26.最強の旦那様 ②
「アッハハハハハハハッ! 見ろよリーベラ! 木っ端微塵、いや完全消滅だ! ついに我が人生最大の汚点にして障害、ゼノン・グレンネイドを私の手で葬ってやった! しかも、魔人王までおまけについてくるとはな!」
飛翔魔法でムンド上空を浮遊しつつ、コールは調子を外した哄笑を上げている。
無礼な口ぶりに苛つきつつも、リーベラは霊体の感覚で地上の状況を把握する。
さすがは魔導王ゼノンの固有魔法の一つ、というべきか。《天魔光爆》の被害半径は広大で、町の中心区画3ブロックを纏めて更地にしてしまっている。
爆風は周囲の建築物の窓ガラスを破損させ、生き残った住民は我先にと逃げ惑う。
地獄絵図とも言える光景だ。
(まぁ、この辺境は非恭順の輩の流れ着く場。魔に染まるより前に滅ぼしてくれた方が、我々にとっても都合が良い)
平然と、冷酷な感想を抱く女神。
神を名乗る者とて、この三層世界構造ではただの超越者ではいられない。
人界の生命体の信仰と崇拝を寄り集めなければ、格段に弱体化してしまう一個の生命に過ぎない。
三つの世界の原則を叩き壊そうとした魔人王と、それに拮抗する力を持ちながら神に従わない魔導王は極めて危険な存在だ。
何と引き換えにしても滅ぼさなくてはならなかった。
辺境のまつろわぬ民が一万や二万死んだ所で、安い犠牲だ。
むしろゼノンらにそそのかされた犯罪者の巣窟と喧伝し、無辜の民に怒りを抱かせる事で神の版図を広げられるかも知れない。
(利用できるものは、なんでも使っておくに越したことはない)
信仰がなくては弱体化する――つまり裏を返せば、人界を全て己の色で染め上げた神は、神界の頂点に立つ存在にすらなれる。
(なってみせますわ……ヴィタエをも蹴落として、最高位の命の女神に)
その為に、ヴィタエが無用と切り捨てたコール・ノットマンに接触し、リスクのある魔導王討伐を実行したのだ。
この功績を活用して、成り上がってみせる。
『コール、よろしかったの? あれでは死体を解析し、ゼノンの転生の秘密を突き止める事はできなくなった』
利用すべき相手の一人に声をかけると、彼は水を差されたような顔つきでうなった。
「そうでしたか……前のコールは、そう意図していたのですか」
『記憶の継続に不具合がありまして?』
「ええ、まぁ、即席の転生術では、直近数時間の記憶に欠落が出ましてね……」
コールはかぶりを振って、リーベラの霊体を見て晴れやかに言った。
「でも、どうでもいいじゃありませんか、そんな事。――私は、神の使命を成し遂げた。より安全で永続する転生術を、その褒美として頂きたい」
以前よりもなお年若い少年の顔立ちから、欲望のぎらつきが覗いている。
(度し難い……これだから人間は)
利益が無ければ信心を持たない。
鼻先に人参を吊るさなければ簡単にそっぽを向き、魔に傾いてしまう。
『ええ。我が勇者コール、必ずや、お姉様にかけあいましょう』
しかしリーベラはそう言った。
かつて言った通り、霊体の劣化は本人の精神性の問題だ。
この男はどんな対策をしても、早晩摩耗しきり、転生もできなくなって惨めに死ぬだろう。
だが、このような度し難い生物に、手心を加える必要などない。
騙し、搾取し、管理する対象でしかない。
(私の手駒は乏しい……せいぜい、利用価値が無くなるまで使い潰させて頂きます)
そう決意を固める彼女。
コールは、一瞬失望を面相に浮かべる。彼とて神への不信感は持っているのだろう。
しかし、それに縋るしかないのだ。
「なにとぞ、なにとぞお願いしますよリーベラ様。私はゼノンだけでなく、あの魔人王まで討ち果たしたのです。人類でも、最大の功と言って差し支えありますまい」
もうもうと上がる土煙に消えた魔人王ヴェルムドォル。
リーベラとて知る彼の異常な力からすれば、この程度で死ぬとは考えられない事だったが――魔人のリークにて知った、彼の状況からすれば当然だろう。
心臓を基点とした魂魄自体に、魔神の宝刀が刺さっているのだ。
生きている事自体が不条理極まりない事なのだ。
これ以上の理不尽は、起こり得ない。
「フフ……これでコール一族の伝説が更新された……この手柄を持って本部研究会に帰れば、私は英雄だ……カノッセスでの屈辱を晴らしてやる。この《天魔光爆》を見れば、連中も信じざるを得まい。すぐにでも会長の座に返り咲いてやるぞ、」
【――師の、たかが小技一つを真似られた程度がそこまで誇らしいか?】
大気が、おぞましい声を浸透させる。
「何、だ……ッ!?」
意味不明の恐怖を唐突に覚え、一瞬で滝のような汗を浮かべたコールが、声の発せられた眼下の光景を見下ろす。
「…………………………ぁ?」
明白な異常が、地上で起きていた。
噴煙がいつの間にか渦を巻き、雨を巻き込み、黒々とした嵐になっている。
周囲に、白い光の玉が無数に浮かんでは消えていく。
その現象の正体を、リーベラが先に気づいた。
(《天魔光爆》で発生した魔素を吸収している……!?)
魔素は魔力を媒介する元素であり、魔力で肉体を構築する魔人にとって、いわば酸素に相当する。
今、地上で胎動する何者かは、魔法で発生した魔力を分解して、それを吸気しているのだ。
つまり、その存在は――
(局所的な天変地異を引き起こしている……ただ、息を吸っているだけで!? 馬鹿なッ!! さっきまで、ただの人間と大差ない気配でしかなかったというのに!)
疑念に囚われる女神。
しかし、答えは単純だった。
その男は、この一年間ずっと呼吸していなかっただけの事。
心臓の宝刀の影響、ではない。
彼はただ息をするのも面倒で嫌だというメンタルにまで陥っていたのだ。
弱体化を通り越して、瀕死の状態まで存在の格を落としていた彼が今、自発呼吸し復活しようとしている。
(ゼノンはヴェルムドォルを復活させる手段を持っていたというの!? ならなぜ今になるまで使わなかった! ――畜生、深入りし過ぎた!)
顔をひきつらせ、悔恨にうなるリーベラ。
もし魔人王が戦えるというのなら、コール一人では到底太刀打ちできない。
『逃げなさいませコール――』
【いいから、そこで震えて待っていろ】
ぎしっ。
周囲の空気が、軋むような圧力を、その言葉に感じた。
女神ですら。
(たかが言葉一つで、《恐慌》の状態異常を付与された!? 私まで影響を受けているですって……馬鹿な、馬鹿な、馬鹿なッ!!)
コールもまた汗を垂らし、歯を鳴らして身体を縮こまらせている。
(精神高揚の加護が全く効いていない……)
超常たる神のもたらす奇跡が、薄紙のように破られている。
これが、これが――
(下級魔人の身でありながら単独で魔神を滅殺した、世界の不条理、魔人王ヴェルムドォル!)
戦慄を抱くリーベラ。
暗雲の中で〝彼〟は本来の姿を取り戻していく――
やがて、それが唐突に吹き散らされた。
突風が上空まで吹き上がり、コールは一瞬目をつぶり、そして。
再び目を開いた時、
「……ひ」
押し殺した悲鳴が、漏れた。
――形を持った邪悪、というのが存在するならば、まさしく彼の眼の前に在るものがそうだった。
体格は肥大化し、体長二メートルを越え、筋肉は繊維一つがはちきれんばかりに膨れ上がっている。
側頭部の双角も肥大して後方に流れ、局所的に皮膚が硬質化し要所を覆い、魔力の通った血管と神経が赤と白の文様を皮膚に刻む。
三重の魔眼が金色に閃き、
腰から伸びる赤黒い尾の先が、人間の手のようで。
狂気に囚われた芸術家が、その心情のままに鑿を振るった神の像。
そう表するのが相応しい、美しい怪物が宙に佇んでいる。
両手の中に、死した金髪の少女を抱いて。
【とりあえず、ゼノンはしまっておこう】
魔人王ヴェルムドォルはそう言うと、尾の先で中空をなぞった。
空間が裂け、開いた異空間に彼はゼノンの身体をそっとしまい込む。
無造作に次元を歪める彼に驚愕するコールとリーベラは、その事実に遅れて気がついた。
(雨が、止まっている)
雨が止んだのではない。
雨粒が、空中に留まっているのだ。
(自然の精霊が、運動を止めた……この男が近づいただけで!)
どれほどの力の総量が、そんな異常気象を実現させるのか!
戦慄する彼らに、ようやく――ヴェルは視線を向けた。
金縛りにあったようになる彼らに気づいて、む、と唸った。
【しばらく本意気で声出してなかったからな、加減が出来ん――この程度なら動けるか?」
声の圧力が弱まり、彼らの身体の硬直が解ける。
「俺が殺すと決めた以上、貴様も、そこの女神ももう死んでいるも同然だが……簡単に殺すつもりはないのでな」
平然と、魔人王は殺意を宣告した。
彼らはそれだけで、喉から漏れようとする悲鳴をこらえねばならなかった。
ヴェルは、冷酷に彼らを見下ろして言う。
「貴様らは俺を怒らせた。――絶望に満ちた死に様でこの世界から消え去って貰う」
勇者と女神は、ラスボスとエンカウントしました。




