彼女の高潔な魂は ールイーズの恋と、密偵アルフォンスの言い分ー
A. ルイーズの恋
(その言葉は嘘でしょう?)
私、ルイーズ・ド・ブロアは心の内で呟いた。大好きなマリィ・アンが、 「だって愛するって最高じゃない?」と、魅惑的に微笑んだからだ。
彼女は、笑顔ひとつで私の心を天上へと導く。天使の微笑み。いや、悪魔か? 彼女は前世も今も私の最愛の人だった。
◇
私が乙女ゲーム〝クレルモンの花たち〟に転生したのは、つい最近のことだ。
そのゲームは、史実にある西洋の貴族社会をモチーフに、恋愛と転落を面白くゲーム化していた。私・ルイーズはそのゲームの中で、悪役の皇太子妃マリィ・アンが国を破滅に導くことを避けようと、懸命に奔走していた。でも。
そのゲームは、ルイーズが四人の攻略対象者の一人と組み、マリィ・アンが贅沢と数多の恋により皆を不幸にしていくことを阻止し、魔術にまで手を染めた彼女を最後に倒すというゲームだったけれど。
絶対にそんなことにしてはいけない。
だって私は、彼女のことが大好きだったんだもの。
享楽的で美しいものが大好きなマリィ・アン。話術が豊富で、誰よりも綺麗に踊る。
遊ぶことが大好きな彼女は、放っておいたら魔術で皆を幻惑し、散財で国庫を空にして、国の敵として討伐対象となる。
私は、そんな彼女を助けたかった。
彼女を楽しませながら、彼女を生かす。でもどうやって?
◇
ルイーズに魔術の素養があったことを思い出し、私は夜な夜な術の習得に励んだ。
攻略対象は四人。まずはこの国の皇太子・リー。彼は端から見てもマリィ・アン一筋だから私が攻略しなくても良かった。二人目は貴族の子弟・フレド。ゲームではマリィ・アンと不倫関係となる彼と、先に私が懇意になった。
三人目は騎士団のレオ。習得した魔術を使って幻惑した。予想以上に容易く籠絡できた。
最大の難関は隣国の王子・ジョゼフ。マリィ・アンの実兄だ。ゲームではマリィを嗜め、言うことをきかない彼女と国同士の敵対が発生してしまう。宮殿で開かれる舞踏会にいらした際に、魔術で作成した惚れ薬を使った。
その上で私への好意を利用して、マリィの良い噂をこれでもかと語らせていただいた。
宮殿での舞踏会に、マリィも私も、日々参加していた。疲れていたが、せめて、パーティーで楽しむ彼女を見たかった。
そして、私は話術を駆使し、近くにいる時はいつも、彼女を笑わせた。
彼女が退屈しなければ光明が差すと信じたかった。
◇
そして、ついにその日が来た。
本当なら、マリィが裁かれるはずだった日。
「ルイーズ・ド・ブロア伯爵令嬢!」
広間に響き渡ったのは私の名前だった。私は感動で震えた。ある意味目的が達成されたと言えたから。裁かれるのはマリィ・アンではなく私なのだ。
「お呼びでしょうか?」
私の名を呼んだ一段高い位置にいる皇太子を見上げ、私は尋ねた。彼は告げた。
「伯爵令嬢でありながら、忌まわしい浮名の数々、私が知らぬと思ったか?
多くの陳情により、其方をネイ島へ流罪とする」
私は微笑んでいたかもしれない。
すると、その場を切り裂くようにマリィの綺麗な声が響いた。
「流罪にはできませんわ。全部知っておりますの」
会場がどよめく。
「知ってるって何を」呆然と私は呟く。彼女はあでやかに微笑んだ。
「知っているわ。あなたの部屋に禁術の書がたくさんあること。私の密偵には気付いていなかったでしょう?」
密偵なんて知らなかった。ゲームにはいなかったから。
彼女は続けた。
「色んな男性と関係を持っていると見せかけ、彼らに私の良い話ばかりしていたと聞いたわ。そして、もうひとつ知らなかったでしょう? 私の視線の先を」
「何のこと?」
「ずっと貴女を見ていたわ」
その言葉だけで十分だった。私は思わず呟いていた。
彼女が私の気持ちを知って、そして幸せでいてくれるなら。
私はたったそれだけで、
「……生きていける」
と。
***
B. 密偵アルフォンスの言い分
「ルイーズ・ド・ブロア伯爵令嬢!」
朗々と広間に響き渡った皇太子・リーの声。それはルイーズが断罪される最初の一声だった。
絢爛豪華なシャンデリアが輝く広間の片隅で、それを眺めている俺の名前はアルフォンス。ランドル男爵家の末息子であり、皇太子妃マリィ・アントワーヌ・デストリアさまの密偵だ。
なぜだか勝ち誇ったように壇上の皇太子を見上げるルイーズは、異様に美しく俺の目に映った。
彼女はいっそ優雅な口調で、リー皇太子に応える。
「お呼びでしょうか?」
その弦楽器のようなつややかな響きに、これはルイーズの祝福の儀か何かなのかと錯覚する。
それほどまでに彼女は満足げに微笑んでいた――。
◇
「アルフォンス。お願いがあるの」
マリィ・アン様が甘えるようにそう言ったのは、一年ほど前のことだった。十三歳という幼さで、ランス王国の隣国・エストリア公国から嫁いで来られた皇太子妃は、当時まだ十四歳。たった半年でその艶やかさと話術の巧みさ、飛び抜けたセンスの良さで貴族たちを魅了していた。
俺はアルフォンス・ド・ランドル。王家を守る騎士家系の末っ子として生まれた。そして五番目の子だった俺の将来は、家族からさほど期待されていなかった。
俺は剣術に馬術、そしてこの国特有の魔術もそれなりに得意で、しかも最も得意としていたことは、自然に会話に紛れ込む能力……俺がいると、不思議と誰もが安心して、ここだけの話を聞かせてくれることだった。
お飾りの皇太子妃か……。
このランス王国にマリィ・アンが来た当初、俺はそんな風に思って彼女を遠巻きに眺めていた。
見る目が変わったのは半年ほど経ったとき。
両親に連れてこられた夜会に退屈した俺が、綺麗に整えられた城の周りを散策していた時のことだ。
「……散歩をしているの? アルフォンス」
誰もを魅了するクレルモン宮殿の中庭。夜会の中心にいたはずのマリィ・アンが、いつ抜け出したのか、そこに立っていた。
「これはマリィ・アン様……」
儀礼的に跪く俺に、彼女の笑みを含んだ声が頭の上から聞こえてくる。
「そんなにかしこまらなくて大丈夫よ。ランドル男爵子息、アルフォンス。同い年と聞いたわ。一度あなたとお話してみたかったの」
男爵というのは貴族社会の中では下に位置する。下級貴族の、しかも滅多に夜会にも顔を出さない末っ子の名前まで把握していることに驚いて、俺は顔を上げる。そこではマリィ・アンが悠然と微笑み、俺を見下ろしていた。
彼女は言った。
「アルフォンス。お願いがあるの。おまえにしか頼めない」
その笑顔の裏に、妙な切実さを宿した表情。俺は心臓をわしづかみされたようになり、ただ頷いていた。それが俺とマリィ・アンの共謀のはじまりだったんだ。
◇
エストリア公国からの供も帰され、たった一人でランス王国に嫁いで来たマリィ・アン。彼女の側近には筆頭女官という名の教育役として、クロード伯爵夫人がつけられていた。
まあ、俺に言わせればおべっか使いの年寄りだ。
そしてここ半年の間に、彼女と同世代で仲良くしている貴族の娘は二人いた。
一人はルイーズ・ド・ブロア伯爵令嬢。そしてもう一人は、マドレーヌ・ド・アルトール公爵令嬢。その二人のどちらかと一緒に宮廷を踊るように歩くマリィ・アンは、他とは一線を画した優雅さで貴族たちの目を惹きつけていた。
そしてマリィ・アンの二歳上、十六歳のルイーズ・ド・ブロア。その頃からおしゃべり好きな貴族たちの間で、ルイーズが若くして高級娼婦的な遊び人であるという噂が立ち上りつつあった。
マリィ・アンは微笑んで俺に言った。
「マダム・フラッテリー・クロードの目が届かないところは限られているから、端的に言うわね」
フラッテリーとはおべっかという意味だ。その一言で、この女とは意外と気が合いそうだなと俺は考えている。
「私の大切な女官のひとり……ルイーズ・ド・ブロア伯爵令嬢について、おまえに聞こえてくる話をすべて、秘密裡に私に教えてほしいの。何かの理由で……悪いひとを演じているように思えて」
面白すぎる話だな。
夜中に家を抜け出して街の散策を楽しんだりもしていた俺は頷いて、今後の夜会に極力出席することを彼女に約束したんだ。
◇
ある意味、俺の持っている特別な能力はもうひとつあった。
人間たちも俺には快く胸の内を明かしてくれるが、犬や猫、鳥などもなぜか異様に懐いてくれるのだ。
それを利用して、俺は男爵家で飼っているシャルルという美しい灰色の毛並みの猫を、マリィ・アンへの伝令に使うことにした。
得意な魔術を使って、猫のシャルルの姿を闇に紛らせ、マリィ・アンの前でだけ姿を表わす術をかけた。ブロア伯爵家に忍んで行くときは、自分の姿を消す魔術をかけて臨んだ。
それは俺にとっては退屈な貴族生活を紛らわす、異様に楽しい取り組みでもあった。
度重なる夜会や、愛を綴る手紙のやりとり。甘いささやきや人目を憚らぬ逢瀬。
そしてルイーズは、伯爵令嬢にしてはあまりにも熱心に、そして執拗に、自室で魔術を研究していた。窓の外からその術式を見ていると、どうも男性攻略に特化しているようだった。
それほどまでにして、どうして?
まあ、俺も魔術で身を隠して夜闇に紛れ、窓の外から彼女の自室を覗き込んでいる。
いい趣味とは言えなかったが、頼まれているから仕方ない。
ルイーズの男性遍歴は華々しいものだった。
マリィ・アンにぞっこんのリー皇太子を選ばなかったのは、賢いとしか言いようがない。
侯爵子息で遊び人だと有名なフレドから始まり、騎士団のレオを幻惑し、その後、舞踏会に訪れていたマリィ・アンの実兄でエストリア公国の王子であるジョゼフを籠絡していた。魔術で生成した惚れ薬を使ったように俺には見えた。
そしてルイーズが彼らに語っているのは、漏れ聞こえてきた範囲だけでも、マリィ・アン絶賛とも言える、皇太子妃への賛辞だった。それはそれで合点がいった。俺が最も気になっていたのは、夜会などで公的に出会うルイーズが、マリィ・アンを見ているときの瞳の色だったから。
ルイーズはさらさらと流れる薄い金の色の髪と、冷静なうす青の瞳を持っていた。その瞳が皇太子妃と話す時だけ、宝石のように輝く。まるでマリィ・アンが好んで身につけているブルー・サファイアという高貴な石のように、だ。
そして、マリィ・アンの傍にいるとき、ルイーズは必ず彼女を笑わせていた。冗談で、ちょっとした貴族たちへの皮肉で、そして彼女に美味しい菓子を取り分けたり飲み物を渡したりという献身で。
そのすべて……ルイーズの瞳と行動、マリィ・アンが好むブルー・サファイアを眺めていて、いつしか俺の疑念は確信に変わっていく。
この二人は心の奥ではお互いのことをただただ想い合っているのだ。
だが、同性愛など表面上は許されてないお国柄、そのことはお互いを守るために隠すしかない。
ルイーズ・ド・ブロアを調べれば調べるほど、俺の中にこみあげてくる一つの感情があった。
彼女は強迫観念とも言える何かから、ただ皇太子妃を守ろうとしているのではないか?
◇
俺が実際に見たこと、聞いたこと、そして感じていたことは、ほぼほぼ総てマリィ・アンに報告していた。
そしてその日が来た。
リー皇太子が声高にルイーズを断罪したのだ。彼は告げた。
「伯爵令嬢でありながら、忌まわしい浮名の数々、私が知らぬと思ったか? 多くの陳情により、其方をネイ島へ流罪とする」
ルイーズはこれまで見たどの瞬間より美しく、かすかに笑んでいる。そのとき、広間の静寂を裂くように、マリィ・アンの怜悧な声が響いた。
「流罪にはできませんわ。全部知っておりますの」
どよめく会場。揺れるルイーズの瞳を俺は見ていた。
「知ってるって何を……」
信じられないと言うようにルイーズは呟く。
それはそうだろう。俺の身隠しの術は完璧で、今まで誰にも見破られたことはないからな。そう考えている俺の目に、ルイーズの声に微笑むマリィ・アンが映る。
「知っているわ。あなたの部屋に禁術の書がたくさんあること。私の密偵には気付いていなかったでしょう?」
それが俺であったことを明かすべきなのかな。
ぼんやりと広間の隅で思いながら、俺は成り行きを見守った。マリィ・アンは続けた。
「色んな男性と関係を持っていると見せかけ、彼らに私の良い話ばかりしていたと聞いたわ。そして、もうひとつ知らなかったでしょう? 私の視線の先を」
「何のこと?」
「ずっと貴女を見ていたわ」
だよな。
ずっと二人を見ていた俺にも、それは明らかなことだった。
そして、この会話を……ある意味、二人の恋の終わりかも知れないこのやりとりを見ていて、ひとつ理解できたことがあった。
俺の心に生まれていた直感のような気持ちは間違っていなかった。
享楽的で美しいものが大好きなマリィ・アン。話術が豊富で、誰よりも綺麗に踊る。
そしてそれをずっと見つめているルイーズ。何かからマリィ・アンを守ろうとしている。
それは、無意識に万人が魅せられてしまうマリィ・アンを、今後起こりうる醜聞から守るための行動ではなかったか?
そう気付いた瞬間、俺の心は激しく……まるで何か、心の奥からマグマが噴出するような熱い気持ちに囚われた。執念とも言えるほど毎夜繰り返される術の研究。けして本気で男たちを籠絡したいわけではないと見ていて知った。なぜって、マリィ・アンを見つめるときほどの情愛のようなものを、他の男と接しているルイーズに見ることは一切なかったのだから。
どうして俺はこんなに揺れている?
令嬢とは言え、あんな、島流しされる女なんかに。
内心の呟きとは裏腹に、俺は言った。
どのみち、五番目の俺の行く末など、家族は気にもしていない。そして俺がマリィ・アンのことを好いていて、身分違いで可哀想にと思ってさえいるのだから。
「では、私、ランドル男爵家五男アルフォンスが、ルイーズ嬢をネイ島にお連れし、その後の監視役を引き受けましょう」
貴族連中がざわついたのは一瞬のことだった。
リー皇太子は育ちがいい分、相手を疑うことを知らない。案の定、彼はやさしく微笑んだ。
「見上げた決意だ、アルフォンス・ド・ランドル。男爵家には褒美を、そして其方にはルイーズを監視する役としての年俸をはずむことを約束しよう」
心配そうに俺を見つめるマリィ・アンの視線には気付いていたが、俺は面白ければそれでよかった。
見ていたくなったんだ。
このルイーズ・ド・ブロアの行く末を。
さっき、小さく彼女が呟く声が聞こえた。
〝生きていける〟と。
その生き様を、見届けたくなったんだ。単に俺の楽しみのためだけに。




