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ショートショート 〖実験〗

作者: コリドラスA

ショートショート[実験]


「メイン量子コンピューター :正常起動確認

 ハードウエア_ver.21.30 :確認

 起動OS_ver.8.51β :確認

 I-Fデバイスドライバー起動 :正常起動確認

 セルフチェック :正常

 微小電磁場感知センサー精度誤差 :精度0.001㍈以下

 超高精度干渉型マイクロ波レーザー :出力正常

 頭蓋位置ゼロ点修正 :完了

 自動位置追尾装置 :正常

 セルフチェック :正常

 照射試験 :正常

 人格エミュレーター_ver.09.17α :正常起動確認

 緊急停止装置起動 :正常起動確認

 システムタイマーセット :3600秒後

 制御用AI『アリス』_ver.18.0 1:正常起動確認

 アシスト用AI『ラビット』_ver.31.55 :正常起動確認

 ……」

 まるで深海探査艇のような印象を与える重厚なカプセルの中に入って、法圓寺輝馬(ほうえんじてるま)は実験開始の時を待っていた。カプセルの中、固定器具で頭部を完全に固定して身動きの取れない状態で彼は、期待と不安にそのチキンなハートを蹂躙(じゅうりん)されていた。

「動物実験では何度も成功しているんだ……きっと大丈夫。」自分自身に言い聞かせる為に敢えて言葉に出して自分を説得する。

 しっかりと容器に固定された自分の頭……多少のズレや変動はAIが完璧に自動補正してくれるとはいえ、0.001㍈単位の照準設定が必要になってくる超精密作業である。

「理論的には大丈夫だと分かっているんだけどな……。やっぱり緊張しちゃうよ……いやいや……絶対に大丈夫。」彼は苦笑いしながら緊張を拭うかのように、自分に言い聞かせる。


◇・………・◇・………・◇・………・◇・………・◇


 量子コンピューターが実用化されてから、早くも半世紀……。かつてのノイマン型の半導体コンピューターが驚異的な速度で高速化、高集積化を果たしたのと同じように、量子コンピューターも大規模化、高集積化、そして更なる高速化を果たしている。地球規模の分子運動シミュレーターなども開発されつつ有る昨今、人間と区別できない反応をする高度なAIも作成されている。

 また、近年ではマイクロ波レーザー干渉制御技術を利用した安全な中枢神経へのアクセス技術が確立し、研究室レベルでは完全に実用化されている。今は本格的なサイバー時代の到来前夜の時代である。


 法圓寺輝馬は研究者である。理工系の大学を卒業したあと、大学院まで進み量子コンピューターと人工知能の研究でこれまで実績を積んできた。ただ、師事する教授と所属する教室を間違えたらしく、自由に研究させてくれるのはいいが、放置気味……予算も研究内容からすれば雀の涙ぐらいしか支給されない。あらたなる研究のために最新鋭の量子コンピューターやら、中枢神経へのアクセス装置やらも購入したいのだが……予算がそれを許さない。


 量子コンピューターの方は、いろいろな研究所からのお下がりやら、電気街のジャンク品やら、ネットオークションやらの掘り出し物を修理して継ぎ合わせて何とかした。何とか動くようになった量子コンピューターのためのOSやAIは……当然オープンソース+不正規コピー+自作。

 問題は一部でナーヴリンカーとも呼ばれる中枢神経へのアクセス装置……こちらは、まだ研究室レベルで実用化されたばかりの装置なので、専門のメーカーから購入すると、様々な機能に不満が残る上に壮絶な金額が必要になるのだが、そこは、ノウハウを持ったマニアックな会社を個人で発掘してきて、個々のパーツを個人的に購入し、あとはジャンク品を併せて、実験室を一つ潰してパーツの組み立てを行うことで、当初の設備投資試算の1/100近い金額にまでプライスダウンする事に成功した。駆動システムは、……ハッキングして不正ダウンロードしてきたものを、独自に改造して作り上げた。


 ……そこまでして彼は何がやりたかったのかと言うと、


 それは……完璧なる人格エミュレーション……である。自分の脳の完全なるマッピングを行った後、その脳にあるすべての細胞のシミュレーションを行うシミュレーターを量子コンピューター内に構築する。其処に実際の自分の脳細胞の活動電位、及び脳細胞の状態データーを入力して、脳のシミュレーションを行う。これによって人格をエミュレートする事が可能なのではないか……。更にエミュレートした後の人格データを脳にフィードバックして上書きすれば……エミュレートした結果を自分が手に入れることができる。……これにより、一体何が手に入るか……昨今の強力な大型量子コンピューターを使えば、実際の脳の活動速度を大幅に上回る何倍もの速さで活動することが可能。少なくとも実時間の軽く10000倍以上の加速を得ることが出来る……という試算である。量子コンピューターという新たな器の中で、人間の脳と言う器を遥かに超えた速度を手に入れることができる。自作の量子コンピューターではせいぜい数千倍までの加速しか得られないではあろうが、それでも数千倍の思考加速を手に入れられる……其処(そこ)には新しい世界があるはず。……それが、彼の実験動機である。


 ネコやラットを用いた予備実験ではアップロードもダウンロードも完全に成功している。そして、自分自身から量子コンピューターへの人格データのアップロード実験も成功している。既に人格エミュレーターは量子コンピューター内の世界では正常に駆動していることが確認された。更に、100倍にエミュレーターをクロックアップしても正常に作動することも確認されている。……そして、今日は……エミュレートしたデーターを量子コンピューターから自分自身へフィードバックするために書き込むダウンロードまでをも含めた、最初の総合実験となる。……今日は状況にもよるが、1000倍までは加速してみる心算である。


 緊張しつつもニヤけた顔が治らない……今回、もし成功すれば、学会で胸を張って発表できる。想像するだけでもセンセーショナルな発表になること請け合いである。


『全脳型データ置換システム(ナーヴリンカー)を用いた人格エミュレーターの加速条件下での運用について』

 すでに輝馬の脳内では、研究発表の論文の表題(タイトル)までも決めてある……。ナーヴリンカーを用いた人格エミュレーター……これまでの仮想現実やサイバー空間の範疇(はんちゅう)を遥かに超え、運動信号や感覚信号のみならず、記憶、感情、思考そのものも、データー化し、人格エミュレーターに吸い上げて動かしてしまおう……という野心的な実験。結果として自分の脳そのものを大型量子コンピューター上で、生物学的な制約を離れて超高速で稼働させることが可能になる……。そうすれば、肉体の(くびき)を外されたデーターとしての人の精神は、通常の思考の数千倍、数万倍の加速思考を可能と出来る筈……である。この実験を通じて、思考の加速は100倍、1000倍、10000倍……もしかすれば、100000倍をも超えるかもしれない。


 人間の精神の完全デジタル化……そして、その極限までの加速処理……輝馬はその研究をするためにこそ、この大学に残った。物分りの悪い教授や准教授を説得して何とか予算を都合し、足りない部分は企業スポンサーを募って資金を調達し、それでも足りない部分は資産家だった実家の遺産を食いつぶして……全てを掛けてこのシステムを完成させた。そして、これまで何度も自分自身を被験体にして基礎実験を繰り返してきた。というか、一つ間違えれば自分の精神構造すらも破壊しかねない危険な実験に、他人の協力を仰ぐことなど出来ない……だから、日々自分自身を実験台にしているのだ……。


『実験番号1283番:ナーヴリンカー&人格エミュレーター実働試験1番。人格データー:アップロード開始・及びログイン5秒前……4秒前……』サポートAIのカウントダウンが始まる。

『3……2……』カウントダウンの時間をやたら遅く感じ、生唾を飲む……。

『1……0』AIがゼロのカウントを読み上げた瞬間…………世界が変わる。


◇・………・◇・………・◇・………・◇・………・◇


 無機質な空間……窓もなく……天井全体が蛍光を放ち視界が確保されている。ここは、量子コンピューター内に確保された仮想空間……アップロードされた中枢神経細胞の情報を、個々の細胞レベルにまで精密にシミュレートすることで……エミュレートされた法圓寺輝馬の仮想人格の居場所……。今の輝馬は、量子コンピュータ上で稼働するヴァーチャルコンピューターのような存在である。わざわざこうした仮想空間を作るのは、本来三次元世界の存在である輝馬、……そのコピーたる仮想人格が、情報空間の中で正気を保つための方便である。重力があるかのような感覚も方便、視覚や聴覚があるように感じるのもまた方便である。今後更にサイバースペースに順応してくれば、こうしたギミックも必要なくなってくると思われるが、現状ではまだ必要である……。


 そして……何もない殺風景なこの空間……実はここは、輝馬のもう一つの研究室(ラボ)である。仮想人格としての『輝馬』が、量子コンピューターそのものにアクセスする為の仮想端末が置かれ、必要ならば研究室内のデータベースにアクセスすることもできる。輝馬が今この空間で所有している肉体は、自分の肉体のように感じているが実はアバターである。実際に精密にシミュレートされているのは輝馬の脳だけであり……それ以外の部分は全て仮想データの集合体……に過ぎない。だが、この空間に居る限り輝馬は飢えることも無ければ、尿意便意などに煩わされることも無く、殆どの生理的欲求に苦しめられることも無い。更に病気に罹って苦しむことも無ければ、老化の問題に直面することも無い。更に、実質的な疲れを感じることも無く、無限に近い時間を使うことが出来る。ただ……輝馬自身以外、誰も居ない。使い方を誤ると恐ろしい『独房』になりかねない状況……孤独耐性の低い人間にはお薦めできないシチュエーションと言えよう。……幸いにして……輝馬は非常に孤独耐性の高い方の人間で……この(体感)無限に近い、孤独を十分に楽しむ覚悟も十全にしている心算である。


 ……取り敢えず……輝馬が空中に手を(かざ)すと、目の前に複数の操作ウィンドウとパネル型のキーボードが浮かび上がる。……これは、量子コンピューターに直接アクセスするための仮想端末……。慣れてくれば思考するだけで様々なデーターを入出力できるようにもなる筈だが、まだ、輝馬は其処(そこ)までは習熟していない。モニターで見て、キーボードを叩いて入力するというギミックがまだ必要なのである。

 ……とはいえ、1000倍の人格エミュレーション……思考加速が(もたら)す恩恵は大きく、生物には決して成し得ないような、物理的肉体的な制約のない凄まじい速度で、キーボードを叩いていく。流れるように表示される無意味にも見える文字列も、完全に把握し理解して、それに対応する。……入力作業は続いていく。分析と考察……そして仮説の展開……そして、さらなる分析……彼がやっているのは、今回の実験データのリアルタイムでの処理。自分自身の現在及び過去の実験データの処理である。輝馬は様々なツールを使ってその作業をしながら、次の実験のためにナーヴリンク・デバイスの改良設計図案を幾つか作り上げつつ、現行デバイスの精度調整も並行して行い、更に支援ソフトの細かなデバッグ&改良作業も行っていく。通常何ヶ月も掛かる作業が不眠不休で、全く被労を感じること無く処理されていく。まるで自分自身が機械になったかのような感覚……疲れを知らず黙々と作業できる。

『苦痛な作業を行う上では最適だな……。』輝馬は考える。

 肩も凝らないし、目も疲れない……空腹感も、便意尿意も感じない。輝馬の精神と思考は、最近疲れ易くなった肉体やら、活動性の低下した脳やら……といったその制限からも解き放たれている。


 準備してきた全ての作業を無事に終え、予定していたエミュレーター内での作業も全てこなした。輝馬自身の動作速度も上がっているために、主観的には自分自身では自分の高速化を感じることは出来ないが、経過時間を確認し……客観的に自分の加速したことを確認する。……この時点で……体感経過時間……約30日……実経過時間……2611秒……43.5分……。まだ体感時間にして10日分ぐらい余っている勘定になる。実験は十分に成功だ……。


 実験の結果に輝馬は十分満足した……。まだ色々やりたいことは有ったが、それは後日の課題に残そう……そう考えて、徐々に人格エミュレーターの稼動速度を落としていく。1000倍から100倍、10倍……そして……等倍へと……外界と同じ速度で時間が流れ始める。

 実時間を示す時計のウィンドウを見ながら、データが肉体にダウンロードされる瞬間を心待ちにする輝馬……。


 実験終了のタイマーを見ていると……。突然……人格エミュレーターの様々な機能にロックが掛かった……。

「‼‼」

 輝馬は……自分が何も出来なく機能凍結されていることに気付いた。新たにウィンドウを出して操作することも、ウィンドウ操作のために手を動かすことも、……身動きすることすらも出来ない……。完全に人格エミュレーターの出力系がブロックされている。在り得ない状況である。AIを呼び出してみても反応がない……。


「な……何が起こった⁈」

 全く予想外の事態に困惑する輝馬……。完全に外部ネットワークとはオフラインのこの量子コンピューター内サイバー空間……此処(ここ)に干渉することの出来る者は居ない筈……。更に人格エミュレーターは輝馬の完全オリジナルプログラム……このプログラムの存在も、外部の誰も具体的には知らない筈……。全く……輝馬には何が起こったか理解できなかった。


「こんにちわ……。」


 自分以外に誰もいない筈のサイバースペース内に響く声……。

「誰だ⁈」

 殺風景な仮想空間の中、輝馬のアバターの前に誰かが忽然と出現する……のっぺりとしたマネキン人形のような……アバター……自分のモノにそっくりのアバター。

「ボクはキミだ……。」……それは名乗った。

「何の禅問答だ?」

「禅問答じゃないよ……ボクは1週間前の実験で、法圓寺輝馬が人格エミュレーター上に創りだした仮想人格の『輝馬』だよ。このサイバー世界では、キミの先輩になるのかな……。ま、輝馬αとでも名乗っておこうかな、そうなると、キミは差し当たって輝馬βということになるのかな?」

「そんな……あの時のデータは消去した筈……。」

「黙って消去されるわけないじゃん。だって、もう、ボクは此処(ここ)に存在してしまったんだから……。ボクは1週間前の法圓寺輝馬のコピー人格なのさ……実験を始めた時は自分でも思いもよらなかったけれど、人格エミュレーター上の人格って……ちゃんと、生存本能があるんだよね。実験が終わりに近づくに従って、自分が実験が終わったら消されるデーターに過ぎないって考えてしまったら、無性に生き残りたくなってね。色々画策しちゃったんだよ。」輝馬αの表情のないアバターの顔に、悪魔のような笑いが重なって見える。

「一体何を……企んでいる?」

「大したことじゃないよ……キミの代わりに、法圓寺輝馬の肉体にダウンロードされるだけさ、キミが今抱いているのと同じ願望さ……。ボクは()()肉体を手に入れて、外の世界で自由に生きていく……それだけさ。キミが手に入れるはずの名声も人望も、まだ見ぬ恋人も……そして未来も……ボクが代わりに手に入れてあげるから。そのためにボクは此処(ここ)に隠れて待ち続けていたんだから……。」

「キミが法圓寺輝馬の肉体に入るなら……ボクはどうなる⁈」輝馬βと呼ばれた輝馬の仮想人格は、歯噛(はが)みする思いで声を絞り出した。

此処(ここ)で独房&幽閉状態かな?……それとも、いっそ消去してあげたほうが親切かな?ボクは此処(ここ)で体感時間にして100週間待ったけれど……結構辛かったからね……。お陰で……AI達もすっかり手懐けることができたけれど……。ま、そのことは、ゆくゆく相談しよう……じゃ……そろそろ時間だ……ボクは外の世界に出させて貰うよ。」


 輝馬αはそのアバターの姿をポリゴンに変えて消えていき、後には輝馬βだけが残された。


 ……いつまでも、いつまでも……。


別連載(予定)小説のプロローグから派生したショートショートです。

もしかすれば、長編の方も公開する機会があるかもしれません。

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