女帝の恋の結実
聖獣の大鷲が静かに皇宮に降り立った。
操縦していた騎士に降ろしてもらっていると、皇帝となったチトニアが駆け寄って来る。
「クラリス様ーっ!」
嬉しげに手を振りながら走って来る女帝の後ろからは、護衛騎士がピッタリと並走していて、チトニアに「走るな」と「転ぶから」と声をかけている。それを無視してクラリスにだけ笑いかけてくる様子に、クラリスは何がしかの不穏さを二人の間に感じ取った。
カーテシーをするクラリスに、そばまで来たチトニアが笑う。
「もう、待ちくたびれましたわ!」
「お久しぶりでございます、陛下」
「堅苦しいのはやめてくださいませ」
クラリスを抱き起こして、チトニアが細い腕で抱きつく。
「帝国に…おかえりなさいませ」
そう囁く言葉に、クラリスの涙腺が少しだけ緩む。父を失って以来、この国でそう声をかけられた記憶がなかった。
「ただいま帰りました、陛下」
鼻を啜り上げるクラリスにチトニアが翡翠色の瞳を細めて微笑む。優しい気遣いがたまらなく嬉しく心地よかった。
チトニアの即位式典に名誉帝国民として招待状が届けられたのは、キリアンの即位後すぐのことだった。
招待状はランヴァリオン王家にも届いたので、本来ならキリアンとふたりで来るはずだったのだが。
キリアンは残念ながら自国海軍の式典と、統治する海洋の島々の視察が一年も前から組まれていた。
当初はルシアンを代理に立てる案も出るには出たが。
海洋軍事国家として歴代の王達が必ず臨席する式典は、軍人や軍関係者、その家族達も毎年楽しみにしている。よってキリアンは国民感情を優先せざるを得なかった。
ならばと、帝国の即位式典の代理をルシアンにする案も出たが、こちらは本人が極上の笑みを湛えながら「お断りします」と切り捨てた。
「兄上の気分を害する事を、この私がするはずがないでしょう?」
と。
この流れで、カステロ公爵家のフェリクスにも国王の名代として名が上がるも、やはり同じ理由で断られる。
そしてようやく、カステロ公爵家の養女であり、将来必ず王妃になる身で、そして帝国の名誉国民の称号を与えられたクラリス・エヴァンジェリン・カステロ令嬢に、ランヴァリオン王の名代という名誉が与えられた。
キリアンは自身が臨席する式典の出発間際まで、やはり俺も行く、ひとりは心配、必ず戻るように、いつ戻るのか、とやかましく騒いでいたが。
「私が必ず戻させますのでご安心ください」
というルシアンの一言ですんなり行ってしまった。
そういう訳で、数名の護衛と共にクラリスは帝国にやってきたのである。
式典の準備等は前倒しで済ませたと話すチトニアと、皇宮の庭園を歩きながら取り留めもない話をする。
ダリアが咲き乱れる帝国は華やかで美しい。その一角で足を止めたチトニアが、クラリスを手招いて花壇を見せる。
「わ、可愛い…ひまわりですか?」
嬉しそうに頷くチトニアがしゃがむ。
「私の名前は、この花からつけられましたの」
濃いオレンジ色の花弁を開く小さな品種のひまわり。
「そうだったんですね」
「それもありますけれど、帝国とテキラナの国交を結んだ昔の女王様の名前でもあるので…、そこにもあやかっているそうですわ。私の両親は帝国皇族とテキラナ国の民ですから」
立ち上がりながら、チトニアは幼少期に過ごしたテキラナの思い出をクラリスに話す。
帝国では存在がほぼ見られない聖獣が未だに生息していること。厳格な血統能力の継承が維持されていること。子どもを何よりも大切にする国民性のこと。
チトニアの話は面白く、ガゼボでお茶を飲みながら聞く内容はどれも興味深いものばかりだった。前のめりで聞き入るクラリスにチトニアが可笑しそうに笑う。
「そんなに気になるのでしたらテキラナに連れて行きますわよ?」
「良いんですか!?」
「もちろん。…キリアン陛下と喧嘩したら、ふたりでテキラナ旅行と洒落込みましょうね」
くすくすと笑うチトニアがクラリスも苦笑を返す。
子爵家令嬢だった頃、チトニアを皇宮で何度か見かけてはいたが、お互いに声をかけることもなかった。
チトニアは厳重な警護をされていて、クラリスはその他大勢の貴族達に紛れる景色の一部に過ぎなかった。
「私は、クラリス様の事は存じ上げておりましたのよ」
茶を口にしながら、チトニアは遠くを見る。
「帝国学院で」
「ええ…??」
8歳から15歳までの貴族の子息令嬢が、行儀見習いや人脈作り、そして貴族としての矜恃を身につけさせる為の教育機関。クラリスは父親の病気の為に卒業式間近で自主退学をしたが。チトニアは数個下の学年に在籍していたという。
「そんな…初めて知りました」
クラリスの驚愕にチトニアが悪戯っぽく笑う。
「私、偽名を使い、変装をしておりましたから」
「そうだったんですね!」
驚きのあまり口を開けるクラリスは、慌てて口を抑える。チトニアの護衛騎士に冷たく睨まれた。気まずくなって目を伏せると
「ラウル!睨まないで!」
チトニアが一喝する。顔をあげると、不機嫌そうに護衛騎士を見上げながら、チトニアは眉を寄せていた。
「陛下、あの…護衛さんは悪くありませんよ…?」
「いいえ、悪いのはラウルですわ。全てラウルがいけません」
ラウルと呼ばれた護衛騎士が、チトニアに跪き「申し訳ございません」と謝る。
「もういいわ、下がって別の護衛と交代して」
「それは致しかねます」
「…。私の命令です」
「ご容赦ください」
不穏さを増す空気にクラリスが焦り始めるが。
護衛騎士のラウルから、揺らりと立ち上る数式が見えた瞬間、クラリスはラウルの本音を聞いた。
それは騎士という役割、チトニアを愛している事実、そして身分の差への凄まじい葛藤が、彼の中で暴れまわり、そして少なからず疲弊させていた。
ラウルが凄いのは、それらの嵐のような激情を、それを上回る精神力で押さえつけているところであろう。
クラリスが惚けたようにラウルを見ていると、跪いていたラウルと目が合った。
「…。何か?」
「ラウル!いい加減にして」
激昂するチトニアの肩を撫で、護衛のラウルに少しだけ二人にして欲しいと頼む。見える場所まで下がるだけという条件で彼は離れていった。
「…チトニア様」
「ごめんなさい、こんな時に…」
怒りと感情を乱した羞恥でチトニアが紅くなっている。クラリスは思い切って尋ねることにした。
「もしかして…チトニア様は、ラウルさんの事を、好い、ておら、れます…?」
ぎこちなく問うた。その端からますます顔を赤らめるチトニアが、チラっとクラリスを見上げる。
「…内緒ですわよ…」
「もちろん口外は致しませんよ!」
「…。学院の頃からクラリス様はなんでもお見通しでしたわね」
仕方なさそうに笑うチトニアの表情に、クラリスの中で何かが繋がる。
「もしかして、サマール男爵家のラウラ様って…」
「私ですわ」
可笑しそうに笑いながら、チトニアが種明かしをする。
サマール男爵家のラウラ。学院時代に下級生の世話係を引き受けた時に、唯一仲良くなった少女だった。
広い帝国にはおびただしい数の貴族家系が存在する。その一角の更に下の方に籍を置く男爵家。記憶にない家門ではあったが、新興貴族は毎年増え続ける。そうした経緯の家だとクラリスは思っていた。
ラウラは小柄で愛らしい天真爛漫な少女で、クラリスを姉のように慕ってくれていた。それがまさか、素性を隠した皇族で、しかも未来の女帝だったとは。
そういえば、ラウラも翡翠色の瞳をしていた。
「髪の色を変えてましたの」
「髪の色だけで…妖精姫の異名までは難しいのでは」
「野暮ったい髪型と喋り方で、人はだいぶ変わりますのよ?」
サマール男爵家はチトニアの為に作られた家門で、チトニアの卒業と共に消えたという。
「ラウラの名前は…ラウルからもじったものですわ…」
少しだけ頬を染めたチトニアが、クラリスに苦笑する。
「ラウルは十違いで、テキラナから帝国へ戻された時から私の護衛をしていますの」
皇女という立場上、色んな場所へ赴く。何処へ行くにもラウルはチトニアと共にある。幼かった少女は兄のような年頃の青年に憧れ、そして恋におちていった。
「実は、皇帝位を引き継いだあとに…告白をしましたの」
「!」
大人しそうな妖精姫と見られがちだが、チトニアはかなりアグレッシブな性格をしている。頬杖をつきながら空を見上げるチトニアは、やはり夢のように美しい。それでも外見を裏切る大胆さと行動の素早さは、周囲を、そしてクラリスを驚かせるのには十分過ぎた。
「断られましたわ」
「…」
「それ以来、私はラウルにとても意地悪なのです」
ふふと笑う顔は、自分に対する呆れと、そして心を受け取ってもらえなかった悲しみが滲んでいた。
「陛下…」
「仕方がありません。彼は護衛。何事にも揺らがない精神力を私は高く評価しておりますし」
何より、とチトニアは寂しそうに続ける。
「私はこの国の君主ですもの。彼には私の気持ちは邪魔でしょうね」
「…。…いいえ、あの…」
チラっと離れたところにいるラウルを窺う。彼は直立不動で立ったまま、こちらを見据えていた。
「クラリス様?」
人の感情を勝手に伝える事に、かなりの抵抗はある。でもおそらく…ラウルは死ぬまで、胸の激情をチトニアにも誰にも明かすことなく世を去るつもりでいることはわかった。
考え込むクラリスを前に、チトニアが首を傾げている。
「チトニア様。私の独り言と思って聞き流して欲しいのですけど」
「?わかりましたわ…?」
とある国に優秀な騎士がいて、彼はその腕を買われて、その国の美しいお姫様の護衛任務に着くことになりました。
お姫様はとても明るく賢く、王様や家族からとても愛されておりました。
天真爛漫でお転婆なお姫様の護衛は大変なことも多かったのですが、どんな時でも楽しそうに笑うお姫様を、護衛は妹のように慈しみ、騎士として全力でお守りする事を誇りとしておりました。
お姫様は時を経るにつれて、とても美しく成長され、国内外から妖精姫と謳われる程の美姫になりました。
そんなお姫様を護衛することは騎士の最高の名誉です。仲間にも羨ましがられる護衛を、騎士は絶対に譲る気はありませんでした。名誉のためでもありましたが、騎士はいつの頃からか、お姫様を愛していたためです。
政変がおこり、お姫様はその国の女王となりました。
おめでたいはずなのに、騎士は絶望します。
身分の壁が騎士の前に立ちはだかっておりました。以前からわかってはいたことですが、女王となったお姫様はこれから、国のための結婚をするでしょう。
そうなった時、騎士はその先をどう生きていけばいいのか、夜も眠れぬほどに狂おしく悩むのでした。
「…という…お話です」
ガゼボのテーブルに目を落としたまま、クラリスはおとぎ話を終える。チトニアを横目で見ると。
女帝は静かに涙を流していた。
「チトニア様…」
ハンカチを差し出した時だった。
差し出した手を強く掴まれ腕を引かれる。見上げると、憤怒の形相のラウルが立っていた。
「貴様…陛下を泣かせるなど…」
怒りのあまり声が震えている。本気の怒気に震え上がっていると、チトニアが「ラウル、やめなさい」と声を湿らせながら呟く。
「しかし」
「いいから、その手を離しなさい」
仕方ない、という風に手が解放される。クラリスの差し出したハンカチを受け取ったチトニアは、紅く頬を染めてはにかんだ。
「それは本当ですの…?」
「見えてしまったので。事実だけをお伝えしました」
「そう…」
受け取ったハンカチを恥ずかしそうに揉んだチトニアは、傍らに立ったままのラウルを見上げる。
心配そうにチトニアを見つめていた彼は、チトニアに微笑まれて少なからず動揺したようだった。
「陛下?」
「ラウル、あなたに聴きたい事がありますの」
はっ、と礼をとって聴く姿勢に入る護衛にチトニアは淡々と告げる。
「あなた、私の伴侶になるつもりはあって?」
「はっ…、え」
勢いよく返答はしたものの、ラウルが聞き間違いかと顔を上げた。
「どうですの?」
「伴侶…と」
ええ、と頷くチトニアに、ラウルが目を伏せる。
「身分が釣り合いません」
ダメか、とクラリスが肩を下げる。しかしチトニアは笑った。
「では伝統に則り、騎士団の親善試合で優勝なさい」
「…」
「最強騎士の名誉を讃え、帝国皇帝からなんでもひとつ褒美を与えます」
「陛下…」
ラウルの声が震えている。
「いいですね、ラウル」
「御意」
チトニアの強引な約束に、ラウルが跪いた。
ラウルから立ち上る隠しきれない数式達が揺らめき実態を持ち始める。それは喜びと希望、そして鼓膜を破るように叫ばれる愛の言葉の洪水だった。
頬杖をついて嬉しそうに笑うチトニア、未来に心を震わせるラウル。
帝国皇宮の片隅で、クラリスは耳を抑えながら、幸せな未来の始まりに立ち会ったのだった。
終わり




