18.働いてるとかいないとか、ごはんの味に関係ないでしょう!?
ゼノンが押しかけ、仮の嫁として居座ってから二週間が経過した。
「おはようじゃ、ヴェル。今日はいい陽気じゃな。しかし、予見霊が夕暮れ前ににわか雨が来ると言うておる。お洗濯は早めにせんとのう」
などと、ヴェルの眠る寝室のカーテンを開き、朝の日光と小鳥の鳴き声を取り込みつつ彼女は言った。
「……そうだな」
起き上がりつつ受け答えると、彼女はふぅ、と嘆息して、
「そろそろ、おはようと返してくれてもいい頃合いだと思うんじゃがのう。挨拶一つで場の空気が改まる。一種の結界じゃ。魔道の者としてはないがしろにしたくはない」
「俺は魔導士ではないし……そもそも、貴様が居座るのに賛成しているわけではない」
子供が拗ねたような響きに、嫌なものを覚えつつヴェルが受け答える。
ゼノンはむぅ、とうなりつつも、半ば無理やり笑顔になって言った。
「まっ、それはおいおいでよい! 顔洗って早く下に降りてくるのじゃ、ヴェル。今日の朝ごはんは東方大陸の珍品を試してみたぞっ! 楽しみにしておれ!」
「あ、ああ……」
ヴェルが言い切る前に、とっとっと、と軽快に下りていく彼女の背中を見送って、寝直すかとも考え――それこそ拗ねたガキだ、と思い直す。
今更遅い、とも思うが。
(……今日も、あやうく言いそうになったな)
「コメか」
テーブルに添えられた小さいボウルのようなものに盛られた、白い穀類の山を見てヴェルは言う。
「お、知っとったか」
「東方の黄龍脈源に侵攻した時にな。あちら特有の亜人がよく食っていた」
主食の白米の他にも、鰆の塩焼き、味噌汁、漬物などあちらの国で供されたものが見られる。魚からオリーブオイルの香りがしたり、味噌汁の具がハーブやジャガイモなのは、米以外をこの辺りで調達できなかったからだろう。
せめて、あちらの焼き魚なら特産の醤油で頂きたかったが、作ってもらった手前文句は言うまい。
「龍人かー。あそこの霊山で昔修行したのー。連中もそれなりに長寿じゃから、昔のダチも生きとるよなー。今度顔出してみよっかのー」
ハシを指先でくるくるさせつつ、ゼノンは言葉のわりにさして懐かしげではない。
ふと、こちらを見て言った。一転して、やけに嬉しそうだった。
「もちろん、ヴェルも一緒じゃぞっ。夫婦旅行じゃなっ」
「な、何を言い出すのだ馬鹿者。外でまでこの恥ずかしいプレイをやらかすつもりか」
「いーじゃろ? 人が見てるとこでいちゃいちゃするのも乙なもんじゃぞ?」
「乙ではない。テロだ」
ヴェルは真顔で言った。
この世界に、無用な憎悪を広げてはならないという使命感を胸に抱いている。
「そもそも俺はお尋ねものだ。あんな遠い場所まで旅などできるか」
「報奨金目当てに群がってくる連中なんぞ、蹴散らして進めばいーじゃろ?」
「どんな殺伐とした旅路だ……」
「いや、侵略活動よりは穏当じゃろ」
「それはそうだが……それでも、俺は他の場所には行かん」
ヴェルは言った。
「俺はもう、昔の俺ではない。この辺境が俺の終の棲家だ」
思いのほか、枯れた声が出た。
ゼノンはそれを受けて、しばし沈黙し。
「……ごはん、食べようかの。冷めてしまう」
「……そうだな」
居たたまれなさから逃げるように、ヴェルは食事を口に運ぶ。
味気なく感じられるのは、珍しい異国の料理だからではあるまい――憂鬱が気に現れれば、五感が鈍る。
うまい飯は、健康的な気分で食べておきたいものだ。
「しかし、ゼノンよ」
「ん? なんじゃ?」
ヴェルが空気を入れ替えるように言うと、ゼノンは鰆の身をほぐしつつ首をかしげた。
「貴様、毎日着てる服が違うな」
彼女が今着用しているのは、サマーセーターにストライプ柄のフレアスカートだ。首のチョーカーが程よいアクセントになっている。
簡素ながらも、正直似合っていると言わざるを得ない。
この二週間着ていた衣服もまた、ジャンルが多彩でたいへん目の保養になった。
その事実を口にする気は一切無いが。
「うむ。毎日同じもん着てると思われるのはいやじゃからの。……というか、気づいていたならもっと早く指摘せんか。ちょっとさみしかったんじゃぞ」
「……そう言われてもな。二週間の観察期間は妥当ではないか?」
というか、何が寂しいのだろう、と疑問に思いつつもヴェルは問いただす。
「購入費はどうしているのだ? ムンドに来る旅程で持ち運べる量ではあるまい。この町で買っているのだろう?」
「うむ。既に行きつけのブティックを数軒持っておる」
「……なんか貴様、女としての活動に手慣れているな」
「トーゼンじゃろーが。こちとら十四年間も女子やっとるのじゃぞ」
むん、とふくらみかけの胸を張って主張するゼノン。
「で、食費・被服費やらこの館の維持費やらじゃが、わしが働いて補充しておるよ」
「……なに?」
ぴくり、とヴェルの耳がうごめいた。
「馬鹿な……貴様、この屋敷から出るにしても数時間ではないか。それに、毎回買い物をして帰ってくる。いつ労働する暇があるというのだ?」
「わしは超凄腕の魔導士じゃぞ? 拘束時間が短くとも儲かる仕事なんぞいくらでもあるわ」
もう一度、ふんす、と腕組みしてふくらみかけの胸を張るゼノン。
「…………………………………………」
ヴェルは、沈黙した。茶碗を握りしめたままで。
(これは、つまり、その、なんだ)
心中の混乱をどうにか見せないよう自制するが、指先だけがかたかたと震えを隠せずにいる。
女に食事の世話をしてもらい、女に住居を補修してもらい、女に服の洗濯をしてもらい、女の賃金で生活する。
そういう存在をなんというか。
(…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ヒモだ)
絶望と共に、その言葉を受け入れる。
(堕ちも堕ちたり、魔王……ッ!!)
「どうしたのじゃ? ヴェル。はしが進んでおらんようじゃが……口に合わなかった?」
妙に不安そうな上目遣いで聞いてくるゼノン。
時折彼女がする、このやけに罪悪感を催す仕草に彼は敗北し、
「い、いや……そういうわけではない。少し気がかりがあっただけだ」
白米をかきこみ、魚を噛み締め、味噌汁を飲み下す。
「うぅ……うまい……めっちゃうまい……」
働かずに喰らうメシがこの上なく美味と感じられてしまう体に、このかつての魔人の王は変わり果ててしまった。
「なんで悲しそうな顔して言うんじゃ……ま、まぁ、おいしかったならよい」
と、不安げな顔をほころばせるゼノン。
「おかわりいるか? 食べ終わったら、その服洗濯してやるから洗濯カゴに入れておくのじゃぞ?」
「ぐぅう……これ以上俺を手厚く介護するな……おかわり」




