14.黒の始末
ゴールドラッシュ・カジノ崩壊から一週間後。
歓楽都市フシミ郊外に設えられた平屋の家屋。
唐破風屋根に妻壁は漆喰、庭には枯山水、時折桜小雪が降る。
庭に唐傘を立て、紅盃に清酒を注いでくいと飲み干す着物姿の美丈夫。
〝毒蝶〟アラエモン・ベスターと名乗る男。
かつては虎城阿頼衛門という名だった。
名を与えられず生まれた遊女の子にとって、名前など時期を見て脱ぎ捨てる衣のようなもの。
(最初の名ぁは、なんやったっけ……)
確か、中書島の悪童であったか。
その名を持っていたのは、彼一人では無かったけれども。
(兵衛……満足して逝ったかい)
あの時、グレイマン体制のすべてが瓦解した日に、獅堂兵衛は彼の前で死んだ。
――見たかい、兵衛、あれを。
――おう、見たぞ、虎城。魔人王は某をも殺気の圏内に入れておった。
晴れ晴れと、獅堂兵衛は言った。
ダンジョンで破れた彼が、地下闘技場まで戻ってきていたのをアラエモンは気づいていた。
――あれが、武の天辺とやらか。……全く、何も出来なんだ。奴の前に出て一刀馳走するのも気恥ずかしいくらいの差があった。
――まったく、いまさら寝惚けた話だが……某は、向いておらなんだのよ。あれだけ人を斬って業の糧としておきながら、いや、そんな真似をせねば箸にも棒にもかからん凡才だと死に際に気づくとは。
――そりゃあ……罰当たりな話やねぇ。
もっとも、アラエモンの敵を彼が斬り殺してくれなければ、大女衒たる虎城阿頼衛門は成り立たなかったのだが。
――その割には、悔しいツラに見えんわ。
――は。そうさな……
――あれを見てなお武を究めんと欲し――そしてそれをいずれ捨てるつもりでいる阿呆な男を、最後に見たからだ。
(それは……面白いのと出会ったねぇ)
――おう、そうだ。本当に……
そうして、獅堂兵衛は死んだ。
最後まで、剣の話ばかり。
アラエモンへの別れの台詞など、一度も口にはしなかった。
(悔しいから、アタシの時ぁおまえの顔も思い出さねぇと決めてたんやけどねぇ)
アラエモンの白い着物の腹は、朱に濡れていた。
仕方のないこと。
後ろ盾であるグレイマンが失脚した今、その中枢に近い人間ほど追い落とされる立場にある。
彼を刺したのは名も覚えていない女だった。
多分手引きしたのは、市長のエレナ・デズモンドであろうが。
それなりに目端の利く女を選んで地位をくれてやったのだ、それくらいの器量がなければ困る。
(ま、潮時やと思うとったけど)
女に生き、女に殺される。
女衒冥利に尽きる生き様なれば。
(最後に麗しい桜を見れたんやから、良しとせな)
情け容赦のない一拳桜花。
――やがて散る儚さが、あまりに眩く。
あれ程の美しいものを見ることはもはや無いとあらば、この世に未練などなし。
友の逝った場所へ旅立とう。
(さいなら)
寝伏す男の背に、桜小雪がひらりと落ちる。
*********
金融都市マルシャンの高層ビル街の中心に立つメガバンク、バンク・オブ・エルドラドの本店ビルが、グレイマン・ゴールドバーグの根城であった。
あれから一週間、彼はビル内の自分の執務室から出られずにいる。
下手に警備の手薄な場所に逃げ隠れすれば、暗殺の危険は増すと理解していた。
失脚した瞬間から、彼は一家のメンバー全員から狙われる立場となったのだ。
頼るべき者、守ってくれる者など、いない。
(だからどうした)
力で従えるのが、己のやり方だ。
窮地に立たされて他人に頼るような生き方をしていれば、この場所に上り詰める前に追い落とされていただろう。
そういう生き方を、選んだ。
手を差し伸べてきた人間こそ、笑って切り捨ててきた。
(生き残ってやる)
隠し資産の回収は進行している。
その金を元手に国外逃亡する。資金洗浄の原資を失い、信用を損ねた中央大陸の貴族を頼るのはまずい。
狙い目は魔王の跳梁で混沌とした西方大陸。困窮した人間国家か、あるいは魔人側についてもいい。
裸一貫でセリオンの主に成り上がったのだ。
もう一度、同じことの出来ない道理があろうか――
「無理だよ、グレイマン」
まるでグレイマンの胸中を察したように、執務室の扉の向こうから声がする。
扉が開け放たれて、出てきたのは――黒のスーツを着込んだ兎面の男。
「ヴィン……セント」
枯れた声で、グレイマンはうなる。
警備員が、彼を素通りさせた事の意味を理解していたからだ。
どさり、と革張りの椅子に身を預けて、グレイマンはつぶやいた。
「オレを、殺しにきたか」
「ああ。お前に引導を渡すのは、俺の仕事だ」
「今更……殺し屋稼業の水など、覚えちゃいねぇだろうに」
「殺し屋として来たわけじゃあ、ないさ」
兎の顔に変わった男の表情の変化など、読み取れるはずもないが。
この場で何を思っているか想像がつく程度には、グレイマンはこの男の事を知っていた。
「ケジメかよ」
「ああ……そうだ」
「テメェは昔からそうだ。下っ端の頃から、そんなカビ臭ぇ事を抜かしていた」
「そんな遠い話は、忘れた」
明らかに嘘と分かる言葉を、ヴィンスは吐いた。
チ、と舌打ちして、グレイマンは葉巻を金歯で噛みちぎって火をつける。
「わざわざやってきたんだ、土産話の一つくらい持ってきてるんだろうが」
そう言って、葉巻を口から話して問いかける。
「――あの時、オレはどこまで裏切られていた?」
ヴィンスは答えた。
「流通都市の黒、武装都市の黒、情報都市は白と黒両方だ」
「……不愉快な予想ほど、よく当たるモンだ」
いまいましげに、グレイマンは唸り声をあげた。
――それこそが、グレイマン・ゴールドバーグの敗因。
魔王軍単体でゴールドラッシュ・カジノの攻略に乗り出せば、やはり失敗していただろう。
しかし――
「地下ダンジョンに侵入者があっさり潜り込めた時点でおかしかった」
歓楽都市への物流を管理する流通都市の手引きがあれば、潜入は容易だっただろう。
「武装都市から派遣された警備兵の戦術が漏れてれば、キメラ兵なら少人数での対応が出来て不思議じゃねぇ。極めつけは市民を扇動してカジノに押しかけさせる情報操作――終わってみりゃあ、誰でも考えつく話だがな」
セリオンを構成する都市の長数人が、調略され、グレイマンを裏切っていた。
「流通都市の白を始末したのは、悪手だったな」
あの事件が起きるまでは、都市長は裏切りに二の足を踏んでいた。
腹を決めさせたのは、流通都市アルカシェルの市長、エルネス・マズロゥの殺害が為されてからだ。
「テメェがそうなるよう誘導したんだろうが。今にして思えば、あの都市長会議でエルネスがムンドを擁護する発言をしたのはテメェの仕込み臭かったぜ……」
元から裏切りを警戒していたグレイマンへの迷彩として、エルネスを生贄にする意味もあったのだろう。
「えげつねぇ真似しやがる」
「そこは、あの子たちには出せない味さ」
都市長らの調略は、パパ・ヴィンスが行っていた。
魔導王ゼノンは聡明だが、若く、かつセリオンに訪れて日が浅い。
都市長らの心の機微を把握しており、グレイマンに察知されないコネクションを利用できるのは、長年マフィアとしてこの国に根付いてきたヴィンスだけだ。
「ロートルの、老いぼれたヤクザ者に、オレは負けたって事か」
「そうだ。――そして、その地盤を作り上げたのが、おまえが一番侮っていた男だ」
ヴィンスは言った。
「グライカントは、俺の兄弟は、耐える事のできる男だ。妻を殺されて、辺境の荒野に追い落とされても、腐る事もなく、恨みから全てを投げ出す事もしなかった。あいつが人生を投げずに都市を作り上げたから、俺はおまえに一矢報いる事が出来たんだ」
ぐぅう、と腹の底からの屈辱に、グレイマンはうめいた。
認めがたい事実だ。
魔導王、魔人王などという超越者に叩きのめされたのならまだ納得出来る。
実質、長年無価値と見下してきた男に、グレイマンは敗北を喫したのだ。
「ちくしょう……」
顔を歪めて苦悶の声を漏らすグレイマン。
兎面の男は、懐から拳銃を取り出すと、彼へ突きつけた。
「俺の時代は、こんな便利なものは無かったな」
「ヴィンセントぉ……!」
「さようならだ、グレイ」
乾いた銃声が、執務室に二度、響いた。
「終わった?」
グレイマンの執務室から出てきたヴィンスを、娘が出迎えた。
「ああ……」
兎の瞳は、昏く沈んでいた。
「辛かったね」
「そんな事はない」
男は、強がりを吐いた。
娘は、それを黙って受け入れた。
だから、ぽつりと弱音が男の口から漏れた。
「あの男は、昔、俺のともだちだったんだ」
「うん……」
「君には、俺と同じ道を歩かせたくはない」
「ダメよ。私はもう選んでるもの」
エメラダは、父の手を取って強く言葉を吐いた。
「アンリを、私の姉妹を守りたいの。私は、パパの娘だから」
「そうか……そうだな」
通路の暗い影へと、父と娘は歩いていく。




