23.ゼノン・グレンネイドvsコール・ノットマン ③
「《アガラルカ・ゲルカニカ・ノティア、病んだ南風よ、廃退の標よ、百の悪虎を連れて奔れ。見よ――汝のゆく道には甘き贄が佇んでいる》!」
「《ラスペイル・エゲイル・エルスキュラ、昏々とした焔なれば猛き風を注がん――禍つまぐわいよ在れ、朱き嵐よ来たれ》!」
ゼノンとコールは互いに呪文を詠唱し、そしてほぼ同時に完成させた。
「《呪風狂咬》!」
「《魔焔嵐陣》!」
ゼノンの放つ呪いの黒風と、コールの放つ獄炎纏いし嵐が激突し、炸裂する。
双方、殺りに来るつもりで放った魔法ではない――序の口の、目くらましだ。
――単独で魔人や天使などの高位存在を打倒する為の魔法技術群を、超高度魔法戦闘理論と言い、これを一定基準で修めた者を高位魔導士と言う。
その技術の半分は、魔導士の隙――つまり、呪文詠唱を省略する目的に費やされる。
霊格を向上させて精霊を従属させる技術、詠唱を代理する呪具やクリーチャー、結印による補助、呪文の圧縮、発声器官の強化、呪文詠唱という事実の疑似過去転移……今日に至るまでの魔導士の研鑽の集大成が用いられる。
呪文の並行詠唱など使い古された技で、ゼノンは今の術の合間に五種の呪文を意識化にストックしている。
相手も、似たようなものだろう。
これをただ放っても、致命傷など与えられない。
魔導士の技巧は捌きにあるとはコールの言った通りで、何の工夫もなく撃った魔法など同格の術者は難なく無効化する。
だから魔導士同士の戦闘において彼らは、相手の手を読み、裏をかき、そして崩す。
捌きようのない隙を作ってこれを突くのが、彼らのセオリーである。
(そんな対等なケンカが成り立つ程度には、奴も魔導士として大成したっちゅう事か……あの洟ッ垂れが、成長したモノじゃ)
思わず、感慨に浸りかけて喝を入れる。
(老婆心は捨てろよ……もう、油断できる力量差ではない)
今撃った魔法は、試金石でもあった。
(マジでわしの方が威力が劣っとる……さすがは神の権能か)
ほんの僅かであるが、しかし真正面からぶつかれば確実に力負けする。
もっとも、何の工夫もなく真正面からぶつかろうとする魔導士など、三流未満だが。
(とは言え、そりゃああっちも同じ事……都合よく間を取ってやったんじゃ、手の内見せてみろよ、コール)
魔導士同士の闘争は、手札を晒し切った方が負けるのが相場だ。
爆煙が立ち込める広場の奥を見定め、対抗術式の準備を完成させるゼノン。
やがて、煙をかき分けて現れたのは――
「……そう来たかよ」
全身が白い、マネキンのような質感をした人型のものたちが数十体。体高はおおよそ二メートルかそこらで、しかし中には五メートル近いものもあり、白い鎧やローブを着込んでいる。
天使と呼ばれる存在だ。
魔界における魔人と同等の立ち位置だが、こちらは――改造された人界の生命体である。
この手の下級天使は、知性と肉体を戦闘能力に全振りされた一般人の成れの果てだろう。どこぞの辺境で起きた神隠しなど、人界全体に漏れる事はないのだから調達も容易だ。
「ったく、神々しい上っ面のすぐ下がこれじゃ……これじゃから神って奴ぁ気に食わん」
忌々しげにゼノンはうなる。
攻め手の彼らは、それなりに準備して来ているというわけだ。
(……いや、わしを相手にする手駒としては乏しいな)
本来なら、別の一線級の勇者を巻き込んでいてもおかしくはない。
(準備不足を押して強行した……なんぞ理由でもあるのか?)
コールとリーベラは、ヴェルの心臓に刺さった宝刀を抜く方法をゼノンが持っている事を警戒して、早期解決を図ろうとしていた。
かつ、コールが二百年かけてゼノン・グレンネイドの情報を隠蔽しようと工作していた為に、事情に知悉し、ゼノンに必殺の意志を持てる正義の味方という都合の良い駒を用意することが出来なかった。幼い少女の容姿を持つ彼女を前にして、妙な気を起こして敵に回る可能性すらある。
魔人王にしても、封印が解けて以来逃げ通しのC級難度討伐対象である。勇者とは、難度でくくれるようなクエストなど受ける気すら無い連中がほとんどだ。
これらの事情で、彼らは万全の体制を整える事はできなかった。
――無論、ゼノンのあずかり知らぬ事ではあるが。
(ま、理由なんぞどうでもいい)
攻撃態勢に入り、神級の加護を得た刀槍で突貫してくる天使たちを間近にして、ゼノンは凶悪に笑う。
「三下風情ナンボ集めようが、このゼノン様の足止めにすらならんわッ!」
流れるように手は印を結び、足は地勢の助力を得る方位へと動き、喉は十の書巻を超える情報量を一瞬で歌う。
「《精霊変質》《影杭穿》!」
近接する五体の天使が、地に落ちる影から出現した無数の杭に串刺しにされ果てる。
後衛の天使が呪文を完成させようとしていた――
「《座標転移》」
空間転移術を行使し、ゼノンは彼らの眼前に立つ。
「ふッ!」
強く踏み込む――彼女が行った動作は、拳法の震脚に近い。
魔力を込めた足踏みで、地勢を揺らし、精霊の活動を乱して精霊魔法の類をキャンセルする、簡易的な「精霊擾乱」の技術だ。
天使たちは成立しかけていた魔法を殺され、動揺する。
その隙に、ゼノンは後方の《影杭穿》で殺した天使にその白い手で触れる。
「《魔素分解》!」
天使の死体を魔力に還元し、手の内で制御しながら刃の形に形成し、前方の敵に叩き込む。
十体以上が無属性の魔力刃に薙ぎ払われて霧散した。
三チームの天使達――一体が、伝説級迷宮の怪物数十体に相当する――が秒殺。
かつ魔力の消費は最低限に抑えられている。
学府の魔導士が見れば発狂しかねない、怪物的な技術の冴え。
「食い足りんぞコール! おまえ自身がかかってこい!」
そう叫んで挑発するゼノン――
不意の、殺意を込めた魔力を受けて彼女は転移術でその場を逃れる。
四方から飛んできた数条の光線が、そこを貫いていった。
「そうそう……」
楽しげにつぶやき、彼女は印を結び呪文を唱える。
「《這探怪蟲》」
生じた空間の孔から、ずるり、と落ちてきたのは生理的嫌悪感を催す巨大な長蟲。
それは異様な速度で這いずり回り、広場に満ちて――
「――チッ!」
空間を迷彩して潜んでいたコールが、魔力に誘引される蟲にたかられて、たまらず姿を現した。
「動きの鈍い魔導士はすぐ囮と隠形に頼る――筋肉無き術者は三流と大昔に教えたぞコール!」
自分でも何か矛盾した事を言っていると思いつつ、ゼノンは光線術を放つ。
「くっ……!」
力任せに魔力盾を編んで、それを凌ぐコール。
「私を守れ!」
その命に従い、天使たちが彼の全面に展開し、横陣を組んでゼノンへプレッシャーをかけてくる。
まとめて吹き飛ばす、と彼女が術式を編み始めた瞬間、
「《塵壊衝》!」
コールから放たれた、崩壊の特性を持つ衝撃波が、前方の天使を塵に変えながら襲いかかる。
「……っ」
危うくゼノンは、それを対抗術式で命中前に分解する。
今のは高難度の第五冠位に属する黒魔法で、普通はノーモーションで撃てるものではない。
さっきの一瞬で、霊体に干渉を受ける感覚があった――件の、命を吸い取る女神リーベラの権能だろう。
既に、この広場のムンド市民は軒並み死体と化している。
もっと、効果範囲を広げる事が可能だった、という事だろう。
――消失した手勢の補充か、次元を越えて新たな天使が受肉してくる。
人海戦術で足を止め、味方ごと攻撃する。
なるほど、物量差に見合った戦術だ。
「ったく、すっかり魔導士らしく成っちまいおって……」
苦々しくうめきつつ、ゼノンは――転移術で後方に退いた。
続けて飛翔術式を展開し、広場の出口から路地へ飛び込む。
やはりと言うべきか、ムンドの大路もまた死体が転がっている。
「逃げるか!」
同じく空中を飛行して追いすがってくるコールと天使たち。
「《魔晶弾》!」
牽制で術を放つ。
歪な水晶の弾丸は、コールを守護する天使数体に直撃するが、即死には至らない。
しかし、編隊を組んで飛ぶ必要のある彼らの陣形を崩す事に成功した。
その隙に、ゼノンは小路に飛び込み姿をくらます。
コールはそれを追っていく――高空に飛び上がって俯瞰で彼女を捜索するか、大技で一区画ごと吹き飛ばそうとすれば、狙撃を受けると見越しての判断だ。
それが間違った判断というわけではないが――
小路の角をいくつか曲がった所で、コールは路地裏で待ち伏せていたゼノンの放つ光線の発動を感知した。
「ぐッ!?」
天使の肉壁と魔力盾を併用し、彼は攻撃をかろうじて防ぐ。
――攻められ、後手に回った事であちらは戦力面で優位に立っている。
が、守り手であるゼノンが全てにおいて不利というわけではない。
彼女は、都市計画の参画者となるにあたってムンド全体の図面を手に入れている。
そして空間把握能力は、魔導士の最たる才覚の一つだ。
(地の利は我にあり、っちゅう事よ……しかし)
こうしてちまちまと削っていった所で、補充の天使はまだまだいるだろう。
あちらが魔力をムンドの人口分用意できるとなれば、ゼノンの側が先に枯渇するのは確実である。
追いつかれる事が決まっている鬼ごっこに、彼女は興じようとしていた。




