2.少女の親友、元婚約者
ポラス王都ポーラリア。
今から四代前の女王ラヴェルティナの時代に、丘陵地だった旧都アクトゥルスより遷都している。
南北を運河に囲まれた、いわゆる水都であり、夏場は中に光精霊を仕込んだ紙細工を運河に流し星の川と見立てる祭りが風物で、その時期になれば四大陸中から観光客が来る。
王都は北の運河側に盛り土して築かれた王城を要として、扇状に広がる構造であり、直近に国軍の総司令部や主要な省庁を配し、更に外周に向かうにつれて、貴族の居住区、商業区画、平民の居住地と色分けされている。
居住地には無論学校がある。
平民(と貴族区画からあぶれた貧乏貴族子弟)は王立職業訓練校に通い、中級以上の貴族の子弟は王立学養院に通う。
満十五歳の成人を迎えると、前者は都内外にある職業組合配下の訓練校に進学し、後者は自分の親かあるいは付き合いのある大貴族の領地で政治と貴族たる礼式作法を学ぶ。
なお、王立士官学校はタテマエで言えば身分の別け隔てがない為、誰でも進学が可能だ。
――十年ほど前までは、この解説の登場人物に、王族をはじめとする最高級貴族は存在しなかった。
彼らは、とある事情により催事を除けば城外に出ず、宮廷付きの家庭教師に教育を受けるのが常識だった。
特に王族には、普通の学校生活など送れるはずもなかった。
今は、その事情が変わっている。
「カぁ~~~~ヅラ、迎えに来たぞォ~~~~」
洋風建築の居並ぶ中でひときわ異彩を放つ平屋の木造建築の前で、金髪の少女が輪っかにした手を口に当て声をあげる。
赤を基調とした制服は、王立学養院のものだ。
「寝てんのかぁ? 今更宿題追い込みかけてんのかぁ~? だいじょうぶだよぉ~! あたしもやってないから~! 友情の証として共倒れようぜぇ~!」
「――姫殿下」
庭先から上がってきた声に、金髪の少女――エリステラ姫は思わず「げげっ」と唸った。庭の一本松に隠れて見えていなかったのだ。
現れたのは、彼女と同じような金髪をした美青年である。
胴着と袴姿で、運動をしていたのか汗ばんでいる。
――人界の人種的傾向として、王侯貴族には金髪碧眼の者が多い。
「出やがったな生徒会長ぉ~!」
「……元、です。元。もう私は卒業して士官学校に入学してますから」
青年は、精悍な面立ちの眉根を寄せて指摘する。
「細っかいな!」
「むしろ王族の殿下にこそ細やかな気配りが必要でしょう。貴方とここの娘さんは個人的な友誼を結んでいるとは言え、王族自ら出迎えてはむしろこの家に悪い外聞が立ちますよ」
「うっさいなぁ! ウチから学校は遠回りなんだよ!」
「ならせめて馬車で登校し、共回りに迎えを命じて下さい」
「クルマで学校行くなんて恥ずかしい真似出来っかキンキン毛虫!」
「あなたも金髪でしょう……どこから学んで来たんですか、その言葉遣いと王族と正反対の価値観」
「アリスおばちゃまの著作「ぶっこみ! ポラス大運河爆走族!」からだ!」
「あの廃嫡姫、本当余計な事しかしないな……」
立ちくらみを覚えたように、金髪の青年はまぶたを揉む。
「馬鹿にすんな! アリスおばちゃまはあたしの人生の師匠だ!」
「ああ……国の未来が超暗い……」
青年は膝を屈しかけて強固な自制心で踏みとどまり、
「ともかく、爆走でも爆釣でもいいですから、一人で出歩くのはお止め下さい」
「護衛ならカヅラのオヤジんとこの三下が後ろにくっついてるじゃん。え、なに、生徒会長ここでシゴいてもらってる癖にリンドウおじの仕事に文句あるワケぇ~?」
「ぐっ……本当に厭らしい所を突いてくるなこのクソガ……」
言いかけた罵倒を飲み込み、
「私は別に衛庭隊の能力に疑問を持ってるわけではありませんが!」
「あ、家の中に聞こえるように言った」
「ありませんが! 王女が独り歩きしているように振る舞い部下に余計な重責を負わせぬよう取り計らうべきではありませんかと、そう申し上げたのです。では、カヅラ君も来てくれた事ですし私はこれにて失礼します!」
と、青年は逃げるように屋敷に引っ込んでいった。
入れ替わりに現れた、エリステラと同じ制服を着た少女は、ため息をつきながら、
「……朝っぱらから元気ね、エリ。おはよう」
「べっつに~! そんな事ないよぉ~! おはようカヅラ!」
貴族居住区の街路を、少女二人が連れ立って歩く。
「……エリ、あんたいい加減ライル様をいじるのやめなさいって」
「だってぇー、ムカつくじゃん! あの根暗デブメガネ、ダイエットに成功したからってちやほやされて生徒会長になってちやほやされて」
やや青みがかった不思議な黒髪の少女――カヅラがたしなめると、エリステラは口を尖らせた。
「別に悪い事じゃないでしょ? 父さんも最近お酒が入ると「彼はいい……」とか呟くようになったし」
「えっ、それなんかキモい」
「おもむろに人の父親をキモいとか言うな!」
「いやだって、それあんたの婿に狙ってるか、自らライルを狙ってるかとしか取れないセリフじゃん」
「前者は分かるけど、後者はどういう意味よ」
「……ふっ、ウブだねぇカヅラちゃんよ。仕事に疲れたOLみたいな外見のクセして」
「そこまで老けてない!」
カヅラは叫ぶ。
戦闘種族である竜人のリンドウ・レイロン。
その娘であるカヅラ・レイロンは、血筋からか育ちが早く体格も大きい。
制服も特別に発注したものである。
「……そりゃあ、昔からお兄ちゃんお兄ちゃんって懐いてた相手がいつの間にかみんなの人気者になってて複雑なのは分かるけど、こじらせ過ぎ」
「てめぇそれ言っちゃ戦争だろがよ!」
「ええ、受けて立つわよお姫様、私の武力はあんたの軽く百万倍だけどね!」
威嚇するエリステラを相手に、堂に入った拳法の構えを取るカヅラ。
「ちっ、懐いてなんかねーしばーかばーか。仮にそんな恥ずかしい過去が一ミリ秒でもあったとしても記憶から抹消するね――あの裏切りもん」
最後の発言だけ、少々低い響きだった。
カヅラは思わず拳を下ろして、
「……あんた、まだ半年前の事根に持ってんの?」
「むしろあんたが根に持たなすぎ。あの時、お互いあいつを二度と家に上げないって約束したじゃん」
「……だって、仕方ないでしょう? あの人の言い分は、貴族としては至極真っ当だわ。――どう考えたって、メルティスが悪いもの」
――ライル・ネスト・コルベッツ。
人界の貴族たちの間では、昔から「猶子制度」という仕組みが存在する。
交流のある国家間で、王族を養子として交換するというものだ。
その国の方針にもよるが、基本的には成人するまで預かり、その後は本国に戻るか、留まるかを選ばせ、後者を選択するのであれば爵位と領地を与えて、その国の貴族として独り立ち出来るよう支援する。
形骸化したとは言え人質交換の慣習の名残であり、制度自体を廃止した国もあるが、ポラスは残していた。
ライルは中央大陸の一国家であるコルベッツ王国出身の第八王子で、八歳の時にポラスへ養子に出された。
前王クリスロザ・ポーラリアは、コルベッツ王国の配慮として、彼を預かる際に許嫁を取り決めている。
廃嫡姫アリステラの娘、メルティス・アレクサンディア・ファヴィエール・ポーラリア。
アリステラの廃嫡は一代召上――要は、彼女の子が王室に復帰を願い出ればそれを叶えるというもので、メルティスは序列こそ低いものの、実質的な王位継承権を持っているれっきとした姫である。
この人選を行ったのは統合派の重鎮であり、今も現役の大臣であるメリアンヌ公爵で、中央への細かい配慮が見て取れる。
口さがないものは、「立ち位置のやっかいな姫を有効活用した」と公言して憚らないが……
「それは婚約の経緯はひどいと私も思うわよ? でも、ただの家出じゃない、婚約の典礼の一週間前の失踪よ? 真っ正面から婚約破棄したようなものじゃない。他国の王族相手に……許される事じゃないわ」
「へっ、カヅラは王族じゃないから分かんないんだ! 王様の子供なんてキュークツなだけだよ!」
「……あんたね」
眉をひそめて、カヅラは嘆息した。
「ガキ丸出しの事言わないの。――だいいち、それを言ったらライル様のあの言葉だって、王族のしがらみで言わざるを得ない事だったかも知れないでしょ?」
メルティスの失踪の翌日、彼は国王エドルレットに直接上奏したのだ。
――メルティス様……いいえ、メルティスは、私の体面に泥を塗りました。
――婚約などこちらから破棄します。それと、よもやあの娘が帰参したとて以前通りの貴族として迎えるなど考えてはおられませんな? 王統系譜からの抹消、いえ、ポラスという国にメルティスが存在しなかった事にして頂きたい。さもなければ、この件は私の祖国に知れるでしょう。
婚約を破棄された、という事態は将来に影響する程に体面を損なう。
ライルは、婚約の事実など存在しなかった、という方便で対処した。
わざわざ中央の大国の印象を悪くしたくなどない貴族たちにとっても、都合の良い策だったはずだ(こればかりは統合派だろうが独立派だろうが変わりない)。
この案は利害の一致からあっさりと受け入れられ、王立学養院の学生簿ですらメルティスの名は消し去られている。
「だって、わざわざ帰ってくる場所を無くすなんて冷たいじゃん……」
街路の石を蹴り上げて、エリステラはぼやく。
これが見知らぬ貴族であれば、彼女もこうまで不満を覚えなかったろうとカヅラは思う。
メルティスとエリステラ、ライルの三人は、彼が養子に出された時からの付き合いだ。
今と違って、小太りで冴えない印象の子供だったライルを、二人の少女は構いたがった。
捨てられた子犬を拾いたくなるような心理かも知れないが、それでも三人は仲が良かったのだ。
(というより……ライル様は、メルティスの事を昔から……)
その点を、彼女は不可解に思っていた。
ライルは、仮にも想いを寄せていた少女を、すぐに切り捨てられるような男ではない。
(そう思ってたんだけど……むしろ可愛さ余ってってやつなのかしら?)
カヅラは未だ十四。異性の考える事など全く理解の埒外だった。
物思いにはまりかけた所で、
「――今こそ北の大地の意気地を見せる時! そうは思いませんか!」
やけに響く声が、街路の向こうから届いてくる。
学養院付近には役所の施設もある為、通勤用の乗り合い馬車の停留所もそこかしこにある。
その一つの側で、鎧姿の青年と他数名の男女が道行く者たちに語りかけていた。
「我ら冒険者は日々魔境を踏破し、研鑽を重ねています! 冒険者の力は、ただ日々の糧を得る為に使うものではない! もっと大きな目的の為にあるのです!」
ブラウンの髪色に鳶色の瞳、この辺りでは一般的な平民の特徴であるが、顔立ちは少々粗野な味付けがあるものの整っている。
声は魔法で拡声されているようだが……それを差し引いても、通りの良いはっきりした声音だ。
青年の魅力を示すかのように、その語り口に足を止めるのは女性が多い。
「憎き魔人に脅かされた西方大陸への、我らの派遣をご支援下さい! 必ずや人界に冒険者アーウェンありと知らしめ! 我が愛すべき祖国ポラスに栄誉を持ち帰るとお約束致します!」
冒険者。
ひと目見てそれと分かる装いを、彼らはしていた。
武器こそ持ち込んではいないものの、胸甲や生地の分厚いローブを着込んでおり、父親の職業柄武具の見立てがそれなりに利くカヅラが見るに、魔導技師(錬金術師、エンチャンターなどのいわゆる生産職の魔法使いだ)によって高等な補助が施されている。
無論、高級品だ。王国軍の制式装備ではありえない。
日々、人類の領域外で魔獣や超自然を相手に、希少資源の採集や生ける災害の討伐をする事で糧を得る命知らず――冒険者でなければここまでの装備は整えられない。
それも、かなり等級の高い連中だ。
「わわっ、〝銀星の尾〟のアーウェンだ!」
と、唐突にエリステラがはしゃいだ声を出したので、カヅラはそっちを見た。
「え、なに、知ってるの?」
「むしろなんで知らないの? ポラスの冒険者ギルドのトッププレイヤーじゃん」
「言葉を返すようであれだけど、普通貴族のお嬢様は興味ないわよ、冒険者なんて賤業」
「あーあーなにそれカヅラちゃん職業差別? 去年の夏、〝銀星の尾〟が呪詛妖虎の群れを討伐しなかったら西の辺境は壊滅してたかも知れないってのにさ」
「壊滅は言い過ぎでしょ……辺境警備隊だっているんだから」
「いーや! 超強い魔獣相手じゃ辺境のモヤシ兵なんかにゃ歯がたたないね!」
「あんた……それ閲兵式とかで言ったらタダじゃ済まさないわよ」
ここまで王女としての自覚や気配りが無いといっそ清々しくすらある。
カヅラは隠れてため息をついた。
どうもここ数年エリステラは冒険者稼業に憧れており、書簡による冒険譚の収集(冒険者ギルドは、スポンサー確保の手段として多少色のついた報告書の複製を貴族たちに個人配布している)は日々の習慣であり、ひどい時は父親に頼んで直接招聘しようとすらした。
メルティスが失踪するまでは、むしろエリステラの方が家を飛び出して冒険者稼業に飛び込むのではと本気で危惧していた。
(賤業は賤業じゃない)
――カヅラの感想は、少なくとも事実のいち側面ではある。
冒険者稼業が身一つ、裸一貫で成り上がれるのがウリな以上、どうしても質の格差は大きくなる。
華々しい活躍をして、巨万の富を築くトッププレイヤーなど上澄みの更にひとしずくのようなもの。
ギルドが相当うまく管理出来ていたとしても、新人の死亡率は三割を超す業界だ。
熟練してくれば死亡率も下がってくるが、危険を避けてあこぎな手口で小銭を稼ぐ手合も増える。
マフィアの私兵、寸借詐欺、山賊……その頃にはギルドも縁切りしているとは言え、犯罪の温床と言われても仕方がない。
それに――為政者にとっては、ある種の危険を孕んだ存在でもある。
正式に任命されたというわけでもないが、個人的にはエリステラの護衛のつもりであるカヅラにとっては、冒険者と彼女の接触は好ましくない。
(っていうか、これポラスの外交政策に意見してるって事でしょう?)
十大魔王に侵略されている西方大陸に対し、国家的な支援のもと冒険者を派遣せよ。
彼らの言い分を要約するならこういう事だ。
その意見の妥当性はともかく、彼らは、中央との連合について何らかの決定が下されない限り西方情勢は静観する、というポラスの方針に真っ向から異を唱えている。
(ここ、貴族の居住区なのよ? 演説の許可は誰が与えてるの?)
王都ポーラリアでの演説、集会は許可制だ。
そして、平民居住区と比べて貴族居住区の許可申請は非常に難しい。
演説するアーウェンを遠巻きに警察が監視している以上、この件は許可を得ているという事だ。
(……なんか最近、やたらキナ臭いわね)
――今更、メルティスの家出事件が取り沙汰されて彼女の父サー・アランが投獄された件もある。
実際に臭気を感じたわけでもないが、カヅラは顔をしかめてエリステラの手を引いた。
「行くわよ」
「えーっ、もーちょい見てたいなぁ。魔法の一発くらい撃ってくれるかも」
「そんな真似したら速攻でお縄よ」
アホな事を言う王女を引きずるようにして、カヅラは歩く。
エリステラは言った。
「でもさ、最近王都も面白くなってきたよね。知ってる? 怪盗ステラスワン。昨日も現れたんだって」
「窃盗犯が捕まらない事の何が面白いのよ……そっちこそ知ってるの? ――今日で、メルティスがいなくなって半年経ったって事」
冷水を浴びせる意図で放った言葉は、露骨に図に当たった。
エリステラの握り返す手の力が、少し緩んだ。
「……そだね」
少女たちの親友が、突如失踪したのが春先の事。
もう秋も半ばまで過ぎ、冬の気配をほのかに感じるようになっていた。
「父さんから聞いたけど、国外の諜報員もまだ足取り掴めてないんだって」
「……うん」
「心配だわ……とても、とても、心配だわ」
「だね。すっごい心配」
二人の少女は顔を合わせ、頷きを交わす。
街路に落ちた枯れ葉が二人の間に落ちるだけ時を過ごし、
二人は揃って声をあげた。
「「あの子、ほっといたら何やらかすか分かったもんじゃないし」」
この二人は、親友の生死や生活の苦労については一切心配していなかった。
そんな必要など、どこを探してもありはしない。
「そりゃあ諜報員だって全力で探すわよ……メルティスだったら、今頃どっかの国に裏の王様みたいなノリで君臨しててもおかしくないもの」
「ありそうだわー……マジモンの超危険人物だからねメルって……あれで自分を「大人しい文系少女」と本気で思い込んでる所がマジヤバい」
――確かに彼女らの親友は、学校でいつも分厚い本を抱えて静かにしていた。
しかし、親友であるがゆえに二人は知っている。
メルティスは生家の書斎の本はもとより、学養院の書庫の中身だって入学した歳で全て読みつくし暗記していたのだ。本など持つ必要などない。
疑問に思った二人がメルティスに問いただすと、少女は深窓の令嬢そのものの儚げな笑みでこう言った。
――あのね、エリちゃん、カヅラちゃん。この「食用野草大百科」はね、重量が5キロくらいで、何より角が鉄板で補強されてるんだよ。すごく、すごく便利なんだよ。
それからしばらく、二人はその食用野草大百科が知らないうちに別の本に入れ替わっていないか、あるいは本の角が血で汚れていないか確認したものだ。
幼いエリやカヅラが王族の物珍しさや、東方の血筋などでいじめられかけた時、決まって翌日にはその相手は大人しくなっていた。
というか目を合わせなくなった。
学校で起きたあらゆる事件に、メルティスが関わった証拠は一切無いが……なぜか、彼女の失踪からやたら国立養学院は平和になった。
外敵に対して一切の容赦がない、超力戦型。
狩猟の得意な猛禽類が、美少女の皮をかぶったかのような存在。
ポラスの静かなる暴風姫。
それが、親友二人をはじめ一部のみが知るメルティスの素の人間性である。
「早くあの子を連れ戻さないと……」
「恐ろしい事になるね……」
少女二人は、秋空を見上げ親友 (のやらかし)をひたすらに案じるのだった。




