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空色の虚空  作者: 赤月
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四話 空に己を映す

――此処に在るのは地獄か楽園か


「ここは……」

 広い玄関を抜けた先にあった部屋の戸を開けた途端、朔の足は止まった。

 扉から、延々と続く真紅の絨毯。その両側には女達が頭を伏せて礼を取っていた。絨毯の長さだけ、女たちも続いている。それは、遥か遠くに見える玉座のような豪奢な椅子にまで伸びた。誰も座っていない、空漠の玉座。

「――おや、いらっしゃい」

 だがその玉座から声が聞こえた。婀娜っぽく、痺れる様な甘い声。

 

 いつの間にか、誰もいなかったその椅子に人が座っている。抜けるように白い肌に良く似合う、紫色の着物を着た女性だ。着物と言っても朔達の国で女性が着ている様な綿で出来た衣服ではなく、光沢のある薄く滑らかな布で作られた衣服だった。しかも袖は肩の部分だけが無く、白い肌が肩から胸元にかけて露わになっている。

 年の頃は二十代半ばと言ったところか。女の紅い唇が笑みの形を作る。

「此方へ」

 そう言われて、初めて朔は驚愕した。

 椅子までは遠く離れている。座っているのが男か女かの判別が着かなくとも可笑しくないほどの距離だ。それなのに何故、彼女の表情、彼女の着物の柄までもが間近で見ているかのように判別できるのだ? 声も、耳元で言われたように良く聞こえる。

「ここは……神の国か?」

「さて。神とはお前にとってどのような存在を指すのじゃ? このような存在か」

 女の声が聞こえたのと同時に、朔の目の前に玉座があった。玉座に座った女が居た。朔は一歩も動いてはいない。それなのに、一瞬のうちに場所が移動している。

 知らず、剣を持った指先が震えていた。これは紛れも無く、人知を超えた力だ。

 朔は思わず口の端を上げる。すっとその場に跪く。

「ここの下にある、讃国の使いとしてここにやって参りました。王子、朔と申します」

「ほう、王子か」

 女はそう言って楽しげに笑った。

「王というのは下の世界では神のような存在だと聞く。やってきた人間は全て歓待しているが、お主は特に歓待することとしよう。――皆のもの、宴の準備をせよ」

 女が言うと、伏礼をしていた女達が一斉に顔を上げた。顔を上げ、長い裾をはためかせながらその場を開ける。代わりに男達が手際良く円卓を運び込んだ。その周りに椅子を並べ、赤い布を卓にかけた途端、その卓に溢れんばかりの料理が乗っていた。美味しそうな料理から、湯気が上がる。食欲をそそる良い匂いがする。

 何も無い卓の上に一瞬で料理が乗る様子を、呆然と眺めていた朔と一緒にいる青年に向かって、女主人は、さ、と促して見せた。

「座るが良い。下界の話を聞かせておくれ」



 ――ここは夢のような世界だ、と。

 共に来た青年は、何度も朔に言った。ここに居座ってしまったと言う瑠国の使者もそう言った。ここは夢のような世界だ。饗される贅の尽くされた食事。絹や金糸で編んだ衣服を着る事も出来るし、世話をしてくれるのは美しい妙齢の女性ばかり。希望すれば寝室を共にすることも出来るらしい。極上の生活。ここに居ては時間の感覚も忘れてしまう。

 彼らは皆、口々にそう語る。


 だが朔は退屈だった。

 仮にも王子の端くれだ。豪華な衣服も贅沢な食事も綺麗な女にも慣れている。

 豪華な暮らしを望むのなら、王宮を出て見張り台の下に部屋を構えたりはしない。

 豪華なだけの暮らしに満足が出来るのなら、そもそもこんなところにまで来てはいない。


 始めこそ、未知の力を使える彩――ここの女主人の名だ――や天空の城に暮らす他の女達との会話を楽しんでいたが、やがてそれにも飽きた。彼女たちは何も語らないのだ。何故、この城が空を飛んでいるのか。どうやって料理が出されるのか。どうしたら朔を瞬間移動させることが出来るのか。尋ねても、「そういうものだから」としか言わない。本当に知らないのかもしれない。

 鳥が空を飛べるように、魚が水の中で暮らせるように、彼女たちは自然に此処で暮らしているのかもしれない。彼女は自然に力が使えるのかもしれない。しかも、彼女達が知っているのはこの小さな大陸の中のことだけだった。美しい彼女達が語るのは、常にこの城の中で起こったことだけだ。違う女から、同じ話を何度も聞かされる。

 正直言って、うんざりしていた。



 ――所詮、楽園という場所はこの程度の物か。

 朔は自嘲するように口元を歪める。そう思うと、途端に城の外壁が色褪せて見えた。

 下界から見上げている時はあんなに光り輝いて見えた緑の野も、今はただの雑草が茂っているようにしか見えない。何故あんな大きなものが空を飛ぶのだろうと思って心躍らせていたこの大陸も、歩いてみるとごく小さなものだと解る。王宮の敷地ほどしかないだろう。

 長年、朔の心を占めていた何かがぽっかりと抜け落ちたような気がした。

 大事な何かが、さらさらと指の間を流れ落ちる。それは青臭い言葉で言えば、夢とか希望とか言うものかもしれない。手を伸ばせば掴める様な気がしていた夜空の星が、本当に掴めてしまったことに対する衝撃と落胆、絶望。

 朔は天を仰いだ。

 

 何よりあそこには、空を仰げば天空の城があった。光りを受け輝く城が。だがここには何も無い。

 全てを吸い込むような虚空の空だけ。

「帰るか」

 空に浮ぶ城を見上げられるあの場所へ。朔は一人、そう呟いた。


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