30日目
お気に入りに入れて下さった方ありがとうございます。
《えー。この度の調査における報告を受け、河野 公一君の単独によるデータ捏造ということで断定を致しました。今後は再発防止のためコンプライアンスの徹底に努めて参ります》
目を開けていられない程のフラッシュを浴びながら、理事長が言っていることを茫然と聞いていた。理解ができない。いや、理解はしているのだが頭がそれを拒否しているというか。
1ヶ月前にも同じように、フラッシュを浴びた。同じ光なのにまるで違う。そこに込められた意志が光に乗せられているような気がする。
前回が賞賛の光りなら、今は怒りの光りだ。それもとてつなく大きな。
俺は日本の研究機関「先進理化学研究所」において研究リーダーをつとめている。再生医療の画期的な「電気刺激式再生細胞活性化手法」通称「ESEP」を発見し発表した。
200回にも及ぶ再現実験は成功し、満を時して世界的な研究雑誌に論文を投稿し掲載された。
論文は世界的に大きく取り上げられ、マスコミの取材や講演依頼が殺到し、毎日があっという間に過ぎていった。
同じ組織にいながら、名前しかしらなかったような「理事長」「理事」「名誉顧問」といった肩書の偉い先生がこぞって「君ならやれると思っていたんだ。」と口を揃えて恩人風を吹かせるのには辟易したが、この世界よくあること。
「今の私の研究あるのも、先生のお力添えのおかげです。」
俺も今年で38歳。世の中、綺麗ごとじゃなく青臭い理想論では動いていないことを知っている。
無難に流していった。覚えを良くして研究予算が増えるのなら安いものだと思った。
いよいよ、次は臨床実験に進む。それまでに邪魔な圧力は極力なくしておきたかった。
最初の兆候は、発表から2週間ほどがたった頃だった、俺のチームの副主任を10年務めた、新垣が突然の異動となった。
某国立大学の教授ポストが用意されたという事だった。彼がいなくなるのは、正直痛手であったが研究が認められた結果として仲間が出世することは喜ばしいことだと、祝福して送り出した。
今思えばおめでたい、のんきな考えだったが、当時、浮かれていた俺は全く気付くことができなかった。
次は、突然、俺のチーム全員に功労休暇なるものが与えられた事だ。行く先は、上層部が個別に選定したものでなかば無理やりの状況ではあったが。上司の研究センター部長から「メディアも色々と騒がしいし、他のチームの研究の邪魔になっている、少し休暇をとってのんびりしておけ」
という言葉をそのまま受け取っていた。結局部下達とは旅行前の打ち上げで「帰ってきたら、また泊まり込みだぞ」と笑いながら話したのが最後になった。結局、誰一人として研究室には戻ってはこなかった。
俺は、日本のマスコミから逃げるように日本人にはあまりなじみのない、南の島に1週間の休暇旅行に行き、メールも電話も遮断した生活を行った。
そして、悪夢の喜劇が幕を開けた。