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弁慶と言う名の女性 武蔵坊弁慶異聞  作者: イサクララツカ


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第23話 津軽の風、七度の敗走 ――山賊討伐の願い

(治承七年〈西暦1183年〉七月・陸奥国平泉~津軽)

夏の奥州は、短く濃い。

治承七年(1183年)七月。

衣川の流れは青く、山の緑は深く、蝉の声が北の空に響いていた。

源九郎義経は、衣川館の縁側で地図を広げていた。

粗い皮紙に描かれた奥州の山々。

その北端――津軽。

「荒れているな」

義経の指が、津軽の地をなぞる。

弁慶は隣に座し、地図を見下ろす。

「山賊が横行していると」

佐藤継信が、低く補足した。

「津軽岩木山の麓。元は農民だった者どもが、年貢に耐えかねて山に入ったと聞きます」

忠信も続ける。

「数は多くありませんが、地の利があり、しぶとい」

義経は、しばし黙った。

平泉は富む。

だが北の果ては荒れている。

「放っておけば、奥州の威が落ちる」

弁慶は静かに頷く。

「秀衡公の名に傷がつく」

義経は顔を上げた。

「ならば、我らが討つ」


藤原秀衡の広間。

涼風が通るが、空気は張り詰めている。

義経は進み出て、膝をついた。

「津軽の山賊討伐を、我にお任せいただきたい」

秀衡は、静かに義経を見つめる。

その目は、若者の真意を量る。

「津軽は遠い」

「岩木山は険しい」

義経は、まっすぐ答えた。

「承知の上です」

秀衡は、扇を閉じた。

「なぜ望む」

義経は、迷わなかった。

「戦を学びたい」

「地の利を使う戦を」

広間にわずかなざわめき。

秀衡は、目を細める。

「討つだけではない、と」

義経は続ける。

「山賊は、元は農民」

「飢えと重税が原因なら、根を断たねばまた生まれます」

秀衡の口元が、わずかに動く。

「若いが、目は遠い」

秀衡は立ち上がった。

「三百を貸す」

広間がどよめく。

「三百……」

それは少数ではない。

義経は深く頭を下げた。

「必ずや」

秀衡は一言、付け加えた。

「生きて帰れ」


津軽への道。

北へ進むにつれ、道は荒れ、森は深くなる。

夏でも涼しい。

岩木山の姿が、遠くに見え始める。

義経は早風に跨り、先頭を行く。

弁慶はその後ろ。

継信、忠信、そして奥州の兵三百。

「津軽は初めてか」

忠信が小声で問う。

継信が答える。

「山は人を変える」

弁慶は低く言う。

「山は、追い詰められた者を隠す」

義経は振り返らずに言った。

「だからこそ、正面からぶつからぬ」


最初の接触は、三日目だった。

林の奥から矢が飛ぶ。

兵の一人が肩を射抜かれる。

「伏せよ!」

継信の声が飛ぶ。

敵は見えない。

岩と木の影。

義経は馬を止め、地形を見渡す。

(正面ではない)

「退く」

その命に、兵たちが驚く。

だが義経は迷わない。

「追うな」

山賊は深追いしない。

森に消える。

その夜、野営。

兵の間に不安が広がる。

「敵を見ぬまま退くとは」

奥州兵の一人が漏らす。

弁慶が静かに言う。

「主は、負けていない」

義経は火を見つめながら呟く。

「地を知る」


二度目。

今度は山道で挟撃。

岩の上から石が落ち、矢が降る。

義経は早風を翻し、兵を分ける。

「左右に散れ!」

だが被害は出る。

再び退却。

三度目、四度目。

山賊は姿を見せ、すぐに消える。

奥州兵の顔に苛立ちが浮かぶ。

「若殿、正面から討ちましょう」

継信が慎重に進言する。

義経は首を振る。

「敵は、地を味方にしている」

「ならば、地を奪う」

弁慶は主の横顔を見る。

(何を考えている)


五度目。

義経は兵を三手に分けた。

自らは姿を見せず、早風も下がらせる。

山賊が襲う。

だが左右から奥州兵が回り込む。

一部を捕らえる。

だが棟梁は逃げる。

六度目。

夜襲。

山賊は逆に火を放ち、煙の中で姿を消す。

兵の間に、動揺。

「七度目で決める」

義経は静かに言った。


七度目。

岩木山の麓。

義経は、わざと少数で進む。

早風を前に出し、あえて隙を見せる。

山賊が現れる。

棟梁――伊勢三郎。

逞しい体躯、鋭い目。

「源氏の若造か」

低い声。

義経は馬上から見下ろす。

「七度目だ」

伊勢三郎は笑う。

「学んだか」

義経は答える。

「学んだ」

その瞬間、後方から奥州兵が現れる。

退路を断つ。

伊勢三郎は刀を振るい、奮戦する。

だが数で押され、ついに捕縛される。

縄をかけられた伊勢三郎は、義経を睨む。

「討て」

義経は馬を下り、目の高さを合わせた。

「討たぬ」

伊勢三郎の目が揺れる。

「なぜ」

義経は静かに言った。

「お前は農民だった」

「飢えたか」

沈黙。

「年貢が重いか」

伊勢三郎は、目を逸らす。

義経は続ける。

「津軽を耕せ」

「兵ではなく、民として」

弁慶は息を呑む。

伊勢三郎は唇を噛む。

「信じろと」

義経は頷く。

「七度逃げた」

「八度目は、逃がさぬ」

その言葉は脅しではない。

覚悟だ。

伊勢三郎の目が、ゆっくりと下がる。

「……従う」


岩木山に風が吹く。

治承七年(1183年)七月。

源九郎義経、七度の敗走を経て、八度目に山賊を屈服させる。

討たずして、得る。

兵三百は、その日から五千へと変わる種を蒔かれた。

北の地で、義経の名は静かに広がり始める。

武蔵坊弁慶の日記(義経記)

治承七年(西暦1183年)七月、津軽討伐を秀衡公より任ぜらる。

三百の兵を率い、岩木山に至る。

七度山賊に退かされるも、主動ぜず。

「地を奪う」と言い、八度目に棟梁伊勢三郎を捕らう。

討たずして従わせる。

若き主、剣のみならず、心にて戦う。

北の風、いよいよ強し。

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