三話 空へと続く道
――青い空を翔るように
ふわりと朔の身体は浮き上がった。
みるみるうちに人々の姿が小さくなる。そこには陛下を始め、国の名高い役人が集まっていた。足下を見下ろすことよりも空を見上げることを好む朔だが、ぽかんと口を開けて見上げている人間を見下ろすのは楽しいものだと思った。
何より、陛下や王太子を足下に見下ろすことが出来る。彼らが豆粒ほどに小さくなるのを見送ってから、朔は初めて同じ籠に載っている男を見た。
未だ若い青年。朴訥とした、気の良い小市民と言った印象の男だ。彼は黒い瞳をこちらに向けた。希望に燃えていると一目で解る、綺羅綺羅とした瞳。王宮では腹黒そうな策士然とした人間の瞳ばかりを見慣れているだけに、朔は僅かに居心地の悪さを感じた。
「殿下、ご一緒できて光栄です!」
「……君達がこの気球の設計をしたそうだが」
朔の言葉に、はい、と彼は声を弾ませた。嬉しそうに続けてくる。
「長年、あの城へと行くための乗り物についての構想を練ってはいたのです。幸い、僅かですが王宮から研究費も頂いていましたしね。ですが今回、瑠国の気球の設計図が手に入りまして、私たちが研究していた浮船を改良することが出来ました。こんなものを作らせていただいた上に、その乗員にまでしていただいて、こんなに嬉しいことはありません!」
そうか、と朔は答える。
地上は遥か足下だった。だが相変わらず、空に浮いた城が近づいてくる気配は無い。
「他に乗員の希望者はいたのか?」
「え? ――えぇ、それはもう沢山。ですが、皆は快く自分に譲ってくれました」
にっこりと笑いながら青年は言った。
だが。実際は巧く押し付けられたのだろうと朔は思う。進んで試運転に命を捧げたがる人間はそう居まい。純粋にあの空に浮ぶ城に行ってみたい人間はといえば、それは大勢いるだろう。だがそれは、朔達が成功してから後でも良い。
こんな泥舟に乗るのは、自分の成功を盲目的に信じているこの青年のような馬鹿か。
もしくは自分の命を賭け金にしてでも空に手を伸ばしたい、朔のような愚かな者か、だ。
「計算では、あの城にはどれくらいで着く?」
朔は腰に佩いた剣に手を置く。
天空の城に向かった瑠国の気球は五基とも発見されていないらしい。国内・国外、どこを捜索しても見つからなかったと聞く。それは、気球が墜落してはいないことを示している、と誰かが言っていた。つまり、それらは天空の城に辿り着いてから消息を絶ったのだろう、とその誰かは説く。
――敵がいるのかもしれない。
そう考えると、朔の心は高揚する。何故かは解らない。別段、戦いが好きだと言うわけでは無いのだ。それこそが退屈な日常を変えてくれると思っているのかもしれない。
「そうですね、あと四半刻くらいではないでしょうか」
「四半刻か」
今まで、どれだけこの日を待ったことか。
それを考えれば、四半刻などあっと言う間に過ぎてしまうことだろう。
目の前には一面の野原が広がっていた。
蒼い空にぽっかりと浮んだ緑の野。そして視線を上げると、あの白亜の城がそこにあった。下界から見ていたときと、全く変わらない姿で。――朔の心は躍った。手を伸ばしても届かないと思っていた空の上にある城が、すぐそこに、触れる位置にまで来ているのだ。
青年は気球を操作して、緑の大陸にそれを下ろした。
どすん、と。重たい音を立てて、朔が乗っている籠が天空の大地に触れた。朔はひらりと籠から飛び降りる。柔らかい草の感触を、靴の裏を通して感じた。そこはまるで、御伽噺に出てくるような風景だった。
敷き詰められた緑の絨毯、所々に咲いている花々が鮮やかな色彩を与えている。一点の曇りも無い真っ白な城は、完全な左右対称に作られているようだ。王宮に暮らし、立派な建物を見慣れている朔でさえも思わず目を見張ってしまうような綺麗な城だった。 朔達を出迎えるように、正面に見える大きな城の扉は開け放たれている。
「凄い……ここが天空の城? 本当に?」
独り言のような青年の言葉に、朔は黙って頷いた。自分も誰かにそれを肯定してもらいたいような心境だったからだ。幼い頃から……物心付いた時から、常に見上げていた場所に自分はいるのだ。どんな世界があるのかと、何千回と思い巡らせた場所にいる。
「――行くぞ」
朔は剣を手にし、扉へと向かう。人々が追い求めた真相を確かめるために。




