20.家の外のヨメ
柄の悪そうな男に連れられ、町でも中心付近にあるオフィスに案内されたが、いかにも筋者の事務所といった風情で男率が100パーセントでパンチパーマ率が95%を超えている。
「俺は用事があるのだが……」
「ゼノンちゃんの旦那さんをタダで帰したとあっちゃあウチらもメンツが立たんのですよ。少し待っててくれ」
「そもそも俺は奴の旦那では……というか貴様ら、ゼノンとどういう関係、」
問いただす前に、男は事務所の奥に引っ込んでいってしまった。
手持ち無沙汰に出された茶を飲むが、毒は入っていない。
ゼノンの出す茶の味に肥え過ぎた舌が、まずいと感じてしまうのは困りものだが。
数分、湯呑みを手に待っていた所で、奥の扉から男が一人現れた。
頬を縦断するようなデカい傷を持つ、人を数人は確実に殺している人相の大男だ。
「おう。あんたがゼノンちゃんの旦那のヴェルさんかい」
「だから、俺は奴の旦那では……」
「よく来てくだすった。狭い事務所だが、くつろいでってくれ」
どうもここの連中は人の話を聞かないらしい。
どすん、とソファに座り込んだ大男と入れ替わりに、ヴェルは席を立とうとする。
「いや……俺は用があって町に下りてきたのだ。ヤクザと茶飲み話をしているヒマなどない」
「――なにィ?」
大男の眼光がぎらつき、部下たちが背筋を震わせる。
「馬鹿言っちゃいけねぇよお客人。この事務所が、あれかい? あんたにゃあヤー公のたまり場に見えるってのかい」
今のところそう見えない要素は一片たりとも存在しない。
「ウチはムンド成立以来の由緒正しい、善良かつ真っ当な建築企業だよ。この町のガキはみんなこのベルカッツ組の建てた家で生まれたってくらいのな」
「ほう。そうだったのか。すまんな、勘違いをして」
「おう。でえいち、ムンドのマフィアは普段は仕事持ってフツーのヤツに見える類の連中さ」
「なるほど。勉強になる。人界の様式には未だ疎くてな」
「魔人だもんなぁ!」
ゲハハハハ、と邪悪極まる胴間声で笑う大男。青肌三つ目ツノ持ちの魔人王といると、悪巧みをしているようにしか見えない。
「いや、でも、案外話せるじゃねぇか。ゼノンちゃんの言う通りだ」
「待て、奴は俺について何か言っていたのか?」
「ああ。あんたが町に下りてきた時はよろしく頼むってよ。ドラゴンを素手で殴り殺せるくらいの奴が喧嘩を吹っかけてこねぇ限り人畜無害で気風のいいヤツだから、逃げないでやってくれって……健気な子じゃねぇか。ホントいい嫁さん貰ったなぁアンタ!」
「だから、俺は奴と婚姻関係にあるわけでは……」
ヴェルが反駁しようとしても、うんうん何度も得心顔で頷く大男には通用しそうにもない。
(ツンデレってると思われている……)
ヴェルは自分なりの解釈で状況を飲み込み、全てを諦めた。
「そもそも、貴様らは奴とどういう関係なのだ」
大男は、に、と笑って答える。
「ライバルだよ」
「何?」
思わず問い返した。
見たところ、肉体・霊体の強度は紙細工に等しく、それを補う何か特殊なスキルを持っているのでもなさそうだ。
この程度の脆弱な生命が、ゼノンのライバルを名乗るだと?
「……俺の方が、もっとライバルだ」
つい変な台詞を吐いてしまった。
「? 魔人の夫婦関係の表現は分かんねぇな……いや、つまりアレだよ。同業他社って奴だ。ゼノン組はつい先週ムンド開拓事業に参入した新興の建築屋ってこった」
「ん、ああ……そういう事か」
さっきの『ま゛っ』はゼノンの使役するゴーレムだろう。
コストゼロ・疲れ知らず・力持ちと三拍子そろった人足だ。確かに自身の労働は日に数度の監督だけで、儲けも大きかろう。
「貴様らも、さぞや迷惑しているだろうな」
そんな裏技じみた真似で仕事を取られて、面白くあるまい。
そう水を向けたが、大男は、むしろ嬉々とした面魂だ。
「ああ。迷惑極まりねぇな。職人の仁義も弁えていて、腕もすこぶる良い。しかもあんなカワイイ子とくりゃ、追ん出そうものなら俺らが干されちまうぜ」
「……妙に、嬉しそうだな」
「そりゃ普通は面白くなんかねぇよ。魔導士がうさん臭ぇ手品で荒稼ぎしようってんだからな。でも、あいつぁまず俺らの寄り合いに乗り込んで、ムンド中の職工が居並ぶ前で〝こいつ〟をブチまけた」
と、大男は事務所の壁に飾ってある大きな紙を指差した。
「ゼノンの書いた図面だな」
「おう! 同業者からすりゃあよ、ありゃ垂涎モンだぜ! 俺らも伝説にしか聞いた事のねぇような失伝した技術が、惜しげも無くつぎ込まれてやがる! しかもただの模倣じゃねぇ。現代に合うようアレンジまでされてんだ。こいつを書いた奴は大天才だぜ! 図面見てこんなに興奮したのは、〝空城の主さん〟の写本以来かも知んねぇ!」
「空城の主?」
「ああ。俺ら大工の神サンだ。つっても、神界の《大工の神》と違って人間だがな。空に城をおっ立てたっつうトンデモねぇ人さ。ゼノンちゃんも影響受けてんだろうな。あの人の技が端々に見える」
(本人だからな)
そこまで言われたら、ヴェルにも空城の主の正体は分かる。
「俺の師匠のそのまた師匠くらいの世代じゃあの人の書いた図面もまだ手に入ったんだが、国連魔導士協会の連中が回収しやがってよぉ。なんでも空城の主さんは魔導士で、数々の外法禁呪に手を染めた邪悪な存在だなんだってんで、痕跡から一切消しにかかったんだ。今じゃ名前も分かんねぇ……ああクソッ! 魔導士どもめ! 連中のおかげで工法の発展は百年遅れた!」
どうも日常的な怒りのツボらしく、ソファに座ったまま地団駄を踏み始めた大男をなだめるように、手下たちが茶のおかわりを供する。
(……ゼノンも、随分と弟子に嫌われたものだ)
この時代でゼノンの名を一切聞かないのは、そこまで徹底して情報封鎖されたからか。
(手間暇も、金もかかったろうに……何がそのコールとやらを駆り立てるのだ?)
考えても答えの出ない問いではある。ヴェル自身が、そのコールという男を見た事すらないのだから。
物思いしている間に、大男は怒りを収めて会話を続けてきた。
「ま、ゼノンちゃんはそんだけのモンを差し出したってワケだ。職工にとって技術はカネなんぞじゃ替えらんねぇ。それを惜しげなくバラまいた上で、あいつぁこう言いやがった」
愉快そうに、彼は言う。
「『こいつはショバ荒らしの手打ちであると同時に、タネ銭でもある。おまえらの今後の大勝負のな。おまえらも一端の職人なら、このムンドを世界の中心にするくらいの気概を見せんか』――ってよ。そうまで言われちゃ、そのケンカ、買うしかあるめぇ。っつうわけで、今のムンドは大建築ラッシュなのさ。市長も乗り気だしよ、この町はこれからドンドンデカくなるぜぇ」
ニタニタとした顔は、仕留めがいのある獲物を見つけた猛獣のようである。
それ程の精気をこの者に与えたのがゼノンである事に疑いはない。
「ともかくだ、あんたの嫁さんは大したモンだ! って事さ。羨ましいぜ果報者!」
「……………………そうだな」
魔人の陰気な顔は、青い肌ゆえに誰もそうとは気づかなかった。
「もう行く。茶は馳走になった」
ヴェルは立ち上がって、事務所を出ていこうとする。
「あん? せっかちだな。何の用事なんだ? ゼノンちゃんへの義理のぶん程度になら力貸すぜ」
仕事の口を探している、と言えばこの男はここの下働きの席くらい用意してくれたかも知れないが、
「いらん」
ヴェルは、そうきっぱり告げて、事務所のドアから町に出た。
「どうしたんスかね、あいつ」
魔人の立ち去った後に、雑工の一人が大男に尋ねる。
彼は、軽く目を細めて答えた。
「魔人ったって男ってこった。イロイロあんだよ」




