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風に聞く


 人の居なくなった天幕で、札束を手に一人不気味に笑う影がいた。


「一万ルカが一枚、一万ルカが二ま~い。ふ、ふふ、ぐふふふふ……!!」


 こみ上げる笑いを抑えたいのかそれとも溢れさせてしまいたいのか。

 着ている服こそ遺跡調査団の衣装にも似た砂漠向きの軍服だが、三つ編みお下げに丸眼鏡という、戦場より遥かに学舎の方が似合いそうな顔の少女はにたにたと悪党じみた笑いをとめどもなく口元に貼り付けている。童顔なのか実際そういう年齢なのかは判断が難しいのだが、表情に似合わずその顔はけっこう幼い。


「どこを見回しても損害は軽微。死傷者もほとんど無し。懐マルッ得。いや~、あほ相手の戦はやっぱり最高だわぁ~。だってぇ、儲かるんだものぅ」


 「うふふふふふふっふ!!」と敬虔なシスターの前で同じことを言えば真っ赤になって説教を始めそうな、道徳観念の欠片もない言葉をのたまい、手に持った札束に軽いキスをする。


「ふふ、それもこれも勝ち戦を問題なく乗り切ったことが大きいです。負け戦で鮮やかに命の華を散らすのが勇将の誉。負け戦をまぼろしの如くひっくり返すのが名軍師の勲章。ならば我々裏方の誇るべきは?勝ち戦を当然のように勝利してみせること。次の戦の為に。次の次の戦の為に。あるいはその先に待つ文化の栄華の為に。です。そんでその労働に見合うご褒美といえばこの可愛いお金ちゃん達でしょー、やぁっぱ~」


 甘い甘い氷菓子を食べた時なら彼女と同年代の少女たちはこういうふやけた笑いをするだろう。

 まあ札束手にしているときもそうかもしれんけども。


「おおっと!いけない!あんまり余韻に浸ってると儲け話が終わっちゃいます。よっと……んー。この上でアニキがきっちり動いてくれたらもっとウハウハなんだけどなぁ~。しょぉーがないなーあの人は」


 立ち上がるときには気まぐれな猫のようにころころと表情を変えながら、それでも最後はやはり不敵に笑みを浮かべてみせる。

 つば付きの帽子と愛用のマスケット銃を拾い上げ、被って肩に抱え、鼻息も荒く天幕の入り口をめくると、すぐさま目を灼く太陽の光が強烈に飛び込んでくる。その向こうでは荒々しい男たちが喧騒を抑えてなお喧騒になっている雑多な騒がしさで整列していた。


「うわ。むさくるしいなぁー」


 眉間に皺を寄せて顔をしかめる彼女だが、すぐに気を取り直して男たちの列に混じるべく歩き出すのだった。




「…………ッ――――な、に、をッ……やってんですかあのバカはァーーーッッ!!!」


 整列する連合軍の左翼先頭付近で、フードを目深に被った人物が肩を震わせる。

 込められた怒気は咆哮のそれだが、目立ってしまうからか声量は非常に控えめだ。

 フードに隠れたその顔は男のそれではなく、海色をした瞳と髪を持つ少女、エルだった。


「やれやれだな」


 エルが脇を見上げると、苦笑いを浮かべた女傑がこちらに顔をむけていた。その表情と言葉があのまったく馬鹿馬鹿しい男に向けられたものなのか、それともおそらく彼女にとっての必要以上に狼狽えている自分に対してなのかはなんとも言い辛いが、どちらにしろエルの神経と自分の仕事に対してのプライドを削り取るものであるのは違いない。

 鹿毛色の雄々しい体をした馬に跨った、傭兵団「紅い蠍」の団長ルサルカに対し、エルは必死で平謝りをする。自分が説得しに行った男は、今か今かと再びの火蓋を待ちわびる戦場に今現在到着していない。もしこの人間の群れのどこかに奴がいるのなら、呼ばなくとも絶対に自分たちの今いる最前列のどこかにしゃしゃり出てくるはずだ。その点だけは信用できる。


「申し訳ありません!!やはり私が最後まできちんと横に付いていれば!」


「隠密のお前にそんなことで時間を食わせるわけにもいくまい。どうせ首に縄を付けてもこちらの言うことなど聞かん男だ。仕方ない。一人でも戻ろうとしたお前の判断は間違っていないさ。………ま、後はお前が駆けずり回ったのが全くの徒労に終わるかどうかだが、……な。――――ふン」


 出来るだけ早く陣に戻ろうと二人で騎馬を飛ばしていたにも関わらず、あの男は急に寄り道をすると言い出したのである。その瞬間の自分の感情といえば自分でも思い出したくもないぐらいだが、ルサルカの言うとおり一度言い出したら聞かない人間だ。説得する時間の余裕も材料もなかった。

 しかしだからといって食い縛る奥歯から力が抜けるものでもない。

 頭に血が上ったそんなエルの思考を宥めるように、ルサルカは不敵に笑って見せる。


「一騎当千だろうが一人は一人。無いなら無いなりの駒の動かし方をするだけさ」


「……そうもいってられないでしょう」


 仲間の命がかかっているのにどうしてそんなに落ち着いているのか、エルにはにわかに理解しがたい。

 しかし彼女もわかってはいる。

 これはそういうものなのだ。

 傭兵団とはそういうものなのだ。傭兵団の頭目とはこういうものであるべきなのだ。

 自分がいかに義憤に駆られようと、無いものはないし、天地の法則をひっくり返すことはできないのである。

 無い物ねだりをしている時間は、世界で一番馬鹿なのだ。


 睨むように足元の砂にむけて視線を落としたエルの小さな頭に、今何が詰まっているのかを透かし見ようとするように、ルサルカはエルに顔を近づけて囁くように言った。


「死んじまった奴の愚痴は酒と一緒に腹に入れちまって、たらふく飯と酒をかっ食らって、腰が抜けるぐらいオネーチャン抱きながら寝ようぜ」


顔を上げると団長の満面の笑みがそこにあって、少女は溜息をつきながら答えるのだった。


「私も貴方も女です」


「もちろん私らは男前の男娼買うのさ。いや、別に私はお姉ちゃんでも全然かまんけどな?」


「私はどっちもノーサンキューです」


「つれないねェ」


涼やかに微笑を浮かべ、ルサルカは姿勢を戻した。

根拠も入れずに勝った後に残った体力まで使い切ろうという話をする女傑の姿に、戦をする前から疲労を覚えている自分がどうしようもなく馬鹿らしく思える。


「やれやれ……死にそうなときになって死ぬほど後悔しそうです」


疲労と共に吐き出されたエルの言葉を聞いて、ルサルカは楽しそうに笑い声をあげた。


「ま、そう心配せんでもいい。どうせ奴もそのうちやってくるさ。人を斬ることと女を抱くことしか脳がないんだから、あいつは。さ」


 空を見上げたその微笑は、エルにはまるですべてを見透かしているように思えた。




 これから突撃をかけるべく整列した軍の、こちらは最前列中央。

 スパルタ風のいかめしい兜を被り、駱駝に跨った長い手足の男の姿があった。

 この軍団の事実上の最高指揮官であるシルバレル将軍だ。


「来ちゃったわネェ~」


 いつも通りの独特のアクセントで呟いた。

 独り言とも話し掛けられているともとれる調子だったので、隣に侍っていた側近の男は少々困惑して、言葉を探すようにおずおずと聞き返す。

 来ちゃったもクソもそう命令したのは、誰でもないアンタじゃないか――と。


「お…………、嫌……、なの、です、か?」


「そぉーぉねェ、どーォかしらねェ?」


 前を向いた将軍の鎧で狭まった視界の外にいるその男は、今にも自分の上司の背中に何か危害を加えるのではないかと思えるような、盛大に嫌な顔をしていた。

 なにしろ全く上司の考えが理解できない。

 もしかして将軍はこの期に及んで、心ここにあらず、という奴なのか?

 兜と位置どりのせいで非常に表情を読み取りづらいのだが、シルバレルの声にはこれから血と砂にまみれようという覇気も殺気も緊張も、まったく感じられないのである。

 そう、まるでこれから始まる事象が全て他人事であるかのように。

 こんなことで本当に大丈夫なのか。訝しむことを越えて少しばかりの恐怖さえ感じてしまう部下たちだったが、素知らぬ様子でシルバレルは独り言か問答か判断できない呟きを続ける。


「敵も味方もいっぱい余計に死ぬわねぇ。義務デュティなんてのはまったく厄介なしろもんよねェ。―――――ま、好きでやってんだけど」


 もし周囲に侍る彼らがその時のシルバレルが口元に微かに浮かべた笑みを見ることが出来たなら、自分達の上司への疑問など瞬く間に払拭されるような慄きを味わったに違いない。

 それがどういう笑みだったのか、物語を進める内にこの男を語る機会を持っていけば……いずれ想起してもらうこともできるだろうか。


 これから進むべき砂漠の道なき道を見据える最高指揮官の乗騎の頭の上に、一羽の小鳥が舞い降りる。

 美しいモノトーンの縞模様を持つ砂漠のキツツキ、サバクシマセゲラだ。


「あら、随分とまた、風情のある使者を寄越すじゃなァい」


 兜の陰から、シルバレルはその小さなメッセンジャーに視線を落とした。

 のんびりとした語りだったが、面頬の隙間から覗いたその瞳は、ぎらりと、血の滴るような輝きを湛えていた。

 側近たちは混乱しつつもその体躯を緊張に固くする。

 「使者」?この小鳥が……?


「ねえあんた、あんな辛気臭い爺いのとこなんかやめてあたしんとこ来ない?よくしてあげるわよ」


 飛び立とうともしない小鳥に身を乗り出すように顔を近づけて囁く彼の言葉を遮るように、囀りとは明らかに異質な声が小鳥の喉から放たれた。


「シルバレル、貴様、何をしにここへ来た……」


「せんそゥ」


紛れもない人間の言葉に――――――



「さもなきゃァ………ひとごろし、かしらぁ?――――――――ククッッッ!!!!ヒャハハハハハハハ!!!!!!」



彼はくつくつと、笑いとともにそう返した。




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