時間ってあれじゃろ? 脳細胞とかとっくに死に始めとるし、死後硬直とかも始まる頃合いじゃろ? 魔導学的な観点でも、霊体が二割三割は流出しとる時間じゃし……失われたものを、補う必要があったんじゃよな」


 言い訳がましいゼノンに、間近の、手足が粘体スライムと融合した男が問いかける。


「……だから、俺らをモンスターと融合させたって事かい、お嬢ちゃん」

「……………………うん」


 彼らから目をそらし、ゼノンは言った。

 今の彼らはなみなみと注がれたガソリンであって、その一言は種火である。

 全市民キメラと化した彼らムンドの民は、彼女に怒号を浴びせかける。


「ざっけんなー!」

「どうしてくれんだよコレ!」


「カネ返せ!」

「犬と混ぜられたせいで自分のワキガが(くっせ)ーんだよ!」


「俺なんかタコのキメラだぞ!? 一夜にしてハゲ散らかっちまったよォオオ!」

「アタシの彼が砂蟲サンドワームでアタシが鳥女ハーピーって、こんなの別れるしかないじゃない!」


 悲鳴と罵声を山ほど浴びせかけてくるムンド市民。

 それを受けて、壇上のゼノンは、拳を顎にやって舌を出してウインクした。


「ゴメンねっ☆」

「「「「「ブッ殺すぞこのガキ!!」」」」」


 さすがに今回は力技かわいさで誤魔化す事は出来なかった。

 暴動寸前の空気に、ゼノンが攻撃魔法で鎮圧にかかる事も考慮し始めた(外道)時に、隣で様子見していたヴェルが前に進み出た。


「むぅ、何を怒っているのだ貴様ら」


 本気で、彼はそれを理解していない顔つきである。


「貴様らが死んだのは、下級女神の、大して強制力のない権能をまともに受けるような脆弱さのまま日々を無為に過ごしてきたせいだろう? ゼノンがその軟弱な精神と肉体を補ってやったのだから、むしろ礼の一つでも言うのが筋というものだ」


「こっ、こらヴェル! こんなタイミングでおまえの特殊極まる世紀末覇王的価値観を披瀝するでない!」


 嫁に怒られて、ヴェルはすごすごと引き下がった。

 が、彼の吐いた言葉は広場の皆が耳にした。


 もはや収集不可能な程にヒートアップしたムンド市民を前に、ゼノンはおろおろあたふたとして――とうとうキレた。


『うるっさいのじゃぁあぁああああ――!!』


 魔法で拡声しつつ、彼女は叫ぶ。


『ヤっちゃったもんは仕方ないのじゃ! わし責任なんて取れんもん!』


 十万人を相手の居直りである。


『ともかく! おまえたちは悪党やら逃亡奴隷やらに加えて半モンスターになったわけじゃ! ホント救いようがないのうおめでとさん! 今後討伐クエスト組まれたり義憤に燃える勇者やら国軍に攻められる愉快痛快な修羅道まっしぐらの人生を送るハメになるじゃろうから楽しみに待っとれ!』


 ゼノンは無茶苦茶な言い分をまくしたてて、最後にとびっきり自分勝手な発言で〆た。


『ケツ持ってほしかったらわしらの魔王軍に入る事! 以上!』


 言うだけ言って、彼女は転移術で逃げた。











 郊外の廃館に続く林道まで逃げてきた二人は、そろってふぅ、とため息をついた。


「やたら長い一日じゃったのぅ……どっと疲れたわ」

「ああ。家が恋しいな」


 うむうむ、と頷いて、ゼノンは林道を歩きだした。

 ヴェルもまた、それについていく。


「あの様子だと、その内この館に暴徒が押しかけてくるという展開にもなりかねんな。どうする?」

「いや、さすがに今回はカタギさんに山ほど迷惑かけちゃったからのぅ……丁重に叩きのめして帰ってもらおう」

「丁重……?」


 ヴェルは、言葉のむずかしさに思い悩んだ。


「それに、もしかしたら魔王軍うちで働きたいっちゅうやつらが来るかも知れんし」

「貴様本当に図々しいな……あの惨状で、誰が俺たちの軍門に下るというのだ」


「当たると思ってなきゃ宝くじは買えんじゃろう?」

「それは博打の泥沼にハマる思考だ」


 ヴェルはにべもなく言った。

 もっとも彼もまた、「今なら星5が来る気がする。流れ来てる」と自分に言い聞かせて魔力をガチャで浪費しているのだが。

 それはさておき。


「子供と老人を省いても万軍の大勢力じゃぞ? こんだけいればわしらの生活プレイも安泰……っちゅーか、女子もたくさんおるし、ハーレムとか作っちゃうか? 男の子の夢じゃろ?」

「いや、俺は……」


 言いかけたところで、林道が途切れた。

 彼らの廃館が、そこにあった。


 木漏れ日が降り注ぎ、春風が梢を揺らす。

 刈り整えられた芝は青々と瑞々しく。

 白い屋根の家は、朝日を受けて輝きを帯びる。


「……」


 ヴェルは思わず立ち止まり、その光景に目を奪われていた。

 ここに初めてやって来た時は、色あせ、薄汚れた、陰気なあばら家としか思わなかった。

 それが今は――


「あっ、そうじゃ、ヴェル」


 ゼノンは思いついたように言うと、たったったっ、と玄関まで小走りに駆けて、こちらを振り向いた。

 輝く笑みをこぼして、彼女は言った。


「おかえりなさい」

「――」


 彼は、一瞬、言葉を失った。

 彼女を中心に収めた事で、この小さな世界が完全になったように感じられて。


(……いや)


 一つ足りない。

 もう一つだけが。

 彼は、口を開いた。


「ただいま」


 それを受けて、彼女は驚いたような顔になり、そして微笑みをより深く、魅力的なものにした。

 ――それで、魔人王の肚は定まった。


「ゼノンよ」

「ん? なんじゃ?」

「さっきハーレムがどうとか言っていたが……俺は、そんなものはいらん」


 そう言って、ヴェルは大股に彼女の元へと歩み寄っていく。

 少女の身体を、自分の影で覆うほどに近づいて、彼は。

 その手を握った。

 きょとんとする彼女に、ヴェルは告げた。


「お……俺は、貴様が欲しい」


 息が詰まる程の緊張を覚えつつも、噛まずに言えた。

 言葉を受けて、ゼノンは長い長い沈黙をはさみ、


「………………………………………………………………………………ふえっ!?」


 すっとんきょうな声を上げた。


「な、ななななななにを言うとるのじゃっ!?」

「だ、だから、その、つまりだな」


 口ごもりつつ、彼は続ける。


「俺は、貴様に惚れたのだ! 愛している!」

「ほっ、ほれぇっ!? あああああああいいいいいっ!?」


 バグりつつも、ゼノンは息を整え応戦した。ただし目はぐるぐる回っている。


「にゃっ、にゃにをとち狂っとるのじゃ! わっ、わしはおまえのライバルで、前世は男だったんじゃぞ!?」

「今は紛うことなき女だろう! ライバル関係は解消だ! ゼノン、このヴェルムドォル=グ・ム・ラゲィエルは、この世のどの女よりも貴様が好きだ!」


 忌名で宣言し、三重魔眼を閃かせ、家の玄関を背にした彼女に圧をかけつつ。

 彼は、その言葉(・・・・)を少女へと思いっきり投げ込んだ。








「我が魂と引き換えてでも幸せにする! 疑似プレイなんぞではない、本物の妻になってくれ!」

 


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