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弁慶と言う名の女性 武蔵坊弁慶異聞  作者: イサクララツカ


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第22話 北に集う若鷹 ――佐藤兄弟、主を求む

(治承七年〈西暦1183年〉六月・陸奥国 平泉・衣川館)

六月の奥州は、驚くほど爽やかだった。

治承七年(1183年)六月。

衣川の水は青く澄み、山々は濃い緑に包まれている。京の梅雨のような湿りはなく、北の風はどこか軽い。

衣川館では、日々、馬の蹄音が響いていた。

源九郎義経は、名馬・早風とともに馬場を駆ける。

その背を、武蔵坊弁慶が静かに見守る。

北の地に来てから、義経は変わった。

焦りは消えない。

だが、焦りに飲まれなくなった。

力を蓄える時間だと、自らに言い聞かせている。

その頃、平泉の城下では、ある噂が広がっていた。

「義朝公の御子が、早風を得た」

若い武者たちの間で、その名は次第に響きを持ち始める。


その日、衣川館の庭に、二人の若武者が現れた。

背丈は中ほど、だが体は締まっている。

目が真っ直ぐだ。

名は――佐藤継信、佐藤忠信。

奥州の武士であり、藤原秀衡の配下に属する家の出。

弁慶は門前で二人を迎えた。

その立ち姿から、ただの物見ではないと察する。

「何用か」

低い問い。

兄の継信が、丁寧に名乗った。

「義経殿にお目通りを願いたく」

声は落ち着いているが、奥に熱がある。

弁慶は二人を見据え、しばし考える。

(試すか)

「主は馬場におられる」

「武を示せるか」

忠信が一歩前に出る。

「望むところ」


馬場。

義経は早風を下り、二人を見た。

若い。

だが目が逃げていない。

弁慶が簡潔に告げる。

「主に仕えたいと」

義経は二人を見つめた。

「なぜ」

短い問い。

継信は深く頭を下げた。

「義朝公の御子が北におられると聞き」

「その志を、この目で見たく参りました」

義経は視線を逸らさない。

「志とは」

今度は忠信が答える。

「速さ」

その言葉に、義経の眉がわずかに動く。

忠信は続ける。

「坂東の戦は、重い」

「だが義経殿の戦は、風だと聞きました」

義経は、早風の首筋に手を置いた。

「風は、捕まえられぬ」

継信が言う。

「ならば、風に乗ります」

その声に、弁慶の口元がわずかに緩む。


義経は試すことにした。

弓。

奥州は弓の名手を多く輩出する地。

北の山野で鍛えられた腕は確かだ。

継信が弓を引く。

弦音が鋭い。

矢は真っ直ぐに飛び、的の中心を射抜く。

続く忠信。

矢はわずかに外れたが、次の一射で中央に食い込む。

義経は何も言わず、早風に跨った。

「追え」

一言。

早風が駆ける。

継信と忠信も馬に飛び乗る。

馬場を超え、野へ。

義経は急に進路を変える。

川沿いへ下り、石混じりの道を走らせる。

継信は冷静に間合いを保ち、忠信はやや荒いが食らいつく。

弁慶は遠くから、その動きを見ていた。

(悪くない)

義経は最後に急停止し、振り返る。

二人はわずかに息を乱しながらも、落馬せず、距離を保った。

義経は馬を下り、二人を見た。

「名を」

「佐藤継信」

「佐藤忠信」

義経は、ゆっくりと言った。

「奥州は、平家とも源氏とも距離を取る地」

「それでも、我に付くか」

継信は迷わない。

「はい」

忠信も続く。

「命を懸けます」

義経は、しばらく黙る。

やがて言った。

「命は軽々しく懸けるな」

二人が顔を上げる。

義経の目は真剣だ。

「生きて働け」

「死ぬのは、最後でよい」

弁慶の胸が熱くなる。

(主は、変わった)

義経は二人を見つめた。

「我は、いずれ戦う」

「平家と」

「そして、もしかすると……源氏とも」

その言葉に、風が止まったように感じる。

継信は深く頭を下げる。

「それでも」

忠信も続く。

「義経殿の背を守ります」

義経は、小さく頷いた。

「ならば、衣川に住め」

その一言で、二人の顔がわずかに緩む。

弁慶が一歩前に出る。

「厳しいぞ」

忠信が笑う。

「望むところ」

若さ。

勢い。

弁慶は、心の中で思う。

(これで、主の軍は“形”になる)


夕暮れ。

衣川が赤く染まる。

義経は縁側に座り、早風の手入れをしている。

継信と忠信は、その様子を少し離れて見ていた。

「自ら手入れをなさるのか」

忠信が小声で呟く。

継信は頷く。

「馬を大事にする主だ」

弁慶が背後から静かに言う。

「馬も、人もな」

二人は振り返る。

弁慶の影が長い。

「主は速い」

「だが速さだけでは戦は勝てぬ」

継信が問う。

「何が要りますか」

弁慶は、義経を見る。

「支える者だ」

衣川の水音が、静かに響く。

治承七年(1183年)六月。

源九郎義経のもとに、若鷹二羽が加わる。

北の地で、静かに軍が形を成し始めた。

武蔵坊弁慶の日記(義経記)

治承七年(西暦1183年)六月、衣川館にて佐藤継信・忠信兄弟参る。

義経殿の志に惹かれ、仕官を願う。

馬・弓にて試すも、腕悪からず。

義経殿、「命は軽々しく懸けるな、生きて働け」と諭す。

若鷹二羽、衣川に住まうこととなる。

北の風、静かに軍を育てる。

我はその背を守り続けるのみ。

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