タウンハウスと王宮内の研究室にて
王家の所有だったタウンハウスは、クラリスの所有となったが、使用人達はそのまま雇用している。
この屋敷の雰囲気も好きなのだが、使用人達の優秀さと気さくさがクラリスにはとてもありがたく、心地よくすごさせてもらっている。
夕焼けの聖女と呼ばれるようになり、キリアンの恋人となった現在。
クラリスは悩んでいた。
「お嬢様、ドレスがまた…」
専属侍女が二人から四人に増え、クラリス自身が屋敷内でする事は、歩く事と食べる事だけになってしまった。
侍女達はバルタザールの教育がしっかり浸透しているせいでとても優秀で、とても優しい。クラリスが立っているだけでドレスの脱ぎ着をあっという間に終わらせてしまう。そして、湯船に浸かっているだけで身体が綺麗になっていく。椅子に座っていれば、爆発しそうなニンジン色の髪は綺麗に、そして淑やかにまとめ髪にされていく。
クラリスが何かに悪戦苦闘することも、思い悩むこともない。
せいぜいが、つい最近恋人となった国王からの、プレゼントの置き場所について悩むことくらいだったのだが。
クラリスのクロークには、義理の兄となったフェリクスが一通り揃えてくれたドレス達が既にギッシリ掛けられており、まだ袖の通してないものも沢山ある。
そんなクロークを一掃させるかのように、キリアンは毎日のようにドレスを送ってきていた。
「…しまう場所が本当にない…」
クラリスの呟きに侍女達が顔を見合わせる。
「あの、お嬢様?もし宜しければ…」
侍女頭がにこやかに何かを提案しかけて来るが、クラリスは目の前のドレスの箱達に絶望しきっていた。
「お嬢様。衣装部屋を拡張なさっては」
「それがいいですね、そうしましょう」
「靴も流行り廃りはございますけど、どれも定番のタイプですから、着回しなどできますし」
「王宮内のクラリス様のお部屋にも持っていきますか」
口々に励ます侍女達を振り返って、クラリスは顔を引き攣らせた。
「衣装部屋を拡張するのは賛成です、お任せしますけど…、王宮内の部屋は…」
王宮内のクロークにも既にギチギチにドレス達がスタンバイしている。それを聞いて侍女達は苦笑した。
「陛下の愛ですね」
「お嬢様は愛されてますから」
「…」
身の回りを物で溢れさせることがなかったクラリスにとって、大量のドレスはルシアンと同じような圧を感じさせる。
しかし、特に好みも注文もないのでありがたく使わせてはもらっているが。
クラリスは思う。
「でもドレスだと遺跡に行けないからなぁ」
遺跡に行く時用のドレスではない作業着の替えが欲しい。そんな事をブツブツと言いながら、クラリスは新しい衣装部屋を探しに廊下へ出ていった。
バルタザールはその様子を影からソッと見守っていた。
数理官という仕事はこの世界における血統能力や古代遺物の動きを、感覚ではなく「数式と論理」によって解き明かし、制御・最適化する専門職である。
アンバーカノープスのような古代遺物の維持管理なども含まれるので、遺跡に赴いての仕事が多くなる。
また、時期のよっては国家運営のシミュレーションも担う事もあり、なかなか忙しい仕事ではある。
筆頭数理官という肩書きは与えられたが、クラリスに部下はいない。クラリスの秘書という名目で、フェリクスがつけられることになった。
理由は単純に、そこら辺の男を傍に置かせるのをキリアンが嫌がった為と、クラリスの能力を的確に理解してサポート出来そうな女性の官吏がいなかったためである。
多忙を極めるフェリクスが、さらに仕事を背負うことになってしまい、クラリスはものすごく遠慮したり、拒否したりしたのだが。
微笑みを浮かべたルシアンに、言うことを聞きますよね?と言われてしまえば、フェリクスに頭を下げるしか無かった。
もっとも。フェリクスはむさ苦しい男と窮屈な王宮で仕事をするよりは、可愛い義理の妹と共に仕事ができる事を喜んでいた。
キリアンは激高していたが。
とはいえ、クラリスの仕事量よりもフェリクスの仕事量が遥かに多いので、遺跡等に出向く時はフェリクスの空いてる日を選んでいる。
クラリスに与えられた王宮内の私室は、仕事部屋でもあった。壁に掛けられたカレンダーを確認すると、次の遺跡調査の日まで10日程ある。
壁に貼られたおびただしい数の大小の地図は、ランヴァリオン全域に散らばる古代遺跡の在処を示している。
青い海に浮かぶ数百もの島を配下に収めているランヴァリオン。海洋軍事国家として成り上がった、この国の歴史の片鱗を示している。
フェリクスの仕事の関係もあるから、遠出も長居も難しいだろう。どの辺に行くのかはクラリスが決定するのだが、その兼ね合いをいつも考えてしまう。
「…やっぱり、専属の護衛か、部下とかいた方がいいのかな」
地図を見ながら唸っていると、
「護衛を連れてどこに行くつもりだ」
耳元にキリアンの低い声が、熱い息とともにかけられる。びっくりして身体を仰け反らせると、キリアンの腕にがっちりと捕まった。
「陛下、びっくりするからやめ…」
うるさいと言わんばかりに口を塞がれ、逃げられないように頭まで押さえつけられる。うっすらと目を開けると、キリアンの長いまつ毛が見えた。
「陛」
「ちがうだろう」
「キリ、ア」
「キスの合間に喋ろうだなんて、無粋なニンジンだ」
キリアンのキスは長い。そして激しい。
空腹の野獣のようだといつも思う。満足するまで解放されないので、この頃クラリスは学んだ。
大人しくされるがままでいる方が、早く終わる。と。
恋人という存在がこれまでいなかったので、交際というものの正解は分からない。
キスくらいは恋人期間でも婚約中でもするだろうが…。
クラリスがぐったりとキリアンにもたれ掛かる。肩で息をするクラリスの背中を撫でながら、キリアンは低く笑った。
「キスでこの有様では、閨が思いやられるな」
「ねや…!」
「興味があるなら付き合うぞ?」
真っ赤になったクラリスをからかいながら、キリアンは抱擁の力を少し緩めた。
「で?護衛がどうのって何の話だ」
抱きしめたまま、壁を見るキリアンに、クラリスはその腕の中から彼を見上げた。
「フェリクスさんの仕事の具合を見て、行き先を決めてるんですけど。なかなか制限が多いなぁって」
クラリスの話を黙って聴いていたキリアンが、壁の地図の中から1枚を指さした。
「なら、次の遺跡調査はここにしよう。俺が同行する」
「え?」
「ここの遺跡は、前から俺も行きたかった場所だ」
キリアンの腕の中から見上げると、彫刻よりも雄々しいキリアンが目を細めている。
キリアンは、恋人となった日からこんな表情をよく見せてくれる。親愛と愛情を滲ませた眼差しが、クラリスをいつも落ち着かなくさせて困る。
キリアンから立ち上る数式は相変わらず黄金と深紅のものが螺旋を描いていて、熟成されたオークの香りがクラリスを優しく包み込んでいる。
咄嗟に目を逸らすと、キリアンの手が伸びてきて顎を掴まれた。強引に先程のように上を見るように向けさせられる。
「俺が行く」
言い含めるように言葉にするキリアンが、もう一度言った。
「でも、国王の仕事は」
「そんなものはルシアンが片付ける。自分の女が行きたい場所に連れて行けずに何が恋人だ」
「…。キリアンの行きたい場所でしょう?」
吹き出したクラリスのこめかみに唇を押し当てて、キリアンも笑う。
「不満なのか」
「ちがいます」
首を振って、クラリスは少しだけはにかんだ。
「…。デートみたいですね?」
「…」
キリアンが黙り込んだ。
「クラリス、そろそろ閨をするか」
「しませんよ?なんでそうなるんです?」
「俺の理性を試すな」
「試してませんし。そもそも陛下はふくよかな方が好みと仰ってたでしょう」
「あれはあれ、これはこれだ」
小型犬のように吠えるクラリスを、黙らせながらキリアンは政務の算段をつけ始める。
キリアンの代行はルシアンが主に務めるが、今回はフェリクスにも振り分けてやろうと、少しばかり意地悪く考えるのだった。
翌日、タウンハウスにまたキリアンからの荷物が届く。またドレスか、とうんざりしていると、中を改めていた侍女達が楽しげに笑い交わした。
「お嬢様、良かったですね」
箱を覗き込むと、そこには遺跡調査用の探検服のような衣類が入っていた。
「わぁ…」
目を輝かせたクラリスを見て、侍女達が微笑む。
「ブーツ…水筒…ポケットがたくさん着いたベスト…!!」
中身を取り出しながら、クラリスが気持ちを抑えられないように、ため息を漏らす。
「ヘルメットまで…!なんて素敵なの…」
キリアンがこれまでに送り付けてきたプレゼントの中で、一番良い反応を見せたクラリスに、廊下から様子を伺っていたバルタザールが微笑んだ。




