続きを書くかどうか未定の書きなぐり
5歳のころから小難しい理屈をこねていたわけではない。
昔々と表現したのは、死んだ今から見ればすべては「昔々」のことだからだ。
僕の書いた現実と神話が凝縮された想像の世界が、現代人の苦境を浮き彫りにしているとされて文学賞を取った時、五十代の終わりを迎えようとしていたし、その約30年後に死んだんだし、それから数年経ってる今から見ればすべては「昔々」のことだからね。
多分、学生を卒業するくらいの頃は、まだ「小難しい理屈」をこねて「小難しいことこそが正義」だと感じていたと思う。
いやいや、民主主義に勝る権威と価値観を認めないなどと言い始めたのは五十代からだと思う。それからは死ぬまで言っていたな。
その国に生まれた者なら当然持っている感情を、人造的に作り出されたものとして無理やり押さえつける必要があったんだ。頑固な宗教的な妄信の壁は世間というものを飲み込んで空気そのものとして存在していたのだから。
自然に湧き出す情緒よりも「小難しい理屈」で自分を武装しなければ、浸潤してしまう癌細胞なんだ。だから心を鎧というより宇宙服に入れて守っている、そういう気持ちでいるうちに、そうなったんだ。
その始まりだが、幼稚園児のころから僕は「野心が剥き出しだった」と親だけではなく、親戚中がそう言うので、そうだったのだろう。認めているわけではないが、客観的視点は尊重しようと思う。
野心として野心を抱いていたわけでなく、「僕はこうしたい」と思っていたことは確かだ。だからその視点で書き進めて行く。
僕の名は目覚多三郎という。初めて野心を抱いたのは五歳のときだ。目覚も多三郎も偽名だが、本名に気付く人は気付くだろう。
性に目覚めていたわけではないが、何かに目覚めていたからだろう、感覚器官だけが異常に発達して、目も耳も鼻も舌も、触覚も鋭いと、自覚していたのだから。
狭くて暗い空間が大好きだ。だから、そこに母と自分を閉じ込めた。
先ず母を閉じ込めていたぶった。そうすることで支配欲を満足させた。
思い通りにチョコレートを食って、食って、食いまくってやるためだ。
虫歯になっても、食いまくるのだ。
もちろん脳内の空想の中でのことである。
次に自分を閉じ込めた。愛する大切な母親を、空想の中で閉じ込めて、いう事を聞かせよう、小言を聞かないようにしよう、という冷たいな愛情に欠けた自分を罰する自虐が、最高の興奮だからだ。
これは自分を現実の閉所に閉じ込めることで、より高揚感を得られた。
押し入れの中や、狭い足踏みミシンの中や、机といすの間、狭い場所は家の中にたくさんあった。
特にミシンだ。
椅子に座って足元にある踏み板を踏むこむと、ベルトを通して伝わった力がミシンの針を動かす。手で縫うよりも早くてきれいに縫える。普段は机といすのような状態で、机として使うことも可能だが、ミシンを使うときには、机の中に収納されているミシンを、机の蓋を開けて、取り出し、ベルトや糸を装着して使う。
母の使う魔法の道具だ。
その足元のペダル部分に入り、木の椅子を引き寄せて、自分、五歳くらい、を閉じ込める。
あと、母のスカートの中だった。
高圧電線の、その鉄塔の下だと想像して、何か部品、恐らくは碍子、を取り換える。
閉所とは不思議な空間だった。
もちろん、空想世界においては、色々な人間を閉じ込めた。小言でも、親切でも、僕の行動を阻害する全ての言葉や行為は、そう言った人や、そうした人を空想の中で監禁した。
それは正義だった。僕という、絶対王者を拘束する不正義を許さないのだ。
そしてそれは、罰であった。僕を愛する者たち、僕に親切や優しさを与えようとする者たちを監禁する悪事を働く「僕」自身をも罰するからだ。
それは自由と民主主義以外の権威を認めないという僕の主義には反しないだろう?
空想世界で、僕が加害者を演じるときも、僕に親切や優しさを与えようとする者たちを閉じ込めて、その閉所で自分が行っている行為を見つめることも、自分の悪を認められると自虐心を満足させた。
「罪なき者を叩く自分は悪者だ」
「叩かれるのが、人を咬む野良犬であろうと、少年院を脱獄した少年であろうと、罪を犯したことが確実でなくても疑わしい外国人であっても、理由はどうでもいい、叩く自分は悪者だ」
つまり加害者たる自分を強く認識すること自体が自虐としての快感を得る一方法となっていたのだ。
自虐を他者に対する平和の保証とすること。加害的人間性を閉じ込めて性的な快感に惑溺させることで、いかなる他者とも対立せず抗争させないことが可能になる。
狭く暗い空間に自分を閉じ込めることによって、対立すべき他者が存在しなくなるだろう。
僕、つまり民主主義と自由を越える権力や権威を認めない主体的な僕だけが存在するんだ。
そんな世界観に住むようになった。
それは、逆説的には、自分というものが他のいかなる存在にとっても他者でありえない自己であると思えたということなんだ。
だから、主体的に攻撃性を無くした国の青年(僕)は、人間としての誇りを捨て、文化を捨て、滑稽に、悲劇的に生きるしかない。
ほら、わかってきただろう。
さもなければ、他者と対立し、抗争し続けるだけの、善悪二面論の世界で、悪を体現するものとして自虐し続けるしかないのだ。
自虐は善悪二面論の中では、自分を悪側に置かねば成立しないしね。
もし、自分が他者と対立し、その対立に終止符を打ち勝利するなら、自虐の世界観では、その勝利は悪であり、その支配も悪だよね。
ある国に生まれ、ある国の文化に包まれて育ち、ある国に従属しながら、繁栄と安定を得ることは、それは「精神的に牝化」した社会を自分で作り出して、その精神的奴隷になることだと、深く自虐せねばならない。
何故か?
文化と歴史を捨てなければならないからだ。文化と歴史を守れないような、守ろうとしないような国は雄の国ではないだろう。なら牝の国という事だ。
5歳のころ、空想の世界で、暗く狭い牢獄に母を閉じ込めた「僕」は、その空想の世界の中で母と結婚した。
10歳のころ、空想の世界で、暗く狭い牢獄に母を閉じ込めた「僕」は、裸にしていたぶった。
欲しいものを食べ、欲しい環境を作り出すためだ。
13,4のころには、犯した。精神的にだ。そこに性的なものはない。支配と被支配があるだけだ。
世界に害を及ぼすよりは「まし」だろう。
世間の常識で、理想的だと思う「よその娘」を、現実世界で得るのはなかなか難しいのだ。
現実社会で無理に築かれた冷たい関係でいるより、空想の中でだけ相手を支配する関係のほうが、よほどましだろう?
こんなふうに、14、5のときまで、僕の野心は全ての母性と牝の象徴である母を支配することだった。
世界を牝化する目標があるからね。それは必然なんだ。
17くらいになると、さすがに中二病的な女性や母のことは全く頭から去り、ある国の文化の象徴的存在を否定することでその国を牝化することに夢中になった。ほら、僕の体を見て見ろ、牝化しているだろう?
こんな文を書ける僕は自虐の牝として、見事に去勢された未来の日本人を先取りする天才なんだ。
「私兵の軍服を纏った割腹首なし死体が、純粋天皇の胎水しぶく暗黒星雲を下降する」
黒縁メガネの政治青年が、自民族文化の神髄を枷と感じ、その世界を文学化したのは皮肉だろう?




