1.魔導王ゼノン・グレンネイドの最期 ①
「と、とりあえず、ここにかけよ」
リビングに招いた少女に、中央のテーブルを示す――より前に、彼女は椅子にかけていた。
妙に懐かしい傍若無人っぷりであるが、座っているのは下座でやけに品のいい座り方だ。埃をハンカチではたいて下に敷きまでしている。
ヴェルムドォルが対岸の椅子に腰掛けると、彼女はむ、と顔をしかめる。
「なんじゃ、ヴェルムドォル。おまえ客に茶の一つも出せんのか」
「勝手に押しかけてきた癖に図々しい……我は、家事とかよくせんのだ」
「ん、あー、ちょっとの間手打ちする時とかに出てきた酒やメシは五魔将の一人が部下に命じて作らせとったな。あの神経質そうな。えっと、なんちゅう名前じゃったっけ」
「ケィルスゼパイルだ」
「あっ、そうそう。魔人の名前って、人語と発声方法から違う魔人語を無理っくり落とし込むから言いづらいし覚えづらいのじゃ。これからおまえのこともヴェルって呼ぶから」
「えっ、ちょっと、展開が早い」
「で、ヴェルよヴェルよ、ケィルスなんたらくんとその手下はどこ行ったのじゃ? わし長旅でのどかわいとるよ」
当然のごとく魔人の忌名を無遠慮につづめて呼ぶ少女。もしかしたらフルネームをすでに忘却している可能性すらある。
ゼノン・グレンネイドとは、そういう人間だからだ。
魔人王は彼女から目をそらして言った。
「……魔将とは、ゆえあって別れた」
「えっ? じゃあ、メシとかどうしとるの?」
「別に、魔人は食事を取らんでも死にはせんし……」
「こらっ、そういうのよくないのじゃ!」
ばんばんと机をはたいて言う少女。
「ちょっ、埃が舞う……」
「どーりでやけに弱体化しとると思った。仙人クラスに至った魔導士でもけっこーいるんじゃよなー。霊体の魔力で肉体を維持できるからメシを食わんってやつ。身体はデカくならんし、食の快楽もほどほどに楽しまんと魔道は極められんっちゅーのがわしの持論なんじゃが」
「貴様は……よく食うし、デカかったな」
「おう。体高百九十三センチ、体重百二十八キロで体脂肪率一桁キープ。神像の如き肉体美じゃったろう」
ドヤっとして言う少女。
「ガッチムチのマッチョ老人など、ひたすらに暑苦しかっただけだ……だが」
今目の前にいる彼女の身体。かつてのゼノンと比較して、胴回りですら奴の二の腕より細いかも知れない。
「ちなみに現世の身体は身長百四十三センチで体重三十七キロ。スリーサイズは上からなな、」
「い、言わんでいい!」
あけっぴろげに自分の肉体情報をさらけだそうとする美少女を、ヴェルムドォルは慌てて止める。
(なんて慎みのない……)
魔人は負の層におわす神に祈った。いや、自分が滅ぼしたのだが。
祈りは届かなそうだったので――先送りにしていた問いを、ようやく投げかけた。
「その姿……貴様、いったい何があった? 死んだと聞かされていたが……貴様レベルの位階に達した肉体、精神体なら、千年は劣化しないはずだ」
「うむ、それなんじゃが……あ、いや、ちょっと待て」
と、少女は立ち上がった。
「おまえが淹れてくれんのならわしがやる。キッチンを借りるからの」
床に置いたバックパックからティーセットを持ち出し、台所に消えていく。
一分程度で彼女は戻ってきた。トレイに、湯気のたったティーカップを二つ置いて。
「早」
「魔法を使ったからの。砂糖は好きに入れよ。明かりもつけるから」
と、少女は止める間もなく圧縮詠唱で《精霊灯》の魔法を使い、リビングを無遠慮に照らした。
食器棚には美少女フィギュアがずらりと並び、テーブルの脇には流体水晶ディスプレイと電子精霊を封入した演算機からなる情報端末が置かれている。
つけっぱなしのディスプレイの壁紙は、露出の高い美少女イラストだった。
魔人王の彫像じみた肉体を包むのは、ボロいジーンズと美少女イラストのプリントされたTシャツのみ。
それを順繰りに眺めて、かつて世界を股にかけ相争った宿敵は、なんともいえないむず痒そうな顔をした。
「ち、ちがう、これは」
「いや、みなまで言うな……おまえのシュミも随分変わったのー……っちゅーか、昔はそもそも無趣味じゃったよなおまえ。ふむ、こういう素養があったっちゅーことか」
むずむずしたような表情のまま、顎をぽりぽりとかいて、一言。
「ちょっとキモい」
「ごぶっ!」
高次生命体である魔人にてきめんに効く精神の一撃であった。
(美少女にキモいって言われた……育ちのいいお嬢様っぽい美少女にキモいって言われた……落ち着け俺、心を立て直せ。あれは知り合いの爺さん、知り合いの爺さん……いやホントに知り合いの爺さんじゃんコレ)
「む、すまん。ちと気づかいが足らんかったの……まぁ、落ち着け。茶でも飲め」
「ぐぬぅ」
促されるまま高級そうな白磁のティーカップに注がれた紅茶を一口すする。
美味かった。
「口に合ったようでなによりじゃ……では、わしの話をしようか」
自分も、ミルクを垂らしたお茶を一口飲んで口を湿らせると、少女はこう前置いた。
「まず、おまえはわしが寿命かなにかで死んだと思っておるようじゃが……わしは、討ち取られたのじゃ」
「――馬鹿を抜かすなッ!!」
反射的に。
大声が出た。
少女のあっけに取られた顔を視界に収め、しかし自分こそ衝撃を受けていると自覚しつつ、彼は取り繕う。
「貴様は、あのゼノン・グレンネイドだぞ……完全体の我が全身全霊を込めて放った《星穿ち》の魔技すら凌いでみせた怪物ではないか……復活してより、現代の魔人や勇者は何度か見たが……あんなものに貴様が殺られるはずがあるか……貴様を殺せるのは、我だけだ」
「ん、む……まぁ」
ヴェルムドォルのぶつけた想念に、少女はやや顔を赤くしてもじもじする。
「……確かに、正面戦闘で二百年前の脂がノリにノったわしは殺れんじゃろ。世界で二番目に強いおまえもぶっ飛ばしたし、当時のわしが三位以下を盛大にぶっちぎった最強ランキング一位である事実は揺るがん」
じゃがな、と少女は言う。
「本来、魔導士とは、力を無為にする搦め手こそ得手とすべき人種なのじゃ」
言わんとすることは察したが、彼は反論した。
「貴様も、そういう手口は得意だっただろうが。何度我が煮え湯を飲まされたことか」
「そうじゃな……しかし、おまえを打倒した事で、驕りもあったんじゃろうな……いや、素直に、奴らが上手だったと認めよう」
「奴ら?」
「うむ。聞くがよいヴェル、我が終生の宿敵よ。魔導王ゼノン・グレンネイドの最期を」
彼女はもう一口紅茶を飲み、長い話になると予感させる仕草と共に告げる。
遠くを、透徹するような瞳で、
「あれはそう……おまえを封印して二年後、わしがいつものようにキャバクラでおねーちゃんのケツを触りつつツケで派手に飲み明かし、喧嘩を売ってきた愚かなチンピラを半殺しにしてその上にゲロぶちまけたあとの、ひどい二日酔いで帰宅した朝のことじゃった……」
「えっ、思いのほか最悪の導入なのだが……」