エピローグ.獣の長
その日、自由都市ムンドを開催地に久々の都市長会議が開かれる予定であった。
セリオンの各都市の都市長を始めとして、各界の重鎮とされる者を乗せた馬車が西の辺境を目指して進んでいく――それは、ムンド設立以来初めての事であった。
セリオン都市連合国の実質的な長が、入れ替わった事を示す光景であった。
ゼノンのゴーレム軍団とムンドの工匠たちは総出で街路の整備と、市長の言う「モッダーンでアヴァンギャルドーン」な迎賓ビルを突貫で建てさせられる羽目になった。
屋根を猫耳っぽくデザインした、市長の正気を疑う建築物である。
山猫ビルと名付けられたその建屋の一室、衣装部屋でグライカントは今日のスーツ選びに困り果てている所だ。
「うーん、中々決まらないねぇ……」
家から持ち込んだ十着ほどを並べてみて、顎に手を当て唸っている。
「こんな大それた集まりは、初めてなんだよね……というか、僕みたいのがセリオンのトップ的立ち位置だなんて何の冗談だって話だよ。向いてないよ、絶対に」
「――何を独り言を言ってるんですか」
深いワインレッドのイブニングドレスを着込んだアンリが、いつの間にか部屋に入ってきていた。
「いや、この大舞台に合う服を、考えていた所なんだよね。君のお母さんが選んでくれた奴を引っ張り出して来たんだが」
「そんなゲンの悪いスーツで都市長たちと顔合わせする気だったんですか」
「えっ」
あんまりな発言を述べるなり、アンリはクロークに収められた中から濃い灰色の、ダブルのスーツを取り出しグライカントの手前のテーブルに置いた。
「ほら、さっさと着ちゃって下さい」
「あ、うん」
娘に言われるがまま、グライカントは試着室に引っ込み着替えて戻ってくる。
「ネクタイ、無かったんだけど」
「ここにあります。ほら」
と、アンリは自分のドレスと同色のワインレッドのネクタイと、ルビーをあしらったタイピンを手にしていた。
有無を言わさずネクタイを父親の首にかけ、手際よく結んでいく。
「ずいぶん手慣れてるけど……」
「そりゃあ、何度かそうしてあげる人はいましたから」
「えー。その発言、パパはちょっとショックかもだよ」
「私も、いい大人なんです」
咎める意味か、娘はネクタイをぎゅっ、ときつめに締めて仕上げた。
「――情けない事を言わないの、父さん」
二重の意味で、咎められていたらしい。
「私は……その……いつかは父さんみたいな市長になるのが、子供の頃からの夢だったんだから」
「えっ、ホント!?」
「そうやって! 調子に乗るから言いたくなかったんです!」
背中を掌ではたきながら、アンリは顔を赤くして言った。
「とにかく! 父さんはいつも通りのらりくらりとしたダメ親父っぽくしていればみんなついてきますから! 安心なさい!」
「安心できる台詞じゃないなぁ……」
とは言え、肩の力が抜けた。
――彼女の不器用さは、母親とは違ったものではあったけれど、家族の絆を感じる事ができた。
「ありがとう、アンリ。――君も、頑張りなさい」
「言われなくとも」
目標ができた。
いつか、娘の努力が報われた時に、素晴らしい都市を引き継げるように。
「――邪魔するのじゃー!」
空気をぶちこわしにして、ゼノンが現れた。
娘と違った明るめの赤のドレスで可愛らしく着飾り、胸には「魔王軍総司令ゼノンちゃんさま」とアホみたいな名札が張り付いている。何の冗談だろう。
彼女が来る事は分かっていたが――
「同じく、邪魔をするぞ」
青肌アニメTの魔人王が、彼特有のするりとした歩法で衣装部屋に入ってきていた。
「おや、ヴェルムドォルさん。珍しい」
魔人王が外出する事など稀に過ぎると知っていたグライカントは、意外な目線を彼に送る(最近はそうでもない気がするが)。
どうせ、ゼノンがおめかしして来るというから、釣られてきたのだろうが――
「貴様に、一言な」
ヴェルは、グライカントへと告げた。
「私に?」
「うむ。数ヶ月前に、言いそびれていた事を」
と、彼はグライカントの前に立つ。
しばし、迷うようにしてから彼は言った。
「あの時、貴様は俺たちの生活が、この都市でしか成り立たないと言った」
それは、リューミラがガッツェ=バンゲン双連帝国の王子を殺害し、その報復に帝国軍が海を渡ってやってきた時の事だった。
「あの時、貴様の言葉は正しいと俺は応えた。――そして、それは今も変わっていない」
ヴェルは市長へと告げる。
「グレイマンという男の元では、それは成し得なかっただろう。魔人王ではなく、一人の市民として俺を受け入れるような場所など、この自由都市ムンド以外に存在しないのだからな」
それは、今のヴェルには似つかわしくないもの――まさしく政治的な儀礼、祝辞であった。
魔人の王として生きた男から、都市の長へと送る最大限の。
「貴様は、広く深く、そして歪む事のない靭い器を持っている」
「……ありがとう」
グライカントは、背筋を伸ばしてその言葉を受け入れた。
「行くが良い。俺は貴様への借りを、言葉だけで済ませるつもりはない」
「……?」
ヴェルの発言の意図はよく分からなかったが、アンリに促されて衣装部屋を出ていく。
去り際に、アンリがゼノンへとウインクした。
少女は普段とは違った子供っぽい嬉しそうな笑みを浮かべてうなずくと、ヴェルと共に衣装部屋に残った。
大会議室へと赴くと、既に各都市の都市長らが集結していた。
流通都市アルカシェルの黒の長ムーバー・ヴェルヴェット。
情報都市オウズの白の長チェルミィ・センズと黒の長ジャック・センズのセンズ姉弟。
武装都市ガラの黒の長マキナ・ガーランド。
歓楽都市フシミの白の長エレナ・デズモンド。
アルカシェルの白の長、フシミとガラの黒の長はそれぞれ代理を立てている。
金融都市マルシャンの長の席にも、二人の男がかけていた。
――ヴィンスは、この会議には出席しない。
昔話の決着を、つけに行ったのだろう。
「すまないね、遅くなって」
そう侘びてオーバル型のデスクの中央につくグライカント。
同席者の視線は、一様に侮りを宿していた。
仕方あるまい。
昼行灯として振る舞ってきた、中身も凡人の中年であるグライカントがセリオン都市連合国の実質的な長へと成り上がったのだ。
今回の騒動でも、さしたる役割をこなさなかった。
彼らの頭の上に立つのは、グレイマン・ゴールドバーグのような傑物でない。
面従腹背で自分たちの利益を確保しつつ、いずれはグライカントを追い落として、トップに立とうという者ばかりだろう。
グライカントの前にある道は、茨の道だ。
(歩いてみせるさ)
そう決意したばかりだ。
「では、今回の議題に入ろうか――」
言いかけた所で、会議室の扉が開いた。
警備員に扉を開けさせて入ってきた人物を見て、グライカントをはじめ全員が息を呑む。
青い肌をした、一人の男が堂々とカーペットを踏み、歩いてくる。
普段の彼を知るグライカントは、目を疑う。
魔人王は、漆黒のダブルのスーツに身を包み、深青のネクタイをきっちりと締めた姿に装いを改めていた。
西方はアルタイリア皇国に生息するスタークロウの羽毛を素材とし、ネクタイの染料は南方ゴガ大森林の深奥に群生する希少植物ターコイズ・ローズを用いた、超一級品。
テイラーは北方有数のドワーフ老匠ゴボル・フォルヌカス。
その芸術品を自然に着熟すのは、魔性の美丈夫。
誰もが、己の時を止めてその男の立ち姿に魅入られた。
魔人王ヴェルムドォルは、グライカントの娘のアンリを後ろに連れて、沈黙のまま歩き続け、
グライカントの隣に、立った。
そのままアンリに首をしゃくって指示を出す。
彼女は頷いて、懐から一本の紙巻き煙草を取り出して、グライカントへと差し出した。
――妻が死んでから、喫煙を断っている事を彼女も知っている。
グライカントは頷いて、それを受け取り口にくわえた。
――瞬間、室内に風が走る。
気づけば煙草の先端には赤い火が灯っていた。
魔人王の拳が、煙草の先端を擦って摩擦で着火させたのだ。
「ずいぶん、贅沢なライターだね」
そう笑いかけて、一息煙を吸って吐き出す。
――既に、他の都市長はこの空気に呑まれていた。
(なるほど、最高の贈り物だ)
そう呟いて、グライカントは煙草を指に挟むと周囲の都市長らに語りかけた。
「議題に入る前に、改めて挨拶をさせてもらおうかな――自由都市ムンドの市長、グライカントだ」
紫煙をくゆらせるようにして、続けて述べる。
「君たちも知っての通り、私は市民に依頼し、正当でない手段によってこの会議の実質的な長であったグレイマン・ゴールドバーグを失脚させた。彼がセリオン都市連合国の理念を忘れ、己が利益の為に我らの市民を脅かした為だ」
「……理念、とは」
都市長の一人がそれを問う。
「それを知らぬ者が長の地位に収まる事を遺憾に思う。かつて、百五十年ほど前にセリオン都市連合国の勃興の祖である人々は、こう述べた。――獣の如く逐われた我らは、お互いを守りながら生きていこうと。だからこそ、彼らは都市を役割ごとに分けて、互助しなければ生きていけない仕組みを作り上げた。罪人と逃亡奴隷ばかりの民が結びつくには、そうするしかなかった」
「……理想だ」
「いつからその言葉は、叶わぬ絵空事と同じ意味に成り下がってしまったのかね? 確かに今や理想はないがしろにされ、我らは己が都市の利益ばかりを考え互いを出し抜くようになった。その末路がグレイマンの支配だ。一つの大きな力が台頭し、我らは頭を垂れ、諾々と従う羽目になった」
「脇にその大きな力とやらを従えて言う台詞じゃないわ」
都市長の一人が、言い放った。
魔人王の圧を受けながら、大した胆力である。
「彼は私たちの王ではない。もちろん、私もこの国の王とはならない。四年に一度選挙で選ばれる、長くて三期限りの市長に過ぎない」
獣混じりの長は静かに告げる。
「私は君たちを支配しない。正当な見返りなしに、何かを求める事はしない。そして、これからも故郷を逐われた民がいればこれを受け入れ、助け合おうと思う。その信念を、これからも市政として示し続けていくつもりだ。君たちが、この、獣の国の理念を思い出してくれる事を祈ろう」
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「にゅっふふふふぅ~~~~~♡♡♡」
翌朝、魔王邸の庭でお茶を楽しみながらゼノンは思い出し笑いを浮かべていた。
(ヴェルさまのっ、スーツ姿を見られちゃったよぉ~! すんごいカッコよかったぁ~!!)
あの時、アンリに教わったネクタイ結びの小技を使って普段は出来ないお嫁さんごっこを存分に楽しめた彼女は、たいそうご満悦である。
セリオン都市連合国の体制も正常化し、金融都市マルシャンからの融資のアテもついて何もかも万々歳。
今日も元気だ紅茶がうまい。
(着々と安泰の夫婦(仮)ライフ体制が完成しつつあるねっ! わたし大天才! すっごいデキる奥さんだよぉ~!)
全力で少女は調子に乗っていた。
――と。
「む。誰か来るな」
同じく庭のテーブルにかけたヴェルが、魔王邸へ至る林道を見つつそうつぶやいた。
やってきたのは郵便配達の馬車で、職員がこちらの姿を見かけて馬車から降りると、片手に何かを持って歩いてきた。
一通の封筒である。
彼女はゼノンへと近寄ると、封筒の宛名を見つつ言った。
「えっと、お客さん宛だと思うんスけど「わが愛しのソウルフルラブドーターメル「ちょちょちょちょっと待てぇっ!!」
慌てて配達員の言葉を遮って、ゼノンは自分の本名に恥ずかしい枕詞の書かれた封筒をひったくり、配達員の女を追い出した。
帽子の内側が妙に見覚えのある、赤毛をしていた気がする。
「どうした?」
「い、いやいやなんでもないぞ、うむ」
去っていく配達員を見送ってから、ヴェルに背を向け封筒を検めた。
筆跡は元より、封筒全体にまとわりつくうさん臭い空気が、ある一人の人物の手からなるものと明白に示していた。
(お、お母様からだ!)
どうしてこの場所が分かったのか、などと思わない。
彼女の手にかかれば、こちらの所在を把握するなど朝飯前だからだ。
しかし、なぜこのタイミングで手紙など出してきたのか。
猛烈に嫌な予感がする。
母親、急な便り。
それだけで警戒に値するというのが、少女の実家周辺では共通認識だった。
彼女はおそるおそる封筒の封を切り、中身を読む。
『庭に植えた凶悪な食人植物が大輪の花を咲かせる今日この頃、わが愛しのソウルフルラブドーターメルティちゃんはいかがお過ごしでしょうか?
わたしは近所のメリアンヌおばさんを庭にお誘いしたのに逃げられてしまって悲しみママでございます。(以下どうでもいい世間話が三枚に渡って続く)
――そういえば、実は先日あなたのやらかした婚約ブッチ問題が取り沙汰されまして、わが愛しのソウルフルラブ夫であるあなたのパパが王室侮辱罪とかいう罪で逮捕されてしまいました。来月処刑台に送られるとかなんとか。
わたしは止めようとしたのですが、お前もブタ箱にぶち込むぞという官憲のこれぞ好機むしろわたしこそが本命だと言わんばかりの圧力に屈して、ついソウルフルラブ夫を差し出してしまいました。ついでにわたしの知る限りの彼の余罪もオマケでチクってしまいました。
別に危篤というわけではないのですぐ帰る必要はありませんが、ギロチン台に見事ハマったパパのスペクタクル散華っぷりを見に、あなたのダーリンと来ていただけたらと思います。
あなたのソウルフルラブマミーより 草々不一』
読み終えると共に、封筒を裏返して手紙の送られた日付を確かめる。
――先月じゃん。
「母ァ――――――――――――――――――――――っ!!」
晴れやかな空に、娘の絶叫が響き渡った。
第五章 ポラス王国編につづく




