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空色の虚空  作者: 赤月
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最終話 空に続く永遠の刻

 ――ここは、空に繋がれた城


「ほう、帰りたいと」

 彩はそう言って切れ長の目を細めた。口元は楽しそうに笑んでいる。

「えぇ。父王に報告をせねばなりませんから」

「そう急くことは無いだろう。もう少し、ここにいれば良い」

 朔は玉座のような場所に座っている彩に対し、首を振ってみせる。

「いいえ、既に長らく御邪魔してしまいました。ご迷惑をおかけしたことと思いますが」

「気にすることは無い。妾たちも好きでやっているのさ」

「有難う御座います。では、またお会いできることを楽しみにしております」

 朔はそう儀礼的に言って周りを見回した。

 一緒に来た青年がいない。彼には朝のうちから国へ帰ると伝えていたはずだ。挨拶もせずに、先に気球へと行ってしまったのだろうか。朔はくるりと彩に背を向けた。女達は、来た時と同様に赤い絨毯の端で伏礼をしている。誰も追ってくる気配は無かった。



 外へ出た朔は、気球の傍に立っている青年を見て絶句した。

 彼が持っているのは大きな太刀。それを地面に向かって一心に叩きつけていたのだ。

「おい、何を――!」

 朔は男の手から太刀を取り上げると、青年を思い切り突き飛ばした。小柄な彼は為すすべも無く転ぶ。朔は足下を見下ろした。そこには、ずたずたに切り裂かれた気球があった。

「何を」

 唖然とした朔は、何とかそれだけを言った。青年は怯えたようにこちらを見上げる。

「だって……だって、気球が無ければここにずっといられる。ここでずっと暮らせるから」

「何、を馬鹿なことを!」

「殿下には申し訳ありませんが、私は……俺はずっとここで暮らすと決めたんだ」

 怯えた表情をしながらも強い瞳で見上げてくる男を、朔は思わず衣服を掴んで引きずり起こしていた。ぎゅっと襟首を締め上げる。

「お前はそれでいいかもしれないが、俺は」

「――お止め」

 強い声が朔の動きを静止させた。いつの間にか隣に彩が立っている。彼女は朔が掴んでいる男に向けて、柔らかく笑んだ。

「そちらの坊の気持ちは妾には良く解る。ここを離れたくないのであろう? 王子が国に帰りこの城のことを報告して大勢の人間が此処へ来るのが怖かったのじゃろう? だが坊のことは今後も客人として手厚く歓待するゆえ、心配するでない」

「は、はい」

 彼女の台詞に嬉しそうに笑んだ青年を、朔は地面に叩きつけた。彩が魅惑的な笑みを見せる。

「お主の気持ちも良く解る。じゃが、ここもそう悪い場所ではないぞ」

「……他に帰る方法は無いのか?」

 不思議な力を使える彼女たちなら、と。朔は目を細めた。腰に佩いた剣にも手をかける。最悪の場合は力に物を言わせてでも、帰る方法を聞き出してやる。

「下界に下りる方法か? そんなものがあれば、とっくに妾が試しておるわ」

 口の端を上げながら、彩は言った。その笑顔は鏡で見慣れた朔の自嘲と同じ要素を含んでいるように思えて、思わず朔は剣を抜きそびれた。努めて冷静を装って聞く。

「どういうことだ?」

「こう言う事さ」

 彼女がそう言うと同時に、強い力に朔の身体は弾かれた。身体がいとも簡単に吹き飛ぶ。飛ばされながら、足下に見えた下界の様子に心臓が止まりそうになった。朔の身体は大陸から離れている。次は当然、下へと落ちていくだろう。襲い来るはずの落下の感覚に身を縮ませた朔だったが、いつまで経ってもその時がやってこないことに気付く。

「……どういうことだ」

 宙に浮いたまま、朔は呆然と口を開いた。

 眼下に広がるのは遥か地上の風景。しかし朔の身体は落ちていかない。

「彩の力を使っているのか?」

「いや。妾は何もしちゃいない。お主が落ちないというだけさ」

 そう言うと、彩も大陸から一歩外へと足を踏み出した。だが。彼女は当然のように何も無い宙を歩いている。

 彼女は笑った。今度ははっきりと解るほどに自嘲的な笑みだった。

「一歩でもここに足を踏み入れれば、誰であろうと出ることは出来ぬ。お主であろうと妾であろうとな。――ここは流刑場だからな。空に繋がれた牢獄さ」

 その紫水晶のような瞳に映る色は、見たことが無いほどに深い。

「お前は……此処は一体」

「お主が言うところの神という奴に、不興を買ったのは何百年前のことだったかの。あれは女好きの男でな。気に入った女を見つけては傍に寄せ、気に入らぬ振る舞いをした女は片っ端から此処に飛ばされた。時々、男も飛ばされてきたがの」

 そう言って女はくつくつと哂った。

「……彩はどのくらいここにいる?」

「歳も取らぬし年月など数えてはおらぬな。三百年……いや、四百年というところか」

 女は深い紫色の瞳を細めた。


 生を受けてから二十年間。朔が退屈に飽き、命を捨てても良いと思った年月がそれだ。それが彼女の場合は少なくとも三百年。到底、朔に絶えられる年月ではない。

 彩は口の端を上げる。

「――どうせお主もここから出られぬ。歳も取らぬ。死ぬことも出来ぬ。せいぜい仲良くやろうではないか。最近では下界から人間も来るようになって、妾達は嬉しく思っているのさ。百年も同じ顔を見ていると飽きてくるからね。なに、神の気が変わってここから妾達を出してくれる気になったら、お主も何とかなるじゃろうよ」

 そんな言葉を聞きながら、朔は絶望的な想いで下界を見下ろした。


 ――地に這い蹲っている色とりどりの街並みが、酷く羨ましく思えた。


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